第9話 大いなる業/マグヌム・カルマ
「醒遺物は……世界を、滅ぼす……」
『まぁ、そう恐れる事じゃない。
破滅掌者の中には、醒遺物を御しきった人間も少なからずいる。
何よりお前は現時点では誰も殺していない。だから危険度は低く見ている。少なくとも俺はね』
「そう……ですか。ありがとうございます」
落ち込む俺に対し、レイヴンがフォローするような言葉を投げかけてくれた。
どこか年長者らしい、温かい言葉。それで俺の過ちが無くなるわけではないが、何処か安心するような言葉に聞こえる。
何とかその言葉のおかげで心の整理がついた俺は、話を続ける余裕が出来たのでタブレットに再び向き合った。
「俺はこの後……どうなるんですか?」
『正直な所は分からない。まだお前の得た力は未知数が過ぎる。
機関には破滅掌者は殺せと言う過激派もいるんだが……、下手な手出しは暴走を招く危険性もある。俺は正直反対だ』
「ミスター・レイヴンはお優しいのですね。私としては、このまま捉えるべきとも考えますが」
『無辜の民の安全を考えるのならば隔離するべきだろう。だがその場合、コイツ自身の自由はどうなる?』
「それは……そうですけど……」
どうやら安心するにはまだ早い状況のようだ。隔離と聞いて再び不安が押し寄せる。
ふとホテルの窓から覗くと、駅前を出歩く家族連れや学生たちが見えた。隔離されれば、彼らのような日常も送れなくなる。そう考えると一抹の寂しさがあった。
加えて何よりも、姉に対して申し訳が立たなかった。夜までに帰れなかったうえに、このまま隔離される可能性が出来ましたなどと言ったらどんな顔をするだろう。
ただでさえ心配性な姉だ。きっと慌てふためくだろう。どうにか事情を説明出来れば──────。
「……待ってくれ。今俺が此処にいる事って、姉ちゃんには……?」
「ご心配なく。御宅のお子さんが怪我をしていましたのでこちらで保護しました、と連絡済です。
心配なされていたようでしたが、私が処置と保護を行うと伝えました所、安心されたご様子でしたよ?
連絡をすればすぐにでも迎えに来ると思われますが、いかがいたしますか?」
「いや……まだ良いよ。俺が無事に帰れるか、まだ決まってないわけだしな」
『家族のことが、心配か?』
「むしろ家族に余り心配をかけたくない、の方が正しいですかね?
姉は俺の保護者代わりみたいなものでしたから……今まで何度も迷惑かけたので……。
それでもし、もう会えないかもなんてなったらどうなるか……。
……あの……、姉にだけは、全部の事情を話す事って──────」
『それは絶対に許容できない』
今まで優しい声色だったレイヴンの口調が、途端に鋭利な刃物のように尖ったような気がした。
絶対的な否定の意志。殺意とすら錯覚するほどの否定の言葉が通話越しにこちらに飛び込んできた。
"それだけはあってはならない"。暗にそう伝えるかのような、短くも力強い言葉だった。
『ロゴス能力の存在、ひいては醒遺物の概念は、決して表沙汰となってはならない』
「それは……世間を混乱させないため、ですか? 確かに俺自身、今までこんな世界があっただなんて知りませんでしたから……」
『そうじゃない。もっと根本的な理由だ。言っただろう? 元々人類は、その全てがロゴス能力を持っていた、と』
「はい……。けれど人類は、自ら望んでロゴス能力を手放した……。だから今はロゴス能力を使えるのは一部だって……」
「それは正確には間違いですわ。正確に言うのならば、"全人類が無意識にロゴス能力を否定し続けている"と言うべきです。
──────{"大いなる炎、風に依りて強く在れ。小さき炎、土に守られ命の守護と成れ"}
ディアドラが立ち上がり詠唱を紡ぐと、その指先に炎が灯った。
まるでライターのように小さいが、確かにそれは炎だった。
彼女の意志が、ロゴス能力を通じて現実を改変したという証だ。
「私がこのように炎を無から生み出す。これは常識的でしょうか?」
「いやそれは……言っちゃ悪いが非常識な出来事だろ。ライターとかあるならまだしも……」
「そう。常識的に考えて人は道具を使わない限り炎を起こせない。その常識が、ロゴス能力の大半を無へ帰しているんです」
『人の意志が現実世界に影響を及ぼす。なら、"そんなこと有り得ない"という思いが億単位で纏まれば?
