残滓と少女の白昼夢
君と過ごした季節は過ぎ去り、訪れる春はボクらの時間に終わりを告げた
ボクは緩やかに君を忘れていく
あの日もっと君に近づければ、ボクらの今は違ったものになっていたかもしれない
◆登場人物
・仙道瑛太(21)
東慶大学法学部3年 弁護士志望
・今井真由子(23)
東慶大学経済学部卒
社会人1年目 瑛太の彼女
・南野涼香(20)
瑛太の高校時代の同級生 かつての想い人
蒸し暑い6月の夜、灯の消えた部屋でボクの瞳には熱を帯びた真由子だけが映る。
その顔と肢体だけがぼんやりと浮かびあがり、真由子の吐息と打ち付ける音だけが耳に響く。欲望に呑まれ虜になったボクらは今以上を求める。
漏れる声は甘さに加え、徐々に激しさと切なさが増していく。みだらで愛おしいその姿と甘い匂いにボクは激しく興奮し全てを真由子にぶつける。
真由子は痺れたように弓なりとなった後、脱力してぐったりとする。伏した真由子にボクはできるだけ優しいキスをする。
身体と心を溶かしながらボクらは怠惰な余韻に浸る……
「ねぇ瑛太……」
甘えるような声で真由子が耳元で囁く。
「ん……?」
「好き」
「真由子、ボクもだよ」
「嬉しい……」
そのまま包むように抱きしめる。真由子はボクより2つ年上だがとてもかわいらしい。人前で見せる大人っぽい容姿や雰囲気よりも、二人の時に見せてくれる繊細さと幼さを残す言動にボクは魅力を感じていた。
眠るときはいつも手を繋ぐ、身体の割に小さな手のひらはひんやりしていて心地よい。
「おやすみ真由子」
「おやすみなさい瑛太」
もう一度キスをする。
真由子は嬉しそうに微笑みそっと目を閉じた。ボクの意識もそれに合わせるように微睡ろんでゆく、この幸せな時間がいつまでも続くことを願う。
◇◇◇◇
翌朝、目が覚ますと真由子は既に出かける支度を終えていた。土曜日なので本来なら真由子も休みだが、納期の都合で今日も出勤らしい。
「おはよう瑛太、朝食を食べ終わったら食器を水につけてくれる?」
「ありがとう。洗い物ぐらいならやるよ」
「瑛太がやるとキッチンが汚れるから大丈夫」
以前洗い物をした際、水の切り方などが気に入らなかったようで以降は全くさせてもらえない。子供の頃から洗い物を手伝っていたのでダメだしに多少のショックを受けたが、ここは真由子の家なので大人しく従う。
「社会人1年目なのに、真由子は本当に忙しそうだな。ボクもそうなるのかな」
「瑛太はまず大学卒業と司法試験合格でしょ。ダラダラしている暇があったらご飯食べて勉強勉強!」
「わかってる。でも今日は実家に帰るよ。真由子の家に泊まりっぱなしってわけにもいかないからね」
左手で耳元の髪を触り、眉を寄せ少し寂しそうな顔をする。
「じゃあ戸締りだけお願いね。いってくる」
仕事に向かおうとする真由子の手をそっと掴みそのまま唇を塞いだ。唇に軽く触れるだけのキス、すぐに真由子から離れる。
「……ん」
顔が少し赤くなり右手人差し指で唇をなぞる。
「……やっぱり仕事行きたくないな」
とポツリと呟く。
「真由子、駄目だぞ仕事がんばれ~」
「まぁ……そうだよね。はいはい、じゃあいってきます」
「いってらっしゃい」
真由子の顔がプライベートの顔から隙のない社会人の顔に変わっていた。
ドアの閉まる音と共に部屋には静寂が広がる。真由子の住むワンルームマンションは墨田区押上にありボクは週に1、2日程度泊まりに来ている。
真由子は一緒に住めばと云うが、実家住まいな上、学業優先のボクに同棲は無理で、今の状況を覆すには早く一人前になるしかない。
大学在学中の司法試験合格はかなり難しい。卒業後に法科大学院へ進み合格を目指すこととなる。法曹業界は司法試験を合格していないと法律事務所に採用されても給与が厳しい。
司法試験を諦める場合、大学3年のボクは今すぐにでも就職活動を始めなければならない。今のところ一般職での就職は考えていない。家族や恋人のためにも一日でも早い合格を目指している。
シャワーを浴びて着替えた後、作ってもらった朝食を食べる。ベーコンエッグ、サラダ、トーストなどオーソドックスな朝食だがベーコンのカリカリ感と香ばしい匂い、目玉焼きは半熟さ、ちりめんじゃこ、トマト、レタスのサラダにはドレッシングがかかっておらず、トーストも厚切りではなく薄切りのものなどボク好みになっている。
真由子の細かな気遣いにはいつも感謝している。食後のブラックコーヒーで一息つきながら、一緒に朝食をとれなかったを悔やんだ。
◇◇◇◇
今井真由子とは2年前に大学とバイト先がある港区三田駅前のファーストフード店で知り合い、1年ほど前から付き合っている。バイト先で真由子はボクのトレーナーだったため、接客からポテトフライの揚げ方まで大抵のことは彼女に教わった。
知り合った当時、真由子には別の彼氏がいた。真由子が彼氏と別れた後、就職活動に専念するためバイトを辞める際、ボクを含むバイト仲間とのお別れ会がきっかけだった。
