第11話 群盲、象を評す
「おーい! 待ってくれディアドラ!」
「何ですか……? まだ何か、私に用件でも?」
「醒遺物強奪犯探しなんだけどさ……。
俺にも何か手伝えること、ないかな?」
「──────はい?」
俺たちから距離を置いたディアドラに走って追い付く。
どこか急ぐような足取りの彼女を止めたのは若干申し訳なく思う。確かに現状は彼女にとって、一刻を争う事態かもしれない。
だからこそ俺は、何か彼女を……ひいてはR.S.E.L.機関を手助けしたい。俺のせいで仕事を増やしたようなもんなんだから、そうするのが礼儀だと考えた。
そう説明すると、ディアドラは本気で疑問符を浮かべるような声をあげた。
「あのですねぇ……。貴方に宿った能力は未知数なのですよ?
そんな破滅掌者を、迂闊に事態に巻き込めるとお思いですか!?
能力が暴発などしたらどうするのです!」
「能力を使う気なんて無い! ただちょっと……、情報収集とか、手伝えたらなって……」
「結構です! 貴方は大人しくしていてください! 貴方が処分保留の身である事をお忘れなく!」
「で、でも……! 君1人であんな奴らとまた戦うんだろ!? 他の能力使える奴らは、まだ来るの先だって言うし……。
だったら、俺みたいな奴でも何か協力出来たら……って思って──────」
「何故、そこまで助けようと気にかけるのですか?
もしや、私に同情でもしているのですか?」
「ッ……!」
空気が変わった様な気がした。
ピンと空気が張り詰めるような、得体の知れない圧がディアドラから放たれるような気配。
肺が圧迫されて息が上手く吸えない、そんな錯覚に陥るような感覚。それがディアドラの視線から感じられた。
──────まずい。怒らせてしまっただろうか?
「貴方のような殿方に同情される程、私は弱くありません!!
他のロゴス能力者が此処に来なくとも……! 私1人でやってみせます!
そもそも、貴方に何が分かるというのですか!?」
「そう……か……。ごめん。何もわからないのに、口出して……」
……そうだ。彼女の言う通り、俺は何も知らない。
彼女たちの事情も、俺自身の持つ力も、何もかも。
知らないのに、力になれるのではと独善的な思い込みで声をかけた。
それを"同情"と彼女は言った。
否定しようとしたが、言われてみれば確かに、心のどこかではそう考えていたのかもしれない。
1人で行動しようとする彼女に対して、俺は身勝手にも同情していたのか?
そう思うと俺は、何も否定することができなかった。
「まぁ、お気持ちはありがたく受け取りますが……。
それでも、貴方と私には立場という物があります、から……。その……」
「良いんだ……。気を遣わなくても。俺が間違っていた」
「そ、そんな事を言わないでくださいまし。間違っていただなんて……。
貴方のその言葉は……ええと……うぅーん……」
ディアドラの表情から怒気が消え、穏やかな物へと戻っていく。
そのまま表情を曇らせるかのように少し眉を下げたと思うと、目を背けながら言葉を続けた。
どこか後悔するかのような、そんな感情が見え隠れする声色であった。
「と、とにかく。本当に、くれぐれもおかしな行動はとらないように。
今日は美術館周辺には近寄らないことをおすすめ致します。
それが私たちにとっても、一番の協力行為になりますので」
「分かった。そっちがそう言うなら、言うとおりにするよ」
「ありがとうございます。それでは私はこれで、失礼します」
そう言って去っていく彼女の背中が、ひどく寂しいものに見えた。
もしかしたらこの感情も、俺の独善的な思い込みなのかもしれない。そう思うと嫌な気持ちがこみ上げてきた。
何も出来ずにいるもどかしさや、力を得れたのに誰も助けらない無力さ。そして何よりも、独善的とも言える感情を抱いていた事への自己嫌悪。
そんなやり場のない感情たちが、俺の胸の内側に凝り固まり、そして緩やかに俺を締め付ける。
「何やってんだ……俺は……。
冷静になれば向こうの方が何倍もプロなのは分かってるのに……。
どうしていつも俺は──────」
誰に言うでもなく、俺は吐き捨てるように呟く。
自分が恥ずかしく思う。そうだ。自分は今は本当なら処分されるような立場にいるんだ。
なのにどうして自分から関わろうとしたんだ。そう考えながら、あてもなく歩き続ける。
姉に対して『やるべきことが出来た』とまで啖呵を切った手前もあり、俺は家に帰る事も出来ずに繁華街をうろついていた。
まぁ……思春期ならではのつまらない意地と言うか、見栄と言う奴である。
どうか笑わないでいてくれると、非常にありがたい。
「しかしどうするか……。
何もしないってのも気分悪いし……かと言って俺に何ができるわけでもないしな……」
『何故、そこまで助けようと気にかけるのですか?』
当てもなく歩きながら、ディアドラの投げかけた疑問が脳内で繰り返される。
何故──────と問われても、詫びの気持ちなのか、あるいは同情なのか?
