新たな問題と決意
聖獣リュカオンの守護のおかげで、スタンピート――魔物の集団暴走は収まった。
しかしこれで、めでたしめでたし、というわけではない。被害を受けた地方では、復興が始まっていた。
国中から寄付を募り、被害があった地方へ分配しているらしい。
私も父に手紙を書き、寄付をするように頼んだ。すると父は、想定の倍以上の金額を寄付してくれた。
さすが、隠れた趣味が慈善活動なだけある。感謝、感謝のひと言であった。
ほかにも復興につながることができないか、イクシオン殿下と共に考える。
何か、魔道具で支援できないか考えた結果、風呂用自動湯沸かし器がいいのではと提案する。
体を清潔に保たないと病気になるし、女性はストレスがたまるだろう。
水と火の魔石を動力とし、縁に描かれた呪文をこすったら、湯で浴槽が満たされる、という仕組みだ。
肉まん用保温器で儲けた資金で、風呂自動湯沸かし器を量産した。
ほかにも、石鹸やタオル、本に服など、多種多様の支援物資を送った。
イクシオン殿下と共に、王都から支援活動をしていたのだが――リュカオンが『おかしい』と呟く。
「リュカオン、何がおかしいの?」
『国中から、民草の声が我に届くのだが、ほとんどの地域は守護や支援に対する感謝の気持ちなのに、一部地域からは、嘆きの言葉しか聞こえてこなくて』
「どういう言葉なの?」
――寒い……!
――お腹空いた……!
――つらいよお……!
「支援が届いていないのかしら?」
『イクシオンに聞いてみよう』
転移魔法を使い、イクシオン殿下の私室へ飛んだ。
「どわっ!!」
イクシオン殿下は突然転移してきた私たちに驚き、机に置かれたインクをこぼしてしまった。幸い、書類はなかったようだが大惨事だ。
責任はこちらにあるので、進んで机をきれいにする。
「ごめんなさい。いつも、部屋の前に下りるように注意しているのだけれど」
『最終的にはここに入るのに、面倒だろう』
「でも、驚かせてしまうのは悪いわ」
「気にするな。次は、驚かないようにする」
いや、ビビリなのだから、無理をするなと助言したい。
「ところで、何の用事だ?」
「あの、リュカオンが気になることがあるみたい」
リュカオンはイクシオン殿下の机の上に跳び乗る。
「あっ!」
着地したところはまだ、インクを拭いていなかった。肉球にインクが付着し、歩く度に足跡が付く。
「おい、リュカオン。何をしている。私の机が足跡だらけではないか」
『我の着地した先に、インクがあっただけだ』
「私の机を汚してからに!」
『小さいことを気にしよって』
すぐに拭き取ろうと思ったが、ふと思いとどまる。
「アステリア、どうしたのだ?」
「リュカオンの足跡が、可愛かったから。このまま、残していてもいい?」
「まあ、アステリアがどうしてもというのならば」
「イクシオン殿下、ありがとう」
ピンクの肉球を黒く染めてしまったリュカオンを抱き上げ、インクを拭いてあげる。
「別に、これしきの染み、まったく気にならん」
『お前……! 我のときと態度が違うではないか!』
「小さいことは気にするな」
話が逸れてしまった。本筋に戻す。イクシオン殿下から地図を借りて、先ほど聞いた話を説明する。
「なんでも、嘆きが聞こえる地域があるというの」
「嘆き、だと?」
「ええ。もしかしたら、国からの支援が届いていないのではと思って」
「そんな訳がない。スタンピートの被害があった地域は、国から漏れなく支援品が届けられているはずだ。なぜ、嘆きが聞こえるというのか?」
「リュカオン、その嘆きが聞こえたのは、最近の話?」
『いつから嘆いていたかは、わからん。何か小さな声が聞こえているなと思って、耳を傾けたら、助けを求めるような声が耳に入ってきたのだ』
地図のどの辺から聞こえるのか尋ねてみたら、リュカオンはある地域を指さした。
『おそらく、この辺りだろう』
「ここは――」
王都から馬車で三日ほど進んだ先に広がる、農村地帯だ。
「ヘルアーム子爵家が領する村がある場所だな」
半年前、スタンピードが発生し、領主一家は王都へ避難していたらしい。その後、復興が行われていたようだが、いまだ王都に滞在し続けていると。
「では、領主以外の人が、現場で指揮を執っているってこと?」
「そうだろうな」
もしかしたら、現場で何かが起きているのかもしれない。
「イクシオン殿下の配下の兵はどれくらいいるの?」
「メルヴ百八体だな」
「メルヴ以外では?」
「ゼロだ」
「ゼロ?」
「武力は何も生み出さない。故に、私は兵を部下に持たない」
「なんかカッコイイ感じに発言しているけれど、地方に派遣できる部下がいないってことじゃない」
「言っておくが、メルヴたちはああ見えてなかなか強い」
可愛いメルヴたちがどんな感じに強いのか、想像できない。
