第5話 アド・アストラ
「どいてなガキィ!!」
「退くべきは貴方たちですわ!」
炎の拳が少女に向かって振り下ろされる。
だが少女は、それに対抗して水の壁を作り攻撃を防ぐ。
そして出来た一瞬の隙をついて、さきほどと同じように縄を投げつけ拘束する。
明らかに手馴れている動きだ。炎を扱っている男たちに対し、驚く事も無ければ物怖じもしない。
だがしかし、多勢に無勢だ。純粋な体格差もある。
次第に女の子は息が上がって、動きにもキレがなくなってきた。
対して強盗達はというと、次から次へと援軍たちがやって来る。アンフェアにもほどがある。
そもそもの話、どうしてこんな小さな美術館にこんな大勢の強盗達がやってくるんだ? 確かに高額な展示品がここにあるのは間違いない。
だがそういったものは基本的に、売ればすぐ足がつくはずだ。何故、こんな連中がそれを狙うのか? そもそも警備システムはなぜ反応しないのか?
何よりも、あの炎を操る術はいったい? 分からないことだらけの中で思考を巡らせていると、女の子の声が俺に響いた。
「何をしているんですか!!
速く逃げてください!! 死にますよ!?」
「え……っ! で、でも君が──────!!」
「私の事は良いです!! 今は己の命を優先しなさい!!」
そう叫びながらも、彼女の息は上がっていた。加えて、周囲を完全に強盗達に囲まれている。
逃げ場はない。彼女は何か特殊な力を持っているように見えたけど、それを以てしてもこの状況を覆せるかどうかは分からなかった。
何せ特殊な力を持っているのは、男たちの一部も同じようだった。膂力や体格の差などの問題もあり、彼女が彼らに敗北するのは明白だった。
そんな状況の中でも、彼女は俺を心配してくれたのだ。そうして叫んだのだ。俺に逃げろと。
──────逃げる? 女の子を置いて、俺が?
冷静に考えれば、ここは彼女の言うとおりに逃げるのが当たり前なのだろう。
相手は体格にも恵まれ、経験も積んでいると思われる大勢の強盗達だ。しかも得体の知れない能力まで使ってくる。
普通に考えて、俺なんかが立ち向かって勝てる相手じゃない。事情を知っていると思われる彼女に任せるのが正しいに決まっている。
けれど……。逃げようとすると、俺の脚が理由も知らずに止まった。
少女を囲い、常識の埒外な力を振るう男たちを見やる。
能力を使わない連中は、その手にナイフや金属バットを握っている。
彼らを見るだけで体が恐怖に震える。あんな連中に囲まれて攻撃されれば、それこそ死ぬかもしれない。
そんな痛みの想像を駆り立てられていると、思い出したくもない過去が連想されてくる。
彼らの扱う力が炎だった事も手伝って、"あの日"の記憶が鮮烈に俺の脳裏を駆け巡った。
燃え盛る炎。その中から連れ出される俺。
喉が焼け爛れる程に痛かったのに、自分の力量もわからずに、母さんと父さんを助けるんだと叫び続けた俺の姿。
助けたいのに逃げるしか出来なかった無力さ。叫ぶしか出来ずにいた自己嫌悪。克明に脳裏に刻まれた死のイメージ。
その全てが克明に記憶から蘇り、残響が如く俺の脳髄に木霊する。
目を背けたいのに。
思い出したくないのに。
忘れたいのに。
何で、何で俺は、あの時のイメージと今を重ねているんだ。
嫌だ、厭だ。死にたくない。あんな奴らと、1秒たりとも同じ空間にはいたくない。
刻まれた死のイメージが、痛みの記憶が此処から逃げろと叫んでいる。この場に居続けたら死ぬと警告を響かせる。
けど、逃げたくないとも声がする。それは意地か、怒りか、あるいは後悔か。理由はわからないが、俺と言う命の根幹が、全霊でそう叫んでいるような気がした。
