第31話 カッティング・エッジのその先へ
「俺はな、今の人類の進化は停滞していると考えている。
スマートフォンの出現やインターネットの概念は革新的ではあるが、ただ人類の怠惰さを増幅させただけだ。
もっと人類は、必死に足掻く中で進化するべきだ!」
「で、その為に醒遺物を使うと? お前が大怪獣様になるために?」
「是認。その通りだ。人類を進化させる大魔王になるは、この俺こそが相応しい。その為に醒遺物は必須なのだ」
「理解できない。お前は誇大妄想狂だ」
俺は室岡の言葉を、吐き捨てるように切り捨てた。
こいつの言葉は常識から外れている。理解できないというより、理解したくないというのが正しいか。
人類の進化を望むというその根幹にある願い自体は理解できる。だが、その方法がよりにもよって"怪獣になる"?
小学生でももっとマシな結論に至るだろう。こいつはきっと空想と現実の区別がついていない夢見がちだ。
なので俺はコイツを拒む態度を全霊で取る。……のだが、俺にはそう虚勢を張るのが精いっぱいだった。
「おい、御身大丈夫か?」
「ああ……。とりあえず何とか……な。
反論する力だけは、とりあえず残ってはいるよ」
「にしてもこの男、随分と強い意志を持っているな。
無意識のうちに場の支配を行えている。御身の退路を完全に塞いでいるな。
現代を生きる人の身でありながら、これほどの強き意志を持てるとは……なかなかやる」
「お褒めに預かり恐悦至極であるなぁ! 名も無き醒遺物の魂よ!!」
けたたましい声が響くが、俺は耳も塞げずただ聞くしか出来なかった。
理由は簡単だ。この室岡という男、余りにも纏うオーラが桁違いすぎるのだ。
ディアドラや海東は確か"意力"とか言っていたか。その圧倒的な力が場を支配し、俺のそういった逃走などの行動を縛り付けているのだ。
戦うという手段もあるが、今の俺では戦えば即座に敗北が眼に見えている。それぐらい意力の差は歴然だった。
故に俺は、耳が朽ち果てそうな戯言を苛立ちながら聞くしかない羽目になっているのだ。
「お前のような醒遺物が見つかるとは俺も運がいい!!
当初はあの美術館の醒遺物だけで良いと思っていたのだが!
実に満ち足りている! 充実とはこの事を言うのか!」
「の割には、言葉は空虚しかないようだが?
中身のない壺ほど良く響くとはこの事か。余程頭の中に詰まる物がないらしい。
その眼は節穴か? あるいは伽藍の洞か? この吾輩が、お前の幼稚な野望に付き合うと本気で思っているのか?」
「貴様の自由意志など知った事か。俺は俺であるが故に唯一絶対無二なる魔王!
醒遺物の意志など、捻じ伏せて従わせるのみだ」
「そこまでして……何で進化を望むんだ? お前は」
「よくぞ聞いてくれた」
室岡は待っていましたとばかりに快活な笑みを浮かべ、過去を語り始めた。
曰くこいつが生を受けたのは、高度経済成長期の日本の黄昏……1970年代初めだそうだ。
外見は随分と若々しいのに生まれはかなりの昔と来た。これもロゴスの力によるものなのだろうか。
その時代に比べ、今の人類は活気がないとこいつは言うのだ。
「その活気だとかなんだとかいうのは、アンタの主観なのか?」
「無論だ。当時の日本人は熱気に溢れていたが、それは徐々に斜陽を辿った。
世界もそうだ。今やすべての人類は、ただ便利さのみを追求し、堕落に溢れている。
他者への責任転嫁と自己の利権確保にしか執心していない……。こんなものは違う。
そんなものは進化とは言わん。緩やかな破滅だ。故に俺は、この淀んだ人類を打破する究極の進化を起こす事にした」
「──────具体的には?」
「厄災による進化だぁ……っ! 人類は古来より、眼前に強大なる敵立ちはだかりし時、大きく前進した。
"必要は発明の母"。大いなる力に対抗する時、人間はその秘めたる進化を解き放つのだ」
「その為にお前が、人類を進化させる障害……即ち怪獣になると」
「左様。俺という絶対なる魔王が君臨し、人類はそれに抗おうとする。
全霊を以て進化しようと足掻く! これぞ、人類の正しき姿よ……!」
「………………」
こいつ、正気でこんな誇大妄想を宣っているのか?
