社交界という波にもまれて……
エントランスもぎゅうぎゅうで、まともに身動きが取れない。いったい、付添人はどこにいるのか。困っていたら、声がかかる。
「あんた、あんた!」
「はい?」
「名前は?」
「アステリア・ラ・アストライヤーです。あ、もしかして、私の付添人ですか?」
「ん、まあ……そんなところだね」
奇跡的に、付添人のご婦人と会うことができた。白髪頭のお婆ちゃんである。エリスの母親の知り合いで、今まで百組以上の縁談を結んだという凄腕付添人らしい。
「では、お嬢様。まずは、三番目の孫から、紹介を――ううっ!」
「え、お婆ちゃん、どうしたの?」
「コ、コルセットを、締めすぎた、み、みたいで」
「た、大変!」
私はお婆ちゃんをおんぶして、救護室に運んだ。カーテンで仕切られた部屋に、寝台が並べられている。
「すみません、急患なの! 少し、お婆ちゃんを休ませて!」
すると、看護師らしき女性に、寝台はいっぱいだと言われてしまう。
「このお婆ちゃん、腰が悪いみたいで」
「ですが、ないものはなくて」
奥にある寝台で、カーテン越しに男女の姿が浮かんでいるのに気づく。何やら、ひそひそと会話をしていた。
「ほら、コルセットをゆるめてあげるから」
「やだ、ダメ」
思わず、カーッ!と、甲高い声を出してしまった。男女の影はビクッと反応し、動かなくなる。
いちゃつくなら救護室ではなく、休憩室を使ってほしい。切実に。
遠慮なくカーテンを開くと、男女は衣服を整え、焦った様子でいた。
「はい、ふたりとも超元気。このお婆ちゃん、腰を痛めているの。退いていただけるわよね?」
「あ、はい」
「どうぞ」
言うことを聞かなかったら、胸元に忍ばせた金貨を手渡すつもりだったが、素直に聞いてくれてホッとする。
しかし、いつの間にか、アストライヤー的な金持ち思考で問題解決しそうになっていた。思わず嫌気が差してしまう。あの家で十六年暮らしていたからか、もしかしたら感染していたのかもしれない。恐ろしや、アストライヤー家の金持ち菌。
無理矢理男女を寝台から退かせ、シーツが汚れていないのを確認し、お婆ちゃんを寝かせた。カーテンを閉め、コルセットをゆるめてあげる。
「お婆ちゃん、ほら、コルセットの紐をほどいてあげるから」
「やだ、ダメ」
何がダメなんだ。真顔で問いかける。
「コルセットを脱がすのは、そば付きの侍女か夫でなければならないんだよ」
「はいはーい、わかりましたー。でも今は適応外です」
そう宣言し、お婆ちゃんのコルセットの紐を問答無用でとく。若い娘が付けているような、骨組み(ボーン)で背筋がすっと伸びるように作られたコルセットを装着していた。紐をほどいてあげると、強ばっていた表情は和らいでいく。
優しく布団をかけ、耳元で囁いた。
「ちょっと、ここで休んでいたらいいわ」
「で、でも」
「私は、その辺のサロンとか、適当にのぞいていくから」
サロンというのは、小さな社交場と表現すべきか。部屋を借りた者が主人となり、お茶やお菓子をふるまってもてなしてくれる。
サロンは事前招待制で、私にも先日ハルピュイア公爵家のご令嬢から「お暇でしたらどうぞ」というお誘いが届いていた。手紙に挟まれていた白鳥の羽が通行証となっている。
指定されていた場所に向かうと、すでに十数名の貴族令嬢が集まり談話していた。
皆、半円状の長椅子に腰掛け、にこにこ笑顔を浮かべながら楽しそうに過ごしている。年頃の娘たちが集い、きゃっきゃと盛り上がっていた。転生し、小娘メンタルは持ち合わせない私は、絶対に話は合わないような気がした。だが、大広間でダンスに誘われるよりはマシだろう。
それに、この世界の貴族令嬢がどんなことに興味を持ち、どんなことを夢見ているのか、知りたいと思った。
加えて、結婚以外に何かできる仕事や活動があるのならば、詳しい話を聞きたい。
