第37話 二者択一
俺は、みんなを助けたい。誰かが苦しんでるのを、嫌だから。
だが、どれだけ理想論を言っても、俺は人間だ。無理な事だって当たり前にある。
それでも、俺の目の前にある命は出来る限り救いたい。命はかけがえないものだから。
だが、"みんな"を救うために、何かを投げ出さなきゃいけなくなったときは?
俺は、俺と"みんな"、どっちが大事なんだ?
「俺は……」
「英雄とは、誰にも理解されることなく死して光を放つ!
民草を守りたいのならば! 己の命すらも投げ捨て修羅を征く!
それが英雄ではないかぁ!?」
「俺は──────ッ!!」
死にたくない。そんな抗いがたい生存本能がよぎる。
だってそうだろう? 両親が死ぬのを目に焼きつけられたんだ。
今だって、策が破られてからずっと震えが止まらない。吐きそうだ。
この災害を前に、1秒だっていたくない。すぐにでも逃げ出したい気分だ。
けど、そんな事をしたら大勢の人が死ぬ。
そう考えると、震えが止まった様な気がした。
「俺が此処で逃げたら、皆死ぬんだろうな」
「当然だ。逃げるというのであれば、その背ごと街を焼き払おう」
「正直言うと、俺はお前が怖いよ。そのデケェ身体も、理解できない思考も、その全てが怖い。
今すぐにでも逃げ出したい気分だ」
「──────。」
「けどな。逃げたら、俺の今までは何だったんだってなるんだよ」
小さい頃、抱いていた問いがある。
"俺は生きていて良いのか"という問いかけ。それが泡沫のように浮かび、頭を掠める。
無力感を突き付けられたあの日の問い。忘れたかった記憶が、濁流のように噴出する。
俺はずっと、両親を守れなかった事への罪悪感から、誰かを助ける事で逃げ続けてきた。
生きていて良いのかという問いに、誰かの命に縋る事で答え続けてきたんだ。いや、答えたと思っていただけかもしれない。
その癖に俺は、自分の命が大事だと逃げようとしている。生きていて良いのかと思っていたくせに、馬鹿げた話だ。
いま俺の背後には、助けられる命が大勢いる。彼らを守れと、俺の中の使命感が騒ぎ立てる。
けれど逃げなければ俺が死ぬ。だが逃げれば大勢が死ぬ。葛藤が俺の意志を削っていく。
だが、俺1人の命と街の皆の命を比べれば、街の皆のほうが重いのはわかり切っていた。
そう考えると目の前の室岡の姿が、あの日の火事と重なって見えた。
「……助けろっていうのかよ、俺に。
あの日……父さんと母さんを助けられなかった、償いをしろっていうのか?」
『───! ───!!』
誰に言うでもなく、俺は地面へと吐き捨てるように呟いた。
遥か向こう側でクリスの声が聞こえるような気がするが、今はどうでもいい。
そう言えばクリスが言ってたっけ。俺の人助けの本質は、埋め合わせや贖罪なんじゃないかって。
……あの時は、答えを出すのが怖かったから、つい我を忘れて怒ってしまった。
けど、思考がクリアになった今なら分かる。その通りだった。俺は、あの日の無力感を拭い去るために、ずっと誰かを助けていた。
生きていて良いのかわからなかったから、ずっと生きる意味を他人に委ねてきたんだ。自分が死ぬのは嫌なくせに。
だがそんなどっちつかずは、何時までも続くわけがない。
二者択一には、いずれ決着をつけなくちゃならない。
俺の命か、みんなの命か。
──────そんな物、答えは明白だ。
ずっと他人に生きる意味を見出してきたんだから。
「そんなに英雄が見てぇんなら、やってやるよ」
「ほう? やはり発破はかけるものよなァ!」
「勘違いするな。お前の言うとおりになるだなんて死んでもごめんだ。
俺はお前を、倒すんじゃない。食い止めるんだ」
「なるほど? なればどうする」
「決まっている」
「俺は死んでもここを死守して時間を稼ぐ。
あと少しで援軍が来るんだ。それまでにお前を此処で押しとどめれば────俺の勝ちだ」
迷いを振り切るように、俺は地面を踏みしめて立ち上がった。
そうだ。何を迷っていたんだろう俺は。誰かが傷つくのが怖かった。誰かが苦しむのが嫌だった。
彼らを守る事で、生きていて良いと証明し続けた。俺はずっと、俺以外の誰かがあって初めて生きる事が出来たんだ。
だったら俺とみんな、どっちが大事かなんてすぐにわかる。
「俺はずっと、分からなかったんだよ。
俺の人助けは何の為なのかって。
死にたくない癖に、他人が苦しむのが嫌だった。
どっちつかずで、偽善じゃないかって悩んだこともあった。
けど、今ようやく分かった気がした。俺はずっと他人の為に生きてたんだよ。
だったら────俺は死んでも、他人を助ける」
「犠により義を成しその疑を祓うかっ!!