思考が堂々巡りする。反復思考を続けても、負の感情が残響するだけだ。
後悔し過ぎるのもまた、俺の悪い癖である。
なぜこうなったのかと客観的に分析する前に、やってしまったと頭を抱えて思考がループしてしまう。
こんな事に意味がないと分かってはいるのだが、それでも手持ち無沙汰に何もやる事が無いと、色々と過去の事が後悔として襲い掛かって来る。
そんな俺の気も知らず、街を歩いていると今まで俺が手助けしたり、手伝ったりした街の人たちのあいさつが飛び交ってきた。
「おはよう始くん。今日はなんだか元気ないかい? ほれ、飴ちゃんあげるよ」
「あー竹中のおじさん。いや、別にそんな事ぁありませんよ。でも、ありがとうございます」
「そうかい、まぁーなんかあったら相談してくれなー」
「よう長久の坊主。この前のかんな作業手伝い、またお願いできねぇかな?」
「あー、来週でもいいです? 今日ちょっと、やる用事入ってて」
「おう! いつでもいいぜ!」
心の中でふと思う。こうやって皆に可愛がられてるのも、俺が色々と他人を助けてきたからだと。
何故そこまで他人を助けようとするのか? ディアドラの投げかけた問いかけが再び俺の中にリフレインする。
何度も繰り返される後悔を振り払う為にも、俺はこれを機に自分の手助け癖とでも言うべきものの根幹を振り返る事とした。
基本的に俺は、他人に同情し過ぎるきらいがあると自分でも思う。
誰かが苦労していたら自分でも苦しく感じるし、誰かが悲しんでいたら俺も悲しく思う。
恐らく今回に関しても、ディアドラが1人で戦おうとしているその姿に、どこか思う所があったのだろう。
辛いのではないか? 寂しいのではないか? そんな思いが勝手に暴走して、独り善がりの同情に繋がったのだ。
「──────のめり込み過ぎ、かぁ。確かにそうかもなぁ」
そう考える中で自然と、一昨日の夜に姉に指摘された言葉が自然と反芻される。
確かに俺は、"誰かを助ける"と言う行為の際、その人の立場や感情に勝手にのめり込む悪癖があるかもしれない。
そして誰彼構わず助けようとする。今までだったら相手の力量を見たり、自分にできない事だと判断したら即座に引くことを覚えていた。
だが今の俺には力がある。そのせいで立ち止まるべき限界を考えずに、ディアドラに過度な同情を抱いたのではないか……と自己分析した。
何でそこまで俺は……と、その根幹を辿り振り返る。脳裏に浮かぶのは、幼少期の1つのトラウマ。
あれで俺は無力感を知ったし、人は簡単に死ぬと知った。だから、俺は──────。
「オイお前。昨日美術館にいたガキだな?」
「…………っ!? マジか──────」
「ちょっと来い」
急に通りすがった男に肩を掴まれたと思うと、抵抗する隙も無く引きづられた。
唇に刺さっている、下品とも言える3つの華美な装飾のピアスと、長めの金髪……。見知った顔だった。
昨夜に美術館で襲ってきた強盗達の……確か、ロゴス能力を使っていた奴の1人。
操った不良たちに指示を出している姿も見たから、恐らくリーダー格の奴だろう。
迂闊だった……。まだ街にこいつらが潜伏している可能性も考慮するべきだった!