「でも、いくら強くても、メルヴたちだけでは地方へ派遣できないでしょう?」
「まあ、そうだな」
「魔法省には、使える部下がいないの?」
「いないな。それに、魔法省は引きこもりの巣窟だ。いくら王族である私の願いでも、聞き入れないだろう。それに、自分の食事もおろそかにするほどの、痩せ細った者たちの集まりである。加えて、自分の興味がないことに、まったくの無関心だ。役には立たないだろう」
魔法省っていったい……。日本でいうコミケとかに通う「オタク」みたいなものなのか? いや、今はそこに突っ込んでいる場合ではない。苦しんでいる人がいるならば、今すぐ助けに行かなければならないだろう。
「ひとまず、王都に滞在しているヘルアーム子爵に話を聞いたほうがいい」
「それがいいわ。呼ぶより、会いに行ったほうが早いわね」
「そ、それは……!」
イクシオン殿下は外出を嫌がった。引きこもりも、ここまできたら病気である。
「いいわ。私ひとりで行くから」
「アステリアをひとりで行かせるわけにはいかない」
「じゃあ、一緒に来てくれるの?」
「……そう、なるな」
「そうなるわね。大丈夫なの?」
「……う、うむ」
額に汗をかくイクシオン殿下を連れ、ヘルアーム子爵邸へ出発する。
ちなみに、リュカオンの転移魔法は一回足を運んだ先にしか行けないらしい。マーキングした場所限定で転移魔法が発動される『縄張り〝しすてむ〟だ!』とドヤ顔で言っていた。
そんな訳なので、馬車で向かうこととなった。
王都の街並みは、忙しない。誰もが風を切って歩いているように見えた。社交期だから、というのもあるのだろうけれど。
「なんだか、久々に外出した気がするわ」
「何か、街に用事があったか?」
「いえ、特にないけれど」
「私は、アストライヤー領へ結婚の申し込みに行ったとき以来の外出だ」
何ケ月前の話だか。
「ちなみに、その前に出かけたのは、十年前だな」
イクシオン殿下は筋金入りの引きこもりのようだ。王城にいるだけで、生活が成り立つことがシンプルにすごい。
「十年前は、どこに出かけたの?」
「誘拐されただけだ」
「そ、そうだったの?」
近所に出かけたみたいなノリで、誘拐された旨を話し始める。
「二番目の兄上が、教会にお祈りをしにこいとか言い出して、イヤだというのに、来なきゃ魔道具の研究をしたらダメだというから、しぶしぶ教会に行こうとしたのだが――」
宮殿から教会に向かう間に、誘拐されてしまったのだとか。
「外の世界は恐ろしいと結論づけた私は、なるべく宮殿から出ないことに決めた」
「そう……」
「可能な限り、宮殿の外には出ないだろうと思っていた。しかし、今、こうして出ることができた。別に、外はそれほど危険なものではなく、案外平和なのだなと」
「そうね」
「私を、意気地なしだと思っただろう?」
「いいえ。私もアストライヤー家のお金目当てに誘拐された経験があるから、気持ちは分かるわ」
「アステリアも、誘拐されたことがあったのか」
「十七回ほど」
「護衛は付けていなかったのか?」
「そばに人を置いておくのがイヤで、いらないとはね除けていたの」
平和な日本で生きてきた感覚からしたら、誘拐などありえないのひと言。しかし、ひとりになったタイミングで次から次へと誘拐されてしまったのだ。
「父がぼやいていたわ。護衛に支払う給金よりも、身の代金が高いから、護衛を雇うほうが安上がりだと」
「そうか。アステリアは、外に出るのが恐ろしくなかったのか?」
「恐ろしさよりも、好奇心が勝ってしまって。外には、おもしろいものがたくさんあるから」
イクシオン殿下は窓の外に目を向ける。大道芸人の玉乗りが披露されていた。絶妙なバランス感覚で、玉の上でお手玉をしている。
「そうだな。外の世界は、おもしろい」
窓の外を続けて眺めていると、小さな子どもがイクシオン殿下に気づいた。パッと花が咲いたように笑顔に変わり、ぶんぶんと手を振っている。イクシオン殿下は軽く振り返した。
子どもがはしゃいでいたので、周囲にいた人々もイクシオン殿下の姿を見てハッとなる。皆、微笑みながら歓声をあげていた。
「私を見るだけで、国民は、笑顔になるのだな。不思議だ」
「王族とは、そういう存在なのよ」
「私は、国民を笑顔にできるようなことを、できていただろうか?」
「思い出せないのならば、今からすればいいのよ」
「そうだな」
外の世界を見るイクシオン殿下の瞳は、何かふっきれたような色彩を放っていた。
ヘルアーム子爵のタウンハウスは、貴族の住宅街の片隅にあった。
すぐに子爵とは会えたが――。
「え、領地から救援連絡ですか? そのような話は聞いていませんが。国の支援もあって、だいぶ復興が進んでいると、連絡が来ております。報告書は、この通り」
領地の統治は、優秀な分家の家長に一任しているらしい。
