第17話 安寧への孤立
「なんで、そんな……?
四重人格……って事ですか!? 一体、何があって!?」
『落ち着け。確かに普通じゃないが、ロゴス能力を持つというのはそういう事だ。
普通じゃない力を持つ人間は、何かしら普通じゃない人生を歩む。
アイツの……ディアドラ・オルムステッドの場合は、それが極端に振れただけの話だ』
そう言ってレイヴンは、ディアドラのかつての人生について簡単に語り始めた。
曰く彼女は、最初こそ普通の家庭に生まれた普通の女の子だったらしい。
けれどある日、突如としてロゴス能力を使えることが判明して全てが変わったのだという。
子供の時は誰しも、"何でもできる"という幼児的な万能感を抱いているから、ロゴス能力が発現しやすいそうだ。
そしてそのロゴス能力を受け入れたまま成長すると、能力がある人生が当たり前になり、ロゴス能力者になるという。
だが、彼女の周囲の人間は、当然ながら能力を持っていない。
故に彼女はその"普通じゃない"在り方から、周囲の子供たちに迫害された。
親ですらも彼女を守る人はいなかった。そんな孤独の中で生き続け──────ある日、不慮の事故が起きた。
レイヴンは詳細を伏せたが、それで彼女の存在がR.S.E.L.機関に補足され、彼女は保護されたらしい。
そして、彼女の親やクラスメイトは、ディアドラ自身の希望で彼女に関する記憶を消されたという。
ディアドラはそれ以来、自分を拾ってくれた機関の為に気丈に振る舞い任務を熟しているが、当時のトラウマは彼女の精神に深い傷を残したというのだ。
『アイツは隠してるつもりなんだろうが……昔のディアドラは、それはもう酷い有様だった。
自分を"普通の人間"に見せたい。同時に本音を曝け出したい。もう嫌われたくないから、嫌われる前に他人を拒絶したい。けれど本音は、他人に離れてほしくない……。
二律背反とかじゃ済まない、様々な感情と欲求がアイツの中に同居した。そんな状況に適応するための、防衛機制……だったんだろうな。
結果、アイツは自分の"性格"を4つに分割させたんだ。心理学でいうペルソナが、より顕著になってしまったという感じだ』
「分割って……。そうなるまでに、どれほど彼女は苦しんだんですか……?」
『それはアイツにしか分からない。R.S.E.L.機関としても、出来得る限りのケアとサポートはした。
一応、アイツも心を開いた仲間はいる。アイツを拾い上げたエージェントとか、境遇が似通った同期とか、あとは俺とかな。
それでも心の傷って言うのはなかなか消えないものだからな。アイツの4つの仮面は、未だに無くならずに残っている』
「そう……だったんですか……」
その話を聞いて、俺は彼女の境遇を考えた。
ペルソナ、つまり「相手によって使い分ける顔」。それが別々の人格のように完全に分裂するなんて、考えたこともなかった。
どれだけ酷い過去を経験すれば、「顔」を4つにも分けることになるのだろうか。
周囲の人間だけじゃなく、親にも見捨てられた? そんな彼女の孤独と恐怖、俺なんかじゃ想像できないほどだったとしか考えられない。
誰にも頼れず、誰にも相談できない。ロゴスという異能を持つという事は、そういう孤独を抱える事なんだと突き付けられたような気がした。
『そんな境遇から救ってくれた機関に感謝している、ってのはありがたいんだが……。
その為に頑張りすぎているのがアイツの短所でもあるんだよな……。実績は確かにあるし実力もある。
ただやっぱり1人じゃ出来ない事もあるし、何よりあんな風に極端にペルソナを使い分けてたんじゃ、アイツ自身も生き辛いだろう……』
「…………そう、ですね……」
俺はディアドラの過去も知らずに協力を持ちかけた自分を恥じた。
俺は無意識のうちに彼女が1人で戦おうとしている事を"危ない"と思っていた。
だが実際の所、彼女は自分の意志で1人で戦う事を選んでいたんだ。
何故? そんな事、大勢の人間に拒絶されたという過去を考えれば、問うまでも無い。
そう考えて俺は、浅慮な俺の同情に自責の念を感じていた。
振り返れば、無責任な言葉だった。
何も知らずにかける同情は侮辱にもなり得ると深く反省した。
そう考えていると、レイヴンが俺に神妙な声色で語りかけた。
『そこでだ。出来ればで良いんだが、お前に頼みがある』
「何でしょうか?」
『これは強制じゃない。ただ……出来ればで良い。
お前も、ディアドラの心を許せる仲間に……言ってしまえば、友達になってくれないか?』
「────────────俺が、ですか?」
『ああ。お前が、だ』
俺なんかが? ディアドラの仲間──────友達に?