早速、中心でふんぞり返っているご令嬢が声をかけてきた。座っている位置や態度から、彼女がこのサロンの主なのかもしれない。
「あら、あなたは初めて見る顔ですわね。そのコーラルピンクの髪は、アストライヤー伯爵家のご令嬢かしら」
「ええ。どうもはじめまして。アステリア・ラ・アストライヤーと申します」
「わたくしは、エレクトラ・ラ・ハルピュイアですわ」
自信ありげな様子や佇まいから、お山の大将感をビシバシと感じていた。やはり、彼女がこのサロンの主であり、ハルピュイア公爵家のご令嬢だったわけだ。
紫色の落ち着いた髪色に、挑戦的な黒い目を持つ整った顔立ちの美少女である。年頃は、同じかひとつ下くらいだろう。彼女もまた、私と同じ宝石がちりばめられた赤いドレスをまとっていた。
デザインが酷似しているのは、同一デザイナーが作ったものだからか。
そういえば、侍女が王都で大人気のデザイナーがどうこうと話していたような気がする。衣装被りは、微妙……いや、かなり気まずい。
「どうぞ、こちらへ」
「あ、ありがとう、ございます」
長椅子の端に腰掛け、会話に耳を傾ける。
「みなさま、イクシオン殿下の聖獣お披露目、楽しみですわね!」
イクシオン殿下が召喚したという聖獣のお披露目が、本日の舞踏会の一大イベントのようだ。
「イクシオン殿下は、あまりこういった場に顔をお出しにならないから、拝謁を心待ちにしていますわ」
取り巻きの令嬢たちは、エレクトラの言葉にコクコク頷いていた。
「今回の社交期で、王族の方々は一気に結婚を決められましたからね。何か、国王陛下から、お達しがでているのかもしれませんわ」
王族の独身男性陣は各々結婚適齢期である。選り好みしていないで、さっさと選べと言われていたのか。
「王太子カイロス殿下は、テティス国のセレネ姫と婚約が決まったようで」
「とても、お似合いでしたわ」
「将来は、安泰ですわね」
「あとは、イクシオン殿下だけですわ」
令嬢たちの目が、突然キラリと光った。肉食獣の目である。
王族唯一の、婚約者が決まっていないイクシオン殿下は、この肉食獣たちの恰好の獲物なのだろう。舌舐めずりをしながら、登場を待っているに違いない。
「アストライヤー様は、イクシオン殿下についてどう思われていますか?」
「可哀想に……」
「え?」
「あ、か、カッコイイなーと!」
苦しい言い間違いであったが、皆、私の話なんて聞いていないのだろう。「そうですわね」と返してくれた。
シンと静まりかえったので、話題を振ってみた。
「あのー、みなさんは、将来の夢とか、ありますか?」
珍獣を見るような視線が集まった。なんだろう。血統書付きの猫の中に、小汚い野良猫が来てしまったみたいな、いたたまれなさは。心が折れそうになったが、情報収集のためだ。気づかない振りをして、小首を傾げる。
最初に答えてくれたのは、お山の大将こと、エレクトラだった。
「わたくしは、立派なお方と結婚し、家をもり立てること、ですわ」
つまらない回答だ。しかし、ほかのご令嬢も、コクコクと頷いている。
「あの、ご趣味は?」
なんだかお見合いおばさんの質問攻めみたいになっているが、思い切って問いかける。
「演劇鑑賞ですわ」
取り巻きのご令嬢も、口々に貴婦人の嗜みを口にする。
ダンスにお茶会、カード、遊戯盤、愛玩動物の飼育、刺繍と、実家の姉ふたりや母が好むような品のよい趣味を教えてくれた。
「アステリア様は、何を嗜んでいますの?」
特に何も。と言いかけたが、もしかしたら同志がいるかもしれない。
転生してからは一度もしていなかったが、料理と答えてみよう。
「私は、料理を」
「料理、ですって?」
「ええ、料理です」
英語のテキストにある「あなたはトムですか?」「はい、トムです」みたいなやりとりになったが、今はどうでもいい。
問題は、批判的な視線にさらされている現状だ。
「料理なんて、下々の者たちがすることでしてよ。どうして、そんなことをなさるの?」
