初陣
かもめーがとんだー
試合前はいつも緊張する。大事な試合じゃなくても、練習試合でも、部内戦でも、同じように緊張する。私は清光学園の高校1年である高野かもめだ。「たかの」とよく間違えられるが「こうの」と読む。私の通う清光学園は「中高一貫校」であって、私たちは中等部のころから高等部の練習についていったりしていた。だから、それなりに「私たち」は強いはずなのだ。他の学校の人達よりももっと前から高校レベルの練習をしてきたわけだし、高校剣道のレベルがどんなものなのかも何と無くだが知っている。それに実際、清光学園剣道部は神奈川県内でみてもベスト8には入るであろう強豪校であって、本日開催される市内規模の大会は常勝できるレベルに強いことは先輩や先生方の話から発覚している。つまり、「負け」は「恥じ」という事だ。そのせいで緊張してしまうというのはただの言い訳になってしまうが、プレッシャーとしては十分の機能を果たしていると思う。
今日の大会は午前の部と午後の部の2部構成であり、午前中に個人戦、午後には団体戦が控えている。個人戦も団体戦もトーナメント方式であり、軽い気持ちで対戦表を覗いた。私の1回戦目の相手は「麻倉御鈴」。平田高校の人だった。平田高校は県立高校だがそれなりにやる学校だということは知っている。特に2年生の梶本さんが「私たち」がいる中で個人戦にて優勝した経験があることは先輩方から教えてもらった。その時は先生に説教されたのち厳しい練習を課される結果となってしまったらしい。それでも今日の大会で梶本さんに勝てるかと言ったら微妙なラインだと先輩は言っていた。ただ、その梶本さんが強いだけで平田高校は県立高校だということもあって、清光学園の格下校であるのは間違いじゃない。つまり、相手が誰であろうと負けることは許されないのだ。
私の試合が始まって終わるまで、時間にして約30秒くらいだった。私の個人戦、いや本日の大会はものの数秒で幕を閉じたのである。練習してきたこと、やろうと思っていた剣道、勝つために考えたこと、何もできなかった。始まった瞬間の光景だけが私の脳内に映し出されて、かき消して、映し出される。あの時に感じたものは恐怖だったのか困惑だったのか、何なのだろうか。反省できるような行動もできていない故に、反省することさえ許されなかった。私に残っているものは「敗北した事実」と「虚無感」だけだ。
同期の子達はみんな1回戦を突破していた。私だけが負けた。中には平田高校の人に勝った子もいた。私の相手だけが悪かったのだろうか。そう思っていたが、麻倉御鈴がまたしてもたった2太刀で勝った姿を見てわかった。本物だ。私がその時抱いた感情は、「悔い」や「安堵感」ではない。「憧れ」だった。私はいつの間にか相手である、格下校である彼女に、彼女だけに強い眼差しを送っていた。彼女は当然のように決勝戦まで上り詰め、次期部長と噂される清光学園1年の宗松つばめと戦う事になった。私は勿論、「麻倉御鈴」を応援していた。いや、最早どこかで絶対に勝つという安心感まであった。つばめちゃんは頑張ったと思う。多分、この少ない時間で「麻倉御鈴の剣道」を研究したのだろう。その頑張りも無に帰すように、麻倉御鈴という女は最強だった。「私たち」が踏み入れることのできなかった世界にも彼女の力であれば簡単に入る事が可能だろう。最早「私たち」の思いを乗せて、遠い遠い場所で戦って欲しいとも思った。
私は負けたが悔いも恥じらいも無くなっていた。彼女が優勝したからだとかそういう問題じゃない。それら全ての感情と取って変わる感情が私を支配しているのだ。午後の団体戦には出させてもらえないと思っていた。というのも「私たち」は女子だけでも16人いて5人のチームを3つ作っても1人余るのだ。戦績的に私の出場は絶望的だ。その状況を打開するに至ったのは紛れもない、あの平田高校剣道部だった。
「可奈ちゃん、うちらのチームみんな合わせて4人なんだけど1人余ってたりしない?」
「あ、うん一応余ってはいる。うーん…かもめ、それでも良い?」
「…はい!よろしくお願いします!」
