第23話 醒遺物の少女
「……えらい事になったな」
「えらい事になりましたわね……」
ホテルの一室。窓から刺す夕焼けの色はもう暗くなり、夜空がほとんどを占めている。
晩飯までには帰るようにと姉に言われていたから、そろそろ帰った方が良いだろうか。
だが、そんな考えが些事に思えるレベルに見過ごせない大事が、俺たちには起きていた。
いや……、基本的に事はいい方向に進んでいるんだ。
醒遺物を狙っていた強盗どものトップ、海東西山は倒す事が出来た。
多勢に無勢ではあったが、海東を倒せば奴の仲間の洗脳は解けるし、他の仲間はほとんど捕縛できた。
奴らへ依頼した首謀者とやらも気になるが、まだ動きは見えないそうだ。
現状の問題は、そんな醒遺物を狙う奴らではない。
「えーっと、あの……少女?
あの方は一体、何者なのです……?」
「十中八九、俺に宿っていた醒遺物の力に間違いないと思う。そう名乗ってたし。
力が宿ってから、俺の内側から声が聞こえていた。多分、その正体だと思う」
「醒遺物の力が実体化? まさか、そんな……。
意志がある醒遺物は何度か前例がありますが……。力単体で実体化なんて……」
流石のディアドラも困惑している。実際俺も何が起きたのか理解できていない。
ロゴス能力の世界は何でもありだと思っていたが、この現状は"何でもあり"の範疇を大きく逸脱しているようだ。
だが、分からないで思考停止していては何も始まらない。なので俺達は、なぜこうなったのかを分析することにした。
「いえ、今は目の前の事実を受け入れましょう。実体化したきっかけに覚えは?」
「やっぱ……俺がやった定義化……って奴だと思う。
「俺はあのままじゃ勝てなかったと思った。だからディアドラに言われた"それ"を試した。
俺に宿った醒遺物の力は、何でもできる。けど具体的にどういうものかは分からない。
けど名前を付けて定義すれば、力が安定する。ディアドラ言ってたろ?」
「ええ。その通りです。初めてで上手く言った点は称賛に値するでしょう。
まぁ"神"と定義するとは思いませんでしたが」
「館長は元々アイツが宿っていた剣を、神が作ったものじゃないかと言ってたからな。
それに剣の様相も鏡張りみたいだったし、纏う雰囲気も重厚で……。まるで剣そのものが、神殿みたいだったから」
「まぁ……筋は通っていますね。"神様"だから何でもできる能力だった、と。
安直ではありますが、それがあの宿る力と相性が良く、力を引き出せた。
問題は……相性がよすぎて自由を与える結果になった事、ですか」
「そうなると……俺のせいか?」
ディアドラの分析を聞いて、俺はがっくしと肩を落とす。
宿した醒遺物の力を制御出来たから、少しは機関やディアドラに役に立てたかと思っていた。
のだが、またもや俺は面倒事を増やしてしまった。どうして俺はいつもこうしてロゴス能力に関しては行動が全て裏目に出るのだろう。
……と落ち込んでいると、ディアドラが励ますように俺の肩を叩いた。
「そんなに落ち込まないでください。
貴方の行った定義化は、海東を倒すためには必要なものでしたわ。
だから自分のやった事を、そんなに後悔しないでくださいまし」
「ありがとう……」
年下の女の子に励まされてしまった。
いや、ロゴス能力に関して言えば先輩だし、それに多分年齢もそれほど差は無いと思われる。
それにしても気恥ずかしさはあるわけだし……そもそも俺が能力の扱いをちゃんとできていればこんな事にはならなかったと無力感が結局襲う。
そうだ。俺に宿っていた醒遺物の力が女の子の姿を取るような事にも──────。
「あれ? アイツどこ行った?」
「え? 貴方の中に戻っているんじゃないんですの?」
「いや居ねぇ!? さっきまで着いて来てたよな!? どこ行きやがったアイツ!?」
「興味本位で夜の街に出かけてしまったのでしょうか……。あるいは知らない人に……」
