第29話 ロクス・アモエヌス
「始さんの過去は理解できた……。
ただそこから予想できる事……彼が何を感じ、抱いたのかは私の推測でしかない。
何か、彼について知れることがあればいいのですが……」
ディアドラが街を歩きながら、自分の思考を整理する。
昨夜彼女は長久始の過去を洗う過程で、彼がかつて火事で両親を失っている事を知った。
ロゴス能力を操る始の過去を知れば、いざという時に対処がしやすくなる。
その為彼女は、その知り得た過去から推理する必要があった。
長久始が、いかにして今の彼へと至ったのか、について。
「もし私の推理が正しければ、彼の人助けへのこだわりも理解できる。
けれど……これが本当だったら、彼はいずれ致命的な間違いを起こしますし……、何より悲しすぎます。
まぁ確証は無いですし……誰か彼をよく知る人に心理透過を行えれば……」
「あれ? ディアドラちゃんじゃない?」
「わひゃぁ!?」
突如として声を掛けられ、ディアドラは素っ頓狂な声を上げ驚いてしまう。
声の下方向を振り向くと、そこには彼女の見知った女性がいた。
長久詩遠。現在ディアドラが調査している長久始の実の姉だ。
ディアドラは即座に立ち振る舞いを修正し、冷静に彼女と応対を始めた。
「あ、あらお久しぶりです詩遠さん。奇遇ですね」
「ディアドラちゃんも買い物? それともどこか立ち寄る先探してる感じかしら? 旅行中何だっけ?」
「あー、まぁそんな感じですねぇ……はい」
「この辺何も見るところないでしょー? 春は桜が奇麗なんだけどねー」
「あ、あはははは……」
反応に困りながらも、ディアドラは詩遠の隙を探っていた。
彼女は長久始の姉である。即ちそれは、長久始という人間が今に至るまでを、最も近くで見てきた人と言えるだろう。
彼女の心理を読み解くなどすれば、今の長久始を知る事が出来る。
そう考えてディアドラは、彼女に力を行使する隙を伺っていた。
「あ、そうだ。今お時間あるかなディアドラちゃん?」
「はい? え、ええ……。大丈夫ですけれど、何でしょうか?」
「久々の帰省だからねー、懐かしいカフェに寄りたいなーって思ってたんだけどね。
そこのケーキが凄い美味しいからディアドラちゃんにも食べてほしくて。
で、一緒に食べがてら何か話さない? と思ったんだけどどうかな」
「へ? はい? あ……はい。喜んで」
詩遠の提案にディアドラは驚きを隠せずにいた。
幼少期はロゴス能力者として距離を置かれ、機関に入ってからは他者と距離を取っていた彼女にとって、それは理解しがたい言葉だったからだ。
彼女にとって初対面の人間というものは、何よりも警戒するべき者である。
なのに目の前の女性は、ほぼ初対面の自分に対してお茶の誘いをしている。
何かの罠かと疑うディアドラであったが、肩の力を入れ過ぎている自分に気付き緊張をほぐした。
「良かった~。何気に1人で行くのハードル高いお店だから。
ディアドラちゃんみたいに可愛い子と一緒なら、緊張もしないかな~って」
「で、でも宜しいのですか? 私……まだ余り詩遠さんと交流も無いのに……」
「私は大丈夫だけど、ディアドラちゃんはどう? 旅先で知り合っただけの私とお茶飲みたい?」
「それは、ええ。問題ありません。この街のお話とか……お聞きしたいので」
「なら良かった。始のせいで私もたまに他人との距離感バグる時あるからね~。
なんかほぼ初対面でも、顔あわせたら大体友達? みたいな感覚になっちゃうのよね」
「………………」
ディアドラは、うまく事が運びそうだと微笑んだ。
長久始の縁者が自分から話をしたいと持ち掛けてくるのは、彼の情報を得る絶好の機会である。
ロゴス能力を用いずに現在の彼が成立する過程を知れればそれに越した事はない。
そう彼女は安堵し、詩遠についていった。
「(問題は彼らにとって、あの火事はセンシティブな事件であることですね……。
両親を失っているのですし、迂闊に触れる事は危険です……。ですがロゴス能力を使い無理に聞くのは……)」
「(うっせーなぁ急いでるンダろ? だったらちゃっちゃと聞き出しゃいいだろーが。
テメェはそうやって何時まで経っても保守的だから舐められるンダぜ?)」
「(ええい五月蠅いですよ私の中の私!! ロゴス能力の濫用など論外です!)」