一瞬、何かの冗談かと思った。何も知らなかったとはいえ、彼女に失礼な言葉を投げた俺が?
俺にそんな資格があるのだろうか? 分からない。何か試されているのだろうか?
そう思っていると、レイヴンは言葉を続けた。
『ロゴス能力を使う上で最も重要な部分が、能力者の"意志"であるというのは聞いたか?』
「ええ、はい。ディアドラが話してくれました。"意志"を源流にして、世界を改変するのがロゴスだと」
『なら話は早い。今アイツは、自分の心を削って戦っていると言ってもいい。支えこそあるが、それでもいつ限界が来るか分からない。
だからお前に……アイツの傍にいてやれる仲間になってほしい。そう思っている。俺やアイツを拾ったエージェントと違い、年も近いしな』
「ま、待ってくださいよ! 何で……俺なんですか!? 俺は……ディアドラの事を何も知らなかった……!
そんな俺に、彼女の仲間になる資格なんて……!」
『これは俺の推定でしかないが──────。長年アイツを見ていれば自ずと見えてくることがある。
ディアドラという人間は、典型的な生真面目かつ仕事人間だ。機関への恩義で動いているのもあるだろう。
仕事に嘘はつかないし、私情も挟み込まない』
不安を隠せない俺であったが、レイヴンの語るディアドラの分析評には静かに耳を傾けた。
彼はディアドラの上司だ。少なくとも、俺なんかよりはずっと、彼女の事を理解しているだろう。
対して俺は彼女を何もわかっていない。……そうだ。そんな俺なんかより、彼女の"仲間"に見合う人間は大勢いるはずだ。
なのに──────。
『当然、今まで多くの醒遺物も回収してきた。
醒遺物の危険性や、それを悪用しようという人間も大勢見てきた。
そんなディアドラという人間が! 醒遺物を宿した人間に対して、《《処分の必要なし》》と判断を下した。
加えて、俺がアイツに"長久始を処分しろと言われた時、お前は出来るのか?"と問うた時、若干の迷いを見せた』
「………………それ、は………………」
『俺はディアドラがお前に、かつての境遇を重ねているんじゃないかと思っている。
状況こそ大分違うが……。"突然ロゴス能力を使えるようになった"という点で、何らかの同情を覚えたんじゃないか?
そんなお前なら……アイツの4つの仮面を砕く要員になれるんじゃないか……と思ってな』
「………………そう、ですか……」
ディアドラが俺に、自分の過去を重ねている?
有り得ない。俺みたいな人間が、彼女のような苦痛を経験した人間と同じわけがない。
そう俺は思ったのだが、ここは長年彼女と共に過ごした彼を信じる事とした。
安易に全てを否定する事も、相手にとって侮辱となるからだ。
「分かり、ました。俺に、出来る事は何ですか?
俺はまだ、ディアドラの事なにもわからなくて……」
『今後は監視任務の過程で顔を合わせる機会も多いだろう。
その中で会話をして、まずは打ち解けてほしい。"何も知らない"と言うが、少しずつ知っていけばいい。
初めから何でも知っている奴なんかいないんだ。神様じゃねぇんだから。自分も他人も、最初は何もわからない』
「……そう、ですね。ありがとうございます」
『こちらでも出来る限りのサポートはする。それぞれの仮面ごとの好みとかの情報はまた後々渡す。
すまない……。身勝手な頼みだとは思うが、どうか──────』
「大丈夫ですよ。俺も彼女とは、出来れば仲良くなりたいと思っていましたから。
それに、彼女に嫌われていたわけじゃないと分かって、少し安心しました」
『そうか……。そりゃよかった』
「ただ、彼女が俺に同情しているって予想が外れていた場合どうします?」
『え。そりゃあー……まぁ普通に友達になってあげて?
