第10話 疑惑
「始、大丈夫? 足を挫いたって聞いたけど……」
「大丈夫だよ姉ちゃん。とりあえずもう治ったからさ」
「けど歩けないぐらいって聞いてたから、てっきり骨でも折ったのかって……。
手当までしてもらったって聞いたけどお礼言った? 迷惑かけてない?」
「分かってるよ。大丈夫。お礼も言ったし、迷惑もかけてないよ」
実は特大の迷惑事案を生んでしまいました、なんて口が裂けても言えない。
ホテルの一室でのディアドラとレイヴンの2人との会話が終わり、俺は解放された。
はめられていた手錠も一旦は外され、一種の保護観察処分という状態に収まった。
今俺の首の後ろには発信機の一種が取り付けられている。
自分や周囲のロゴス能力の使用に反応する仕掛けが施されている……らしい。
「細かい行動まではわからないから、プライバシー侵害にはならない。だから安心しろ」とはレイヴンの言葉だ。
また、一応定時連絡もしたいという事で番号交換も行った。……監視対象と言う割には、随分と軽いノリだ。
まだ美術館に残っている醒遺物に関しては、今夜から調査員が入り警護兼調査を行うそうだ。
本来醒遺物探しは、その覚醒の予兆を察知したR.S.E.L.機関所属の予知能力者たちによりある程度目星が付く。
だが今回に限っては『剣』という形状しかわからなかったそうだ。そのため機関のエージェントを派遣し、何が対象なのかを探るらしい。
ディアドラはそれを聞いて、「自分1人でもやれる」と強い口調で言っていたが、状況を鑑みての判断だとレイヴンは反論した。
思ったよりもロゴス能力というのは不便な物なんだな、と俺は思った。
そして何より、当面の問題は醒遺物の強奪を企てる連中だ。
昨夜俺たちを襲撃した連中はただ雇われただけの下部組織で、首謀者は他にいるらしい。ディアドラはその首謀者と思しきロゴス能力者に出会ったと言う。
『人間災害』と彼女が口にしただけで、レイヴンは眉間を抑えてため息をついていた。名前の知られたやばいやつなのだろうか?
とにかく俺としては一刻も早く事件が終わってほしい。姉の勤め先でもあるのだから尚更だ。
だがレイヴン曰く、他任務を終えた追加の能力者たちがこちらへ向かっているらしい。
ならばと安堵を覚えつつ、俺は一夜ぶりに姉と再会している今に至る。
「幸い、浅い怪我で良かったですわ。
私でも出来る手当で、歩けるようになってくださいましたから」
「貴方が始を助けてくれた子ね? 本当にありがとうございます。
前々からホントーにうちの弟はせっかちで怪我しやすくて……!
それにお人好しで、すぐに考えなしに誰かを助けようとするからもうすぐに怪我するんですよー」
「あー確かに。……じゃなかった。いえそんな……。
お礼を言われる程じゃありませんわ」
「外国の方かしら? 日本語お上手なんですねぇ。
肌も髪もすっごい奇麗……。羨ましいわぁ」
「は、はぁ……ありがとうございます」
ディアドラがしどろもどろになる横で、俺は姉の言葉に何も言い返せずにいた。
確かに……目の前にある力が何なのか分からないままに手を出すのは、せっかちと言えるかもしれない。
いや、どちらかと言うと考え無しか? 浅慮と言うべきか、あるいは……などと考え続け、自分がドンドン惨めになる。
考えるのはやめよう。ひとまず今は無事に家族と再会できて家に帰れる事を喜ぶか。
「肌とかすっごーい! 陶器みたいにきれーい!