「子供かアイツは!? いやでも、そんな遠くに行っている筈は……」
実体化した醒遺物の力がどこにもいない。
確かにこのホテルの部屋に戻るまでは付いて来ていたはずなのに! いつの間にか影も形も見えない。
何処に行きやがったと憤りながら周囲を見渡そうと立ち上がった時、凛とした声が背後から聞こえた。
「五月蠅いわ、大声出さずとも聞こえているぞ。
吾輩を担う破滅掌者にしては落ち着きが無いなお前は」
少女らしい高い声だが、可憐さの欠片も無い機械的で平坦な語り口。
背後に立っているだけで存在が分かる、圧倒的なまでの強い気配。
すぐにわかる。アイツだ。俺に宿っていた力が少女の姿を取ったものだ。
「お前なぁ……何も言わずにいなくなるんじゃ──────!!」
「湯浴みも随分と進化したな。天井から湯の雫が滴るとは。
それに加え温度も自由に調整可能とは。素晴らしい代物だ」
「なっ!? 待─────! まずは服を着ろーっ!!」
「こら! 見るんじゃねぇ馬鹿!」
瞬時に俺は目を覆う。
その寸前に目に飛び込んできたのは、一糸纏わずに堂々と佇んでいる少女だった。
一瞬、何も問題ないと錯覚するほどに、恥じらいや羞恥心という物が無い、堂々とした立ち振る舞いだった。
だが当然問題しかないわけで、俺はディアドラにすぐさま目隠しされる。それでもその光景は、俺の目に焼き付いていた。
なんというか、ミロのビーナスだとかそういった芸術品での女性の肉体を想起させるような肉体だったような気がする。
色気だとかよりも、肉体美だとか黄金律だとか、そういった美を追求したような容姿とプロポーションを魅せられた。
いや、一瞬しか見てないのだから、この評が正しいかどうかはわからないが。
「なんだ? 吾輩の身体に何か着いているのか?
人類史が研鑽し続けた美の表現に準じて作り出した肉体なのだが」
「そ、そうじゃねぇよ!! 服を着ろっつってんだよ!! まともに見れねぇだろ!」
「服? 衆目に晒しているでもないのに必要か?」
「部屋ん中でも全裸はダメだろ! 年頃の高校生だぞこっちは!!」
「まったく……面倒だな。いつの時代も、人類の願いと言うのは細かい」
「こら! 素っ裸のまま窓から顔出すんじゃないですの!!」
見えないため詳細は不明だが、多分ディアドラが醒遺物の奴の奇行を止めようとしているのだろう。
俺は両の手が塞がってしまっているので、ディアドラに全てを託すしかない。非常に申し訳ない。
わーぎゃーと騒がしい喧騒が響いていたが、数秒ほど経ってすぐに静かになった。
「まさか──────、え? そんな……!?」
「な、なんだ? 何があった!? 大丈夫かディアドラ!?」
「あ……ええ。大丈夫です。ついでにもう目を隠さずとも大丈夫です」
「何だよそれ……この短時間で服を着たとでも──────」
ディアドラの許しが出たので、俺は手をどかして両目を開く。
目の前には確かに、服を纏った醒遺物の奴がいた。
だが、その服装は出現した際の……古代ギリシャみたいな一枚布の服ではなかった。
まるでファッション誌のトップを飾るかのような、流行の最先端を走るワンピースを纏った少女がそこには立っていた。
華美でこそあるが、派手すぎでもない。絶妙なバランスを備えた、マゼンタや青色を散りばめた美しい服装だった。
少しスカートが短いと思うが、逆に言えば不自然な点はそれしか存在しない程、完璧に現代的な服装だ。
容姿も相まって、このまま街を歩けばスカウトされるぐらいにはばっちり決まっている。
「それ……どうやって……!?」
「その辺を歩いている人間どもの服装をいくらか観察し、それを再現した。
この部屋は良いな。人々を一目で大勢観察できる。これほどの高層建築を実現できるようになるとは、人間もやるな」
「見ただけで……服装を再現……? ゼロから服を作り出したってことか……?