お別れ会で酔っぱらった真由子をボクが介抱した際、必要以上な関係となり、そのまま付き合うことになった。きっかけ自体は褒められたものではないとボクも思っている。
それでも初めての彼女であり、恩人でもある真由子を心から愛しており、これからも一緒にいたいと思っている。
合鍵があるので、いつでも真由子の部屋に来れるが、お互い忙しく会えるのは週末だけだった。
マンションの4階にある真由子の部屋に鍵をかけ、ボクは徒歩7分ほどにある京成押上駅に向かう。自宅のある京成船橋駅までは下り電車で30分程度。移動中に本を読んだり、勉強をしていればすぐに着く。
東京都と千葉県の境にある江戸川区周辺を通り過ぎる時だけは外を眺めるのが日課になっていた。ゆっくりと流れる江戸川は雄大で、川沿いに広がる草野球場を眺めるのも好きだ。
などと言い訳しているが本当は昔好きだった女の子が今もこの辺りに住んでいるかもしれず、過去に想いを馳せるためだった。
◇◇◇◇
南野涼香と知り合ったのは高校3年のころ、初めて同じクラスになり2学期が始まった9月から卒業までの翌年3月まで席が隣だった。ボクは南野と付き合っていた訳ではない。
南野には他校に彼氏がいるという噂があった。
進学校でもないのに大学受験のため入学当初から勉強漬けのボクは友人付き合いが悪く学年、クラスが変わっても常に浮いた存在だった。
困ることと言えば、体育の授業でペアを組む相手が決まらず、余り物になることだが、そんな状況すら次第に慣れてしまった。
南野は目立たない女子だったが、きめ細かな白い肌と長い睫毛と大きな瞳、小さく赤い唇、黒髪ショートヘアからなるその容姿はひいき目でなくても、かわいい子の部類だった。
気になったことは東京在住の南野が有名校でもない千葉県にある我が校にわざわざ通っていたこと、人当たりは良いのにクラス内で仲の良い友達は2人しかおらず、ボク同様浮いた存在だったこと。どちらも些末な事だし、問いただす事でもなかった。
南野とは色々な事を話した。昨日見たドラマ、流行ってる音楽、小説や漫画の話など全て他愛のない話だったが、南野と話す事は受験勉強のストレス解消にも繋がりとても楽しかった。
彼氏持ちの噂があった都合上、恋愛話はふらないよう気を付けていた。南野からそういった話をされることもなかった。
当時のボクは寝ぐせがついたまま登校するほどルックスに無頓着だったので、恋愛の相談相手としては不十分だったのかもしれない。
彼女は授業中よく居眠りをしていた。学校が終わった後、週4で某寿司屋チェーンのバイトをしていたらしく、いつも疲れていた。
日の当たる席で静かに眠る南野の横顔は美しく、白い首筋は簡単に折れてしまいそうなほど細い。わずかに動く淡い唇の可憐さに、何度も邪な妄想を掻き立てられた。
ボクはこうして南野に想いと欲望を募らせていった。
秋と冬が過ぎ、受験が終わっても南野との関係は進展することはなく卒業を迎えた。最期まで告白する度胸も覚悟もないボクはフラれるくらいなら現状維持の方がマシだと思っていた。
何かのきっかけで南野との距離が縮むことを期待していたが、浅はかな願望など叶うはずもなかった。
連絡先を聞いていなかったし、南野から聞かれることもなかった。
以前世間話をした際、南野が東京都江戸川区に住んでいる事だけは聞いたことがあった。
卒業式のあの日も何も変わらず、最後に交わした言葉も
「卒業おめでとう。南野」
「ありがとう仙道君、元気でね」
在り来たりで友達の枠からでるものではなかった。
結局ボクは南野にとって『隣に座っているヤツ』でしかなかった。
◇◇◇◇
あれから3年ほど経ったがクラス同窓会が開かれた様子はなく、浮いていたボクが呼ばれる保証もない、南野と再会する機会はなくもう諦めていた。
車窓から南野が住んでいた江戸川区を眺め、想いに更ける事だけは日課としていたが真由子と付き合って以降は必ずしも南野のことを考えているわけではなく、半ば形骸化したものとなっていた。
この日も江戸川区が近づく辺りで読んでいた小説をカバンにしまい、車窓から外を眺めていた。江戸川駅を過ぎるとその先は千葉県になる。
僕が乗っている千葉方面行きの各駅停車が江戸川駅2番フォームに停車した。
各駅停車しか止まらない江戸川駅はラッシュ時以外の時間帯は乗車客を目で数えられる程度しかいない。
車窓から存在するはずのない南野を1番線フォームに探す無意味な日課はこの日も問題なしで完了するはずだった。
だが想定外は何の予告もなく発生した。
昼下がりの1番線フォームに彼女は静かに佇んでいた。
長い黒髪が胸の辺りまであることを除けば、記憶の中のままの南野涼香はあまりにも儚く美しく白昼夢に咲く一厘の花のようだった。
(南野がこんなところにいるはずがない!)
