第38話 ペル・アスペラ
「あれほど!
自分の命を投げ出すなっつっただろうが!」
「………………。」
「どうしてお前はそんなに、自分より他人を大事にするんだ!
何でそんなに簡単に自分を投げ出せるんだよ! 馬鹿かテメェは!」
「……でも、これしか方法が無かった!」
ディアドラが俺を責め立てる。命を投げ出そうとした選択に理由を問う。
その彼女の言葉は、どこか悲痛そうな響きを帯びているような気がした。
彼女のその言葉に耐えきれず、俺は内側に凝り固まっていた感情を吐き出した。
俺には何も、彼女に言う資格なんてない。そんな俺の意志に反して、俺の口は言葉を濁す事のない率直な感情を吐き出し始めた。
「俺が戦わなかったら、大勢の人が死ぬ!
俺か街の人たちか……。どっちかしか守れないってなったら、答えは明白だろ!」
「だからって自分は死んでも良いって言うのか!? 自分も守れねぇ奴が誰を守れる!?
それとも何か!? 自分は死んでも良い奴だって言う気かテメェはァ!!!」
「……ッ! ……そうだよ。俺はあの日、父さんと母さんを助けられなかった無力な人間だ。
目の前で命が消えていくのに、俺は何もできなかった……!
こんな俺なんかが! 生きていて良いのかって思ってた!」
まるで今まで抑えていたものが吹き出すかのように、次々に言葉が吐き出されていく。
6年近く抑圧され続けた、無力感への絶望と怒り。それに伴う自己嫌悪。それが濁流のように流れ続ける。
「ずっと俺は生きる意味を、他人に預けていたんだ。
皆が苦しむのが嫌だったのは事実だ。だから、それを取り除けたら、良い事をしたって錯覚していた。
つまりさ、俺はずっと誰かの為にしか生きていなかったんだ。自分の無力感から目を背ける為に。
俺はずっと自分が大事だと思ってたけど、それは全部、嘘だったんだよ」
「………………。だから、自分の命すら放り投げて、誰かを守るって言いてぇのか」
「そうだ。俺なんかの命より、みんなの命の方が大事なはずだ」
俺は俺を否定し続ける。無力だった俺を。助けられなかった俺を。
何よりも、そんな罪悪感から逃げる為に、誰かを助け続けるしか出来なかった俺を。
そんな俺をただ、ディアドラは黙って聞いていてくれた。否定もせず、肯定もせず、ただ、沈黙して──────。
「街の皆には、生きていてほしい。
こんな無力な俺を肯定して、育てて、護ってくれたから……っ!
けど室岡と戦えば、俺は絶対に死ぬ。死ぬのは嫌だ。あの日の両親みたいに苦しむのは、絶対に……!
嫌だけど! けどみんなが死ぬ事のほうが何倍も嫌だ! だったら俺が刺し違えてでも……あいつを……!!」
「その震える手で、あの災害を止められると本当に思っているのか?」
ディアドラが痛いくらいに力を込めて、俺の手首を握り締めた。
見ると、確かに俺の手は震えていた。いや、手だけじゃない。脚も、身体も、その全てが震えていた。
傍から見ればそれは、滑稽に映る姿だろう。なんてみっともない光景だろうか。
覚悟を決めたはずなのに、俺はこんなにもまだ死にたくないのか。
あの時震えは全て拭い去ったはずなのに。意志の定まらない自分に死にたくなる。
だがディアドラは笑うことなく、俺の眼を真っ直ぐに見据えながら詰め寄った。
手首を握る彼女の手に力が籠る。そこに篭められている感情は怒りなのだろうか。
あるいは──────。
「こんな覚悟も糞もキマってねぇ手で何を守れるって言うンダ!?
自分を大事に出来ねぇ奴が、他人を大事にできるって言うのか!?」
「そもそも俺に、大事にする自分なんて存在しない。他人しかないんだよ、俺の中には。俺はずっと、あの日から空っぽだったんだ」
「だったら、死んでも良いって言うのか? 他人の為の人生だったから! 消えても良いって言うのか!?」
「そうだよ! 俺の中にずっと、俺なんていなかったんだ! 死ぬのは嫌だったけど、もう俺には、そんな執着なんていらない!」
「ふざけんな!死にたくねぇって、少しでも思ったんだろ!? だったらまずは生き足掻いてみやがれ!」
「無理だろあんな奴! 俺なんかじゃ勝てるわけがない! もう、もう俺の命なんてどうでもいいんだ!