だが口調も冗談や嘘を言っているようには思えない。本気でそうしようと信じている真っ直ぐな声だ。
醒遺物という力が片手間で人類を滅ぼせるいうのも相まって、あながち冗談ではないのだろう。
────────────ただ、その手段は余りにも……。
「百歩譲って、アンタがその手段を実現できたとしよう。
その場合……お前の言う"進化"出来なかった人間はどうなる?」
「と、言うと?」
「そうやって尻を叩いたからと言って、人間はすぐ本気を出せないってことだよ。
アンタの言う通り、確かに逆境で人間は進化するかもしれない。
けど、環境とか色々あって、それが満足にできない人もいるだろ?
そう言う人たちは、アンタが魔王になったらどうするつもりだ?」
「ハッ! 何を言い出すのかと思えば……愚にもつかない精薄な問いだ」
「進化出来ぬ人間に価値はない。全て俺の手で間引くのみよ。
抗えぬならば死に絶えればいい。そうした悲劇は、英雄を生む土壌になるからなァ……!」
想像出来る限り、最悪の答えが返って来た。
人類の為と宣っているが、一皮剥けばこの通り。地獄すら生温い世界が顔を覗かせた。
こんなもの、言ってしまえばコイツが気に入らない存在は全て死に絶える、魔王による独裁世界だ。
進化だ何だと耳障りの良い言葉を並べているが、その実、それらの選別基準は全てこいつの内側にある。
要するに、進化なんて言葉はコイツが自分好みの発展以外を認めない戯言だ。
こいつはただ自分にとって都合のいい世界を作り出したいだけなんだ。
自分が魔王という幻想に酔い、要らない物は全て排除。
ただただ闘争と破壊を繰り返したいだけの狂人の夢想だ。
そんなものを許して堪るか。
許せない。赦してはおけない。こいつの存在は在り得てはいけない。そう俺の中に強い反抗の意志が沸騰する。
それこそは、コイツの意力による場の支配を撃ち破る反撃の狼煙だった。
「さっき、理解できないって言ったな」
「ああ。考えを改めてくれたかな?」
「言い直すよ。お前は理解しちゃいけない狂人だ」
「……なれば、どうする」
「クリス、周囲に人がいるかって分かるか?」
「ああ。全くいない。街の外れまで歩いたからだろうな」
「なら……良かった。……………{“始めに、言葉在りき──────”}
「そうだ……!! そう来なくてはなぁ! それでこそ、わが眼前に立つ存在に相応しい!」
俺の中に湧き上がった強いコイツへの否定が、意志を滾らせ戦う力をくれた。
俺はクリスと一体となり力を成す。すると室岡は待ち望んでいたとでも言わんばかりに呵呵大笑を響かせた。
どうもこいつは戦う事が好きな人種らしい。望む世界のカタチからもそれはありありと伝わってくる。
ならば望むところだ。お前がどれだけ強くても関係ない。俺がお前を"否定"してやる。
──────そう意気込むと同時に、室岡の詠唱が響き渡った。
{“その者はグニタヘイズにあり。その身、強欲に依りて邪龍へと変貌せし。
遍く総てを戦慄せしむる恐怖の兜を戴きて、己が父すら殺し、得た財をその身以て守護せん────!”}
「………………ッ!!? なんだ……この圧は!?」
『今の御身とは桁が違う。文字通り"呑まれる"なよ』
ゾン──────と。プレッシャーが俺の身体を包み込んだ。
空気が肌に痛みを覚えるほど震えているように感じる。まるで全身をやすりで包まれているようだ。
こんなにも強力な圧は感じたことが無い。こいつの持つ意力は、物理的な影響すら及ぼすというのか?
