第26話 ダイアローグ
「なぁ……クリス。起きてるか?」
『軟弱な人間と一緒にするな。意識はいつでもある』
「そっか。ならよかった。今話せるか?」
『問題はない。なんだ?』
夜。飯を食い終わり風呂にも入り、自室で1人寝転びながら会話をする。
いつもならばスマホを覗いたりする有意義な時間なのだが、今日は不意な客人がいるせいでそれどころではなかった。
そもそも自分の近くに誰かがいるという時点でくつろげる気がしない。まさか、今後もこうなるのだろうか……?
いや、そんな悩みは後で考えればいい。今はとりあえずクリスと対話して、こいつについて知見を深めなくては。
「お前ってさ……。今までどれくらいの人間と会ってきたの?」
『御身は今まで目にした砂粒の数を覚えているか? それと同じことよ』
「お前にとって人間は砂粒レベルかよ」
『左様』
少しは否定しろ、と手に持つミニ刀剣を放り投げそうになるのをグッと我慢する。
まぁこういう存在だというのは、醒遺物の存在を聞いた時点で分かり切っていた事である。
むしろこうやって意思疎通が出来ているだけまだありがたいのかもしれない。言葉が話せれば互いを分かり合えるのだから。
まぁ、そもそも言葉が通じても価値観が違いすぎるとかいうオチもあるが、そこはまずは会話してからどれぐらい違うかを計ればいい。
「じゃあそもそも人間の命令? とか聞く必要ないんじゃないのか?
俺たちよりも凄い存在だって言うんなら、俺たちに関わらない道も選べるんじゃないか?」
『それは無理だ。吾輩は、人の願いに応える事で存在を維持できる。いや、応える事が、我が存在意義と言えるか』
「なんだそりゃあ? ……質問を変えるか。お前は今でいう、なんて神様の力の破片なんだ?」
『記憶にない。吾輩が何者なのか、いつ生まれたのか。覚えていない。
いや……もしかしたら、最初から無いのかもしれんな』
「それなのに存在意義は覚えているのか?」
『うむ』
よくわからないが、そう言うもんだと割り切ろう。
記憶が無い。つまりこいつは自分がどうやって生まれたのかも、何者かすらもわからずに、誰かの願いに応え続けていたのか。
それは一体どういう気分なんだろう。恐ろしいのだろうか? いや、神だからそんな感情は感じないんだろうか?
会話ができるというからには、多分自意識はあるんだと思う。笑ったり怒ったりをしているのを見るに感情もある筈だ。
ただ、それがこいつに恐怖だとか寂しさがあるという証明にはならない。
「じゃあどんな願いを聞いて来たんだ?
出会った奴の記憶が無くても、それぐらいなら覚えているだろう?」
『そうだな……。この世の全てを知りたいという者、世界を死や病と言った苦しみから解放したいという者。
他には、単純に勝つための力が欲しいと願った者もいた。吾輩はその全てを、この身で叶えてきた』
「その度に姿を変えてきたのか」
『そうだ。何度も言わせるな』
「……寂しくなかったのか?」
ふと、無意識に俺はそんな問いをクリスに投げかけていた。
他人に対して無遠慮に同情するのは俺の悪い癖だと、あれほど反省しておきながら、俺はこいつの過去に同情していた。
我ながら猿より反省する知能が足りていないと自己嫌悪しつつ、それでもコイツ自身の事を考えると同情せざるを得なかった。
他人の願いを叶える為に存在し続ける? しかも、意思疎通ができる機会は人の形を運よく取れた場合のみ?
……そんなの、孤独以外なんて表せばいいんだ。もっともこいつに、そんな感情を感じる機能があればの話だが。
もしかしたらこいつは一切寂しさなんて感じていないのかもしれない。それでも俺は、こいつに対して同情を覚えていた。
『ハッ、なんだその顔は?
御身、吾輩に同情しているのか?
御身はすぐ同情的になるな。あの女に対しても、私に対しても』
「うるせぇな……。ただ確かに言い返せねぇ。俺はどうも、度の過ぎたお人好しのようだ」
『貴様の縁者も言っていたが、御身は自分より他人を優先するのか?
思えば、最初に唱えた願いも自分ではなく他人の為であったな。それは一体どういう了見だ?
何故そこまで他者を助けようとする? 己の事はどうでもいいのか? それとも、他者を助ける事で己の利とする算段でもあるのか?』
「そこ掘り下げる所か……? 俺としてはあんまし触れてほしくない所なんだが」
『それは何故だ? 契約した関係である吾輩に対しても、言えぬ醜聞があるとでも?』
「…………」
こいつ……デリカシーというものがないのか?
