自慢のふわふわオムライス
足音が聞こえなくなったことを確認すると、ふーと息をはく。なんとか助かった。
小汚い布を剝ぎ、外に出る。そこは、物置小屋のようだった。
「うげっ、靴……」
騎士から逃げるのに必死で、途中で靴を池に投げ捨ててしまった。なぜ、あんなことをしたのか。こういう考えなしに直感で行動するところが、領地で『ポンコツ令嬢』と呼ばれる所以なのだろう。
人生二回目でも、根っこの部分はたぶん変わらないのだ。
しかし、靴を履いたままだったら、すぐにお縄についていた。あのときの判断は、あながち間違いではなかったと思っている。
怪我はない。逃げ切れた。いいことずくめだ。
侍女が用意してくれていたストッキングはかなり頑丈で、どこも破れていない。生地が裂けていたら、怪我をしていただろう。
裸足のまま帰りたくないが、仕方がない。頑丈なストッキングが、家まで耐えてくれることに期待するしかなかった。
そっと、物置の外に出てみる。
魔石灯の灯りが点された王宮の庭とは違い、薄暗かった。
すぐ近くに、庭師の休憩所のような小屋がある。中は暗いが、テーブルと椅子があることは確認できた。幸い、人の気配もない。ここで一晩潜伏し、明るくなってから帰ったほうがいいのか。
……いや、犯罪者じゃあるまいし。
朝帰りなんてしたら、大問題になるだろう。それに、庭師が戻ってこないともいえないのだ。危険な橋は渡らないほうがいいだろう。
周囲をキョロキョロと見渡す。近くにそびえ立つのは、立派な宮殿だ。ここは、王宮内のどこかなのか。四方八方、高い壁に囲まれていて、気軽に出入りできる場所に見えない。
警備している騎士の姿もないようだ。
雰囲気から推測すれば、ここはたぶん、個人が所有する宮殿なのだろう。
気づいた瞬間、ゾッと鳥肌が立つ。もしかして、脱出が困難な場所に潜り込んでしまったのか。
こうなったら、人を探して助けを請おう。庭師の荷車に乗ってきちゃったなどと、不審者でしかなかったが。まあ、酒を飲んで酔っ払っていたということにしたら問題は見当たらない。堂々とした足取りで、歩き始める。
出入り口らしき門は発見できたが、鍵がかかっていた。壁の高さは三メートルほどで、よじ登れるものではない。
踵を返し、別ルートを進む。庭はだだっ広いが、王宮の庭のように美しい花が咲き誇っているわけではない。たまに木々が植えられている以外、芝生が延々と続くばかりだ。
そんな中で、人の話し声を耳にする。
「どうか、頼む!!」
年若い男性の声が聞こえた。そろり、そろりと足音と気配を殺し、近づいてみる。大きな木を陰に、人影をのぞき込んだ。
金色の長い髪をベルベットのリボンで結んだ、上等な服を着ている男性が、なんと、驚いたことに土下座をしていたのだ。
「国の危機ゆえ、どうか!!」
誰に何を頼んでいるのか。国の危機とはいったい……?
『そうは言っても、お腹が空いた状態では、守護もできぬ!』
返すのは、幼い子どもの声だった。
どういうことなのか? 身を乗り出したが、今いる角度からは土下座する青年しか見えない。
『そこにおるのは、誰だ!!』
「ひゃあ!!」
弾かれたように、ひれ伏していた男が振り返る。
年頃は二十歳前後か。絹のような金髪に、切れ長の目はエメラルドのごとく。博物館に保管・展示されている石膏像のような恐ろしく整った顔立ちの青年が、驚愕の視線を私に向けていた。
「そなたは――誰だ?」
「と、通りすがりの、アストライヤー伯爵家の者ですぅ!」
こうなったら、すべての罪を父になすりつける。たぶん、自慢の金で解決してくれるだろう。あとは頼んだ、父上よ。そんな気持ちで、家名を名乗った。
「アストライヤー家? あの、裕福な一家か」
「そうですぅ!」
さすが、アストライヤー家だ。彼らの金持ち伝説は、王都にまで轟いていた。
「なぜ、靴を履いていない?」
「……」
質問に対し、ぎゅっと唇を噛みしめる。
王太子カイロス殿下と色っぽい人妻のいちゃいちゃをうっかり見てしまい、逃亡の途中で靴が邪魔になって池に投げ捨てたなどと、口が裂けても言えなかった。
「怪しい奴め」
「すみません」
否定できなかった。今の私は、全力で怪しいから。
「大精霊メルヴ=メディシナル・インフィニティよ、引っ捕らえよ!!」
「うわー!」
周囲が光に包まれる。召喚の魔法陣が展開された。あまりの眩しさに、目を閉じる。
大精霊がどうたらと言っていた気がする。今から私は、捕らえられてしまうのだろう。一応、歯を食いしばっておく。
光が収まると、そっと瞼を開いた。
私の周囲四方に、精霊らしき生き物が四体いた。ゲームや漫画でよく見る、マンドラゴラに似ているといえばいいのか。
背丈は私のひざ丈よりも低い。二股に分かれた黄色い大根のような見た目に木の枝のような手を生やしていた。円な目と、〝3〟みたいな口がなんともチャーミングである。
これが、大精霊メルヴ=メディシナル・インフィニティ?
