第35話 チェイス&ルックバック
「よくぞ来た。
逃げなかった事をまずは褒め称えよう」
「当然だろ。お前に街は滅ぼさせない」
夜20時の鳶原公園。室岡は仁王立ちで俺を待ち構えていた。
堂々としたその立ち振る舞いは、まさに魔王と言う立場に相応しい。
だが、コイツが魔王になるような結末を許してはいけない。それは人類の破滅も同義だ。
だからこそ──────。
「俺はお前を、倒しに来た」
「良いだろう……。ならば俺はその意志に応えよう。人類を試す大怪獣として」
「一応聞くが、あんたは人類を進化させたいんだな? その、怪獣になる以外の手段を試そうとは、思わんのか?」
「思わない。人類が自主的に進化するのを待てと? それは冗長が過ぎる。俺はこの目で、人類の可能性を見たいのだ」
「……そうかよ。じゃあ、アンタとは分かり合えないな」
「分かり切っていた事だ。我ら互いに、言葉は不要と」
「クリス……行くぞ」
「承知した」
{“始めに、言葉在りき。言葉、神と偕に在り。言葉、其れ即ち神と成り。
万物、此れに由りて形と成り。遍く、此れに依らぬ物無く。其の言葉に、命有り────!”}
{“その者はグニタヘイズにあり。その身、強欲に依りて邪龍へと変貌せし。
遍く総てを戦慄せしむる恐怖の兜を戴きて、己が父すら殺し、得た財をその身以て守護せん────!”}
互いの詠唱が重なり合い、そしてぶつかり合い周囲を震わせる。
それぞれ一歩も譲らない意志の張り合いだ。これだけでもう立ち上がる勇気を持っていかれそうになる。
だが、今の俺には策がある。これなら勝つ事は出来ずとも、有利に立つ事は出来る。
そんな思いが、俺の全身を支えて力になってくれた。
「さぁ始めようか……覚悟無くとも祈りを抱く少年よッ!!
貴様は英雄か! それとも凡夫か!! この俺の手を以てして計ってくれようかァ!!」
「生憎それは出来ねぇ相談だ! お前なんかに計られる程、俺は安くない!!」
昨夜のディアドラに倣い、俺は精一杯の虚勢を腹の底から叫んで対抗する。
何とか奴との意志の競り合いには勝利し、場を支配される事だけは防げた。
だが、互いの意志のぶつかり合いだけで既に体力の大部分を持っていかれた。
これだけで、奴の実力が桁違いだと再認識させられる。
──────勝てるのか?
いや、勝たずとも──────生き延びられるのか?
『恐れているのか?』
「なわけねぇだろ……!!」
頬を勢いよくぶっ叩き、気合を入れ直し不安を祓う。
そうだ。意志を力にするのがロゴスなら、迷いはそのまま弱さになる。
"絶対に奴に勝つ"。そう強く念じて俺は奴の眼前に相対した。
「まずは及第点……。我が力を恐れずに再び立ち上がるその姿!!
勇気ある者、即ち勇者!! 良かろう! 貴様は英雄としての第一段階を満たしたァ!」
「そいつは嬉しいな。なら景気よく倒されてくれよ。
勇者とドラゴンなら、ドラゴンが死ぬ側だ!!」
目にも留まらぬ速さで撥ねて間合いを詰め、拳を勢い良く叩き込む。
だが室岡は先の戦闘と同じように、それを竜へと変化させた片腕で食い止めた。
ここまでは予想通り。ならばここから先は──────。
「『ひれ伏せぇ!!』」
「ぬぅ!? ほう……海東と同じ力か! 面白い意趣返しよ!!」
「神を前に、頭を下げるのは礼儀だからな!」
「己が下した力を、神と定義づけるか!
その傲慢さ、実に誉れ高し!」
ブラフで奴の意識を集中させ、その隙に拘束を全身に掛ける。
人間の限界を振り切っている奴に対して、この程度の拘束は時間稼ぎにならないだろう。
出来て数十秒程度の足止めだ。だが、今の俺たちにはそれで十分だった。
「なるほど。鉛の海に沈められた感覚だ!
