第40話 ピース・テラー
「室岡を倒す! 倒して俺は……皆を救う!
その為に──────力を貸せ童子切!」
童子切の柄を強く握り締める。
同時に俺の中には、凄まじいまでの力が逆流してきた。
クリスを手にした時にも感じたような感覚。……いや、違う。
クリスの時は、澄んだ清流のような純粋な力が流れ込んでくるようだった。
だがこの童子切は違う。凄まじいまでの怨嗟や怒りが渾然一体となって、醒遺物の力と共に流れ込む。
例えるのならば土石流の入り混じった大瀑布だ。
「なんだ!? これ……!
脳の内側から掻き乱されているみてぇだ……っ!!」
『レイヴンとかいう男が言っていた、この刀剣が殺してきた者らの残骸か』
「そういえば、童子切が切り伏せてきた妖怪たちって────ッ! ぐああああああああ!」
【よくも俺を朝廷から追いやってくれたなぁ!】
【何が正義だ! 俺をこんな姿にしたのは誰だと思っている!】
【鬼、鬼か。それも良い。この力で私は、末路わぬ全ての命の太平を約束する!】
「これ……が! 童子切が、今まで殺した……!?」
『始! 自分を保て! はじ──────』
クリスの声が、怨嗟の声の向こう側に呑まれて掻き消されていく。
力の流れ込む勢いだけでなく、憎悪の声や破壊衝動など、様々な要素が俺の内部を傷つけていく。圧倒的な"情報"の洪水だ。
俺の目に映る光景が目まぐるしく変わる。飢餓に飢える中で異形に転じた人間や、強盗として討伐される中で力に覚醒したロゴス能力者。
彼らは全て、恐らく例外なく童子切によって滅ぼされた妖怪たちなのだろう。
「こんなの……悲しすぎるだろ。
酒呑童子も、土蜘蛛も、みんな元はただの人間だったなんて……」
誰に言うでもなく、気付いたら俺はそう呟いていた。
元は人間だったのに、理不尽な迫害で、抗えない現実で、力に目覚めて人から外れた妖怪たち。
人から外れるという事は、人の理を乱すという事になる。だったら人間の手で殺されるのが当然だ。
だがこんな事、余りにも悲しすぎる。そんな感情を抑えきれない。こんな状況でも俺は誰かに同情するのか。
"お前は誰にでも同情する"と。クリスが俺に呆れていたのを思い出す。
馬鹿みたいだと自嘲を浮かべ、そして同時に、違和感に気付いた。
身体中に走る力の濁流が、治まったような気がした。
「────なんだ……?」
『童子切より溢れ出る情報の雪崩が、消失……。
いや違う。これは……"打ち消し合っている"?』
「何故だ? 俺は何も────ぐあぁっ!」
だがすぐさまに、収まっていた力の濁流がぶり返して流れ込んできた。
それでも、確かに先ほど一瞬だけ、童子切から流れ込む情報の洪水は、凪のように静かになっていた。
その理由はわからない。した事と言えば、流れ込む情報の中にいる妖怪たちに、同情をしただけで──────。
『……それ、か?』
「なんだってクリス? もっと大声で……掻き消されないように!」
『そも御身は何故、あの情報の中にあった妖怪たちの名を知っている!?』
「何でって……調べただろあの時! 童子切の事も、それに斬られた妖怪たちの事も!」
『──────ッ! まさか……そういう事か。御身の本当のロゴス能力とは……』
「何!? 聞こえねぇよ!」
『一旦それから手を放せ』
クリスの言葉に従い、俺は童子切から手を放した。
行き場を失った力が暴れ出すが、クリスがその力を用いてなんとか抑え込む。
だが長くは持たないだろう。故に俺はクリスの言葉に耳を傾けた。
「何が分かった!? 手短に頼むぜ」
『御身の力の本質をようやく理解した』
「本質? 俺の力って、お前から宿った力だけじゃないのか?」
『言われていたはずだぞ。ロゴス能力は、全ての人間が生まれながらに持つと。
つまり吾輩由来でない、御身自身の力も宿っている筈なのだ。
それを探るためにお前の本質を探っていたが、ようやく理解した。
これならば御身は、あらゆる醒遺物の破滅掌者となれるだろう。
ああ、御身が人との繋がりを重視すると気付いた時点で、考えるべき可能性であった」
「…………何だと?」
言っている意味が分からない。
困惑する俺に対し、クリスは納得したかのように笑みを零した。
それはこの絶望を苦ともしないかのような、そんな頼もしさを覚える笑みだった。
だが、どうも解決策になるのは彼女ではないらしい。彼女は俺に真っ直ぐ向かい、そして告げる。
この現状を打開するための可能性を。俺が持つ、本当の力の形を。
「御身のロゴスは──────全てと繋がり合うロゴスだ」
◆
夜闇が包む公園を、竜と少女が舞い踊る。
月光を反射する邪竜・室岡霧久の鱗と爪牙は、まるで堅牢なる要塞の如く立ちふさがる。
対してその周囲を翻弄する少女の姿は、星空と重なり合うかのように華麗に輝き、蝶の羽ばたきのように空を舞った。
ディアドラ・オルムステッド。彼女はその全てを賭し、最大の敵を倒さんと全霊を尽くしていた。
「始へのお前の所業で分かったよ。
テメェは、生きていちゃあいけない存在だ。
あんなお人好しに自死を選ばせたンダからなぁ!!」
「何が間違っているッ!? 英雄とは己の全てを燃やし、最後は孤高にて死ぬものだァ!」
「それが間違っているっつってンダよ! 英雄の最後は孤独だぁ?