また立ち尽くすしか出来ないのかと。無力なままでいるしか出来ないのかと、俺の中で何かが言い続けて──────。
そして、強盗の1人の拳が、女の子の頬に当たるのを見て、俺の中のタガが外れた。
「やめろおおおおおおおおおおおお!!!」
「はぁ──────? ゲブェア!!?」
気が付いた時には、俺は消火器を両手で握り、力の限りに振りかぶっていた。
狙うは女の子を包囲している連中の、正気じゃない目をしている──────つまり、動きが明らかに遅くなっている連中。
衝動と力任せになりふり構わず振るったからか、3人ほど同時に気絶させることに成功した。
そして、それは彼女の包囲に穴が開いたことを意味する。
「テメ……このガキィ!!」
「へ!? 貴方……何で逃げないんですか!?」
「こっちだ!!」
後先なんて微塵も考えずに、俺は彼女の手を握って走りだす。
強盗達にとって完全な不意打ちな襲撃だったためか、反応が若干遅れた。おかげで彼女を包囲から抜け出させ連れ出す事が出来た。
まずは奴らから逃げ切ろう。その後についてどうするかは決めていないが、今はとにかく逃げるのが先決だ。
なので俺はがむしゃらに走った。その間に女の子が何かを叫んでいたが、それに気付けないほどに無我夢中で走った。
◆
「ここまで来れば……ひとまずは安心か?」
「ちょっと……! ちょっと!!
お待ちください! お願いします離して!!」
「え……? あ、うわ!!」
夢中で館内を走り抜け、強盗達が集まっていた場所から距離を置く。
展示室の片隅……区切られた箇所に簡易的なバリケードを作り、俺たちは身を休めていた。
俺はやっと冷静になり、彼女の手を握りっぱなしだった事に気付いた。
「ごめん……、突然手を握ったりして……」
「そうではありません! 何故逃げなかったのですか!?
それどころか……無謀にも飛び込んでくるなんて!
死にたいのですかっ!?」
「ッ! …………それは……」
彼女を見ると、頬が腫れて口からは血が出ていた。
だが彼女はそんな自分の傷など気にも留めず、俺の事を気遣ってくれた。
何故あんな戦いに身を投じたのか、どうして死ぬかもしれないのに逃げなかったのか……と。
その言葉から、彼女が俺を心配してくれているのは理解できた。
けれど、俺は──────。
「……何でだろう。俺も……よくわからない」
「はぁ!? よくわからないのに、あんな連中に対して殴りかかりましたの!?」
「けど! ……けどあのままだと、君はなすすべもなくやられていた! 俺は……それが嫌だった」
「自分が死ぬ可能性がある状況においても、貴方は私を助ける事を優先しようとした……とでも?」
「────────────。」
言葉に詰まる。確かに、幸運にも不意打ちが成功したから俺は今こうして逃げられている。
けれど、もし相手の判断が早かったら。俺の不意打ちがそもそも失敗していたら。俺は最悪、あの場で死んでいたかもしれない。
死ぬとまでは行かずとも、再起不能な怪我を負っていた可能性もある。それなのに、なんで俺はあの場で、彼女を助けようとしたのだろう。
「………………まぁ良いですわ。
今回はたまたま運よく逃げられたので、貴方のその蛮勇には目を瞑ります。
ですがここまでです。今すぐ逃げなさい。さもなくば貴方は、禁じられた領域に足を踏み入れます」
「なっ……君1人で行かせられるわけないだろ!? 怪我してるんだぞ! それに、あんな大勢の強盗達相手に……!!」
「ならば逆に問いますが、貴方は彼らを相手取るのが怖くないんですの!?