(そんなはずがない……そんなはずがないのに……)
ボクは考える事より先に慌てて乗っていた電車を降り、1番線フォームを目指し走っていた。見間違いかもしれない。そうだとしても確認しないわけにはいかない。
下り線の2番線フォームから1番線フォームへと続く階段を全力で駆け下りる。
その時……ピン・ポン・パン・ポーン
『1番線に普通各駅停車上野行きが参ります。危ないですので白線の内側まで下がってお待ちください』
電車到着を告げる構内放送が流れた。南野がいたのはフォームの真ん中辺りで階段からは少し遠い。仮に駅フォームで会えなくても同じ電車に乗り込めば次の駅に着く前に南野に会えるかもしれない。
階段を下った後、今度は一番線へと繋がる階段を駆け上がる。周りからは白い目で見られるかもしれないが余計なことに構ってる余裕はない。
この機会を逃せば、もう二度と南野と会えるチャンスはないかもしれないのだから
一番線フォームに上がったと同時に上り電車がヒューンという音を立てながら駅に到着する。ボクはそのまま彼女の前まで走り立ち止まると
「南野――!」
息切れし冷静さを欠いたままボクは叫んだ。叫ばなくても届く距離に彼女はいる。声は自然と大きくなったのだ。
「仙道君……なの?」
南野は困惑した表情のまま、ボクの名を呼ぶ
「あぁ、そうだ南野」
「こんにちは仙道君、その……久しぶりだね」
「久しぶり、下り線から外を眺めてたら偶然南野を見つけた」
「偶然ってあるんだね。すごくびっくりしたよ」
南野はそう呟くと俯いた。
突然のことで考えがまとまっていない。南野と再会することを願っていたが、できると思っていなかったし、告げるべき言葉を用意していない。
南野はどうだろうか。彼女にとってボクはただの同級生でしかない。何年も会っていない男が急に現れたら恐いと思うのが当然だし、それ以上に気持ち悪いかもしれない。
車窓から江戸川区周辺を眺めること自体、高校時代からの未練が執着になったものであり、想いに踏ん切りが付かず棄てることを保留していた、つまり弱さでしかない。
だが偶然か必然かのどちらかでボクは今南野と同じ舞台上にいる。たとえ綺麗な感情でないとしても今度こそ南野と向き合わなければならない。
3年前はできなかったが今ならできそうな気がする。
覚悟を決めたボクは想いを伝えることにした。
「南野、ボクは君にまた逢えて嬉しい、今この場で言うことじゃないかもしれないけど、高校の頃からずっと君の事が好きだった」
俯いたままの南野は一瞬表情が変わったように見えたが、すぐに固い表情となりやがて消え去りそうな声で
「………………」
とボクに告げた
「そうか、ありがとう……南野」
1番線フォームに到着していた各駅停車上野行きはボクも南野も乗せず、音を立てながら駅から離れていく
目の間にはまだ南野がいる……
南野の言葉がリフレインし心は今にも狂いそうになる。
何も考えられない、考えたくもないがこれだけは言える。
長かったボクの高校卒業式はその日終わりを告げた。
―終幕―
夏が始まる
(離れないから……)
(離さないよ……)
(これからもそばにいるよ……)
(ずっと待っていたのだから……)
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冒頭につきましてはお布団の中で某カップルがツイ〇ターゲームをやっているだけであって決していかがわしい事はしておりません……(大汗)
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