なぁディアドラ、ロゴス能力って言うのは、そこまでなんでもアリなのか?」
「いえ……。こんな高度に物質を複製できるロゴス能力は、見たことがありません。
まさか、本当に始さんの定義したように……"神様"そのものなのですか?」
「さぁな。そんな事は吾輩自身にも分からん。出来るからやる。ただそれだけよ」
「とぼけてるんだか、それとも本当に分かんねぇのか……。
どうする? 機関に報告するか? と言っても、何て言えば……」
「言っても信じてもらえるのでしょうか……。このような埒外な出来事……」
『もう既に伝わってるよ。一難去ってまた一難だな、お前ら』
聞き覚えのある声がディアドラの通信端末から響く。
取り出して画面を映すとそこにはレイヴンの姿が映し出されていた。
曰く、美術館で醒遺物の奴を確認した機関のエージェントがすでに彼に報告をしていたというのだ。
ただ余りにも前例がない事態の為、現状はR.S.E.L.機関の中でも上への報告はレイヴンの権限で保留にしたらしい。
つまり今この事態を知っているのは、レイヴンと俺達、そして目撃した複数のエージェントだけとなる。
「大丈夫なんですか、それ?」
『だって……こんなの初めてだぞ!?
醒遺物の力だけが人としての姿を得て実体化!? R.S.E.L.機関史上初だわ!
意志をもって自律する醒遺物はいくらかあったが、その宿る力だけが実体を持つなんて見たことが無い』
「でしょうね。私としても初めて見ました」
『正直……余りにも未知数すぎる。一旦捉えて、その持つ力を調査したいのが本音だ』
「ほう、吾輩を捉える? 青二才が……随分と吠えるではないか」
「なっ……やるのですか? 機関に楯突くというのでしたら、相手になりますよ!」
醒遺物の奴がグギリと指を鳴らしながら、挑発気味に笑い臨戦態勢を取った。
応対するようにディアドラも立ち上がって構える。待て待て待て。ここで2人が争う理由なんて無いし、何よりこんな場所で戦うんじゃない!!
明らかに1泊云万円はかかるようなホテルで戦えば被害額は想像に難くない。
「やめろ! お前ら"戦うのをやめろ"!!」
「そ、そう言われましても敵性体なら排除しなくては……」
「フン。吾輩に無礼な口を聞いた罰だ。
どちらが上か思い……知らせ……。ぐえ」
「え!? 何!?」
俺が叫んだのとほぼ同時だった。
急に醒遺物の奴が、勢いよく床にぶっ倒れた。
頭から地面に突っ伏すという、見ている側が心配になるレベルでの奇麗な倒れ方だった。
何が起きたのかもわからず、俺は彼女に駆け寄る。すると地面にぶつけたと思われる頬をさすりながら涙目でこちらを睨みつけてきた。
「お……おいどうした!?」
「急に……吾が身から力が……抜け……。
御身のせいだぞ! ええい憐れむ視線を向けるでない!
この吾輩の格が下がるであろうが! 無礼者!」
「そう言われても倒れられると心配になるって言うか……。え? 俺のせい?」
『おそらく、お前がやめろと命令したから、戦う為の力が無くなったんだろうな』
レイヴンが、長年機関で培ったであろう知識を基に分析を口にした。
曰く、彼女が倒れた……正確には、全身から力が抜けたのは、俺が命令したからだという。
自律した実体を手に入れても、俺と契約関係下にあるという事実はまだ変わっていない……と言うのだ。
「つまり、俺が命令すると……こいつはその通りに動く?」
「と言うのもありますが、最大の点は、始さんが許す範囲でなければ力を使えない、という点にありますか」
『ほー。こりゃ良い方向に想定外だ。醒遺物程の存在が自立稼働したらどうしてくれようと思っていたが……。
長久始が首輪付けてくれるんなら安心だな。特に悪さするような人間にも見えねぇし』
「な! おい! そんな吾輩を狗か何かのように言うでない!!
ええい命令しろ破滅掌者! 御身の口から"こいつらを殺せ"と!!
舐められっぱなしは気が済まんわ!!」
「いやするわけないだろ……。今は言う事を聞いておけ」
「何故だ何故だ納得いかーん!! この吾輩が人に支配されるなどとー!!」
まるで癇癪を起こした子供みたいに、床に横たわりながらそいつはじたばたと暴れていた。
なんか……思ったよりも随分と愉快な存在だ。力だけの時は、機械的で冷徹な感覚だったのに。
女性らしい肉体を手に入れたからか? そもそも何故女性なんだ? 全く何もかも分からないまま、謎だけが増えていく。
とりあえず、こいつを今後どうするべきか……あと30分以内には家に帰らなくてはならない俺としては、それが解決するべき急務の課題であった。
こんな少女を連れて家に帰るわけにもいかない。連れたら姉がどんな顔をするか……想像するだけで、俺は頭が痛くなった。