正直「私たち」なんかより平田高校の剣道部。いや、麻倉御鈴と一緒に戦える方が嬉しい私がいた。それと、梶本さんと森山先輩は意外と仲が良いことも発覚した。
「1人確保した!これでフルメンバーだよ!」
「清光学園の高野かもめです!よろしくお願いします!」
「高野さんよろしくお願いします!最初に戦いましたよね!ありがとうございました!」
「(うそ!?覚えててくれてる!!!)」
「御鈴強すぎてちょっと笑っちゃったよ私。」
「御鈴ちゃん本当すごいよね!私なんて一回戦負けだよ。」
「私も一回戦負けだったので大丈夫です!」
「何も大丈夫じゃないからな?」
「どうする?先鋒はかもめちゃんでもいい?そしたら、あとはこっちで決めちゃうけど。」
「いいんですか!?やらせてください!!それでよろしくお願いします!」
私が先鋒…ちょっと考えずらかったが普通なのだろうか。今まで、もし私が団体戦メンバーに選出されたとしても、「次鋒」だった。特に先鋒というのは剣道では花形ポジションだったので、いつも羨ましく感じていた。
「かもめちゃん頑張ろうね!私次鋒だから!」
「中堅は御鈴ちゃんで副将はあかりちゃん、大将はうちがやるね。頑張ろうね!実は団体戦やるのはうちも初めてだったりするから…!」
「そうなんですね!じゃあ皆初めての団体戦ですね。かもめは高校入ってからは初?」
「はい!部内戦除けば初です!」
「うわ、清光って部内で団体できるんだ。やっぱすごいね。」
「団体戦…私一回もやった事ないので色々教えてください!」
「御鈴やった事ないんだ。団体戦ってのは5対5で…」
御鈴ちゃんは初心者なのだろうか。思ってたよりも普通の女の子だ。私が憧れた彼女はどこへ行ってしまったのだろうか。にしてもこんなに楽しくわいわいしている試合前は今まで経験したことが無い。いつもこんな風にいられたらどんなに楽か…なんて考えてしまう。いつも通りではない現実に触れて私が幸せに支配される前に、元の世界へ戻らなければ行けない。そう思った。
「ちょっと水分取ってきます!」
「了解!時間になったら集まってきてね!かもめちゃんは先鋒だから、特にね!」
「はい!すぐ戻ります!」
こんなにも私の事を大事に思われているように感じるのは、私が知るものと起こっているものが違いすぎているからなのだろうか。水分補給の場所には「つばめちゃん」がいた。
「つばめちゃんお疲れ!惜しかったね!」
「かもめさ、あっちにいる方が似合ってんじゃない?…まあ、頑張りなよ。」
「つばめちゃん…が、頑張ろうね!」
彼女なりに悔しがっているのか、全く口を聞いてくれなかった。周りにはもう誰もいない。そうだ、私は元から1人だった。学校も、部活も。今まで友達と呼べる友達なんてできたことが無いんだった。自分自身に理由があるのはわかってる。それでも1人は寂しかった。ずっと寂しかったんだ私は。だからこそ彼女に憧れたんだ。私がもしあそこまでの力の持ち主なら…そういう願いが強かったからこそ、麻倉御鈴に憧れたのだと思う。
「戻りました!」
「よし!じゃあもう面つけよ!タスキもつけるね!」
「もしかしてタスキ…ってこれですか?これをどこに?」
「ここよ。ここにこうしてこうよ。」
「こうやってつけてたんですね!私も未来さんにつけてきて良いですか!ううん、つけてきます!」
私の背中を指差してタスキをつける「だけ」のレクチャーをされていることが、なんだか心地良かった。坂本さんは御鈴ちゃんのお姉ちゃんのようで、そういう関係がなんだか羨ましかった。
「よし!行こっか!頑張ろう!みんな手合わせて!」
「良いですねこういうの。」
「うん!うちこれやるの夢だったんだー!」
「その夢叶えましょー!」
「掛け声どうします?」
「そ、そうだなぁ…うちが頑張ろう!て言ったらみんなでおー!って感じはどう?」
「わかりました!やってみます!」
なんだ。一体なんなんだこれは…
「じゃ……頑張ろう!!」
私は、私は……
「おーー!!」
全ての感情が暴発した頃には、涙で溢れかえっていた。
ー高野かもめ
次回はつばめが主人公です