ほら、友達は多いに越した事はないだろう?』
ずっこけそうになる返事が返ってきた。まぁ……確かにそれはそうではあるが。
にしても、"意志"が重要になるロゴス能力者たちは友達などの人間関係で心のケアもしなくてはいけないのか。
ますます不便なものだと思うが、心のケアが重要になるのは何もロゴス能力だけではないか。結局人間の行動の根幹は心なのだから。
トラウマだとかそう言うのが簡単に消えるものではないというのは俺自身もわかっているが、それでもディアドラを支える人数が多い方が良いのは確かだ。
『まぁ、俺が言いたいのはそんなところだ。
そっちからは、何かあるか? と言っても、そんなつぶさに報告するような事無いか』
「ああそうだ。美術館に展示されている刀剣のリストと……あと、それぞれの簡単な出自とかまとめておきました」
『ほう、それはありがたい。こっちの人員は警備に集中して、内部の情報を得れずじまいだったからな』
「いえ……自分にできるのはこれぐらいなもので。写真に撮っているので、データを送りますね」
『分かった。……ふむ。童子切安納……妖怪を多数切り伏せた刀剣、ねぇ』
「他に情報が必要とあれば言ってください。美術館に知り合いがいますので」
『そいつぁ助かる。ただ、醒遺物を狙う連中にだけは気をつけてな。
お前はいつ能力が暴走するかも分からない。それを努々、忘れないように』
「ああそうだ。大事な事を忘れていた。その件なんですが──────」
俺が能力の制御の仕方を聞こうとした、その時だった。
通信の向こう側でアラートが鳴り響いた。通信越しでも慌ただしさが伝わってくるような感覚があった。
微かに白神工芸資料館がどうのだとか、ディアドラは何処にだとかと聞こえる。それだけで俺は、何が起きたのかを悟った。
「どうやら、聞いている時間はなさそうみたいですね」
『察しの通りだ。奴らが現れたようだ』
「まだ日も暮れてないって言うのに!?」
『なりふり構っていられなくなったんだろう。
俺たちはそちらにいるディアドラのサポートに回る。
長久始。君は家に戻っているんだ。また能力を暴走させたときは、もう擁護できなくなる』
「………………了解しました」
慌ただしい声色で、レイヴンは通話を切った。
俺も家に戻るべきか……。いや……、でも美術館にいるのは能力が使えない人たちだと確か言っていたっけ。
通信越しに漏れ聞こえた言葉を聞くに、おそらくディアドラはまだ別の所にいるのだろう。
一瞬だけ、駆け付けるべきか? という考えが脳裏をよぎる。
だが、すぐにそんな考えを振り払う。誰彼構わずに助けようとするのは自分の悪い癖だ。
ディアドラの件で嫌と言うほど思い知ったはずだ。何も考えずに助ける事は、侮辱にも繋がるって……!!
それに俺は力の制御も出来ていない。レイヴンも言っただろう。次に暴走すれば──────と。
それなのになんで俺は、ここまで素直に帰ろうとしないんだ?
助けるという行為に、まだ固執しているとでもいうのか?
まるで何かに両足を固定されているかのように、俺の身体は逃げようとしない。
それは例えるのならば、行動を司る意志と思考に由来する理性が、ぷっつりと切り離されたかのような──────。
そう考えている時、一陣の風が吹いたような気がした。
吹いた風の色は、見覚えのある黄金色だった。
いや、違う。それはたなびいた金髪の色だ。宝石のような瞳と、しなやかな細い手足。
見知った少女の姿が、俺の姿をその両目で捉えて静止する。
「──────ディアドラ……」
「……始、さん──────」
俺たち2人は、互いの両眼を見開いて、そして互いの名を呼び合った。




