まさかの展開
イクシオン殿下の自動調理器があるおかげで、食事作りはかなり楽だ。
前世のように、過労死をすることはないだろう。
この通り、リュカオンのごはん係を担当するのは、三人分を三食作るばかりなのでまったく問題ない。
最大の問題は、イクシオン殿下の婚約者に祭り上げられてしまった件だ。
「あの、イクシオン殿下。昨日言っていた、婚約の件なんだけれど」
「それがどうした?」
「早速で悪いのだけれど、破棄してもらえる?」
「なんだと!?」
イクシオン殿下は信じがたい女、という目で私を見る。
「なぜだ?」
「イクシオン殿下は、周囲が結婚を急かすので、間に合わせに私を婚約者として立てたと主張していたけれど、それは根本的な解決になっていないかと。数年後に、婚約破棄したあと、同じ問題が生じるのは目に見えているわ」
「それは、そうだが」
「数年後も、同じ悩みを抱えるのは、バカみたいだと思わない?」
「遠慮なく申すな」
「そう言うように命じたのは、イクシオン殿下よ」
こうなったら、ズバズバ言わせていただく。
「いい機会だと思って、きちんと婚約者を決めておいたほうがいいわ。そのほうが、〝あなたのためになる〟のよ」
真剣に訴えたのがよかったのか、イクシオン殿下はハッと何かに気づいたような表情を浮かべる。
「そなたの、申す通りだ。目が、覚めた」
真摯に受け止めてくれたようで、ホッとする。
「じゃあ、私は一回家に――」
「アステリア。私はそなたを、正式な婚約者として迎えることにした」
「どうしてそうなる!!」
「そなたがそうしろと申したのではないか」
「私以外の、相応しい女性を選んでね、って言ったのよ! それがなぜ、私を正式な婚約者にする方向になっちゃったの?」
「そなたが、相応しいと思ったからだ」
イクシオン殿下の返答に、頭を抱える。
「なんで、ですか? イヤじゃ、ないですか? 私みたいな、遠慮知らずで、お金しか長所がない家の女なんか」
「妻となる女性の生まれや育ち、家格など気にしていない。重要なのは、私が気に入るか、否かだ。そなたは、ほかの者とは違う。私に媚びることなく、しっかり自分を持っている」
「えー……そんなことないですよぉ」
「謙遜するな」
「ぜんぜん、ぜんぜんしていないですぅ」
ダメだ。イクシオン殿下は完全に、私に対して「お前、おもしろい女だな」モードになっている。
今まで、イクシオン殿下に真っ正面から意見する女性など存在しなかったのだろう。
ただ、世の中には、私以上におもしろい女がたくさんいる。どうか、目を背けないでほしい。世界中の、おもしろい女たちから。
「まだまだ、世界中にはすばらしくおもしろい女がいると思うわ」
「なぜ、いきなりおもしろい女の話になっている?」
「ごめんなさい。詳しく説明できないけれど、話についてきて」
「無茶を申す」
私が何を言っても、イクシオン殿下にはおもしろいことを言っているようにしか聞こえないのだろう。
こうなったら、奥の手を使うことにした。
「ちなみに、イクシオン殿下、ご年齢は?」
「十九だ」
「なるほど」
「何がなるほどなんだ?」
私はアラサー女子の転生体で、ババアソウルを胸に秘めたまま転生したと。
つまり、十九歳と年若いイクシオン殿下は前世と今世の年齢を合わせて、アラフィフの女と結婚しようとしているのだ。
それを、今から胸を張って説明する。
「実は、私、前世の記憶があるの」
「どういうことだ?」
「今日、ふるまった料理は、前世の世界で食べられていた、家庭料理なの。偉大な異世界人が作ったレシピを使って料理しているだけで、私自身はぜんぜんすごくないのよ」
「不思議なことを言う」
やはり、いきなり「どうも、料理人だった元日本人です。転生したら、金持ち貴族令嬢になりました」なんて主張しても、信じてもらえないのか。
この作戦は無謀だと思ったが、リュカオンが助け船を出してくれた。
『おい、アステリアの話していることは本当だぞ。彼女には、前世の記憶がある』
「そうなのか?」
「はい!」
ぐぐっと身を乗り出して、イクシオン殿下に説明する。
