第2話 邂逅
「よう長久。今回も原稿手伝ってくれねぇ? 今年も漫研でコミケ出る事になって」
「またかよ……。いい加減自分たちで解決できる量のページ数に収める努力をしろよ……。手伝うけどさぁ」
「いいや長久はうちの部を手伝ってもらう! こいつの竹刀修理は、右に出る者がいない腕前なのだから!」
「お前らはバカスカすげぇ勢いで竹刀摩耗させんのをやめろ! 言われればやるけど!」
昼休み。飛び交う声を捌きながら俺は食堂へと向かう。
生まれつき手先は器用だから、昔っからあちこちに顔を出しては細かい作業を手伝っていた。
そんな"人助け"を繰り返した結果、気が付けばリピーターがリピーターを呼び、部活手伝いの常連になっているのが現状である。
嫌な気はしないが、昼休みぐらいは静かにしてほしい所存である。
便利屋扱いされている気がしなくもないので、そろそろ手助け癖の方針転換を考え、1つの部活や塾に身を置くべきか……。
そんな方針転換の第一歩と言う事で、人通りの少ないルートを選び静かに食堂へと向かおうとした。
…………のだが、それは静かな昼休みとは真逆な結果を生む形となる。
『金出せよ、ほら持ってんだろ?』
『お前んち金あるもんな。ほら、もっと出せよ』
あんまり人がいない場所を選ぶのも考え物か。
こういう事案がこの学校にもあるというのは、ある程度察してはいた。だが、こうして実際に目にするのは初めてである。
このような悪行を直接見るのは思いのほか気分が悪く、そしてむかっ腹が立つ。苛立ちすら募ると言えよう。
そう考えていると、自然と足が彼らの下へと向かおうとする。本能が、彼らの狼藉を止めろと言っているのだ。
昔から人を助けたがるような性分なのもあり、俺は彼らの非倫理的行為を止めようと足を踏み出した。
……が、残念ながら本能と理性は違う。
足を1歩踏み出しはしたものの、それはすぐに止まってしまった。
狼藉を働く不良共は俺よりも体躯に恵まれ、俺の何倍も修羅場と経験を潜り抜けている。
当然喧嘩になれば100%俺が負ける。例え武器を持っていたとしても勝ち目は薄いだろう。
ぶっちゃけて言えば、俺には力が無い。どれだけ正義感があっても、それを為す勇気も手段も無いのだ。
どれだけ手先が器用でも、どれだけその技術で他人を手伝って助けても、弱者は救えない。俺自身も、弱者なのだから。
ただ、カツアゲの現場を見過ごせるほど、俺は冷酷ではない。
考えて最善策を選んだ結果、体育教師他数名を呼ぶ……という手段しか俺は選べなかった。
力が無いから他人に頼る……我ながら情けない話だ。そんな後悔を抱きながら、俺は食堂へ向かった。
◆
「何青い顔しながらかつ丼食ってんだよ。
せっかくの飯がまずくなるぜぇ長久?」
「田崎……。お前、自分が無力だなぁと思った事、あるか?」
「なんだそりゃ。赤点でも取ったか?」
「そりゃいつもだ」
飯を口に放り込み、咀嚼をしてため息をつく。
普段ならば喜ばしい昼食の時間だが、今日は生憎な事件があり気が重かった。
少し前にあった出来事を田崎に話すと、田崎は気にする程の事じゃないと言ってのけた。
むしろ告げ口紛いな事とはいえ、先生に伝えられただけでも立派だと励ましてくれた。そうかもしれない。それが普通だ。
けど俺は、その正しい行為よりも、自分の無力さが胸につっかえるように残っているような気がしていた。
「まぁー確かにお前が柔道部の主将とかなら、そこに颯爽登場!
からの不良全員をぶちのめす! とか出来たんだろうけど、そんな悔やむ事かねぇ」
「あの不良に絡まれてた生徒……1年だったから、ちょっとこの先心配でなぁ。
今回は先生が助けてくれたけど、今後はどうなるかなって……」
「またお得意の心配性かい? 長久はいつも考え過ぎなんだよ。
三者面談が近いとはいえ、将来の事とか重く考えてんじゃねぇのか? お前」
「お前はむしろ短絡的が過ぎるきらいがあるけどな」
「はぁー? 具体的には何処がですかー?」
そんな取り留めもない会話をしながら、数日以内にある三者面談にも思いを馳せる。
もうそんな時期か……。話す内容を纏めておかなくては。姉を心配させない無難な内容で行くべきか、あるいは……。
うちには、両親がいない。俺が中学生にもならないうちに他界している。
それからはずっと姉が親代わりだった。今も、三者面談などの行事には姉が親の代わりに出てくれている。
割と俺の前ではしっかりした姉でいてくれたから、俺もここまで育つ事が出来た。
本当は姉のもとを離れ、心配かけないぐらいに自立したい所なんだけど、それもままならない状態だ。
結局俺は、自分1人で生きられる程の力もまだない、という訳だ
それで誰かを助けようなどと悩むとは、烏滸がましいなと自嘲する。
「はぁー。力が欲しいなぁ……」
「悪落ち寸前のヒーローみたいな事言ってる」
「なんだよそれ」
割と本気の悩みだったが、田崎のふざけた口調が緩衝材になり、そこまで真剣に悩まずに済んだ。
確かに何処か現実離れした悩みだったかもしれない。人には人並みの限界がある。過ぎた力を望むのは、こいつの言う通り"悪落ち"なのかもしれない。
……そんなファンタジーじみた事を考えていると、ふと今朝に見た夢の事を思い出した。
あんな現実離れした力が俺にもあれば、俺はもっと多くの誰かを、助けられるのだろうか。
◆
夜。すでに時刻は18時を回り19時に突入しそうになっている。
部活の手伝い周りをした結果だ。姉には遅くなると連絡したが、それでも心配性な姉は心細いだろう。