「どうしてと言われましても」
「でも、料理って、家畜をさばいたり、手を血まみれにしたりするのでしょう? 汚らわしいわ」
エレクトラの言葉は痛烈だ。しかし、この反応は批難できない。貴族社会で、貴族の者が厨房に立つ行為はありえないのだから。
私がおかしなことを言っているのだと、理解している。
けれど、同時にがっかりしてしまった。生まれ変わったこの世界に、〝職に貴賤なし〟という言葉はないようだ。
「アステリア嬢、そのドレス」
「ん?」
エレクトラはパッと扇を広げ、私のドレスを指し示す。
「あなたが着ていると、血のドレスみたいに見えますわね」
「どういう意味?」
「とても、お似合いだという意味ですわ」
喧嘩を売っているのか。ジロリとにらんだが、エレクトラはひるまない。周囲から「きゃっ!」という悲鳴が上がるばかりだ。
「エレクトラ嬢、あなたも、お似合いよ。厚顔無恥って、そんな色をしているんじゃないかしら?」
またまた、「きゃー!」という悲鳴が響き渡る。ホラー映画ばりの、臨場感がでてきた。
エレクトラはやられてばかりではない。すぐに、言葉を返す。
「でも、似たような真っ赤なドレスを着ている者が、ふたりも存在したら個性を潰すように思ってしまいますわ」
遠回しに、ドレスを脱げというのか。残念ながら、代わりのドレスは持ってきていない。
エレクトラは扇で口元を隠しつつ、目元をすっと細める。取り巻きの令嬢は、怯える目を私に向けていた。
味方はひとりも見当たらない。はあーと溜息をつき、立ち上がった。
「私は、大広間には行かないから、安心して」
「どうして、行きませんの?」
「退屈だから」
そう宣言し、部屋から退室した。背後でエレクトラが何か叫んでいたけれど、耳に入っていなかった。
ずんずん歩き、庭に出た。外は真っ暗だが、魔石灯が庭を明るく照らしてくれている。ちょっと寒いけれど、ほかに行くところが思いつかないので仕方がない。
まさか、あんなにも早く敵対されるとは思っていなかった。まあ、ドレスを被らせてしまったのが悪いのだけれど。でも、他人のドレスなんて、知る訳がない。
もしかしたら、サロンで次回着るドレスの相談をするのかもしれないが。
新参者には、つらいルールである。
それにしても、貴族令嬢とやらはなんて夢を見られない立場なのか。
素敵な人と結婚して、家をもり立てるのが目標?
冗談じゃない。
一度死んで、せっかく生まれ変わったのに、貴族令嬢の型に当てはめられるなんてごめんだ。
なんだったら、バリバリ働ける労働階級に生まれたかった。
いや、労働階級だったら過労死再び、な感じもするけれど。
これは、神様がくれたチャンスなのかもしれない。アストライヤー家に生まれた私にしかできないものを、探し出すようにという。
裕福なアストライヤー家に転生したことも、何か理由があるのだろう。
ああ見えて、慈善活動には積極的だから、孤児のための「こども食堂」を開いたり、恵まれない者たちを働かせる食堂を作ったりするとか。それとも、スタンピートの対策に向かう騎士に食事を提供するため、遠征に同行するとか。
それにしても、エレクトラの喧嘩を買ってしまったのは失敗だったかもしれない。実家に抗議のひとつやふたつ、届くだろう。
まあ、父は領地にある山よりも自尊心が高い男なので、謝罪なんてしないだろうけれど。
アストライヤー家の血なのか、売られた喧嘩を買う以外の選択がなかったのだ。
恐ろしい血である。
それにしても、エレクトラとの言い合いを思い出したら、頭に血が上ってしまった。
私たちは生きとし生けるものを食べ、生きている。それなのに、調理する料理人を汚らわしいと言うなんて。
迷路のような庭を歩き、気を紛らわせる。冷たい空気が、カッカしていた身体を冷やしてくれるような気がした。もう少し時間が経ったら、戻らなければ。一回だけ大広間に顔を出して、適当に徘徊して、お婆ちゃんの容態を確認して帰ろう。