「三十四歳で亡くなり、生まれ変わって今年で十六歳。精神年齢は、ちょうどぴったり五十になりまして」
「それが、どうした?」
「私とイクシオン殿下が結婚をするのは、あまりにも年の差が、ありすぎてないかな、と思って」
「それは、精神年齢の話だろうが。前世の話で思い出したのだが、人は誰もが輪廻転生しているといわれている」
輪廻転生――亡くなった魂はまっさらな状態になって、生まれ変わる。人は誰もが、記憶がないだけで、転生体ということになるという考えだ。
「もしかしたら私の前世は、八十歳まで生きた爺かもしれない。それを、今世との合計で九十九歳の爺と結婚するなどと、思うのか? 思わないだろう?」
「あと一年、生きていたら百歳だったのに」
「これはたとえ話だ! 真面目に聞け!」
イクシオン殿下の、渾身の突っ込みを受けてしまった。なかなか体験できるものではないだろう。
「前世の前には、さらに前世も存在する。前々前世の年齢も含めたら、とんでもない年齢になるのではないか? 考えるだけ、無駄だろうが」
「私の前で前々前世の話はしないで。思わずビートを刻んでしまうから」
「そなたは、本当に訳がわからない話ばかりする」
イクシオン殿下は、私を諭すように優しく言った。
「アステリア。人は何度生まれ変わろうが、きっと性根は変わらない。私は、そなたの性根が気に入った。これで、満足してくれないだろうか?」
「私の性根って?」
「巻き込まれたら面倒だとわかっているのに、話を受けてしまう能天気なところだ」
「イクシオン殿下、それ、もしかして褒めているつもりですか?」
「そうだが」
褒めていない。ぜんぜん、褒めていない。がっくりと、うなだれてしまう。
「そもそも、アストライヤー家と王族の結婚なんて、周囲が認めないのでは?」
一応、爵位はあるものの、アストライヤー家の評判は社交界ではすこぶる悪い。なんでもかんでも、お金で解決し、金持ちであることを常にひけらかしているからだ。
高貴な志を持つ貴族には、お金を第一に考えるアストライヤー家のあり方は卑しく映ってしまうのだろう。
「兄たちの結婚は、政治的な意味合いが強い」
なんせ、ご兄弟は未来の国王となるカイロス殿下と、教会が歴史の中で初めて熱烈に支持するアイオーン殿下だ。
そんじょそこらの女が結婚できるわけがない。
「一方、私はどこにも支持されず、公式行事にはほとんど参加せず、陰で引きこもり王子とまで囁かれていたような存在。結婚話に難色を示しているうちに、誰でもいいから結婚してくれと命じられる始末だ」
「それはそれは……」
「平民の娘を連れてきても、どこぞの貴族の家の養子に出し、身分をつけてやるから、結婚してほしいとまで言われていた」
「結婚相手は、誰でもいいと?」
「そうだ」
つまり私がアストライヤー家の出自で、その上精神年齢がアラフィフでも、イクシオン殿下はまったく気にしないようだ。
「答えを、聞かせて欲しい」
目力がすごい。迫力で、「はい」以外の答えを言わせないと訴えている。
断れるような雰囲気ではなかった。どうすればいいのか。
助けを求めた瞬間、実家の父の姿が思い浮かぶ。そこで、ピンときた。
「父に……」
「ん?」
「父が許してくれたら、私はイクシオン殿下と結婚するわ」
「そうか。わかった」
この問題は私の手に負えないので、父に丸投げすることに決めた。
妃教育なんかしていない娘を、王族の嫁に出す訳がない。
もしも結婚なんてしたら、アストライヤー家の恥になるからだ。
父はきっと、金を出すので娘を返してくださいと、平伏してくれるはず。
私は無事実家に帰ることができて、国は大金を得る。いいことづくめだ。
ごはん係は、転移魔法を自在に操れるリュカオンがアストライヤー家の領地まで来てもらったら続けられるだろう。問題は何ひとつない。
「数日、ここを空ける。宮殿内の案内は、メルヴに命じておく。生活に必要な物は、今朝方追加で頼んでおり、昼には届く。足りないものがあったら、メルヴに言っておけ」
「あの、私、一回家に帰りたいんだけれど」
「ダメだ」
「なんで?」
