第41話 救誓の譚
「数多の妖怪を切り殺した童子切!
お前と言う化け物を殺すのに、これ以上の得物は無い!」
「なるほど人外殺し……、"必殺"の理を以て俺の再生を遅らせたか。
久方ぶりだなぁ。相手にとって不足なしと、思えるのはァ!」
室岡の穢れた邪竜の力と、清い童子切の力がぶつかり合う。
同時に俺の中に流れ込むのは、情報の洪水。俺が手にした、童子切から逆流する数多の意志だ。
いままで童子切が倒した妖怪たちの無念や怒り、取り込んだ数多の醒遺物の力。それらが休むことなく俺の中に流れ込む。
少しでも気を抜けば呑まれそうだ。だが──────。
「クリス、調子はどうだ」
『問題はない。処理は順調だ。
御身が元より他人を知る事に長けているからだろうな。処理は容易い』
「ああ、良かった。ずっと、誰かに同情したり、誰かを羨んでばっかだったからな。それが役立ったみたいで幸いだ」
『理解したよ。御身が何故他人を助けるのか。────御身、他人の苦痛までも自分の事のように感じるわけだ』
「そうかもしれない。目の前で誰かが泣いていると、俺も悲しくなるからな」
『それと同じように同調させろ。かつての童子切の持ち主と、お前の在り方を重ね合わせろ。
ノイズは全て、御身の理解力を以て吾輩が除去してくれる』
「……ありがとうな、クリス。お前がいなかったら、俺は呑まれていた」
『吾輩が生きる為だ。礼はいらん』
流れ込む濁流の如き情報を、クリスと俺の共同作業で腑分けしていく。
1つ1つを理解し、同調し、そして打ち消していく。波に同じ波長をぶつければ相殺し合う仕組みに近いか。
そうして最後に残った、醒遺物のかつての使い手の残滓、意力を読み取り、それを俺と言う肉体に再現する。
これが俺とクリスで編み出した、醒遺物を扱い敵を屠る手段だ。
常人ならば、天文学的な時間と莫大な精神力が要る作業になるだろう。
だが、生憎こっちには神様(仮)が憑いているんだ。俺の思考時間は何千倍にも加速し、膨大な処理能力で情報を捌ける。
そして最後に、かつての使用者の意志と俺の意志を重ね合わせるわけだが……。コレも大きな壁が本来なら立ちはだかる。
誰かもわからない使用者だった場合、その人がどういった意志を抱いていたか分からない。
また分かったとしても、それが俺と異なる意志を持っていれば、その時点で反発は確定。
最悪俺の魂が醒遺物に侵食・汚染される危険性も秘められていた。
──────だが、生憎此度の醒遺物は、俺にとって抜群の相性を見せた。
「源頼光。アンタの記録、見せてもらったよ。
実の家族すらも妖怪として屠ったり、辛かったんだなってのも分かる。
けどアンタは、皆を守るために、ずっと戦い続けたんだな」
『────────────。』
刃と暴威が交わる戦闘の中、一瞬の刹那だけ俺の意識は垣間見る。
澄んだ水面の如き領域、そこに佇む1人の男の意志────その残滓を。
かつて数多くの化外を屠り、その持つ醒遺物の力を取り込み続けた男を。
そんな力を得ても尚、ただ民の為に尽くした神秘殺しの姿を、俺はその瞳に焼き付ける。
「俺と同じだ……、って言ったら失礼かもしれない。
けれど、力を得てもそれで皆を守りたい気持ちは、アンタに負けていないつもりだ。
ただ今の俺じゃ、力が足りないんだ。だから、力を貸してほしい」
『──────。』
その男の残滓は、ただ無言でその手を俺に差し伸べた。
俺は無言でその手を握り返す。すると彼は泡のように消え、光となって俺と重なり合った。
その消える寸前に、かつての童子切の使い手───源頼光は、静かに微笑んだ。
それは、彼が自らの力を、俺に託した証。
かつての自分と同じ意志を抱く俺に、全てを託しても良いと悟った安堵の表情に見えた。
「力を貸してくれる、ってコトで良いんだよな」
『完全に読み取れたか。今この瞬間、お前は実力も技量もかつての神秘殺しと同等となった』
「ああ。言葉ではなく、意志で理解できる。もう俺は、絶対に負けない」
『慢心だけはするな。時間制限があるぞ。そもそも無理があるやり方なのだからな』
「分かった!」
童子切を握り締め、俺は精一杯の意力を室岡へとぶつける。
もうお前はここから去ってくれ、そして二度と人を傷つけるなと。
否定の意志は刃と重なり、邪竜と化した巨躯を次々に切り刻んでいく。
今までどう戦えばいいか分からなかったが、今は何処を攻撃すれば良いのかが分かる。
それだけじゃない、体の動かし方も、目配せ方も、あらゆる要素が理解できる。これが────。
「天下無双の童子切……ッ! その使い手と同調したかッ!」
「ああ。源頼光がどういう人か、どう思って戦ったのか、俺は読み取って理解した。
理解して、その力を借り受けた。今の俺は、お前を殺す神秘殺しだ!」
「なるほどなるほど。完全に英雄となったわけか! ああ、実に素晴らしいな!