「ディアドラちゃーん? どうしたのー?」
「あ、はーい! 今いきまーす!」
人ごみを縫うように駆けながら、ディアドラは長久詩遠と共に喫茶店へと向かっていった。
その足取りはどこか軽い。彼女は無意識下で、今この状況に対して喜びを感じているためだ。
それは何故か? 長久始の調査がスムーズに進むことに対してか。
あるいは、誰かと出かけて食事をするという行為そのものに対して、喜びを感じているのか。
◆
「大分飯屋まで歩いちまったな……」
「御身があちこちウロチョロするからではないのか。というかここはなんだ?」
「ラーメン屋だよ。旨いからとりあえず入って見ろって」
何とか飯屋に辿り着いた俺とクリスは、暖簾をくぐって中に入る。
繁華街からは少し離れた距離にあるラーメン屋なのだが、ここは知る人ぞ知る隠れた名店である。
1度偶然から入って味噌ラーメンを食べた事があるのだが、これが意外にも美味く、たまに通うほど気に入ってしまった。
やがては店長と知り合ってヘルプがてらバイトに入るぐらい、行きつけの店となっている。
クリスを連れてくるのは少し迷ったが、食わせるならなるたけ旨いものをと考えてここにした。
「いらっしゃーい。お! 始くんじゃないかい! 横のは彼女!?」
「違うっすよ店長。この子はただのクラスメート。そう言うんじゃないから」
「謙遜すんなって! ほいカウンターにカップル2名様ご案内!」
「だからちげーって」
何故誰も彼も色恋沙汰に繋げてくるんだろう。
そう考えながら横目で見ると、クリスはニヤつきながらこっちを見ている。
コイツは人の感情の機敏は理解できないくせに、恋愛がどうのというのは分かるのか。
「で、ここはどのような料理を食うのだ?」
「なんだよラーメン知らねぇのか?
麺と具材が入ってて、スープに醤油とか味噌とか塩とかあって」
「????」
「ああもうめんどくさいな!」
とりあえず簡単に、ラーメンがどういう料理なのかを説明する。
幸い麺がどういうものなのかだとか、醤油がどういう味なのかは理解してくれていた。
コイツが前に言っていた遍圏識とやらから読み取ったのだろう。割かし便利な奴ではある。
加えて、教えればそれをちゃんと理解してくれるという点でも俺としては大分ありがたかった。
ちゃんと他人に対して何かをねだったりする様子もないし、教育はちゃんと行き届いているようだ。
そう言う意味では、今日コイツを街に連れ出した意味もあるという訳か。
「ふむ……。ではどうやって食すのだ?
ひとまずこのショウユとかいうものを食べたいのだが」
「普通に注文すればいいんだよ。すいませーん! 醤油ラーメン1つ!」
「あいよ! 醤油一丁!」
「ふむ……なるほど。
で、御身はどうするのだ?」
「俺は長年ここに通い詰めて、何をどう注文してトッピングすれば良いのか肌で理解しているからな。
今日もそれを注文させてもらうぜ」
「「味噌ラーメン麺固めネギ多め、コマ切れチャーシューと煮卵トッピングで」」
「「ん?」」
偶然、注文の内容が全く同時に隣の客と被ってしまった。
まるで一昔前の軍服みたいに厚手のコートを羽織っている男性だった。
もう暑くなり始めているというのに、覚悟が決まっているファッションセンスだ。
男は俺を見るとニカッと軽快に笑った。大分若々しい顔に見える。20代後半から30代半ばぐらいだろうか?
あまりこの辺じゃ見ない顔だと思っていると、その男は俺に嬉しそうに話しかけてきた。
「貴様、この俺と寸分違わぬ注文を熟すとは只者ではないな?」
「あんたこそ、常連客のこの俺と全く同じ注文とはやるね。多分だけど、この街の人じゃないでしょ?」
「ふっ、分かるか。近日にある一件故にこの街にやって来た、流離の風来坊よ。この店は初めてだ」
随分と古風な喋り方だ。
軍服っぽい服装も相まって、まるでタイムスリップしたかのような感覚に陥る。
だけど、初来店でこの店の一番旨い食べ方を見抜くなんて只者じゃない。
そう俺の勘が告げていた。
「なんでその注文を? 誰かから聞いた?」
「俺は生来数十年間にわたり、多くの拉麺屋を巡った。
然るが故に一目で分かるのだ。この店で最も美味いメニュー、トッピング、バリエーションに至るまで!