早く帰って安心させなくては──────などと考えながら駅のホームに足を踏み入れた、その時だった。
1人の女の子とすれ違った。
その瞬間、まるで走馬灯のように今朝の夢の内容が蘇った。
きめ細かい絹か何かを想起させる、腰にまで届く金髪。
少しの衝撃でひび割れてしまう、繊細な陶器のような白い肌。
飴細工のような華奢さと繊細さが伴った、細い指。
俺は、このすれ違った少女を知っている。
いや、まさか、在り得ない。あれは確かに、夢だったはず。夢でなくてはいけない。
あれが夢じゃなかったなら、うちの近所の公園にドラゴンが出没し、そして地形を変える程の魔法みたいな業が実在することになる。
けど俺は知っている。少女の隅から隅まで、夢の中で見た記憶と合致している。気が付けば俺は、その少女の後を追いかけていた。
走って、走って、周囲の視線を気にするのも忘れて──────そして俺は、やっとその少女に追いつき、その手を握った。
「き、君……!! その……えっと──────」
「……はい? 何か、私に御用でございましょうか……?」
「え? あれ? あ……えーっと……」
違った。夢の中で見た子とは、口調が180度違っていた。粗野な言動とは真逆の、丁寧な言葉遣いだった。
外見は完全に瓜二つ。まるで俺の夢の内容をそのまま現実に出力したみたいなレベルでそっくりだった。けど、仕草や言葉遣いが断じて違う。
そう気付いた瞬間、俺の頭は急速に冷やされて冷静に戻った。見ると周囲の人たちが、俺とこの子に対して視線を向けていた。
周りには下校中の同級生もいる。ひそひそと話している奴もいた。───ああ、やらかした……。俺は心から後悔した。
「すいません。ごめんなさい。
ちょっと知り合いに似ていただけで……他意はないんです。本当に。
ごめんなさい。いきなり手を握ってしまって。本当にすいません! 失礼します!」
「あ、あの……! お、お待ちいただけないでしょうか……?」
頭の中が真っ白になりながら、言い訳にならない言い訳をしてそのまま逃げ去ろうとする。
しかし呼び止められてしまった。待っているは痴漢としての通報か、あるいは……。
そう腹を括ろうとした俺であったが、続いた言葉は全く予想と違ったものだった。
「あの……すみません……。
私、道に迷ってしまいまして……。
もしよろしければ、どうかご案内願えませんでしょうか……?」
「へ……? あ、ああ……。俺で、良ければ」
「わぁ、ありがとうございますわ!」
心から安堵した。最悪不審者として通報されるかと思っていたが、快く受け入れられた。感謝したいのはこっちの方だ。
見た所、言葉遣いや服装、仕草から箱入りのお嬢様と言った感じ。おそらくは日本人でもないだろう。あるいはハーフかクォーターか。相当のご令嬢っぽい。
そんな人を捕まえたとなればそれ相応の罰を覚悟していたが、むしろ待っていたのは助けを求める声だった。
遠くから「また始の人助けだったかぁ」と声が聞こえた。どうやら学校連中の誤解も解けたと思われる。
2つの意味で俺は心から安堵した。
「ところで、どちらに向かいたいのですか?」
「えーっと……。白神工芸資料館と言う場所に向かいたいのですが……。
電車の乗り換えで迷っているうちに、気が付いたらこのような場所に……」
「あー……。あの辺入り組んでいるからなぁ……。もしかして上厚駅から乗り換えようとしました?」
「はい! はいそうですわ! そこで気が付けば……!」
理解してくれたと分かるや否や、パァと明るい笑顔になった。
確かにあの辺は外国人……あるいは箱入りお嬢様には難易度が高いかもしれない。
間違えた理由が分かれば訂正も早い。俺は彼女と一緒に駅のホームへ向かい道を案内した。
「鳶原公園の近くですからね。鳶原駅で俺も降りますので、案内しますよ」
「トビハラ……? あ、それなら私も行ったことありますわ! ……え? もしかしてご近所……?」
「ご近所と言うか、鳶原公園の中に白神工芸資料館があるんです。資料館自体が小さいし、公園が大きいので分かりにくいかもですが」
「そんな……! ああもう! 情報をくださればいいのに!! なんで伝えないんですの畜生が!!」
何か聞こえた気がしたがスルーしておこう。割とわざとらしすぎる丁寧口調だが、もしやキャラを作ってるのだろうか。
まぁ上流階級っぽいし、色々あるんだろう。何でそんな人がこんな辺境の田舎に来ているのかわからないが、観光か何かだろうか。
鳶原公園の桜は日本でも有数の美麗さを誇ると聞くし、海外の人が来たことがあっても不思議ではない。
そう考えていた所、不意に痛い話題を斜め上から衝かれた。
「そういえば、知り合いに似ていると言われていましたね。
いったい、どのような方なのなのですか? 私興味があります!!」
「えっ! あー……えーっと。変な話ですが、夢で凄いよく似た他人を見た気がして、それでちょっと……と。
すいません。変ですよねぇこんなの。ハハハ……」
言ってから俺は激しく後悔した。
誤魔化すなり何なりいくらでも出来たろうに。
正直に話しても、明らかに引かれるのがオチである。
最悪、不審者かナンパ野郎として通報されるかもしれない。
「へぇ……。そう、ですか……。
──────そう言う事も、あるのですね」
……と考えていたが、彼女のリアクションは俺の予想と違っていた。
彼女は何処か興味深そうに、俺の顔を覗き込みながら、まるで観察するような視線を向けていた。