俺は嬉しいぞ! 俺と言う大災害を屠る英雄が、ついに現れたことがァ!」
室岡の声は、賛美歌のように夜闇に響く。だが同時に、何処か怯えているようにも見えた。
紛れもなく、コイツは純粋に嬉しいんだろう。俺が室岡を倒せる英雄に至った事が。
だがそれと同時に、敵対者として立つ室岡の本質が、英雄と言う在り方を恐怖している。
何故なら魔王とは、竜とは、英雄に討たれるべきものの象徴だからだ。
「怖いか災害。けど、お前に今まで殺された人たちは、その何倍も怖かったはずだ」
「だろうな。俺の恐怖は進化を促す。その果てに、これほどの英雄が出現した事を誇りに思うよ」
「もう良いだろう。満足したんだろ? だったらもう試す事なんかない筈だ。大人しく俺に───」
「良いや。お前は英雄としては新参者。ならば試練を課すが我が役目というものだ」
室岡は邪悪に口端を吊り上げ、天高くへと飛翔した。
天駆ける竜は、夜空より周囲を睥睨する。その眼に何が映っているのか、予測するまでもない。
俺が育った鳶原市を、奴は爛々と輝く眼で見ている。その眼の色と奴の性格から、何をする気かは明白だった。
奴は間違いなく、この街の全域を焼き払う気だ。
「やめろ室岡ァ!」
「止めたければ来るが良い! 最後の試練だ! お前の本気を見せてくれェ!」
『空を駆けろ! 必要な力は全て吾輩が調整する!』
「くそ──────! 間に合ええええええ!」
俺はがむしゃらに跳躍し、そして室岡の喉元を狙う。
だがすでに攻撃態勢に移行した奴のもとに、ほんの数mだけ届かない。
全身に力を籠める。意志を燃やして心臓と言うエンジンをフル回転させて飛翔する。
身体全体が燃えるように熱い。視界がぼやける。息が苦しい。
それでも全霊を駆けて、俺は奴に届こうと手を伸ばす。
「良いぞその調子だ! だが、あと一歩及ばなかったなぁ!」
「もうやめろこんな事! 人類の進化を望んでも、お前が望む進化なんて───ッ!」
「望む形が来るまで何度でもやり直す! それが嫌ならば乗り越えろぉぉぉぉおお!」
「ダメだ、このままじゃ……!」
『鳶原公園全域、空間隔離閉鎖シークエンス移行ッ!』
室岡の口元に紅蓮の火球が燃え盛り、もうダメかと思ったその時だった。
突如として、規律の整った声が揃って響いた。同時に公園全体を覆う、オーロラのように揺らぐ光の壁。
これは、意力か? 海東やディアドラと闘った時に感じた圧と同じものを感じる。違うのはその量だ。何百もの意志が折り重なって、まるで層のようになっている。
と言うよりも、障壁やバリアに近いものだろうか。
「馬鹿なァ! 空間隔離!? という事は奴らかぁ!
おのれぇ無粋な! 我らが神聖なる闘争の場を侵すとはァッ!」
「そりゃあこっちの台詞だ"人間災害"! 平穏への領空侵犯野郎が!