単純な多数決の問題だ。1人の人間の意志による世界改変なんざ、大勢の持つ"常識"という意志によって潰されちまう。
これがロゴス能力が現在、表向きには存在しない理由だ。例外を除いて、ロゴス能力は常識によって否定され続けているんだ』
「じゃあ、その存在を他人に知られちゃいけないって言うのは、つまり……」
「そう。誰かに知られるという事は、その分だけロゴス能力の存在を世界に許容することになる。
ロゴスを知る人が増えれば増える程、私たちみたいな異能力者が世界に増える事を意味するんです。
当然、私たちR.S.E.L.機関の手の届く範囲も限界がありますので、そのような事態は絶対に避けたい。
故にこそ、我々は秘密裏に行動するのです。誰からの協力も得れず、孤独の中戦い続けなくてはいけないんです」
「………………」
ディアドラが真剣な表情で、俺を真っ直ぐに見つめながら言った。
俺はそんな彼女の視線にどう返せばいいのかもわからず、逃げるように窓の外に視線を移した。
すると、街を行く人々の変わらぬ日常が目に映る。彼らが皆、ロゴス能力を知らず知らずのうちに持っているだって?
正直な話、信じきれないという感覚が頭にあった。
だが同時に、そうかもしれないと考える余地も頭の中にはあった。
例えばブラシーボ効果という物を聞いたことがある。焼けた鉄と伝えて常温の鉄を目隠しした人の肌にあてると火傷した、という事例だ。
他にも薬だと伝えた上で、特に薬効の無いビタミン剤を服用させたことで病気が改善したという事例も確かにある。
そう言ったものが、さっき言っていたロゴス……"人の意志"が世界に影響を与える実例だとしたら?
もしロゴス能力の存在が公になれば、それが当たり前になる。異能を扱う人間も増殖するだろう。
そうなれば一体誰が治安を保証できる? いずれ行きつくのは、先程話された神々の闘争という過去の繰り返しなんじゃないか?
考えに考えた結果俺は、姉に事情が話せないという現実を受け入れざるを得なかった。
ただ、1つだけ疑問が残った。
「どうしてそこまでして、俺達の生活を守ってくれていたんですか?」
『ふむ。それは、どういう?』
「貴方たちがどれほどの規模の組織かは分かりませんが……。
昨日の一件だけで、小さくはない組織だというのはわかりました。
けど、それほどの組織が何で、そんな苦労を背負ってまで、俺達の平和を保ってくれているのかが、わからなくて……。
醒遺物もそうです。何故そんな危険な存在を、無償で、誰にも知られずに集めているのかって……」
『なんだ? 俺達が実は、裏では醒遺物を蒐集し、ロゴス能力者を独占する悪の組織とでも思ったか?』
「そ……そんなわけじゃ!!」
『──────まぁ、的を射ているのかもしれないな』
俺の焦ったような反応に、レイヴンはどこか自嘲するように俯いて笑った。
その笑みは寂しそうにも見えるし、同時に何処か怒っているかのようにも見えた。
そしてその顔の半分を覆う仮面を外し──────俺はその内側に隠された素顔を覗いて驚愕した。
「…………ッ!! それ……は……」
『言い忘れていたが、俺もロゴス能力者だ。
かつて、R.S.E.L.機関が変わる前から所属していた、な』
「変わる、前……?」
仮面の下には、無造作に機械化が施された悍ましい顔があった。
辛うじて残されていた生体の皮膚には、目を背けたくなるような傷が見え隠れする。
二の句が継げぬままに立ち尽くす俺に対しても、レイヴンのその眼はどこか優しかった。
そんな俺を見かねたかのように、ディアドラが説明を始めた。
「元々R.S.E.L.機関は、某国政府主導の秘密機関なのです。
ロゴス能力や醒遺物を軍事利用するべく、ありとあらゆる非道な実験や監禁、拉致が行われていたと聞きます。
レイヴンはその時代に機関に囚われ、ありとあらゆる実験を施されたと聞いております」
『この機械化は、貴重なロゴス能力者を長く生き永らえさせようっつー工夫の1つだな。
おかげで長生きは出来ているが、古傷が痛ぇのなんの。死んだほうがましだね、これは』
「それ、は…………」
確かに、ロゴス能力や醒遺物を研究し、軍事利用したいという試みは理解できる。