だったら……俺みたいな奴の命なんざ、投げ出して─────!!」
パァン──────、と。
乾いた音が響いて、頬を痛みが掠めた。
「いい加減にしてください……!」
「──────ディア、ドラ?」
「無力だとか、空っぽかだとか、無価値だとか!
どれだけ自分を軽んじているか分かっているんですか!?」
余りに唐突な痛みに、俺の思考が停止する。
今までそれ以上の苦痛を何度も受けたのに、今の一瞬が一番痛みが響いたような気がした。
呆然としたままに前を見ると、彼女の瞳から一筋の涙が頬を伝っているのが見えた。
こんなにも感情を露わにしている彼女は、初めて見たかもしれない。
「他人しかなかった? 生きる意味を委ねていた? 自分は空っぽ!?
馬鹿じゃないですか! 貴方は、誰かが苦しんでいるのが嫌だとはっきり言える人間でしょう!?
考えるよりも先に身体が動くお人好しでしょう!? なのに! どうして自分が無いなんて言えるんですか!」
「それは……。俺が、他人の為だけの、人間だから……」
「誰かを助けたいという思いは、貴方自身の本心なんじゃないですか!?」
彼女が強く握り締めていた手から、力が抜け落ちていく事に気付く。
そのまま彼女は俺に縋りつくように体重を預け、大粒の涙を落とし始めた。
痛みで停止していた思考回路がゆっくりと動き始め、熱く沸騰していた思考回路が冷静さを取り戻す。
そして気付く。誰かを助けたいという思いは、偽りのない俺自身の意志だったと。
「その結果が誰かの為であっても! それをしたいと願ったのは他でもない貴方なんです!
そんな貴方がいてくれたから私はここにいる! 貴方が一緒に戦ってくれたから私は生きている!
なのに……っ! 生きていて良いのか、なんて! 無価値だなんて、言わないで……っ!」
「─────ッ。……ごめん。俺が、バカだった」
ディアドラは俺の胸に顔を埋め、声を殺し泣いた。
こんなにも彼女は、俺を心配していてくれたのか。
そこまで考えて、俺は彼女の今までの言葉を泡沫のように思い浮かべる。
思えば彼女は俺をずっと心配していてくれた。戦いから遠ざける為にわざと俺を拒絶までしてくれた。
けれど俺は、彼女が傷つくのが嫌だから、彼女と共に戦う道を選んだんだ。
そして今、俺はその守りたいという意志を暴走させて、命を投げ出そうとしていた。
「貴方が誰かを守りたいという気持ちは理解できます。
けどそれで命を投げ出されたら……私の心がもたないんです。
私のせいで貴方を死なせてしまったようで、私は耐えられない……っ!」
「ごめん。俺が、独りで突っ走ってた。俺しかいないんだって自分に言い聞かせて。
俺を心配してくれる人がいるって言うのに、それから目を逸らして。
それしか答えはないんだって、自己完結して命を放り出そうとしてた」
ずっとディアドラは、俺を守ろうとしていてくれた。その思いを無碍にして、俺は死のうとしたんだ。
俺は彼女に対し、後悔と慚愧の念を激しく覚えた。俺は馬鹿だ。ただ自分1人で空回っていただけの、馬鹿野郎だ。
街全員の命が双肩にかかるという現実に耐えきれずに、安易に自分が死ねばいいという結論ありきで答えを出そうとしていたんだ。
逃げ続けるという現実から目を逸らすために、分かりやすい答えに逃避行しようとしただけだったんだ。俺はどうしようもない馬鹿だ。
そう後悔する俺に、ディアドラは何処か宥めるような穏やかな口調で、俺に問いを投げかけた。
「貴方が誰かを助けるのは、何故ですか?」
「──────?」
「あの日、貴方が私を助けてくれた理由は、なんですか?」
「それは……」
俺は一瞬、何と答えるべきか迷った。
先程出した答えのように、贖罪の為と答えるべきか。
俺の人助けは、俺が生きていて良いか証明するための手段だったと。
いや……確かにそれも理由の1つだが────、あの日に彼女を助けた理由は違う。
「……誰かが目の前で苦しんでいるのが、嫌だからだ」
「そうでしょうね。貴方ならきっと、そう言うと思っていました。
──────私も同じなんですよ?」
「ディアドラのせいで、俺がロゴスの力を得たからか? だったら、それは違う!