こっちも任務で忙しいのに、全員集合させやがって!」
「だが、『|狂酷体系《ルナ=テクニ=クルエル》』の室岡とあれば、我らが揃うが筋というもの」
「R.S.E.L.機関の……皆さんですか!?」
「せーかいっ、レイヴンせんせーの指示により、R.S.E.L.機関日本滞在ロゴス使い全9名、推参したわよ!」
狼狽える室岡を余所に声がした方向を見ると、複数人の男女が立っていた。
一昔前の不良みたいな男に、白衣を纏った女性、天真爛漫そうな少女に、和装の男性など様々だ。
だが総じて分かる。誰も彼もが凄まじい意力を放っている。そしてそれらは折り重なるように、この公園を取り囲んでいた。
さながら結界か何かのように公園を取り囲んでいる。
室岡へと視線を向けると、まるで網に誤ってかかった蜥蜴のように藻掻いている奴の姿があった。
周囲を覆う壁を破ろうと火炎を連射する室岡だが、それらは壁に衝突すると同時に掻き消されていった。
まるで、壁を挟んで空間が切り取られているかのようだ。
「無駄だ人間災害。我ら機関謹製の空間切除技術。
かつてその身で味わった者として、無駄な抵抗は無意味と分かっている筈だ」
「だが貴様らが、かつてこの俺を逃したのも事実。さぁどうするつもりだァ!?」
「あの時は人数ギリギリだったからねぇー。けど、今は違うでしょ?」
「馬鹿な奴だ。そこの破滅掌者がすぐにでもお前を刻まんとしている事が分からぬとは」
「少年! よくぞこの街をこの瞬間まで護ってくれたッ!」
「ディアドラちゃんはあーしらに任せて、そっちのバケモン殺しちゃいなァ」
「町は気にするな!! オイらの意力で"隔離"させてもらったから!」
「っ……! ありがとうございます!!」
俺は彼らに、心の底からの感謝を告げ、渾身の意志を童子切へと篭める。
もう街を心配しなくていいというなら、もう迷わない。全霊を以てして、室岡と言う災害を両断するだけだ。
そんな決意を固めると同時に、聞き慣れた声が脳裏に木霊する。
『……始』
「なんだ、クリス」
『かつて吾輩は御身に問うたな。
人は何故繋がり合って生きていくのか、1人で生きていくのではいかぬのか、と』
「そんな事もあったな。お前なりに、人間を知りたいんだったよな」
『今その答えが、少し分かった様な気がする。人は1人では、やれる事に限界がある。
例え醒遺物を御したとしても、出来ない事がある。
だが他人がいれば、こうして限界を超え補い合う、か。これが人間の生態なのか』
「生態って。……まぁ、大体そんなもんか。そうだよ。これが、人と人が繋がるって意味だ」
『御身が他人との繋がりに拘る理由もわかる。
あれほど無力だと自責の念を覚えていれば、誰かに縋りたくもなる』
「それもあるけど、同じぐらい誰かが苦しむのを見るのが嫌だった。
簡単に同情する人間だからな、俺。だからさ、皆を救いたいとか思った時もあったんだ」
『それは、今も変わりないか』
「当然だ。今はひとまず、街の皆を全員を救いたい」
『ならば力を振るえ。お膳立ては全て整えてくれる』
「──────。ありがとう」
童子切を握り締めて、俺は室岡へと飛翔する。
高く、高く、天の彼方にまで届くほどに、俺は己の身を弾丸とする。
飛翔に必要な空力計算も、それに必要な風も、全てクリスが生んでくれる。
俺はただ、彼女の力を己の物とし、そして湧き出る意志を以てして、童子切をこの手に握る。
込める意志はただ1つ。『みんなを救いたい。』たった1つの、シンプルな意志だ。
「もう、終わりにしよう。室岡」
「終わらないさ! 人類がこの世に存在する限り、進化は望まれる!!
全ての人類を進化させるこの俺もまたぁ! この世に何度でも蘇るのだァ!!」
「無理やりな進化なんざ、こっちから願い下げだあああああっっっ!」
室岡が巨大な火炎を吹き出す。俺の目の前が炎で真っ赤に染まった。
視認するにはあまりにも大きすぎる。まるで火柱が直接俺に向かってきたみたいだった。
俺はそれを退ける為に童子切を振るう。斬って、斬って、切り刻んで。街を救うという誓いを込めながら振るう。
室岡の猛る炎は留まる事を知らない。無限とすら言えるほどに沸き続ける紅蓮の大河は、一見勝ち目がないように思える絶望だ。
だが、その程度の絶望でもはや止まる俺じゃない。刀身を伝い、炎の熱が俺の掌に伝わってくが、例えこの手が炭と化そうと、決してこの手は離さない。
俺は無心で童子切を振るう、振るう、振るい続ける。目の前の災害を屠るために。
そして、ただ無心で振るい続けた果てに、紅蓮の炎壁が切り開かれる。
「うおおおおおおおおおおおっ!!」
「は──────ははははははははぁッ!
これが、死か。これが俺の、終焉か……っ!」
紅蓮に盛っていたその渦を抜けると、奴の竜体の胸元が目の前にあった。
生命を維持する、心の臓腑のちょうど眼前。勝負を決するという意味では、これ以上の場所はない。
「────室岡」
「なんだ、英雄よ」
「ちょっとだけ礼を言うよ。
お前がいなかったら、俺はまだ迷っていた」
「……そうか。迷いは消えた、か」
「なれば進め。救うと誓った譚の先を。
全てを救うと心に定めたのならば……、その誓いを、絶やさずに生きろ」
「望むところだ」
笑う室岡の胴に、俺は斜め一文字に童子切を振り下ろす。
俗にいう袈裟斬りのスタイル。刻まれた斬撃の痕跡は、今までのどの傷跡よりも深いものだった。
完全に両断が出来なかったのは少し惜しい。そう思うと同時に、刻まれた傷跡から凄まじい勢いで流血が噴き出した。
血を流しながら、室岡は力なく地へと落下していく。
その光景を前にして、俺はようやく戦いの終わりを認識した。
街を覆っていた災害は、今此処に終焉を迎えたのだ。




