第12話 平穏望むなれば剣を執れ
「がは……っ!!」
「こいつなかなか頑丈だな、ここまで殴っても血1つ出ねぇ」
「さすが隠れ潜んでいた機関の一員、それも破滅掌者だけあるってわけか」
「てめぇ……ら……!」
繁華街から少し距離を置いた路地裏。
俺は数人がかりの手で、殴る蹴るなどの暴行を一方的に受けていた。
大の男たちが高校生相手に、大人げないにもほどがある。だがそれは、そのままこいつらが俺に対して恐れている事を意味しているともとれた。
こいつらは昨夜、俺が"力"を手に入れる所を見ている。そして実際に逃げ出すまで至っている。
つまり俺が醒遺物の力を持っている事を理解し、それが脅威だと分かっているんだ。
多人数で無ければ負けると分かっているから、こんな大勢で囲っているわけだ。
「おっと、下手な動きはすんなよ。
能力発動の詠唱を唱えたりした瞬間、俺が仲間に連絡を入れる」
「お前この街の出身だろ? ここで雇ったガキどもに聞いたぜ?
なら、お父さんお母さんがいる街、守りたいよなぁ?」
俺を恐れている事は、この下衆な脅しから見ても明らかだった。
こんな汚い手を使ってまで、俺に力を使わせようとしない気なのか?
何処までも腐った奴だ。こいつら、この街そのものを人質代わりにしやがった……!!
奴らの人質作戦は不本意ではあるが非常に功を奏し、俺は抵抗する事も出来ずただサンドバッグと化すしかなかった。
下卑た笑い声が響いて、俺の腹部に鈍い痛みが走る。
普通なら失神しているだろう、本気のボディーブロー。
だが今は、不思議と痛みが軽減されている。多分、俺に宿った力の恩恵なのだろう。
宿った力は消えていない。それは良い。ただ問題が複数あった。
まず何より、街そのものを人質にされている事。
目の前の男の連絡手段を絶つか、あるいは"機関"に連絡をして助けを呼ぶかが出来れば、これはクリアできる。
だが今の俺は、携帯を取り出す隙すら見出せずにいる。このままでは連絡を絶つ事は出来ない。
次に、俺が機関の監視下にある上に、持つ力の詳細が不明瞭な事だ。
奴らが仲間に連絡をするより早く奴を倒せば脅しは意味を成さない。
そう言う意味では、力を開放して瞬時の内にこいつらをぶちのめせば簡単に事は済むだろう。
だが得体の知れない力を、こんな街中で使う訳にはいかない。俺は世界を滅ぼしかねない、破滅掌者という存在なんだ。下手に力は使えない。
そう考え俺は、自分の何もできない無力さに再び歯噛みした。
あと残された、助けが来る可能性といえば──────……っ!
「ああ、誰かが来る可能性なんざ、期待すんなよ?」
「今さっき俺たちが、ロゴス能力で周囲一帯の認識を弄ったからな。
もう誰もここに気付く奴はいない。道端の石ころみたいに、誰もここを無意識に見ない」
「────────────ッ!!」
「ビビったかぁ? 俺はそう言うのが昔っから得意なんだよォ!!」
目を見開いた俺の頬に、男の拳がクリティカルな角度でヒットした。
"力"に守られている状態でも口の中が切れて血が噴き出た。もし普通の状態だったら、顎の骨がイカれてたかもしれない。
そのまま男は続けて、まるで苛立ちをそのままぶつけるかのように、その握り締めた拳を俺の頭部に連続でぶつけた。
「テメェがいなきゃ俺たちはお目当ての醒遺物を手に入れられたのによォ!!