髪も凄いきめ細やかー! 絹細工? いや天然ものだわ……。
もう爪とかも凄い! これ宝石!? マニキュアとか無しでこれ!? すごーい!」
「あ……あはは。ありがとうございますわ」
「なんか……偉い興奮してるな……。
国立博物館で見た以来だな、あんな姉ちゃん」
久方ぶりに見る姉のエキサイティングに、俺はディアドラとお揃いの引き攣った笑みを浮かべる。
姉は昔から自分のお洒落には無頓着の癖に、他人の美しい点を見る……いわゆる審美眼がある人だった。
多分、自分よりも他人を奇麗に見せる感覚に長じているのだろう。学芸員になったのも、割かし似通った理由だと昔聞いた。
古美術品や遺跡などが持つ"美しさ"に魅せられ、それをより美しく保存したいと思ったのがきっかけだったんだとか。
そう言う意味では、人形みたいな美しさを持つディアドラと、姉は相性がいいのかもしれない。
「あ……ごめんなさい、つい見蕩れちゃった。
自己紹介がまだなのにとんだ御無礼を……。私、長久詩遠と申します。お見知りおきを」
「ディアドラと申します。始さんとはつい先日知り合ったばかりですが、人の好さはすぐに分かりましたわ」
「そーぅ? ただ無鉄砲なだけじゃない? どうせ怪我も、誰かを無理に助けようとしたんじゃないの?
まぁ、そこが始の良い所なんだけれどね。ただ行きすぎたりするのが玉にきずなのよねぇ。ねぇ始?」
「ノーコメントで」
「あはははははは……。あっ、すいません失礼します」
否定しようにもしきれない、と言うような曖昧な笑みを返すディアドラだったが、鳴り響いた電話に気付くと俺たちから少し距離を取って応対した。
多分、R.S.E.L.機関からの通信だろう。となれば、向こうに気が向かないように姉を引き付けるべきか。
そう結論付けて俺は、姉に対して別の話題を振る事で彼女の気をディアドラから逸らす事にした。
◆
『話してみて、様子はどうだ?』
「問題はない……と思われます。ただ、まだ心理透過などは行っていないため、なんとも……」
『分かっている。ただ能力以前の第一印象でも分かるもんはあるからな。念のため聞いただけだ』
『長久始、あるいはその周囲の人物が、醒遺物を狙う能力者である可能性は、まだ捨てきれていないんだからな』
通話の向こう側の声──────レイヴンは緊張感のある声でディアドラに語った。
始には明かしていないが、彼らR.S.E.L.機関は現在、始を『自らを学生と偽り街に潜入したロゴス能力者』と疑っている。
理由としては、2日前の夜にディアドラがこの街に潜入した"人間災害"……此度の醒遺物強奪事件の首謀者と交戦した時に遡る。
その際にディアドラは、偶然から交戦を長久始に目撃され、「今見た物は夢である」と信じ、そして忘れるような暗示を施した。
にも拘らず始はその夢(と思い込んでいた内容)を鮮明に覚えており、忘却することはなかった。
これをレイヴンは、「すでにロゴス能力の存在を知っていたからではないか」と判断したのだ。
しかし──────。
「やはり……私は、彼が能力者ではないと考えます」
『確かにそうかもしれない。通話越しでも分かるぐらい、奴は何も知らなかった。
明かした情報も、ロゴス能力の存在を知る人間なら確実に知っているであろう初歩段階のものだけだ。
にも拘らず奴は何も知らないといった顔をしていた。演技だったら大したものだが、ありゃ何も知らないだろう』
「他の幹部やチームの方々への報告などは─────────」
『依然として止めてはいる。現状知られた様子なども無い。
急進派閥とかに知られたら面倒だしな。こっから先も、俺らだけで判断するぞ
その為にもお前の判断が重要になって来るが、大丈夫か?』
「………………わかりました」
通話越しに承諾の言葉を返しながらも、ディアドラは悩んでいた。
彼を──────長久始を信じるべきか、あるいは機関の意向に従うべきか。