「ここでの生活で、不自由はさせない」
「答えになっていないから。家に帰れない不自由は、無視するわけ?」
「帰宅は許可できない。リュカオンに頼んで、転移するのも禁止だ」
「だから、なんで?」
「聖獣の乙女を、利用する者がいないとは言い切れないからだ」
「あー、なるほど」
私の家族でさえ、信用できないらしい。腑に落ちたけれど、不満は残る。
そんな私の肩をイクシオン殿下は掴み、幼子に言い含めるように真剣な眼差しを向けながら言った。
「しばらく、不自由させる。今は、我慢してくれ」
こっくり頷くと、イクシオン殿下は研究室から出て行った。
パタンと扉が閉まった音で、ハッと我に返る。
「ヤバい! イケメンパワーでうっかり頷いちゃった!」
思わず、頭を抱え込んでしまう。
イケメン耐性なんて、欠片もなかった。キラキラ王子様に頼み事をされたら、頷く以外できないだろう。
『〝いけめん耐性〟とやらがゼロなのに、結婚は随分と渋っていたな』
「リュカオン、私の心の声と会話しないで」
『む、すまぬ』
は~~と、深い溜息をつく。
こうなったら、領地の父がイクシオン殿下との戦いに勝ってくれるのを祈るばかりだ。
◇◇◇
食事後は、腹ごなしも兼ねて宮殿内をメルヴに案内してもらう。リュカオンも同行してくれるようで、私の隣をもふもふの尻尾を揺らしながら歩いていた。
私室の前で、メルヴがちょこんと待っている。手には『メルヴ観光』と書かれた木の棒に付いた葉っぱを持っていた。
『〝メルヴ〟ガ、宮殿ヲ、案内スルヨ』
「よろしくね」
メルヴはポテポテと歩きながら、宮殿を案内してくれた。
『ココハ、畑ダヨ!』
「は?」
止まったのは、重厚な扉の前。ここのどこに、畑があるというのか。
メルヴが扉をトントンと叩くと、自動で開いた。
「へ!?」
舞踏会が開けそうなほどの部屋に広がるのは、豊かな緑。天井からは太陽のようなまばゆい光を放つ魔石があり、噴水のような装置で水やりがなされ、メルヴたちがせっせと野菜の収穫をしていた。
作業をするメルヴが、収穫したばかりのみずみずしいトマトを持ってきてくれた。
囓ってみたら、驚くほど甘い。
『コレハ、魔道具、畑絨毯デ作ッタ、野菜ダヨ!』
イクシオン殿下の発明らしい。
畑絨毯を広げ、太陽魔石が設置できる広さのある場所ならば、どこででも野菜を作ることを可能としているようだ。
畑絨毯と、水やり器、太陽魔石のセットで販売できないか、特許出願中らしい。
続いて案内された部屋も、とんでもなかった。
『ココハ、家畜ヲ、育テテイルヨ』
「は!?」
メルヴがコンコンと扉を叩くと、開かれる。そこは草原が広がっていて、牛や豚、鶏などの家畜がゆったりのびのびと歩き回っていた。
ここでもメルヴたちが働いていて、家畜に水や餌を与え回っている。
「ええー、何これ……!」
『牧草絨毯ト、太陽魔石ヲ、使ッテイルヨ』
「なんじゃこりゃ」
ほかにも、小麦を育てていたり、湖があったり、お菓子、パン工房があったりと、ちょっとした農村みたいな環境が宮殿の中にそろっていた。
「あの王子、どうして宮殿でスローライフしているのよ!?」
その疑問に答えてくれたのは、リュカオンである。
『商人を宮殿内に入れたくなかったようだ。必要な品々は、自給自足してやろうと』
「ええ、何それ」
『この宮殿は、奴の聖域なのだ。だから、お主の服を用意させるために、他人を宮殿に入れたことは驚いたぞ』
「はあ、さようで」
ありえない、のひと言だった。
「ここで働くメルヴって、どれくらいいるの?」
『ウーン。百以上イルカナ?』
「こき使われて、大変じゃない?」
『大変ジャナイヨ。楽シイヨ。メルヴハ、森ニ増エスギテイタカラ、環境問題ニナッテ、イタノ』
なんでも、消費魔力の問題で、森に大量のメルヴが住むことはできないらしい。メルヴが増えすぎると、森の木々が枯れてしまうのだとか。
だんだん、エコロジカルな話になってきた。
メルヴたちが困っていたところ、イクシオン殿下の宮殿に招待され、毎日楽しく働いているようだ。
……メルヴたち、いい子すぎないか?