ふざけやがって! ふざけやがって! あの監視システム誤魔化すのどれだけ大変だったと思ってんだガキャあ!!」
「ぐっ……! 良いのかよ……そんな騒いで……げふっ! 誰かに、知られ──────がはっ!」
「お前人の話聞いてねぇなぁ? 俺がロゴスを使って誤魔化したっつったろうがァ!」
「そう、か……」
「なら、良かった」
{“汝、己が信仰を地と説くなれば、我は吹き荒ぶ疾風となりて、その地より生まれし富を風へと帰さん”!!}
「な──────っ!? 馬鹿な……何でここが!!?」
声が響き、路地裏を突風が吹き抜けた。
同時に男の持っていた携帯が、風に吹かれて地面に叩きつけられる。ついで周囲の男たちが懐に仕込んでいた、刃物などの類が錆びついていき"風化"する。
響いたのは、聞き覚えのある女性の高い声の詠唱だった。その肥えの響いた方向を向いて、俺は知った名前を呼ぶ。
「ディアドラ……!」
「甘い隠蔽能力でしたわね。人間の無意識は弄れても、機械の反応は弄れないと見ましたわ」
「なんで──────!? まさか携帯電波……いや違う。GPSか!?」
「どっちも不正解だ!!」
狼狽える男の隙をつき、顎を蹴り上げてから距離を取る。
こいつらは俺を機関の一員と考えていた。おそらくあの夜の美術館にいた事と、ディアドラが機関の一員であるという情報から、俺もそうだと考えたのだろう。
確かにその推察は自然なものだ。問題は俺が、どちらかと言うと機関の一員というより、機関に監視される立場であったという事だ。
今の俺には監視のための発信機が付いている。
こいつはロゴス能力の使用を察知できる機能があるとレイヴンは言っていた。
詳しい仕様はよくわかっていないが、至近距離でチンピラが使用した能力を感知するなんて言うのは朝飯前のはずだ。
俺はそれに賭けた。目の前の男たちはロゴスを扱う。そして俺に対して……あるいは周囲を欺く為に、何らかの能力を使うと。
その予想は見事に的中し、こうしてディアドラという援軍を呼ぶことに成功したのだ。
「ありがとうディアドラ! 助かった!」
「どういたしまして。しかし、なぜ貴方はここにいるのですか!?
確かに外出までは禁じなかったのはこちらではありますが!」
「ごめん!! それはちょっと、話せば長くなるんだけど……!」
「と、とにかくお逃げください!! ここは私たちが──────!!」
「逃がすわきゃねぇだろうがァ!」
お礼を言おうとしたが、叱られてしまった。
確かに彼女の言う通り、家でじっとしていればよかった。
言われるがままに彼女に言われるがまま逃げようとした瞬間、即座に唇ピアスの男が立ち上がって叫んだ。
顎蹴られて普通すぐに立てるか……!? 蹴りが浅かったのか、あるいは普通にタフなだけなのか……。
どうすれば逃げられるか。そう悩んでいると、男は懐から再び携帯電話を取り出していた。
「──────っ!! マジかよ!?」
「女の力は昨日見せてもらってるからなァ! 対策してねぇとでも思ったかァ!?」
「ディアドラ!! 奴に連絡させるとまずい!! 今の風をもう一度……!!」
「おせぇ!! 誰彼構わずぶっ壊させてやるぜぇ!!」
まずい。どうすれば。このままじゃ町が……!
どう止めれば良い。何をすれば──────そんな疑問符と困惑が頭の中を乱舞する。
奴が待機させている奴らの数はどれほどだ? 10? 20? あるいはもっと? そんな数の連中が一斉にこの街で暴れたら?
竹内のおじさんに斎藤さん、白神館長に、それに姉ちゃんも、無事で済むのか?
そもそも暴れるって何をする気だ?
強盗? 暴漢? まさか────────────放火?
『はなしてよ!! おとうさんとおかあさんが、まだなかにいるんだ!!』
奴らが行うかもしれない蛮行を想像し、嫌な記憶が蘇る。
瞬間、俺の中に湧き上がるのは、彼らを止めなくちゃならないという怒りと"義務感"だった。
ふざけるな。そんな事させるものか。絶対にさせない。動け。動け俺の身体。奴の通話を止めるんだ──────!!