"その程度"しか考えつかねぇから、それ以外の結末を認めねぇだけだろ」
「──────何が言いたい?」
「テメェみてぇな狂人は、誰かに看取られて死ぬなんざ想像も出来ねぇって言ってンダよォ!」
「我が頭脳を愚弄するかァッッ!!」
巨躯なる邪竜の一撃をディアドラは華麗に避ける。
だがその着地時、微かに彼女はよろめき、その表情を苦痛に歪めた。
彼女の身体は限界だった。だがロゴス能力者同士の戦いは、弱みを見せたほうが負ける。
故に彼女は気丈に振る舞い続けた。しかしそのメッキはもはや風前の灯火。
その剥がれた一瞬の隙間を、室岡は見逃さなかった。
闇が包む空に、邪悪なる紅の逆三月が灯る。
「もう限界か、麗しくも強き英雄よ!」
「アァ? 余裕だが? 始が来るまでもねぇぐらいにはな」
「ならば何故トドメをさせない。何故、先程よろめいた?」
「……チッ。気取られたか」
「ああ、やはり限界なのか。悲しい、実に悲しい瞬間だな。
せっかく立ち上がった英雄を、この手で下す瞬間と言うのは」
ディアドラの舌打ちを聞きながら、室岡は心底悲しそうな顔をした。
まるで玩具を取り上げられた少年のような、心の底から悲しんでいる顔だった。
だがその瞳の奥は、明らかに笑っていた。純粋なる歓喜の色が満ちている目の色だった。
非常に奇妙な事であるが、室岡は今この瞬間、全く矛盾せずに喜びと悲しみを両立させているのだ。
英雄の命を自ら刈り取るという喜びと、進化の可能性を自ら摘み取らねばならない悲しみ。
その2つの相克する意力を燃やしながら、室岡は一撃を放つ。
英雄の命を喰らう、最後の一撃を。
「ッ……! ざけんなよまだ早くなるのか!?」
「礼を言う! お前たちが相手だからこそ、俺は今までを超える事が出来た!!
これは俺の全霊全開たる本気を超えた本気ィ!! 進化せし竜王直々の終末の一撃だァ!!」
「避け……無理だ! 受け止め……いや、全力を賭したとしても、あれは─────!」
「やはり英雄とは死ぬとき孤独なのだァ!
お前は俺の正しさを証明した上で、大いなる星となるのだァァァァァッッッ!」
悲哀に包まれし呵々大笑が闇に木霊する。それは室岡なりの鎮魂歌であった。
風を切り、音を置き去りにした室岡の爪がディアドラへと向かう。その様はもはや、生きた戦術兵器だ。
ただあるだけで周囲一帯を殲滅せし得る、超大火力のミサイル兵器。それがたった1人の少女に向かっている。
そんな状況の只中にあっても尚、ディアドラの心に恐怖は無かった。
「おめぇ、やっぱ馬鹿だよ室岡。
人間の可能性だなンダ言いながら、微塵も可能性を信じていねぇンダからよ」
「俺? 勿論、俺は信じているぜ。
なんたって、俺がヘッドハンティングした男だからな」
「昔からよく言うだろ? 信じる者は救われるって。
だから────信じなかったアンタの負けだ。人間災害」
凄まじい暴風と共に、鋭利なる爪の切っ先がディアドラの胸へ触れかける。
生命の鼓動を刻む心の臓腑は抉られ、ディアドラが見るも無残な肉片へと成り果てる寸前────。
死が目前に迫っていながらも、ディアドラが口端を吊り上げた瞬間、それは起こった。
断罪のギロチンが、光と共に室岡の腕を両断した。
「──────何……ッ!?」
「ほらな? 来ただろ? "人の可能性"」
「……待たせた。前もこんなこと言った気がする。2回も遅刻しちゃって、ごめん」
「来てくれたから許すよ、始」
そう言って、ディアドラはへたり込むように地に座した。
彼女は限界の身体に鞭打ち、気丈に振る舞い続けた。だが今この瞬間、安堵と共に力が尽きたのだ。
何故ならもう戦う必要はないから。信頼できる仲間が、駆け付けてくれたのだから。
そんな彼女の姿を見て、始は悟る。
自分はまた、彼女に支えられていたのだと。
「ディアドラ」
「なンダよ。もう俺ァ戦えねぇぞ?」
「ありがとう……」
「……へッ、こっちこそ」
照れくさそうに笑いながら、ディアドラは地面に倒れ込んだ。
意識はある。だがもう指一本動かせない。極度の疲労が彼女の全身を包み込んだ。
始は振り向かずに、ただ前だけを見据えて歩み続ける。
その眼前に立つ、災害を滅ぼすために。
「待たせたな。第2ラウンドだ」
「馬鹿な! 何故貴様が、それを扱えている?