四体いるうちの一体と目が合うと、ピッと手を挙げた。
『メルヴダヨ!』
「ど、どうも」
大精霊メルヴとやらは、私の周囲を取り囲むだけで、攻撃や拘束する気配はない。
ちらりと、メルヴを召喚した青年のほうを見る。
腰に手を当て、満足げな表情を浮かべていた。捕らえろと命じたものの、縄で縛ったり、手足を拘束したりと、直接捕らえることはしないようだ。
「今から、尋問する!」
『それよりもお腹が空いた!』
そう叫んで跳びだしてきたのは、モコモコふわふわの、真っ白い子犬だった。
しゃべる子犬に驚愕したものの、次なるひと言にさらに驚いてしまう。
『娘よ。お主の記憶に、実においしそうな料理がある。我はそれを、食したい!』
「私の、記憶の中にある料理?」
『ああ、そうだ。ふわふわの黄色いものに、赤い穀物を包み、赤いソースをかけた料理があるだろう?』
「ふわふわの黄色いものに、赤い穀物、赤いソース……もしかして、オムライス?」
『〝おむらいす〟というのだな! それを、作ってくれ』
驚いた。この子犬には、私の前世の記憶が〝視えて〟いるようだ。
「と、突然、言われましても」
「そこの女、〝おむらいす〟とやらを、作れるのか!?」
「材料があれば、ですが」
「ある! たぶん!」
青年と子犬の、熱い視線が集まった。
「でも、もうずっと作っていないし」
「頼む! 国の平和がかかっているのだ!」
そう叫び、美貌の青年は土下座した。
「いやいや、土下座とか、本当に止めて!」
腕を引いて立ち上がらせようとしたが、吸引力が強くて微塵たりとも動かない。
「国を救うのは、そなたしかいない」
「なんか、壮大な話になっているんだけれど!」
いったい、なんのことを言っているのか。訳がわからない。
「どうか、頼む」
「うーん」
面倒ごとに巻き込まれそうなので、詳しい話は絶対に聞きたくない。
しかし、腹を空かせ、オムライスを食べたいという子ども(?)がいる。だったら、作ってあげてもいいだろう。
美貌の青年も、ここまで頼んでいることだし。
「わかった。作るから――」
「本当か!?」
「え、ええ」
「ありがとう」
美貌の青年はすぐに立ち上がり、私の手をぎゅっと握って頭を深々と下げてくれた。
恥ずかしいので、手はすばやく引き抜く。
子犬が尊大な態度で私に命じた。
『よし! では、今すぐ作れ!』
体がふわりと浮く。何回かパチパチと瞳を瞬かせているうちに、景色がガラリと変わった。広い厨房に着地する。空間転移魔法だろう。
空間転移は上位魔法だと聞いたことがある。それを難なく使える子犬は、ものすごい存在なのかもしれない。
「ここが厨房だ。足りないものがあれば、すぐに申せ」
「は、はあ」
調理台が三つあり、その中のひとつには銀色の大きな箱が置かれていた。
「あれは何?」
ずいっと前に出てきたのは、美貌の青年だ。なぜか、ドヤ顔である。
「あれは、私が開発した魔道具、〝自動調理器〟だ」
『別名、〝クソメシ製造機〟である』
「なんだと!?」
美貌の青年の抗議を込めた言葉に対し子犬は毛を逆立たせつつ、可愛らしい声で『ぐるるるる』と唸っていた。
なんでも、材料を入れただけで、自動で皮剝きから味付けまでしてくれる、夢のような魔道具らしい。調理時間も、たった三秒で完成するようだ。
「私の作ったすばらしい調理器を、クソメシ製造機なんぞと呼びよってからに!」
『クソなものを、クソと言って何が悪い。あれで作った料理はすべて不味いのだ』
「単に、お前の好みの問題だろうが」
『そうとも言える。しかし、おいしい料理が食べ放題と聞いて、ここにやってきたのに、クソメシばかり食されてはかなわん』
「こいつ~~!!」
この子犬は、美貌の青年が召喚した精霊だろうか。子どものような幼い声で、よくしゃべるものだ。
青年は青年で、しゃべらなければ貴公子然としているのに、しゃべったらかなり残念な感じがする。だけどクソだ、クソだと言われて、なんだか気の毒にもなってしまった。