これは俺が、俺の意志で手に入れた力だ。だからディアドラが責任を覚える必要なんて……!」
「違います。それもありますが、それ以上にあなた個人の人間性が心配なんです!」
「…………ッ!」
「貴方の過去を調べ、過去の惨劇を知り、貴方の人助けへの渇望の意味を知りました。
その途端、人を助けようとする貴方の姿が、望んで死地に赴く兵のように見えたのです。
自分から死に場所を求めているかのような、何か満たされぬものを満たす為に足掻くかのような。
かつて、似たような理由で戦い続け、そして死んだロゴス使いがいましたので、よくわかります」
「それは……」
その通りだった。
確かに彼女の推測は、俺自身すらも目を背けていた真実と一致する。
彼女は顔を上げ、涙を拭い、そして真っ直ぐに俺を見据えながら、詰めるように言葉を放った。
「私は! 私の目の前で、貴方が苦しむのを見たくないんです……!
私は貴方をロゴスの世界へ招きました。ですがそれは! 貴方を殺す為じゃないんです!
貴方の望む道を歩ませながら、貴方を守るためにこの道を歩ませたんです!」
「そんなに、俺の事を考えてくれてたんだな、ディアドラ。……俺なんかの為に」
「"なんか"じゃないんです。私にとって貴方は、かけがえのない仲間なんです!
自分では無価値だとか言っていますが、貴方は自分が思うほど軽い存在じゃないんですよ!」
「────────────仲、間?」
「そうですよ……! 独りでどこまでも突っ走ろうとして!
挙句の果てに命まで投げ出そうと早合点までしてしまうなんて!
とんだじゃじゃ馬バディですわ本当に!」
「バディ……。……うん、そうだよな。
ディアドラは俺にとって、初めての仲間だったんだ」
絞り出すようなディアドラの声を聴いて、俺は自分の馬鹿さ加減にほとほと呆れが差した。
あれだけ他人の事を考えろと反省したのに、ディアドラの気持ちを理解できていなかった。
そうだ。俺は1人じゃなかったんだ。もう俺は、世界を滅ぼしかねない破滅掌者じゃない。
R.S.E.L.機関に管理されるような存在じゃない。彼女と共に戦える、力を制御出来た、仲間だったんだ。
それなのに俺がしようとしたことは何だ?
力を使っても勝てないからと、逃げるように命を投げ出そうとした。
こんなの、信用して手を差し伸べてくれたディアドラに対する裏切りみたいじゃないか。
仲間がいるというのに、俺は勝手に1人で結論を出して、結果重大な損失を生み出そうとしていた。
1人でダメなら、誰かと共に。こんな当たり前のことにすら、俺は気付けずにいたのか。
多分、今までずっと自分は無価値だと、思い込み続けていたからかもしれない。
俺みたいな奴が誰かと一緒に……なんて、正直欠片も思えなかったから。
「……ディアドラ」
「何でしょうか?」
「手を、握ってくれないか」
言いたい事全てを吐き出し終えて立ち上がるディアドラに、俺は静かに手を差し出す。
気付くと俺の全身を覆っていた震えは、気が付けばとうに消えていた。何故? そんな事決まっている。
今の俺に恐怖は無いからだ。だって、もう俺は1人じゃないから。
俺を心配して、励まして、そして叱ってくれる仲間がいるから。
「それは、何故でしょうか。
貴方1人では、戦えないと?」
「ああ。俺1人じゃ、あんな化け物倒せない。
死ぬかもしれないって、震えが止まらない。
だから、一緒に戦って欲しい」
「──────。」
俺の差し出した手を、ディアドラは微笑みながら握り返す。
頬を伝う涙が月光を照らし返し、星のように煌めいた。まるで宝石を連想させるかのような輝きが、闇の中に光る。
その輝きは、初めて彼女と共に戦うと決めた日を連想させた。この街を、世界を共に救おうと彼女に言われた、あの日の事を。
「そんなの、当たり前じゃないですか。
貴方は私の仲間なのですから。一緒にあの災害を、滅ぼしましょう」
「……ありがとう。一緒にこの街を、世界を救ってやろう。
あの災害野郎から、醒遺物を守り抜いて、な」
俺はディアドラの手を強く握る。
意志が再び全身に滾り、全身の負傷を癒していくのが分かる。
巡る意志は誓いとなって、あの時と同じように、世界を救うと心に誓う。
それはディアドラも同じだった。彼女も己の中の意志を明確にし、そしてそれを全身に巡らせロゴスを起動する。
俺達は重ね合った掌を通じ、互いに互いを守り、そして街を───世界を救うと、誓いを共にする。
救誓はここに成された。ならばあとは、災害を討つのみだ。
初めての仲間と共に、世界の命運をかけた醒遺物をめぐる最終決戦が幕を開けた。