神話の武器だけじゃない。常識を超越したような能力を手玉にとれば、どの国よりも優位に立てるのは明白だ。
けれど……ここまでする必要はない。明らかにレイヴンの肌に残された傷は、研究で出来るようなものじゃない。
これじゃあ、まるで──────。
『そうだな。研究なんざ建前だった。奴らは恐れていたんだ。
ロゴス能力者……いや、自分と違う存在を、な。
まぁ、いつの時代も人間なんてのはそんなもんか』
「な、何を呑気に言ってるんですか!? こんなの……どう考えたって人権問題じゃ……!!」
『今はどうこう言う気はねぇよ。もう変わったんだから』
「変わった……って……? 今は違うんですか?」
『ああ。そりゃR.S.E.L.機関には、屑も滓も下衆もいた。
だがそれと同じくらい、ロゴス能力者と共存を願う者もいた。
そう言う奴らと俺たちが組んで、組織を内部から変えてやったのさ。
まぁその過程でごたごたと分裂騒ぎを起こしたりもしたが、こうして今は平和にやってる。
ロゴス能力者と普通の人間を共存させる先駆けとして、な』
「………………先駆け、ですか」
「今のR.S.E.L.機関は、ロゴス能力者たちにも当たり前の自由を享受させつつ、我々だけにしか出来ない使命を与えています。
それこそが、世界を滅ぼす破滅掌者を生み出さないための醒遺物回収なのです。
全てはロゴス能力者と非ロゴス能力者が共存できるようにするため。差別や迫害の無い世界を作る為、ですわ。
その証拠に、貴方に対しても非人道的な拘束は行っていないでしょう? 生殺与奪は握らせていただきましたが……」
「ああ……それは良いよ。それだけの事をしたのは俺なんだから」
ひとまず、この人たちの理念は理解できた。
かつて能力者と言うだけで迫害された。その過去があるからこそ、差別のない共存の世界を作る、か。理屈は通っている。
何故そこまで……と思っていたが、これは確かに彼らにしか出来ない事だ。
その功績が誰にも知られないのは悲しいと感じたが、それが彼らの選んだ道だというのなら口を出すのは失礼に当たる。
そう考えて、俺は開きかけた口を閉ざした。
『信用はしてもらえたか?』
「あ……はい。ありがとうございます。話してくれて」
『良いって良いって。で、これからだが……お前さんには今後は監視がつく事になると思う。
能力者の人権尊重とは言ったが、破滅掌者となるとなぁ……。
流石にその手錠は外すし、すぐ死ぬか殺すかみたいな修羅場にならんように努力はするが……正直先は、お前次第だ』
「分かりました……。この力が危険なものだと分かった上で、細心の注意を払います」
「私はお役御免ですわね。醒遺物はもう既に彼の手の中に渡った事ですし。
"予見者"曰く、確か刀剣状の醒遺物でしたわよね? 彼の証言とも合致しますわ。
もう少し日本の、その、本場のゴニョゴニョ……を見ていきたかった所ですが、致し方ありませんわねー」
『あー……。それなんだがー、その。悪いんだけどさー』
「?」
レイヴンは頬を掻きながら、申し訳なさそうに言い淀む。
先程までえげつない傷跡を見せていた人とは思えない軽い仕草と声色だ。
すでに仮面をつけ直して傷を隠しているとはいえ、その絵面に貫禄は微塵もない。
『あのさぁ……。まださっき報告にあった……あの。
美術館から醒遺物の反応、消えてないんだよね』
「──────────へ? いや、あれ? ですが……彼の持っている力は確かに醒遺物のはずじゃあ……!?」
『いや、でもまだ"予見者"の見る未来では解決してないって出てるから……』
「そ、それじゃあまさか……」
『うん。多分そのまさか』
『醒遺物は2つあった!
ディアドラは引き続き任務続行! 並びに、長久始の監視役に命ずる!
………………本当にスマン。給料は弾むのでよろしく。文句はお前の直属上司に言ってくれ』
「ええ? ちょっと……。その……。マジですのぉぉぉぉ!?
あれだけやってまだ解決じゃない上に問題まで増えるのですかぁぁぁあああああ!!?」
全く取り繕わない、一切隠しようのない本音の悲痛な叫びが、ホテルの一室に響き渡った。