そんな意力など、1人の人間に在り得るわけがない!」
室岡の困惑の声が木霊する。
始はそれに応えない。ただ無言で一歩、また一歩と災害へと近づく。
その片手に握られているのは、1本の刀剣。かつて多くの魑魅魍魎を滅ぼし、そしてその全ての意志を背負った、罪と罰の刃。
銘を、童子切安納。此度の全ての事件の発端となった、一振りの醒遺物である。
「扱えている? 違うよ。
俺はこいつを御しきったわけじゃない。ただ少し、"借りている"だけだ」
「馬鹿な! 理屈はどうあれ手にしている事には変わりない! 一体どういうからくりで!」
「理解させてもらっただけだよ。"知は力"、らしいからな」
「ッ……! 来るなぁ!!」
室岡はまるで怯えた子供のように、残っている片腕を横薙ぎに振るった。
人1人程度なら瞬く間に微塵と化す、極小の台風が如き暴風が生まれる。
「無駄だ」
始は童子切を一文字に振るい、吹き荒ぶ嵐を両断する。
その斬撃を空を飛び、離れた室岡の強靭なる鱗に刀傷を刻み込んだ。
「ガァァァッ!!? まさか、馬鹿な……!
この俺が《《恐れている》》っ! 魔王たる俺が、怯えているというのかァ!」
「俺はさ、お前に気付かされたんだよ。他人本位で生きていたって。
でもそれは間違った認識だった。俺はただ、誰かと繋がり合いたかっただけなんだ」
「何を、言っている」
「聞かれたから答えているだけだよ。俺のロゴス能力を。
ロゴス能力は、その使い手の願いの形になるって、こういう事だったんだな」
どこか他人事のように、しかし同時に、何よりも実感を以て始は語る。
彼がこうして思考を口にしているのは、慢心によるものではない。
こうしなければ、己の溢れ出る意志に呑まれかねないからだ。
今の彼は、初めて輪郭を掴んだ己の力を、必死に手綱を握って制御と制御しようとしている。
何かを理解するには、それを誰かに教えるのが一番早いとは誰の言葉だったか。
「俺さ、昔っから知りたがりで、色んな人の事聞いてたんだよ。
気付けば街のほとんどと顔見知りだし。あと、すぐ同情するってのも、このせいなのかな。
とにかく俺は、誰かの立場になって、誰かの事考えて、それで、誰かと一緒になる事を望んでいた」
「まさか、他者と繋がり合うという意志をロゴスとした……? 絆という言葉を! ロゴスの根幹に据えたというのか!?」
「そうだ。俺も皆も、すぐに死んでしまうから、出来るだけ多くの人と繋がり合いたい。それが俺の本性だった。
だから俺は繋がりを力に出来る。"理解して同調したモノと、同じ力を得れる"ッ!」
横薙ぎに一閃。始が握り締めた刀剣を以て、室岡に攻撃を放つ。
斬撃は空を舞い、滑空し、そしてそのまま水平に、室岡の全てを支える脚へと直撃する。
鋼鉄の要塞が如き堅牢さを誇っていた輝く鱗は、紙細工よりも脆く切り裂かれた。
「そうかっ! 貴様、"繋がった"と言うのかっ!?
その理解力を以て。絆を重視する意志を以て!
かつて童子切を握った破滅掌者と、自分を重ねたというのかァ!」
「そうだ。俺はかつての童子切の持ち主────神秘殺し、源頼光を理解した。
だから俺は……、お前と言う神秘を屠る刃になった」
静かなる殺気を以て刃を震わせながら、始は刃を高く掲げる。
その刃に、もはや先程までの淀んだ憎悪や怒りなどは微塵も宿っていない。
或るのはただ1つ。無辜なる民に仇なす神秘を滅するという、正義の意志のみであった。