武器を持っていて、加えて貴方が知らないような力を使う人間たちと戦う事が!」
「ッ……!! そりゃあ……怖い。意味わからねぇし、何が起きてるのかすらさっぱりだ。
正直、君が何なのか、どうしてあんな力を使ってるのかもわかんないし、怖い。…………けど」
「君を置いていって、万が一君が倒れたり死んだりしたら! ……俺は、そっちのほうが怖い」
俺のその答えが、彼女が期待するものじゃないのはわかっていた。
でも俺は、自分に嘘をつくことが出来なかった。これを捻じ曲げたら、俺が俺で無くなってしまうような、そんな恐怖があったから。
死ぬのは確かに怖い。痛みを経験するのも怖い。けれど、誰かを助けられずに逃げ出すのは、もっと嫌だ。
自分の無力さを突き付けられるようで。"お前は無価値だ"と蔑まれるようで──────。
きっと俺はここで逃げ出したら、俺自身を許せなくなるだろう。
振り返れば、今までの人生でも似たような感覚が確かにあった。
けれどここまで恐怖に駆られ、そしてここまで誰か助けたいと思えたのは初めてだった。
おそらく、明確に"死"の可能性があったからかもしれない。だからこそ俺は、彼女を助けたいと足を踏み出せた。
普通に考えればバカみたいな話かもしれないが、今の俺にとってはそれが全てに感じられるほど、重要な事だった。
「………………そう、ですか」
「ごめん……。迷惑だったら、俺を置いていってもいい。けど、出来る限りのことは─────!」
「1つだけ問わせていただいても? 以前会った時、貴方"夢で私を見た"と仰いましたよね?」
「…………? あぁ、そうだけど……それが今なにか……?」
「その夢の内容、覚えていますか? どれほど明確に?」
「えーっと……。結構明確に……です。体の感覚とか……。
あと地面の揺れとか、匂いとか。全部何故か……しっかりと」
「──────。なるほど、そうですか」
『いたぞ!! あそこだ!!』
まさかと思いバリケードの隙間から覗く。するとそこには先ほどの強盗の1人がいた。
唇に華美なピアスを3つも付けている派手な男だ。奴の合図で何人もの強盗仲間たちが周囲から集まってくる。
まずい。このままじゃ袋小路だ。逃げる為バリケードをどかそうとしたところで時間がかかる。
先を考えずに見つからない事だけを考えたのが仇になってしまったか……!
「このままじゃヤバイ!
俺が奴らを引き付けて逃げるから、君は──────!!」
「その必要はありませんわ! {“風よ在れ”!}
彼女がそう叫ぶと、俺達の背後から凄まじい速さの突風が吹き荒れる。
それは俺達の前に築かれた簡易バリケードを吹き飛ばすには十二分な程の威力だった。
バリケードはそのまま俺たちに迫る強盗達を吹き飛ばし、強盗達の動きを封じた。
余りの強烈な出来事に、俺は恥ずかしながら腰を抜かす羽目になった。
そんな俺に対し、彼女は手を差し伸べながら告げた。
「ここまで来たからには付き合っていただきます。
貴方は秘されるべき世界の裏側を覗いてしまいました。
──────これより、世界を救う覚悟はおありでして?」
「世界って……そんな大事になるのか? これ……。──────ええーっと……」
「ディアドラ。ディアドラ・オルムステッドと申します。先ほどは手を差し伸べていただき、感謝いたしますわ」
「……始。長久始だ。こちらこそ、ピンチを救ってくれてありがとう、オルムステッドさん」
「ディアドラ、で良いですわ。年長者とお見受けしますので、呼び捨てで結構です」
「ありがとうディアドラ」
「世界……とかは分からねぇけど。
ひとまずこの街を……、俺達の日常を守る為に、協力してくれ」
俺は差し伸べられたその手を握り締め、ゆっくりと立ち上がる。
その時、ちょうど天窓から夜空が見えた。星の煌めく、美しい空だった。
その夜空に輝く星と重なって、彼女────ディアドラが輝いているように見えたような気がした。
この眩い星と出会った夜が、俺の救誓譚の始まりだった。