だがこの程度、天を飛翔する竜を前に意味があるとでも!?」
「意味なんざなくてもいい。こうしてお前を捉えられたならな」
「何──────?」
「"加速せよ"!」
俺が発した言葉が現実に反映され、俺の肉体は目にも留まらぬ速さにまで加速する。
そう。俺達の目的は奴からの離脱。まずは距離を稼ぎ、そして奴との戦闘の時間を出来得る限り稼ぐ。
ただ時間を稼ぐだけでは断じてない。今のままでは俺は奴に勝つ事が出来ない。勝つためには"策"が必要だ。
だからこそ奴から距離を取り、時間を稼ぎ、策に必要な要素を揃える必要があった。
「逃げた……? いや、奴の意志から闘志は消え去ってはいなかった。
なればこれは次への布石と考えるが自然か……。あるいは────、逆転への仕込みか!」
「糞! 気付くのが早い!!」
流石は世界中を駆け巡っている人間災害。頭の回転も判断も早いと来たか。
だが、俺達はタッチの差で目的地に辿り着く事が出来た。此処に辿り着けば目的は9割は達成したと言えるだろう。
辿り着いた場を見ると、室岡はその口を三日月状に吊り上げて笑っていた。
「ほう……白神工芸資料館! よもやここを決戦の地に選ぶかァ!」
「そうだ。下手にぶちかましてみろ。アンタの狙う醒遺物諸共ぶっ壊れるぜ。
追いかけて来いよ。殺したいんだろ? 俺と言う英雄を」
「良い挑発だ。気に入った。乗ってやろうではないか!」
予想した通り、奴は誘いに乗って来た。
どうも奴は自分が他者を試す行為に執着するようだ。それは奴の、進化を求めるという目的からも明らかだ。
ならば、そういった状況を用意すれば? と俺は考えたが、ものの見事に引っかかってくれた。
『場所は既に分かっているな』
「ああ。室岡は分からないだろうから、純粋な速さ比べになると思う。
クリス、悪いがちょっと本気出させ─────」
「そこかぁ!!」
早くも室岡がこちらの気配を手繰り距離を詰めてきた。
俺も負けじとクリスの力を使い加速し、そして"ある場所"を目指す。
道中、警備員として潜り込んだR.S.E.L.機関のエージェントとすれ違い協力しながらも、室岡との距離を取る。
彼ら十数人には既に作戦は話してある。今この短い間だけ、この美術館が戦場になると。
人間災害に一矢報いれるならばと、彼らは快く協力してくれた。
彼らの足止めとクリスの力を借り受けて、何とか俺は目的地まで辿り着いき──────そして同時に、奴と対面した。
「逃げてばかりでは勝利は出来ぬぞ?」
「分かっているよ。これはお前を倒すための策だ」
「時間を稼ぐだけが策か? どの様な妙案か、見せてもらおうか」
「後悔するなよ」
言うが先か、動くが先か。互いに全く同時に肉体を加速させる。
室岡は飛翔。俺は疾駆。どちらも物理法則を無視した、意志による速度の上昇だ。
勝負は一瞬でつく。俺は"目的地"の最奥へと潜り込むように辿り着き、奴よりも一手先を行き"それ"を手に握った。
俺が握り締めた"それ"を目にして、室岡は口端を吊り上げながら邪悪な笑みを形作った。
「──────なるほどな。それがお前の秘策か」
「ああ。こいつを使えば、俺の力をより具体的な形に定義できるからな」
「面白い……! その機転、実に英雄らしい! 俺も気分が高揚するわァ!」
ざわざわと、せりあがるように室岡の全身に鱗が生え揃う。
奴の肉体の竜としての比率が跳ね上がる。その不気味な変貌を前にしても、俺に恐怖は無かった。
手に持つ"それ"が、俺に対して勇気をくれる。その勇気を表すように、鏡のような刀身が窓から差す月光を反射していた。
『まさか、かつての我が憑代を使うとはな』
「これなら形があるし、特性もわかりやすい。これならいける!」
「力を再び定義して使いこなすか! やってみるが良い!!」
再び加速し、拓けた外へと俺たちは飛び出す。
純粋なスピード勝負は終わり、互いの全てを賭けてぶつかり合う第2ラウンドが幕を開けた。
◆
「(先程までと違い、奴の眼が変わった……。
覚悟を決めたわけでもなければ戦意を失ったわけでもない。
あの刃────如何なる特性を持つ?)」
殴る。いなす。突き刺す。躱す──────。長久始と室岡霧久の攻撃が交差し続ける。
その戦闘の中で室岡は推理する。長久始が手にした、正体不明の醒遺物が持つ力が、如何なるものかを。
彼が手にした、鏡のような刀身を持つ刀剣が醒遺物であるのは、その放つオーラから理解できていた。
だが、それがどのような力を持つものなのか、室岡は理解していない。
「それは童子切……ではないか。
ならば、貴様が宿した"力"のかつての姿か!!