けど俺の感覚に身体は付いていかない。思考は、心は、脳は、こんなにも"止めろ"と叫んでいるのに、身体がそれに追い付かない。
こうしている間にも、男の指が通話ボタンに差し掛かって──────。
「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
『それこそが"意志"。しかと受け取った』
脳裏に、機械的な声が響いたような気がした。
その瞬間を境に、俺の意志はぷっつりと途切れて、暗闇の奥に沈んでいった。
◆
ぱきゃ、と軽い音がした。
唇にピアスを付けた男は、そんな音を気にせずに、街中に潜ませた部下たち────洗脳したこの街の不良たちに連絡を入れようとした。
下す命令はたった1つ。この街をぶち壊せ。その混乱に乗じて美術館内にある醒遺物を、金目の物と一緒に盗み出して依頼主に届けようという魂胆だった。
だがしかし、通話ボタンを押そうとした間一髪。その計画は潰される事となる。
男の携帯電話は、ビルの壁面に叩きつけられて粉々になっていた。
それだけではない。携帯電話を持っていた彼の腕もまた、圧し折れて明後日の方向に曲がっていた。
「あ? へ? なにこれ?
え……? なんだ? お前……?」
「始、さん……?」
「────────────。」
男とディアドラが、揃って視線を向ける。そこに立っていたのは、長久始だった。
だがその表情に生気はない。まるで機械か何かのような、全くの無表情だった。
それは見る者全てに対して本能的な死の恐怖を覚えさせる、奇妙な空気を纏っている。
更に奇怪なのが、その全身から放たれるオーラであった。銀色に輝いて見える。比喩ではなく、正しく視覚的な意味で。
その全体的な様相が、今まで様々なロゴス能力を見てきたディアドラや、多くの醒遺物を奪ってきた強盗達。
彼ら双方に対して得体の知れない恐怖という物を直感させていた。
「あ、ああああああああああああああ!!
腕が!? お、俺の腕がああああああああ!!?」
「テメェ……! クソガキ舐めやがって!!」
「待て! こうなったら大人しく引けって頭が……!!」
肉体的な痛みの前と、得体の知れない物への恐怖が重なり、本能が叫び声をあげる。
それを皮切りに、強盗達は拳を握り締めて長久始へ向かう。だがそれらは無意味な事だった。
彼らの渾身の拳が、長久始の肉体に当たると同時に、粉々に骨が砕け散った。
まるで分厚い鉄の壁を殴ったかのように、彼らの拳は見るも無残な形状へと成れ果てた。
隠し持っていたナイフを取り出して、背中から突き刺そうとしたものもいた。だが、長久始はそれを振り向く事も無く迎撃した。
ナイフを取り出した男は、その瞬間に腕の骨がめきりと音を立てて軋み、捻じ曲がった。
何が起きたのかもわからず、ただ男たちはその痛みに絶叫するしか出来ずにいた。
「ひ……ひぃぃぃ!! か、海東の旦那から聞いてねぇぞ!!
こ、こんなバケモンが相手だなんて……! お、俺は降りる!! 降りるからぁぁあああ!!」
「これが……始さんの宿した、醒遺物の力……。始さんの"意志"を元に自律状態で稼働している……?
それにしてもおかしいです……。こんなにも純粋に、力"だけ"の醒遺物がある筈なんて──────」
辛うじて長久始の攻撃を受けなかった強盗の一員が、腰を抜かしながら路地裏から逃げ出す。
それを横目に、ディアドラは目の前で行使されている醒遺物の力を観察し、冷静に分析する。
本来ならばR.S.E.L.機関に連絡するべき事態であろう。だが、そんな責務すらも忘れるほどの圧倒的な神秘さがそこにはあった。
銀色のオーラを放つ長久始の姿は、まるで数千年の時を経た神像のようであった。いや、それは比喩ではなく、そういった神秘的存在が彼に憑依しているのか。
はたまた別の何かなのか。あるいは──────そう考察を頭の中で整理している時、それは起きた。
ぐるり、と。
長久始の両の眼が、ディアドラを捉えた。
「──────ッ!!!」
それはまるで、次の獲物を求める獣のように。
あるいは、玩具が壊れてしまったから外へと赴く子供のように。
強盗達を地へ伏せさせた長久始は──────、否、長久始に宿ったナニカは、"次"を求めてディアドラへと向かった。
文字通り、目にも留まらぬ速さだった。まるでその肉体そのものを空気抵抗の存在しない概念へと転じさせたかのような、瞬間的な移動だった。
気が付いた時には、"それ"はディアドラの目の前に立っていた。
このままだと、死ぬ。
そんな直感的な恐怖が、ディアドラの全身を突き抜けるように襲った。
彼女は反応して動く事も出来ずに、ただ恐怖するしか出来ずにいた。