「イクシオン殿下直々にいらっしゃるので、何事かと思いきや。大丈夫ですよ。安心してください」
そうは言っても、リュカオンが嘆きを聞いたというのだ。どうにも引っかかる。
「アステリア、もう、帰ろう」
「え、ええ」
情報の収穫はなく、宮殿に戻った。
リュカオンの足跡のインクが乾いた机を囲み、再び話し合う。
「ヘルアーム子爵は問題ないと言うけれど、素直に聞き入れることができないわね」
「そうだな……」
現場を確認しない限り、問題ないとは言えないだろう。
けれど、ヘルアーム子爵領に派遣できる人材がいない。
「こうなったら、私たちが行くしかないじゃない」
「ヘルアーム子爵領に、私とアステリアがか?」
「そうよ」
本来ならば、ヘルアーム子爵に調査を命じるだけで問題は解決するはずだ。しかし、領土については任せきりで、復興に足を運ばず、王都に滞在し続ける彼らに頼んでも響かないだろう。情報の隠匿だってしかねない。
「イクシオン殿下はいいわ。ここにいて。私とリュカオンだけで行くから」
「いや、アステリアとリュカオンだけで、行かせるわけには……」
「でも、外に出るのはイヤなんでしょう?」
「そうだが、今日、外出して、そこまでイヤではないと感じた。それに、アステリアが私のそばからいなくなるほうが、イヤだ。加えて、私が直接地方へ行くことによって、民も勇気づけられるだろう」
「イクシオン殿下……」
イクシオン殿下は瞼を閉じ、膝の上にあった手で拳を作る。
腹をくくったのか、瞼を開き強い瞳と共に訴えてきた。
「共に、ヘルアーム子爵領に、行くぞ。向かうならば、一刻も早いほうがいいだろう」
その前に、国王陛下に許可を取らなければならない。王族は勝手に動くことができないのだ。
すぐに面会の約束をとり付けたが、私とイクシオン殿下を迎えた国王夫妻の顔は険しかった。
「先ほど報告にあった件だが、騎士隊を派遣しよう。お前が直接行くまでもない」
「しかし陛下、スタンピートの発生の被害で、国民は疲弊しています。そんな中で、私たち王族が積極的に動いて、国の隅々まで見て回るというのは、大事なことではないのですか? 幸い、私はふたりの兄のように、重要な政務についていない故、いつでも動ける状態にあります」
「しかしだな、あの地域は魔物が多く、治安も正直よくない。アステリア嬢まで同行するのは、とても許せるものではない」
王妃様も同じ思いなのだろう。目を伏せ、黙ったままでいる。
「父上、私は今まで、自分のことしか考えていませんでした。好きな時間に好きなだけ魔道具について研究して、製品化できなかったら、また別の魔道具を考えて、の繰り返しだったように思えます」
そんな中で、アイオーン殿下に「お前は王族の務めを果たしていない」と叱られたのだとか。
「その言葉を、スタンピートをどうにかすればいいだけの話だと思い、聖獣リュカオンの召喚を決意しました」
なぜイクシオン殿下はリュカオンを召喚したのか、ということに話がつながる。
「リュカオンさえ召喚したら、あとは魔道具の研究を好き勝手にできる、そう思っていたのですが――」
アイオーン殿下は、リュカオンの召喚成功について、褒めたり評価したりをいっさいしなかったのだという。
「引っかかってはいたものの、私は王族の務めを果たしたと思っていました。けれど、それは間違いでした。私はまだ、何もしていません」
王族の務めとは、国民に安寧をもたらすこと。笑顔で暮らせる国作りをすること。イクシオン殿下は堂々と、国王夫妻の前で語る。
「しかし、スタンピートが発生した地域の者たちは、心と身体が疲弊していて、王族である私を見ても反感を抱くかもしれない。だから、アステリアの料理を食べて、元気になって、そしてまた、笑って暮らせる日々を取り戻してほしいと、私は思うのです」
イクシオン殿下の言葉に、うるっと涙ぐんでしまう。魔道具のことばかり考えていた、引きこもり王子の言葉とは思えない。
「それでも――」
国王陛下の表情は険しいまま。やはり、一度誘拐された上に、護衛部隊を持たないイクシオン殿下を心から心配しているのだろう。
「お願いします」
「では、一度この話は持ち帰って」
「今すぐ、行動に移さないと、手遅れになるかもしれないのです」
「イクシオン、こういうことは、すぐに決められないのだ」
「陛下!」
国王陛下は、首を左右に振る。なんだか、このまま却下されそうな気がしてならない。
「陛下、どうか、お願いします。私たちを、行かせてください」
「そうは言っても、調査隊の結成にも、時間がかかる」
「陛下!」
どれだけ頼んでも、今すぐ出発するのは難しいようだ。単純な話でないことはわかっていたが、ここまで話が通らないのか。
絶望していたそのとき、私たちに救いの神が現れた。