──────いや、違う。空気が震えているんじゃない。俺が怯えているんだ。
コイツに対する恐怖が、痛覚という形となって俺に警告しているんだ。立ち向かうな、逃げろと。
眼前に立っている室岡は、まさしく死の具現と言ってもいい程に、俺と実力差がある。
ぶつかれば敗北は必至。最悪の場合は命を落とすだろう。
だが、逃げてどうなるっていうんだ?
こいつの思うが儘にさせるのか? コイツが望む歪んだ理想郷を実現させてもいいのか?
そんな事は、絶対に許してはいけない。こいつはまさしく、二つ名の通り災害だ。その自儘な欲望の為だけに、大勢の人間を選別する。
自己陶酔と傍若無人が人の形をとっているようなコイツを、俺は全力で否定しなくてはならない。
そんな使命感のままに、俺は全霊を込めてロゴスを形とする。
込める意志はただ1つ。室岡という災害の否定のみだ。
{“此の命─────、人の光なりきッ!!”}
{“我、猛き龍へと転ずる者。悪へと堕ちし邪龍が如く、魔を以て進化促す魔王なり!!”}
力の限りを込めて拳を握り締めて横薙ぎに振るう。
以前の強盗達のような、殺さないようにする力の加減はない。
こいつは恐らく、そんな事をしていたら勝てないような相手だ。ならば最初から全力をぶつける。
ただ1つ、目の前の災害を滅ぼすという強い意志のままに攻撃を放つ。だが──────。
「良い拳だ。及第点はくれてやる」
「……なんだ。その、腕は……?」
予感の通り、室岡は俺の拳を片手で受け止めていた。
その手には甲冑の如き鱗がびっしりと生え揃い、爪は鋭いかぎ爪へと変化していた。
見覚えのある腕だった。これは確か、あの夜の公園で見た──────!!
「ドラゴンの……腕!?」
「左様! 俺はこの身を、英雄の敵対者たる邪龍へと転ぜらるるのよォ!
人類に進化をもたらす。大いなる怪獣は──────この俺だァ!!」
「がはぁっ!!?」
室岡はもう片方の手を握り締めて殴り抜ける。
腹を貫かれたと錯覚するほどの強い衝撃が腹部に走った。
いや、錯覚じゃない。俺にロゴス能力が無ければ、確実に俺の身体は2つに分断されていた。
人間の身じゃ在り得ない膂力。どうやらあの腕は飾りじゃないらしい。
ドラゴン。神話における幻想の動物の代名詞。
その正体は災害だとか野生動物だとか、そういった"人間の恐れるもの"の集合体と聞いたことがある。
なるほど自らが魔王となって人類を進化させる、などと言ってのけるだけはある。
自分そのものが竜という1つの敵対者になるのが、こいつの能力という事か!
「けど、現実に存在しない言葉の力まで借りられるっていうのか!? 何でもアリか!?」
『本来であれば無理だ。だがこいつ、凄まじいまでの意力で現実に存在しない"ドラゴン"という概念を現実に縫い留めている。
人間では考えられない所業だ。神話の世界の概念を、この現代に蘇らせるなど──────!!』
「俺は俺であるが故に、遍く全てが許される!! 英雄たる存在の敵対者になるなど瑣末な事!!
さぁ見せてくれよお前の持つ力を! 俺に立ちはだかる英雄に相応しいかァァァァアア!!」
室岡が猛り、声を張り上げ叫ぶ。
その姿はまるで百獣の王の咆哮が如く、俺の全身の空気を震わせた。
このまま奴に圧倒され続けるのはマズい。そう理性では理解しながらも、実力の差は一目瞭然だ。
──────それでも、それでもこいつを止めなくちゃ、最悪の未来が待っている。
そう俺は自分に言い聞かせ、全身に力を込めて真っ向から室岡に対して臨んだ。