そんなことはさて置いて。
ここの宮殿は、イクシオン殿下の引きこもり生活を実現させた、夢のような場所なのだろう。
『昨日、新シク、ドレス工房ヲ、作ルヨウニ言ワレタヨ。三日後ニデキルカラ、欲シイドレスガアッタラ、言ッテネ』
「それは、どうも」
そのうち、ショッピングモール化しそうだ。
◇◇◇
宮殿内を見て回るだけで、なんだか疲れてしまった。
部屋でぐったりうなだれていたら、メルヴがお茶を持ってきてくれた。
『粗茶ダヨ~!』
エプロン姿のメルヴが可愛くて、ほっこりしてしまう。
「メルヴ、ありがとう」
『イエイエ~』
「これ、なんのお茶?」
『メルヴ茶ダヨ~』
メルヴの頭上から生える葉っぱを煎じたお茶らしい。さっそく、いただいた。なんだか、フルーティーないい香りが漂う。ひと口飲んだら、カッと体が熱くなった。
「な、何これ、おいしい!!」
おいしいだけではない。メルヴ茶を口に含んだだけで、疲れも一気に消し飛ぶ。
『元気ニナッタ?』
「うん、ありがとう」
メルヴの葉は、回復効果を持つ薬草らしい。それで作ったお茶なので、効果抜群だったのだろう。
葉っぱを提供してくれたメルヴたちに感謝だ。
「よし。元気になったから、そろそろ昼食の準備でもしようかな」
『やったぞ!』
「リュカオン、何か、食べたい料理はある?」
『ふーむ』
じっと、リュカオンが私を見つめる。記憶の中に存在する料理を探っているのだろう。ふわふわの耳をピンと立て、モコモコの尻尾は左右に振って情報を探っているようだ。
『〝ぐらたん〟、とやらが食べてみたいぞ』
「グラタンね。了解」
醤油やみりんを使用した料理は作れないので、グラタンのオーダーにホッと胸をなで下ろす。
宮殿の厨房にマカロニはないようだが、なかったら作ればいいのだ。
マカロニはイタリア発祥のショートパスタの一種で、日本では主にグラタンやサラダに用いられる。私はトマトソースと魚介のソースで和えたアラビアータにしたり、ひよこ豆のスープに入れたり、チーズを絡めたシンプルなマカロニチーズにしたりなど、さまざまな料理に使って味わっていた。マカロニは、どんな料理にも使えるのだ。
マカロニ作りに必要なのは、小麦粉の一種であるセモリナ粉。これを、ぬるま湯を入れつつ練るのだ。
手作りのパスタ作りは、力仕事である。しっかり練らないと、コシがなく、食べ応えのないパスタになってしまう。一瞬も、気を抜くことができない。
生地が仕上がったら、細い鉄に巻き付ける。引き抜いてほどよい長さにカットしたら、生マカロニの完成だ。
『おい、なぜ、〝まかろに〟は、穴が空いているのだ?』
「茹で時間を短くするためだとか、ソースを絡めやすくするためだとか、食感をよくするためだとか、いろいろな理由があるそうよ」
『なるほどな! 食べるのが、楽しみだ』
続いて、グラタンのホワイトソース作りに取りかかる。
『あの、白くてトロトロのソースを作るのだな!』
「ええ」
フライパンにバターを落とし、小麦粉を入れて混ぜる。
『おい、もしや、ソースはその白い粉で作るのか?』
「そうだけど」
『さっきも白い粉で、〝まかろに〟を作っていなかったか』
「まあ、種類は若干違うけれど。穀物をひいた物に変わりはないわね」
『白い粉で作ったまかろにを、白い粉で作ったソースに絡めて食べる。なんだか、恐ろしい料理だ』
「それ、言わない約束だから」
人類が目を背けていた事実を、リュカオンはズバリと見抜いてしまう。
小麦粉に溶けたバターが馴染んできたら、牛乳を入れてさらに混ぜる。とろとろになり、コショウを振り、アクセントとしてナツメグを効かせたら、ホワイトソースのできあがり。
続いて、具を作る。タマネギを飴色になるまで火を通し、同時進行でマカロニを茹でる。加えて、高級そうなベーコンを細く切り、軽く炒めたあとホワイトソースの中に入れた。
材料をすべて混ぜ、深皿にホワイトソースを混ぜる。チーズをたっぷり載せて焼いたら、グラタンの完成だ。
『おお……! これが、〝ぐらたん〟!』
「召し上がれ」
『感謝するぞ』