ここで、ふりふりエプロンをかけたメルヴたちがやって来た。どうやら、調理を手伝ってくれるらしい。
『材料、何ガ必要?』
『メルヴ、持ッテクルヨ』
一応、調理開始前に、子犬が食べられない食材を聞いておく。
『我はただの犬ではない。食べられぬ食材など、ないぞ』
「わかったわ」
オムライスの材料を挙げると、エプロン姿のメルヴたちがタタターと走って集めに行ってくれる。大精霊メルヴ、健気でどこか愛らしい生き物だ。
メルヴを愛でていたら、美貌の青年が話しかけてくる。
「おい、アストライヤー、靴がないままでは作業しにくいだろう」
「あ、えっと、そうね」
美貌の青年はもう一体メルヴを召喚する。いったい、何体持っているのか。
『メルヴダヨ!』
「ふむ。メルヴよ、この娘に、靴を作ってやれ」
『ワカッタ!』
靴を作るとは? 頭上にはてなマークを浮かべていたが、その意味はすぐに理解することとなる。
私の足に、メルヴの頭上から生えてきたツルが巻き付き、靴の形となったのだ。
足にぴったりフィットしていて、内側は柔らかく、恐ろしく履き心地がいい。
「どうだ?」
「問題ないわ」
「そうか。では、調理を開始しろ」
調理台に、メルヴが集めてくれた材料が置かれる。白米もきちんとあったので、ホッとした。これが大事なのである。卵も、新鮮そう。
久しぶりの料理に、なんだかわくわくしてきた。
うちのレストランのオムライスは、トマトスープで白米を炊く。
牛肉から取ったブイヨンを使ったスープを使うのだ。今から作るとなると、かなり時間がかかる。
「どうした?」
「いえ、スープを用意しなければならないのだけれど――あ!」
自動調理器で、スープが作れるのではないか。美貌の青年に相談すると、「もちろんだ」と答えてくれる。
子犬はイヤそうな顔を浮かべたが、スープがないと味に深みがでない。
さっそく、調理を開始する。
材料を入れ、起動のボタンを押す。すると、三秒でトマトスープが完成した。ひと口食べてみたが、しっかり仕上がっている。
不満そうな顔をする子犬にも、味見をさせた。
『絶対に、クソ不味いに決まっておる』
皿の上のスープをイヤイヤ舐めたが、カッと目を見開いて叫んだ。
『うまいぞ!!』
お口に合ったようで、ホッと胸をなで下ろす。
自動調理器と言っていたが、きちんと分量を量らないで食材をあれもこれもとぶち込んでいたので、不味い料理が仕上がっていたのだろう。
美貌の青年を振り返り、自動調理器を絶賛する。
「この魔道具、すごく便利だわ。あなた、天才なのね!」
「まあ、そうだな」
美貌の青年は尊大な返事をしながらも、口元に手を当てて頰を淡く染めている。案外、純粋な男のようだ。
「アストライヤー、その、どんなところが便利なのか、詳しい話を――」
『おい、調理の邪魔をするな! お主なんぞ、端っこで膝を抱えて座っておけ!』
「なんだと!?」
仲が悪いふたりは無視して、調理を続ける。
トマトスープで白米を炊いている間に、ソースを用意する。
レストランで出していたオムライスソースには、肉団子を絡めた。この肉団子だけ食べたいと言われるほど、絶品なのだ。
久々なので作れるか心配していたが、包丁を持つと自然と体が動いた。
一日に三百個くらい、ひたすら肉団子を作っていた日々を思い出す。
子犬は調理台に上り、尻尾を振りながら叫んだ。
『なんだか、おいしそうな気配がするぞ!』
肉団子に犬の毛が入ったら困るので、美貌の青年に頼んで調理台から下ろしてもらう。
調理する様子を見たいと子犬が暴れたので、メルヴのツルに体を巻き付け、上げてもらったようだ。
視界の端に、ツルに絡まり、持ち上げられる子犬がいるというおもしろおかしい状態で調理を続ける。
ひき肉に卵、刻んだタマネギを加え、冷やした手で一気に捏ねる。
手の温度で肉の旨味が逃げてしまうので、なるべく冷たい手で作るのがこだわりだ。
ひと口大に丸め、肉団子は高温の油でカラッと揚げる。冷めないうちに、手作りのトマトソースを絡めた。