さっさと家に帰るべきだったと俺は激しく後悔しながら、俺は路地裏へと連れていかれた。
◆
「手伝えることがあるか、ですか。
全く、まだペーペーの初心者だというのに、無茶言うんですから」
繁華街を歩きながらディアドラは、先の始の言葉を振り返るように呟いていた。
その表情は、どこか微笑んでいるようにも見えた。長久始の未熟さを笑うと言う意味もあるが、それ以外の理由が彼女にはあった。
単純に、長久始という少年が自分を気にかけてくれたのが嬉しかったのだ。だがその事実は、彼女自身ですら気付いていない。
だが彼女は自分の表情が無意識に微笑んでいると気付くと、緩む頬を引き締めるべき軽く叩き、そして首を横に振って自分の中にある長久始への甘さを振り払った。
「(な、何を笑っているんですか私は!!
油断してはいけませんよディアドラ! ここは私1人でやらなくてはならない正念場です!
甘さは捨てなさい! 彼に対する情も……!!)」
「私を拾っていただいた、機関の為ですから……!」
息をゆっくりと吐きながら、ディアドラは己の心を整える。
そして自分に言い聞かせるかのように、"機関"の為である事を強調して声に出した。
何故か? それは機関の存在が、今の彼女の生きる意味だからに他ならない。
彼女はロゴス能力を扱えるまま成長し、そして思春期を迎えた。
元々人間は全てロゴス能力を扱える。ただ"常識"などを知ってそういった超常能力を無意識のうちに否定し、使えなくなっていく。
だが例外的に、そう言った能力を失わないままに成長する人間がいる。彼女もまたそういったケースだった。
ロゴス能力を扱えるという事は、世間一般の常識から"外れている"という事を意味する。
結果として彼女は、周囲から疎ましく扱われ、その心に小さくない傷を負った。そんな彼女を保護したのが、R.S.E.L.機関であった。
居場所のなかった彼女を、R.S.E.L.機関は暖かく迎え入れてくれた。初めての居場所だった。
だからこそ彼女は、組織の為にその身命を捧げると誓った。
だが居場所を得ても、心の傷が癒えるわけではない。
多くの人に拒絶され、疎まれ、恐怖された過去は彼女の人格形成にも影響を与えた。
故に彼女は、誰かと関わる事を良しとせず、心を許さずに1人で全てを解決しようとする。
例外的に、一部のR.S.E.L.機関直属の上司や幹部の身に心を許しているのが現状だ。
だからこそ、誰かに協力を打診されるという行為自体、初めての経験だった。何故なら任務はずっと1人だったから。
仄かな嬉しさがあった。初めて経験するような温かさがあった。だが彼女はそれを拒絶した。
始の能力が得体の知れないものであるという理由もあるが、それ以上に、彼女は怖かったのだ。
誰かと協力しても、すぐに離れていくのではないかと。
「(私1人でもやれる、やれるのです……。
それに、彼はまだ能力が何なのかもわかっていませんし……!
そんな彼を付き添わせるなど、以ての外で──────。
いえ何を考えているんですか私! 彼はあくまで観測対象……同情など不要、不要なのです……!)」
そう考えていた直後の出来事だった。
彼女の通信端末が警報のようなアラームをけたたましく鳴り響かせた。
驚きながらもディアドラは懐から通信端末を取り出し、その画面を見る。
するとそこにはこう書かれていた。『破滅掌者006の付近で、ロゴス能力行使の反応あり。急行せよ』と。
破滅掌者006とは、即ち長久始の事だ。
「まさか彼が──────!? いえ、違う……。
彼自身の能力行使だったらこんな表示は……ではまさか!!」
彼女はすぐに事実を悟り、反応のある地点へ向かって走り出した。
観察対象自身が能力を行使すれば、そのように表示される。ならばこれはどういう意味か?
可能性があるとしたらそれは1つ。ロゴス能力を持つ人間が、長久始に対して何らかの危害を加えようとしている事に他ならない。
ならばそれは誰か? ディアドラはすぐにその候補に思い当たった。
「彼らの下劣さを考慮できなかった私の責任です……!!
まさか、ターゲットとなる醒遺物より先に始さんを狙うなんて!
──────死なないでください始さん!!」