貴様こそ、その若さでこの俺に並び立つとは中々やりおる。さぞや名のあるフードファイター、あるいはアルバイターと見るや如何に?」
「俺は別にそんな大したもんじゃないよ。ただ、色んな人を手伝ったり、その過程で色々この街を知ってるだけ。
この店だって、ただちょっと気に入ったから通い詰めてたら、気付いたらその注文に辿り着いていただけさ」
「興味深い! この街を知っていると申すか! ならば貴様の一押したる飯屋を訪ねたい!
恐らく俺はこの街で長居する事となるであろう! 故に知りたい! この街にある美味なる食事処を!」
「良いのかい? 長くなるぜおじさん」
「もとより承知の上よ……!!
桜花見を基に発展したこの街、食と酒へのこだわりは並大抵の物でないなど火を見るよりも明らか!
さぁ聞かせてくれ名も知らぬ青年よ。貴様がその十数年の月日を過ごしたこの街、如何なる美味が集っているのかを!」
すっかりと意気投合してしまった俺と謎のおじさんは、味噌ラーメンを啜りながらこの街の食事について語り合った。
隣でクリスは心底退屈そうな顔をしながらラーメンを食べていたが、そんな事を忘れるぐらいに俺とおじさんは楽しみ語った。
こう言う時、多数のバイトや人助けで培った話術が役に立つ。というか、無意識のうちに誰かと仲良くしようとする。
もはや本能というかなんというか……。思えばこれももしかしたら、誰かを助けたいと思う感情と根幹は同じなのかもしれない。
そんな事を考えながら語りあかしていると、すっかり時間が過ぎていた。
「おやもうこのような時刻か。光陰矢の如しとはこの事よ!」
「楽しかったよおじさん。この街の飯、好きになってくれたかな?」
「ああまさしく! 俺はこの街が好きだ! 既に立ち寄った店も、まだ見ぬ知らぬ店も! 実に素晴らしいなぁ此処は!!」
「そりゃよかった。こっちも語り明かした甲斐があったってもんだよ」
「おっと、1つ聞き忘れておったわ! 問うても良いか?」
「うん良いよ。何です?」
「貴様の横に或るその女は醒遺物か?」
ゾ──────ッと。
一瞬で周囲の空気が変わった様な気がした。
余りにも唐突で、そして静かな言葉だった。
だが同時に、確かな敵意と殺気が込められた言葉でもあった。
目の前の男の放つ空気が変わる。先ほどまでの朗らかな空気が、戦場の如き緊迫した世界に書き換わる。
男が笑う。
その笑みを通して俺の背筋に冷たい感覚が凄まじい速さで駆け巡り、全身に警告を伝達する。
逃げろ、こいつはヤバい、対話すら許すなと。汗が噴き出して自律神経が乱れ狂う。この男、海東なんかと比べ物にならない強さがある!!
だが全身が動かない。まるでこいつの放つ威圧に拘束されたみたいだ。蛇に睨まれた蛙か、あるいは俎板の鯉とでもいうべきか。
どう足掻いても勝ち目がない。そう本能が察したとでも言うかのように、俺の身体は何も抵抗できずにいた。
「そんなに畏まるな。ただの世間話じゃあないか」
「…………アンタは、一体……!?」
俺は必死で言葉を絞り出す。
疑問符を吐き出すだけで精いっぱいだ。
唇が渇き、瞼は見開かれ、そして胃の中身が逆流しそうになる。
大声を上げ叫びだしたい衝動に駆られるが、背後でクリスが割り箸を置く音が響き、何とか正気を保つ事が出来た。
そんな俺をじっくりと眺めるように目を細めながら、男は笑い自らの名を告げる。
「俺? 俺かぁ? そうさなぁ……。最も通りの良い名前で言えば……。
"人間災害"室岡霧久と、広く親しまれている。其処の醒遺物を、奪いに参った」
「河岸を変えよう、長久始。
ここは人が多すぎる。戦闘になれば、他者を巻き込まぬ自信が無い」