そうこうしている間に、米が炊けたようだ。鍋の蓋を開けると、ふっくら炊けている。蒸らす前に、刻んだパセリを振って混ぜておいた。
ここからが、スピード勝負だ。
まず、鍋にスライスしたチーズを入れ、火にかける。同時に、フライパンにバターを落とした。
グラタン用の皿半分にご飯を加え、間に溶けたチーズを垂らす。蓋をするように、ご飯を重ねた。これを、皿にひっくり返す。布を押し当て、形を整えた。
温まったフライパンに溶き卵を流し込み、くるくるかき混ぜる。
フライパンの柄を拳でトントン叩き、卵を包んだ。火が通らないうちに、皿に卵を載せる。中心にナイフを入れると、花咲くように卵が開いた。
『おお、なんて美しい!』
その上から、肉団子入りのトマトソースをかける。
「ふわふわチーズ・オムライスの完成!」
『おお!』
子犬がオムライスをうっとり眺めている間に、美貌の青年の分も作った。
「はい、どうぞ」
「アストライヤーよ、これは、私の〝おむらいす〟なのか?」
「ええ、そうよ」
食堂に行かず、ここで食べるようだ。
子犬は大きく口を開き、肉団子にかぶりついていた。
『う、うまいぞ!! 肉汁がじゅわっとあふれて、口の中で旨味が爆発している!』
食レポかーいと、心の中で突っ込みを入れる。できる子犬であった。
口の周りがトマトソースで真っ赤になったが、きれいにするのは食べ終わってからでいいだろう。
続けて、オムライスを頰張る。
『むむっ!?』
トマトスープで炊いたご飯の中には、チーズを入れてある。みょーんと糸を引いて伸びていた。
『なんだ、これは!? チーズが酸味をまろやかにし、さらに味わい深いものにしてくれよる!!』
そこから子犬は何も言わずに、無言で食べ続けていた。美貌の青年はハッと我に返り、自らも食べ始める。
オムライスはこの世界にない料理なので、抵抗があったのだろう。しかし、子犬が大絶賛してくれたので、安心したようだ。
肉団子をナイフで半分に切り、ソースに絡めて食べる。
「……おいしい」
今まで無表情か怒る表情ばかりだったが、あわく微笑んだように見えた。
その瞬間、胸が高鳴る。
美貌の青年の笑顔にときめいたのではない。私の料理を食べた人が見せる笑顔を久々に見たので、嬉しくなったのだろう。
そうこうしているうちに、子犬はオムライスを完食してしまった。
心なしか、白く美しいもふもふの毛並みがよくなったような気がする。尻尾も、ふんわりとボリュームアップしたような。
ふわふわの尻尾を左右に振りながら、感想を言ってくれた。
『すばらしくおいしかった! お主の作る料理は、最高だ!』
「そ、そう?」
喜びがこみ上げる。
やはり、私は料理をすることに、一番の幸せを感じてしまうようだ。
生まれ変わっても、心の有様は変わらないのだろう。
白いふわふわの毛についた口周りのトマトソースを拭いてあげたあと、思いがけない宣言をされる。
『お主、名はなんという?』
「アストライヤーよ」
『全名は?』
「アステリア・ラ・アストライヤー」
『では、アステリア・ラ・アストライヤーに、聖獣リュカオンが命じる。汝、我の〝ごはん係〟として任命するぞ!』
「へ!?」
目の前に大きな魔法陣が浮かび上がる。キュルキュルと音を立てながら小さくなり、魔法陣は私の手の甲に移った。パチンと音がなると、魔法陣は消える。
「い、今の、何?」
『契約だ』
「え、なんの!?」
「残念ながらそなたは、聖獣リュカオンの〝ごはん係〟に選ばれてしまったようだ」
いつの間にかオムライスを完食した青年が、口元をぬぐいながら教えてくれる。
「ごはん係って、なんなの!?」
『何、難しいことではない。お主の記憶にあるおいしそうな料理を、我に作るだけでいいのだ。もう、決めた』
「き、決めたって」
『お主がごはん係でいてくれる限り、我はこの国を厄災から守ろうぞ』
「へ!?」
『よいな?』
「え、あ、まあ、はい」
訳もわからないまま、なんとなく返事をしてしまう。
『よし、これで、お主は我のごはん係だ!』
「ごはん係って……」
私が子犬の〝ごはん係〟に任命されたって?