食堂に移動し、グラタンを食べる。犬の口では食べにくいだろう。特別に、フォークで食べさせてあげることにした。
グラタンをフォークで掬い上げると、チーズがみょーんと伸びる。
『おおおおおお!!』
リュカオンのテンションが最大級に上がっていた。まあ、気持ちはわからなくもない。空腹時のチーズみょーんには、堪らないものがある。
このままではアツアツで、舌を火傷してしまう。ふうふうしてあげた。
「ふーふー」
『ま、まだなのか!?』
「もうちょっと、熱が引いてからじゃないと」
しっかり冷ましてあげたあと、フォークを差し出す。
『いただくぞ!』
パクリと、リュカオンはグラタンを頰張る。
『んんんんん~~~~!!』
グラタンを食べたリュカオンは、ゴロゴロとテーブルの上を転がり始めた。
その間に、ふた口目を冷やしておく。
『これは、うまいぞ! なんなのだ、この、ソースのトロトロ感と、まかろにのもっちり感の、極上な〝はーもにー〟とやらは! それに、このコクがあるのにスパイシーなソースは、初めて食べる味だぞ!』
最後に効かせたナツメグも、お気に召してもらえたようだ。ふた口目を差し出すと、元気よくパクリと食いついた。
『最高だ~~!!』
さらに、おいしい食べ方を伝授する。それは、グラタンをバゲットに載せて食べることだ。
『小麦粉と小麦粉で作ったぐらたんを、小麦粉で作ったパンに載せるだと!?』
「それも、言わない約束だから」
グラタンをバゲットに載せてリュカオンに差し出すと、目がキラキラに輝く。すぐに大口を開けて食べていた。
『ううううう、うまい!! このぐらたんのソースは海のように深く広大な味わいで、まかろには食べる真珠が如く!! 奇跡のような、一品であるぞ!!』
出た、リュカオンの食レポが。笑ってしまいそうになるが、ぐっと我慢した。
それにしても、これだけおいしい、おいしいと言って食べてくれたら、作りがいもあるというもの。
リュカオンは瞬く間に、グラタンを平らげてくれた。
お腹を上にして転がっている。ぷっくら膨れたお腹がなんとも可愛らしい。
『本当においしかった。我は、機嫌がすこぶるよい。アステリアよ』
「何?」
『特別に、願いを叶えてやろう』
「え、願いごと?」
『ああ、そうだ。この宮殿をぶっとばしたいとか、実家の父をひと泡吹かせたいとか、いろいろあるだろうが』
「物騒な」
宮殿がなくなったら、イクシオン殿下は立ち直れないだろう。メルヴに案内されて見回ったが、〝俺だけの城〟感が半端ないのだ。
実家の父はおそらく、私とイクシオン殿下の結婚話が伝わって、ひと泡吹いているに決まっている。
その様子を見たかったような気もするけれど、猛烈に怒られそうなので、いなくてよかったのだろう。
ほかに何か願いがあるかと言われても、特に何も思いつかない。
なんといっても、私はお金持ちのアストライヤー家に生まれた。ドレスも、宝石も、馬もお菓子も、不自由することなく与えられて、自由気ままに育ったのだ。望むものなど、何もなかった。
もちろん、誰かを陥れようとか、何かを破壊したいとか、そういう願望も浮かんでこなかった。
「特に、ないかな?」
『本気か? 我は最強の聖獣であるぞ?』
「うん」
欲しいものがあったとしても、自分で手に入れなければ意味がない。
『驚いたな。お主のように、無欲な女は初めてだ。あの、イクシオンの嫁として、お主以上にふさわしい女はいないだろう』
「う、嬉しくないから!」
ここでふと思い出す。実家の姉たちがぼやいていた言葉を。
――今日、リティス子爵家のご子息からペンダントをいただいたのだけれど、先月お父様が買ってくださったペンダントのほうが数百倍素敵でしたわ。
――わかりますわ、お姉様。わたくしも一昨日、ネーベ商会の会長からブレスレットをいただいたのですが、誕生日にお父様がくださったブレスレットのほうが、輝いて見えましたもの。
ありし日の姉たちの会話を耳にしながら「いや、ぜんぜんわからねえ」と思っていたが、それと似たような状況にあるのだろう。
これは、アストライヤー家の血なのか。恐ろしすぎて、震えてしまう。