そんなことを考えていたら、人の話し声が聞こえた。
「ねえ、もっと……!」
魔石灯の灯りに照らされ、男女の姿が影となって見えた。
またか、と思う。さっきのカップルとは、違うようだ。
以前、聞いたことがある。こういった催しは、不品行の温床と化していると。
男女の影は重なる。これがドラマだったら、さぞかしロマンティックな場面だろう。
しかし、これは現実。三次元だ。こうして、人から隠れるような場所でキスをする関係など、まともなものではない。
かなり盛り上がっているようで、濃密に絡んでいるように見えた。
こんなところでいちゃついている、常識外れの男女をのぞき込む。
片方は、三十前後の女性だ。やたらと色気のある人妻、という雰囲気である。
もうひとりは――先ほどエリスが見せてくれた姿絵と一致する。
なんと、王太子カイロスだった。
悲鳴を上げそうになった口元を、サッと両手で塞ぐ。ガサリと、苗木の葉が音を鳴らしてしまった。
「誰だ!!」
カイロス殿下の鋭い叫びが聞こえた。同時に、私は走る。
「待て!! おい、追え!!」
なんと、カイロス殿下は護衛を伴って、色っぽい人妻と密会していた。
さすが、王太子だ。抜かりない。
女性が誰か知らないが、なんとたいそうな相手と逢瀬を交わしているのだろう。
こんなところで逢わずに、もっと人が立ち入れない場所に連れ込めばいいのに。
いや、人が自由に出入りできる場所だからこそ、あのように盛り上がっていたのか。
なるほど、そういうプレイだったわけだ。
それにしても、カイロス殿下はテティス国のセレネ姫と婚約が決まったという噂を耳にしたが、中庭なんかでいちゃついていて許されるものなのか。
「待てー!!」
絶対に待てない。捕まったら、お咎めだけでは済まないだろう。
今日の私はすでに、公爵令嬢エレクトラと問題を起こしている前科一犯状態なのだ。
カイロス殿下とどこぞの人妻の逢瀬を目撃してしまった罪(?)は、さすがの父も庇えないだろう。
全力で、庭を駆け巡る。
ヒールのある靴は走りにくいし、足跡で私だとバレるかもしれない。
途中で踵の高い靴を池に投げ込んだ。これで、証拠隠滅である。
「池のほうで物音がしたぞ!」
「あっちだ!」
どうやら靴が囮になってくれたようだ。
こうなったら、どこまでも逃げてやる。そんな心意気で、走って、走って、走った。
体力に自信はあったが、普段から体を鍛えている騎士に勝てる訳がなかった。息が切れ、自慢の脚も悲鳴を上げている。そろそろ、どこかに隠れなければ。
途中、庭師が道具を入れて運ぶ荷車を発見した。上に、小汚い布がかけてある。急いで、その中に乗り、上から小汚い布を被った。
「どこに行った! 探せー!」
数名の騎士が通り過ぎる。どこかで合流したのだろう。
バクバクと鳴る心臓の音が、外まで響いているかと思うほどだった。
騎士たちの声が遠くなる。ホッとしたのもつかの間のこと。荷車が突然動いたのだ。
ぎゃっ!という悲鳴を、寸前で呑み込んだ。
少しだけ布を上げて外をのぞき込んだら、おじいちゃんらしき背中が見えた。どうやら、庭師が荷車を動かし始めたようだ。
こんな夜遅くにまで仕事をしているなんて。ご苦労様としか言いようがない。
「おい!!」
騎士が庭師に話しかける。慌てて布を下ろし、息をひそめた。
「この辺で、赤いドレスをまとった娘を見なかったか!?」
「いいえ、見かけておりませんが」
「そうか。見かけたら、教えてくれ」
「承知いたしました」
再び、荷車は動き出す。どうやら、ここに潜伏し続けるしか逃げ切る術はないようだ。
荷車はすぐに停車すると思っていたが、一時間も止まらずに進んでいく。
ゆったりまったり動くので、眠気を誘ってしまう。
うつらうつらと寝かかった瞬間、荷車の動きは止まった。ここは、庭師の家なのか。それとも、物置小屋なのか。庭師に見つかるのを恐れたが、荷台に触れずにいなくなった。