それよりも、この子犬は、聖獣リュカオンと名乗ったような。
「あ、あなた、聖獣様、なの?」
『さよう! 特別に、真なる姿も見せてやるぞ』
子犬……ではなく、聖獣リュカオンは『わおーん』と鳴く。すると、モコモコふわふわとした白い毛に包まれた小さな体が光に包まれた。
そして、子犬の姿から、全長五メートルほどの巨大なオオカミの姿に変化した。
鳴き声も、野太くなる。
大きくなるだけで、今までとは異なった神々しい空気を放っていた。先ほど『お腹が空いた!』と叫んで暴れていた子犬と、同じ存在には思えない。
「う……わあ!」
リュカオンはその場に伏せ、ダンディな声で『乗れ』と言った。
「え、乗れって、どこに行くの?」
「そういえば、お披露目があったのだな」
美貌の青年が、ぽつりと呟く。
『お主は我をお披露目するために、土下座をしていたのだろうが』
「〝おむらいす〟とやらがあまりにもおいしく、忘れていた」
『そうだな。〝おむらいす〟は、我を忘れるおいしさだった』
「オムライスの話で盛り上がっているところに悪いのだけれど、ぜんぜん話についていけないわ」
『よい、とにかく、我に乗るのだ』
「すぐに終わる。手間はかけさせない」
美貌の青年は、なぜか私に手を差し伸べる。
「へ!?」
乗れって、私に言っていたの!?
そう問いかける間もなく、美貌の青年は私を軽々と抱き上げ、リュカオンの背中に横乗りにさせた。自らも、背後に跨がる。
「うわっ、すごく、毛並みがもふもふ」
『好きなだけ、もふもふするとよい』
「あ、ありがとう」
そんな会話をしているうちに、リュカオンの周囲に大きな魔法陣が浮かび上がった。
「あれは……転移魔法!」
景色が歪み、一瞬で場所が変わる。転移先は――豪奢なシャンデリアが輝く大広間。着飾った男女の注目が、一気に集まった。
「そなたの名は、アステリア、と言っていたな?」
「え、ええ。そうだけれど」
「わかった」
イケメンの耳打ちにドギマギしてしまう。それにしても、「わかった」とはなんなのか?
突然の聖獣とイケメンの登場に、招待客が歓声を上げる。
「静粛に!」
美貌の青年が叫ぶと、シンと静まりかえった。
「この白きオオカミが、聖獣リュカオンである。かの存在があり続ける限り、我が国の平穏は続くだろう。そして――」
美貌の青年は、私の手を取った。腰に手が回され、そっと手の甲に口づける。すると、先ほどリュカオンが出した魔法陣が浮かんだ。「おお!」というどよめきの声が響き渡る。いったい何をするのだと文句を言う前に、驚きの情報がもたらされる。
「この紋章は、聖獣リュカオンの守護の証である」
美貌の青年がそう宣言すると、「わあああ!」と歓声が上がった。
「紹介する。彼女が、聖獣リュカオンが選びし乙女、アステリア・ラ・アストライヤーである。さらに、私の婚約者でもある」
「はあ!?」
私のありったけの抗議を込めて叫んだ「はあ!?」は、歓声にかき消されてしまった。
「聖獣リュカオン様、万歳!」
「第三王子イクシオン殿下、万歳!」
美貌の青年を振り返る。無表情で、招待客に手を掲げていた。
「あ、あ、あなた、第三王子イクシオン殿下だったんかーい!」
私の叫びは、「聖獣の乙女、アステリア嬢、万歳!」と言う言葉にかき消されてしまった。誰も、私の主張なんて聞いていない。
鋭い視線が突き刺さったような気がして視線を下に向けると、ハンカチを噛んで悔しそうな様子のエレクトラの姿が見えた。顔に、「抜け駆けしやがって」と書いてある。そういえば、彼女は第三王子イクシオン殿下の妻の座を狙っていたのだ。
どうして、突然私は婚約者として紹介されたのか。理解できない。
「聖獣リュカオン様、万歳!」
「第三王子イクシオン殿下、万歳!」
「聖獣の乙女、アステリア嬢、万歳!」
背後のイクシオン殿下が、満足げに呟いた。
「これで、我が国も安泰だ」
何が、〝安泰だ〟だ!!
私の心には、まったく安泰など訪れていない。
皆のキラキラとした期待の視線を浴び、頭を抱えて「どうしてこうなった!」と叫んでしまった。