人には誰にだって触れてほしくない過去の1つや2つあるだろうに、どうしてそれにこうもずけずけと踏み込んでこれるんだ。
流石は神様と言ったところか。人間の細かい感情の機敏など眼中に無いというわけだ。
寂しさだとか、悲しさだとか、そんな人間らしさを期待した俺がバカだった。
「もういいよ。お前が神様だってのはよーくわかった」
『理解が遅い。だが理解することは良きことだ。言葉を力にするというロゴスにおいて、理解とは力ゆえな』
「それはもうディアドラから聞いたよ。分かってる」
『故に吾輩も、御身たち人間を理解したいと思っている。
吾輩を扱うその根源にある力を、吾輩は理解したい』
「…………知りたい気持ちはお互い同じ、って訳か」
どうやら、完全に人間らしさが無いというわけではないらしい。
彼女の声色に若干の弱さが見て取れたような気がした。何でもできる神様だと思っていたが、どうも人間を知るのは不器用らしい。
実際ついさっきも無遠慮に俺の過去を土足で聞き荒らそうとしてきたが、これも人間に対して無理解だからこそと言える。
理解は力。それはおそらくこいつにとっても同じ事。だからこいつは、人間を知ろうとしているんだ。
「の割には、数千年? ぐらい人類に使われてデリカシーの1つも身についていないんだな」
『なんだとぅ? じゃあ逆に言うが貴様はアリと意思疎通ができるというのか? ダニの気持ちを理解できるのか?』
「だからまずはそうやって人間を塵とか蟲とかに例えるのをやめろ!」
『五月蠅いわ! 星よりも長く生きられない身の上の癖に!』
「それはもはや生命とは言わねえんじゃねぇかな!?」
「ちょっとー!! 電話だかなんだか知らないけど静かにしてよねー! うっさーい!!」
壁越しに姉の怒号が響いた。俺は慌てて心を落ち着かせて声量を下げる。
何とか誤魔化せたがあんまりこういう日々が続くのも心臓に悪い。姉が数日後にはまた別の博物館へ長期で出向くのが幸いか。
ただ、こんな得体の知れない神様との奇妙な同居生活がいつまで続くのか分かったものじゃない。
数日で終わる可能性もあれば、死ぬまで一緒の可能性もあるのか……?
いずれにせよコイツとは付き合い方を考える必要がある。
その為にはこいつの性格を理解したいのだが、まずは……。
「とりあえず小声で話すか……。
ひとまず聞きたいんだが、お前今まで人型を取ったのは何回ぐらいだ?」
『片手で数えられる程度か、それ未満だな』
「それじゃあデリカシーが無いのも納得だ。
そもそも会話した事のある人数が少ねぇのかお前」
一番の頭痛の種の原因─────クリスが常識しらずの理由が分かった。
こいつは恐らく、普通っていうものを知らないんだ。だから常識も微妙にズレてるし、会話も何かとデリカシーが無いわけだ。
人間を知りたいと言うが、これじゃあ知らなくて当然だ。どれだけ歩み寄っても、そもそも歩む方向が違う。
そう考えると、コイツが寂しさを感じない存在だとしても少し気の毒に感じた。
「……分かったよ。んじゃあ、ひとまず明日街でも一緒に回るか?」
『? それがお前の願いか?』
「ちげぇよ。純粋な提案だよ。お前、人間について知りたいんだろ?
だったらそんな……自分と契約した人間だけ見るんじゃなくて、もっと色んな奴を見て、そして会話しろよ。
せっかく人間の姿も取れるようになったんだからさ。それを活用していこうぜ?」
『……他の人間と、か。そんな事、考えも及ばなかったな』
「全知全能に見えて、案外抜けてるんだなお前」
『なんだとぅ……』
苛立ちを孕んだような口調でクリスが返す。こういう所はホント人間的だ。
だがその根っこが絶望的に人間的じゃない。分かりやすく言うなら、人間ごっこをしている怪物みたいだ。
それじゃあ本当に理解し合うなんて出来やしない。ならどうするか? まずはこいつに、人間と言う物を理解させる。
俺達がこいつを理解するのも重要だが、ヒントが何もないからまずはこいつから近寄らせたい。
難易度は高いと思うが、コイツ側にも知りたいという欲求があるのが救いではあるか。
『まぁ人間と言う物を知れるのなら、それに越した事はない。
しかし何故そのような提案を? もしや、先の同情から来た提案か?』
「……いや、別に。ただ、童子切安綱について調べるついでに、街回れたらなと思っただけだし」
『何だその一瞬の沈黙は? さては吾輩を何処ぞやへと連れ去り襲おうとでも考えたか? いやらしい』
「なんでそういう人を弄る方面には色々詳しいんだよ……」
コイツがどれだけ人間を知っているのか益々分からなくなる。
今までの契約主にそう言う奴がいたからなのか。それとも言葉や感情の意味も分からず、ただなぞっているだけなのか。
後者だとしたら、人を弄んだり怒ったりしつつ、俺の過去にずけずけと踏み込む理由もわかる。
そう考えると俺は、やはりこいつには多くの人間と触れ合わさせる必要があると改めて思った。
「はぁー……」
『どうした。ため息などついて』
「お前との今後の付き合いを考えて、頭が痛くなっただけだよ」
『フン。精々気張る事だな。吾輩と御身は、文字通りの一心同体なのだから』
「分かってるよ。ま、不本意だけどこれからもよろしくな」
こめかみを抑えながら、俺はベッドに倒れるように就寝した。
今日1日、とにかく情報量と疲労が凄まじかった。眠らないとやっていけない。
加えて明日はこのけたたましい神様の介護が待っていると考えると胃も痛くなる。
ただ、コイツは俺が叩き起こした神様だ。ならばその責任を取るのが筋というものだろう。
コイツの存在を知る。こいつに人間と言う物を教える。
そしてこいつの力を使いこなして……あとは力の使い方も学んで……。
兎にも角にもやる事が多すぎだ。それも全て、俺がコイツと契約してしまったからだという責任感と重圧、そして罪悪感がこみ上げる。
だがしかし襲い来る眠気には勝つ事が出来ず、俺は気絶するように意識を失った。