『だったら、やりたいことはないのか? 例えば、我の背中に跨がり風のように草原を駆けてみたいとか、空を飛んでみたいとか』
「いや、絶叫マシーンは好きじゃないから」
昨日、リュカオンの背中に乗ったときの記憶を思い出し、背筋がゾッと寒くなる。
高いところは苦手だし、速い乗り物も好きではない。
絶叫マシーンを好んで乗りたがる人の気持ちは、まったく理解できなかった。
『〝絶叫ましーん〟? むむっ、お主の世界には、面妖な乗り物があるのだな。あれで、皆、どこに行っているのだ?』
「いや、どこにって、あれは恐怖を楽しむだけの乗り物で、移動目的で乗っているわけじゃないの」
『よくわからん娯楽が存在する世界だな』
「否定はしないわ。それより、私の記憶をウィキペディアみたいに使わないでくれる?」
『〝うぃきぺでぃあ〟だと? ああ、なるほど。すまんな』
この聖獣は、理解できない単語があると、すぐに私の記憶をのぞき込むのだ。そういうのはよくないと、抗議しておく。
『実家に帰らなくてもいいのか?』
「いや……実家には、しばらく帰らないほうが賢明だと思うの」
『今朝は帰りたがっていたのに?』
「事情が変わったのよ」
『そうか』
やりたいことと言われて、特別やりたいことは何もない。けれど、ちょっぴり興味がある物事について話してみた。
「リュカオン、じゃあ、ひとつだけお願い」
私が願ったものとは――畑仕事を体験することだった。
『ジャガイモハ、アッチダヨ~!』
メルヴが指し示したのは、遠くにある畑。歩いて行ったら、十分ほどかかりそうだ。この空間はどれだけ広いのか。おそらく、舞踏会を開くような部屋なのだろうが。
『ふむ、遠いな。よし! 我が連れて行ってやるぞ。背中に乗れ!』
「へ?」
リュカオンは幼獣体から、体長五メートルほどの成獣体へと変化する。いきなり凜々(りり)しくなったものの、伏せの姿勢を取った。
前に、リュカオンに乗ったときは、イクシオン殿下が腰を支えてくれた。それでも、怖かったのだ。
「あの、これぐらいの距離は自分で歩けるから、遠慮するわ」
『いいから乗れ』
リュカオンの迫力に負け、跨がってしまう。鞍もなしに、大きな生き物に乗るなど、愚かな行為としか思えないが。
『ゆくぞ!』
「ちょっと待って、心の準備が」
『出発!』
「いやああああああ~~!」
体感はジェットコースターである。絶叫し、涙目になりながら、流れ星のような速さでジャガイモ畑にたどり着いた。
『では、始めるか』
「ええ、そうね」
幼獣体に戻ったリュカオンは、やる気満々といった感じである。
私はドレスを脱ぎ、メルヴから作業服を借りて農作業を行う。
室内に畑が広がり、青々とした野菜が生える不思議な空間で、私はせっせとジャガイモの収穫を行った。
「リュカオン、見て! こんなにたくさん採れた」
『むう! 我が、今掘っているジャガイモも、たくさんだぞ!』
リュカオンは鼻先に土を付着させ、ここ掘れワンワンの要領で土を掘っていた。しだいに全身土だらけになりつつある。美しい白の毛並みだったが、瞬く間に茶色い犬と化していた。
ジャガイモ掘りは前世含めて初めてだったが、メルヴが優しく教えてくれた。
私はずっと、自分で育てた農作物で料理をすることに憧れていたのだ。
しかし、家庭菜園もできないほど仕事が忙しかったので、夢も叶わず。
こうして、生まれ変わってから畑仕事をできるなんて、思いもしなかった。
「不思議だわ。土に触れていると、心がホッと落ち着くの」
『殿下モ、同ジコト、言ッテイタヨ』
「え、イクシオン殿下も、ここの農作業をしにやってくるの?」
『ウン!』
畑仕事をするイクシオン殿下なんて、想像できない。今度、見せてもらわなければ。
「驚いたわ。ここのお世話は、メルヴたちに任せていると思っていたのに」
『ココダケジャナイヨ。家畜部屋デ乳搾リシタリ、餌ヲアゲタリ、イロイロシテイル、ミタイ』
「へえ、そうなんだ。意外」
メルヴたちを働かせて、イクシオン殿下は高みの見物だと思っていたのに。一気に親しみを感じてしまった。