正直な本音を言うならば、彼女自身も始を信じたいという気持ちはあった。だが同時に、信じていいのかとも考える。
自分を助けてくれたことは感謝しているが、それ以上に彼の真意や、得た力の詳細が分からない。それが彼女を不安に掻き立てていた。
だからこそ彼女は、始をこの場に留まらせてはならないという結論を提案していたのだが──────。
「ただ、やはり私は、彼を何らかの手段で隔離するべきだと思います。
この街の平和に関してもそうですし、何より彼は力の扱い方を知りません。
暴走や……あるいは人間災害を始めとした者たちに狙われるでもしたら!」
『それは、機関のエージェントとしての提案か? それとも──────長久始への同情か?』
「………………ッ!」
『別にそう構えなくてもいい。まぁ人としての心を捨てないでいるのは結構だが……。
それでもだ。最悪の場合、お前があの少年を殺せとなった場合……出来るのか?』
「…………。はい。私は機関に拾っていただいた身ですから、全ては機関の意志のままに」
『建前じゃなくて、本音を話してもいいんだぞ。俺は誰にも言わないから』
「ご心配ありがとうございます。大丈夫ですから。私は」
『──────分かった。何かあればまた連絡する』
「了解しました」
通話を切り、ディアドラは迷っていた自分に喝を入れるかのように頬を叩いた。
そして自分に言い聞かせる。情に流されてはいけない、"意志"を強く持たなければ飲まれるだけだ、と。
何度も何度も心の中で繰り返しながら、彼女は自分の揺らぐ心を引き締めた。
「私1人でもやれる……。やって見せる。
そうでなくちゃ、R.S.E.L.機関に申し訳が立たない……!!」
決意を新たにして歩む先では、始を心配する詩遠と、そんな彼女に真摯に謝罪する始の姿があった。
もし彼が本当に何も知らない一般人ならば、自分はとんでもない事をしたのではないか。彼をこちら側に引き込んだのは自分なのではないか? という罪悪感が浮かぶ。
だが、彼女はそんな感情を捨て去り、R.S.E.L.機関のエージェントとして仕事を遂行するべく意志を固めるのだった。
◆
「お待たせしました。急に離れてしまい申し訳ありません……」
「良いのよー。忙しいだろうに引き止めちゃってごめんねー。もし機会があれば、また会いましょうね」
「ええ。ありがとうございます。もしその時はお茶でも……」
「うん。楽しみにしてるわね」
「では私は、これで」
通信から帰ってきたディアドラは、短い挨拶を姉と交わして去っていった。
この後彼女は、街に潜んでいると思われる醒遺物強奪犯を探すべく1人で街を探るのだろう。
俺の監視は発信機と定期連絡があるから、彼女は強奪犯の確保と醒遺物保護に専念する、というのが今後の方針だった。
現状は他のロゴス能力者も来るまでに時間がかかる為、彼女1人で捜索する事となるらしい。
たった1人で大勢を相手取ろうと歩む彼女の後姿は、どこか寂し気に見えた。
──────何か、俺にもできる事があるんじゃないか?
そんな考えが、ふと脳裏をよぎった様な気がした。
「さて、始はこれからどうする?
土曜日だし、お姉ちゃんとショッピングにでも行く?」
「あー……そう、だな……。ごめん姉ちゃん、俺ちょっと、やる事が出来た」
「ふぅん? まぁ別にいいけど。お昼は?」
「こっちで食うよ。心配しないで」
「良いよー。行ってらっしゃい」
そう言って俺は、ディアドラが向かった道と同じ方向を走りだした。
今の俺は、詳細不明の醒遺物の力を意図せずして持ってしまっている。
ここまで話が拗れたのは、少なからず俺にも原因があるという責任があった。
その責任感からなのか、俺は彼女の……ひいてはR.S.E.L.機関の力になりたいという思いがあった。
今にして思えば傲慢だったかもしれない。ただこの時は……何もせずに行動しないのは、卑怯なんじゃないかという感情があった。