死して安寧の糧となる! それこそが英雄だ!
魅せてみろ! その義が偽善で無き証拠をぉっ!」
「御託は良い。やり合おうぜ災害野郎。
死んでも俺は、お前を────」
刺し違えてでも殺す。そう固く俺は意志を定めた。
初めからこうすればよかったんだ。自分の命に執着せず、他人の為だけに生きていたんだと認めればよかったんだ。
けれど両親の死を魂の根幹に刻まれた事で、それを認めるのが怖くて逃げ続けていたんだ。
逃げずに自分の意志と向き合って答えを出せば、絶望なんてしなかった。
ならもう迷わない。俺はそう決意を固めて意力を高める。
完全に俺の意志を理解した今、俺は俺のロゴス能力を手に取るように物としていた。
室岡も同じように意力を高める。向こうもどうやら本気のようだ。
互いの意志がぶつかり合い軋みを上げる。大気が震え、地が脈動する。
正直に言えば、怖い。死の恐怖ではない。俺が命を投げ出したところで、奴を食い止める事が出来るのかと言う恐怖だ。
だが、この戦いで奴を止められれば、R.S.E.L.機関のみんなが来る。ようやく俺は機関のみんなの力になれるんだと安堵した。
俺みたいな、考えなしに破滅掌者になった人間でも、誰かの役に立てるんだ。
だったら、全霊で奴を止める。俺と言う存在の全てを賭けてこいつを止めてやる。
──────そう一歩踏み出そうとした、その時だった。
{“大地よ、風と共に奔り災厄を穿て!!”}
凛とした声が響いた。
詠唱と同時に、大小様々な石つぶてが空より降り注ぎ、室岡を襲う。
俺が室岡から装甲を剥がした跡、奴が再生しきれなかった箇所を的確に狙っている。
「無粋な! 我らが神聖なる闘争を侵すか!!」
「テメェのほうがよっぽどだ! この平穏への領空侵犯ヤロウが!!」
室岡は完全に意識の外からの攻撃だったのか、それらを処理しきれずにまともに受けた。
落石の流星群は、奴の巨躯を凄まじい勢いで抉り、削り、竜としてのシルエットを抉り削る。
あれは、俺がダメージを与えたのも手伝っているのだろうか? そんな疑問を抱いている間も、流星群は絶え間なく降り注ぐ。
やがて室岡は全身に喰らった負傷に耐えきれず地面へ倒れ伏し、その動きを完全に停止した。
俺はこの攻撃を知っている。
大地の象徴たる土を、風の力を使って押し出して攻撃する……四元素を操るロゴス能力。
これは、まさか……!!
「ディアドラ!? え……病院は!?」
「抜け出してきた」
俺の目の前に着地したその1人の少女は、俺が見知った顔だった。
絹のように細かい金色の髪に、宝石のような輝きを放つ碧眼。間違いなくディアドラだ。
彼女は俺を視認すると、明確な怒りの色が灯しながら俺を睨みつけた。
「それよりテメェ、今なんつった」
「…………。」
「死んでも人を助けるだと?
ふざけたこと言ってんじゃねぇぞ!!」
ディアドラは俺の胸倉に掴みかかり、感情に任せた怒声を響かせる。
彼女の怒りは最もだ。俺は彼女と、命を投げ出さないと約束した。
だが俺は、その約束を破ろうと、"命を捨てようと"した。これは彼女への裏切りと言えるだろう。
そうならない為にも、俺は策を弄して室岡に挑んだ。だが結局、届かない物は届かなかった。
人間が災害に敵う訳がない。身を以て俺はそれを突き付けられた。
だがそこで諦めたら、大勢の人が死ぬ。
なら、俺はが差し出せるものと言えば、もう命しかない。
結果的に彼女との約束を反故する形になったが、もうそれ以上の手立てが無かったのだ。
だが何を言っても、彼女には言い訳にしかならないだろう。俺は俺の非力さゆえに、命を投げ出すのだ。
つまり言ってしまえば、これは俺の責任。だから俺は何も言えず、ただ沈黙するしか出来ずにいた。