だが、それを以てしても劇的に強くなったとは思えんが、果たして策とは如何に!?」
「黙っていりゃいずれ分かるぜ!!」
横薙ぎに、始がその手にした刃を振るう。その切れ味は室岡を包む甲冑の如き鱗にも傷をつけた。
先程までと比べ、明らかにロゴス能力の精度が跳ね上がっている。特に攻撃力が上がっていると室岡は分析した。
これはロゴス能力者が、自らの力の形をより明確に────今回の場合は刃という"攻撃的な形"に最適化したからである。
「(なるほど、伊達や酔狂でその刃を手にしたわけではないようだな……。
おそらく攻撃の強化だけが目的ではないであろう。さて……如何なる手を見せてくれる?
もっと俺を楽しませろ! お前の英雄らしさを俺に見せてくれ!)」
室岡はその内なる闘争本能を滾らせながら、不気味に口端を吊り上げ笑った。
それは、彼が本気を引き出す1つの合図であった。彼は自らを、人類を進化させるための大怪獣になれると狂信している。
故にこそ、対峙した敵が強ければ強い程、彼は高揚してその力量を跳ね上げる。目の前の状況は、まさにそれであった。
目の前の長久始という少年が、次々に英雄としての在り方を完成させていく。
追い詰められながらも機転を利かせ、次なる策を練り上げて何かを成そうとしている。
素晴らしい。美しい。そのまま英雄として大成して、人類を進化に導いてくれ。
そう室岡は純粋に、心の底から願っていた。
故に──────。
「良かろう、面白いッ!
貴様が策を見出したのならば!
この俺も本気を出さねば無作法というものだなぁッ!!」
「なんだ、まだ本気じゃなかったのか? とっくに全力だと思ってたぜ」
「吠えるではないか。その意気やヨシッ! 敵の意志削がんとするその攻撃、見事也!!」
「だが──────。
攻撃だけではその隙を突かれると、その身に刻み付けてくれようかァッッッ!」
始が剣を振るい攻撃を放った直後、隙を突いて室岡は攻撃を仕掛けた。
始はそれに気づき距離を置くが、時すでに遅し。室岡のその一撃は既に彼の命脈に食らいついていた。
研ぎ澄まされた爪牙による一閃。直撃すれば鉄鋼すらも引き裂く、大いなる竜の刃が始に迫る。
空気が切り裂かれ、波状に広がり衝撃波を生み出す。もはやそれは、人型の音速機だった。
だが、物理法則から解き放たれた彼らにとって、そのようなものは些事に過ぎない。
始は攻撃を防がんとする。
室岡はその防御ごと噛み砕かんと咢を開く。
狙うは心の臓腑。当たれば勿論、掠りでもすれば致命傷は免れない。
早さは音をも置き去りにする。もはや常人では絶対的に避けられない。
室岡は疑いの余地もなく、ただ1つの可能性を確信していた。
「これで──────ッッッ!!」
「──────待っていたよ。お前の本気を」
「何……ッ!?」
室岡の放った致命たる一撃。だがそれは、始が常人だったなら、の話。
彼が手にするのは、彼が己の物とした神の力がかつて宿っていた、大いなる剣。
それは言い換えれば"神そのもの"。その本領が今、開放される。
「これは……ッ! くっ、まさか……!」
「使わせてもらったよ。この剣が持つ特性を、存分にな」
室岡と始を隔てるように、始が手にした鏡面状の刀剣が突き立てられていた。
刀剣は室岡がせり出した爪牙を防いでいる。その美しい刀身には傷1つついていない。
彼がこの剣を手にした理由は、始からこれが狙い。"言葉を力にする"というロゴスの本質を使い、まさにこの瞬間始は一矢を報いたのだ。
「鏡は反射するものだ。
その意力、そっくりそのまま返すぜ!!」
「グ──────ヌォォォォォォオオオオオ!!」
凄まじい轟音が響くと同時に、刀剣と衝突した室岡の爪や牙が粉々に粉砕された。
始はその様を見て、ただ静かに笑っていた。その笑みは充足感とも、成功を喜ぶ笑みでもない。
ようやく、目の前の災害と並び立つ事が出来たという、達成感に満ちた笑みであった。