『あの男は、相当な変わり者よ。生活を楽にするために魔道具の開発を行う傍ら、自らが畑仕事や家畜の世話をすることを厭わない』
「魔道具は、なんのために開発しているの?」
『国民たちが、豊かな生活を送れるようにと以前話していたが』
「そうなんだ」
私は勘違いしていた。
イクシオン殿下は自分が自由気ままな生活をするために、この宮殿に引きこもって魔道具開発をしているのだと思っていた。
「たしかに、自動調理器が製品化されたら、国民の生活は楽になるわ」
しかし、課題も山積みなんだとか。
『せっかく便利な品を作っても材料費の関係から製品化されなかったり、研究費が下りなかったり』
「意外と、苦労しているのね」
『みたいだな』
リュカオンを召喚したのも、活動が認められたら研究費が下りやすくなるからだったらしい。もちろん、スタンピートを止めるために、という気持ちもあったとは思うが。
「研究費がないのなら、うちのお父様に頼めばいいのに」
なんか、「パンがなければ、ケーキを食べたらいいじゃない」的な発言をしてしまった。
「うちのお父様、本当に困っている方にこっそりお金を貸すのが趣味なの」
『なかなか珍しい趣味を持っているのだな』
「ええ、そうなのよ」
イクシオン殿下にもプライドがある。格下の家柄の生まれである私に研究費の心配なんかされたくないかもしれない。だが、プライドがどうこうと言っている場合ではないだろう。
ジャガイモの収穫が終わったら、種蒔きを行う。今日、イクシオン殿下がするつもりだったらしいが、急遽メルヴたちに任せ、出かけてしまった。
『今日ハ、キャベツヲ、植エルヨ』
直接畑に種を蒔くのではなく、小さなポットに植えてある程度育ったら、畑に植え替えるらしい。
ピンセットで種を植え、優しく土を被せる。この地味な作業が、なんだか心癒やされる。前世では激務だったから、こんなゆっくりした時間は過ごしたことがなかった。
「なんか、種植え、すごく好きかも」
『イクシオン殿下モ、癒ヤサレルッテ、言ッテイタヨ』
『お主たち、本当に趣味が合うじゃないか』
「合わないから!」
植えた種に水を蒔いたら、本日の畑仕事はいち段落である。
「そういえば、ここの野菜って、すべてイクシオン殿下の宮殿内で消費している訳じゃないのよね?」
『ソウダヨ! 余ッタ野菜ハ、孤児院ヤ病院ニ、寄付シテイルンダッテ』
「へえ、そうなのね」
なるほど。無計画にだだっ広い場所で農業をしているわけではないと。
「うーん」
『どうしたのだ?』
「イクシオン殿下って、実はものすごい人なんだなーと」
『まあ、猛烈な努力家ではあるな』
イメージがガラリと変わってしまった。
英雄と呼ばれ、独身王族として皆の注目を浴びていたが、本人は地味でささやかなものに喜びを感じる素朴な人物のようだ。
『どうだ、惚れ直したか?』
「惚れていないから、惚れ直しようもないけれど」
『辛辣だな』
イクシオン殿下が、王族でなかったら求婚に応じていたかもしれない。
ミュージカルなどで有名なオーストリア皇后エリザベートも、同じことを言っていたけれど。
いや、あの人は、なんだかんだいって皇帝フランツと結婚したが。
たくさんの人に祝福され、幸せな結婚をしても、ハッピーエンドとは限らないのだ。
結婚は人生の墓場だ、という言葉も残されている。
エリザベート皇后の場合、正にその言葉はぴったりと当てはまっていた。
さまざまな思惑と思想、政治の中でもみくちゃにされ、王室の決まりに従うことはできず、もがき、苦しみ、挙げ句に暗殺されてしまった。
きっとこの国も、王族となったら恐ろしい事態が待ち受けているに決まっている。バッドエンドな未来なんて、ごめんだ。
せっかく生まれ変わったのだ。私は私の人生を、謳歌したい。
誰にも邪魔されたくなかった。
収穫したばかりのジャガイモを手にしながら、ぼんやり考えていた。
そんな私に、思いがけない訪問者がやってくる。
メルヴがテポテポと走ってやって来て、報告してくれた。
『ハルピュイア公爵家ノ、エレクトラサンガ、アステリア様ニ、会イタイッテ』
「えー」