練習
主演 梶本美柑
剣道の専門用語が少しずつ出てきますが説明だけじゃ足りない場合は検索かけてみてください。
これまでの高校生活、いや人生を振り返ってもこんなにも心が踊った朝はない。私の名前は梶本美柑。神奈川県立平田高校に通う高校2年生だ。私は剣道部に所属しているのだが、女子部員は今までずっと私だけだった。ついこの間、新入生が入学してきたあの日、朝早くから学校に来て1人でも女子部員が増えるようにと自分なりに頑張って勧誘活動を行った。それのおかげかわからないが、今年は女子の新入部員は3人もいたのだ。それで、今日の部活はただの練習ではあるのだが、今まで私達2年生とは直接一緒には練習に参加できていなかった1年生と、初めて面をかぶって練習ができるのだ。ここ1年間、私がずっと夢に思ってきた事が実現する日でもあるのだ。
いつも通りの朝ごはんをさっさと済ませて少し急ぐように自転車を漕いだ。
「おはようございます!」
「おはよう!みんな早いね!」
「はい!今日は7時45分集合だったので!」
「そっか!掃除大変だった?」
「みんなでやったので思ったよりは楽でした!」
笑顔で受け答えをしてくれるこの子の名前は未来ちゃん。いつも元気で笑顔が絶えないとっても良い子だ。その後ろにいるのが御鈴ちゃんで、清楚系な可愛い子でとっても良い子だ。少し離れたところにいるのがあかりちゃん。面倒見が良くて私の話を良く聞いてくれるとっても良い子だ。みんな良い子だけど、私より色んな色んなとこが大きい。そんなことは気にならないほど3人が部室に居る事に幸せを感じる。
「ちょっと早いけど着替えちゃおっか。」
「了解です!」
気持ちが抑えきれずに行動に出てしまう。でも、今までずっと我慢して生きてきた私にとって、今日の練習は本当に楽しみで仕方がない。いつも通りでいられない私を神様どうか今日だけは許して欲しい。
「今日は面もつけるから胴と垂つけたら面持って外出てきて!その後はいつもと同じく、すり足して体あっためよ!」
「了解です!」
「先外出てるから!あ、まだ時間早いから急がなくても良いからね!じゃ!」
「わかりました!」
3人して声を合わせて返事をしてくれる。これが先輩ってやつか。なんとも言えない優越感だ。今まで重く感じた鉄製の部室扉も軽く感じる。いや、かっこいい所を演じたいがためにそう感じただけなのかもしれない。にしても準備するのが早かった。練習は9時に始まるというのにまだ8時前だ。1人になって冷静に考えると笑けてくる。
「え!?はやくね!?まだ8時だぞ!?」
「あ、お、おはようございます!」
「梶本も掃除番だっけ?」
「いや、私はちょっと早く来すぎちゃって!」
「それなら部室いればよくね?」
「そ、そうでした!」
「あー1年とあんまり?」
「そういうわけじゃないので!」
「ほーん…頑張ってな」
まさか1人で居る時に前田部長と鉢合うとは思いもしなかった。たしかに、こんな早くに部室の外にいたらそう思われても仕方がないか。本当にそんなことないのに。
「そんなことない…」
とりあえず防具をつけよう。彼女らが部室から出る前にはつけ終わっておかないと。にしてもちょっとだけ、部室の中の様子が気になる。部長にあんなこと言われなければこんな不安絶対なかっただろうに。でもどうしよう。私がこんなんだからみんな部活辞めちゃったりなんかしたら。ああやっぱりみんなとお話ししてた方が…
「ガシャ!!」
重たい部室扉が開くことで発生した大きな衝撃音に思わず肩を弾ませてしまった。1番はじめに出てきたのは意外にも御鈴ちゃんだった。てっきりあかりちゃんかと思った。もしかすると私が思ってるよりも”彼女ら“の友好関係は良好なのかもしれない。動かしてる手を止めて、彼女の方にかけよった。
「御鈴ちゃん早いね!面はこの白いテープに沿って並べるの!小手を隣の人を真似て、横に合わせて置いてその上に面を置くと綺麗に見えるの!」
「わかりました!このあとはいつも通りすり足ですか?」
「そう!あ、いや竹刀で良いんだっけ…。とりあえず竹刀ですり足で!」
「わかりました!ありがとうございます!」
私達2年生から上はすり足と素振りの時は木刀を使うルールがある。この木刀というのは長さ自体は竹刀と同じだが、重さが2倍くらいある。初めて振った時は腕がもげそうになった記憶がある。御鈴ちゃんは誰もいないのに甲高い声をあげながらすり足を始めた。御鈴ちゃんはどっかの強豪校か何かから来た子なのかというほどに綺麗な形だ。見ているだけじゃなくて手を動かせ。そう誰かに言われた気がした。
「おはようございます!」
「はいおはよう。」
1年生らは私達と少し遅れて挨拶をした。黙々とすり足を続けてかれこれ30分ほどした時に剣道部の顧問であり監督でもある木原和葉先生が武道場に入ってきた。木原先生が道着に着替えている日はハードな練習になる傾向にあるので、その姿が目に入った瞬間に武道場の空気が引き締まる。私達は先生を気にしながらすり足を続けた。心なしかみんなの掛け声が大きくなった気がする。…いつものことだが。
「集合!」
「はい!」
部長の合図で準備体操が始まった。1年生らも準備体操には慣れてきており、スムーズに並ぶことができているようでホッとした。何が先生の癪に触るかわからないのでどんなことにも気を配るクセがこの1年間でついてしまった。準備体操と素振りはいつも通り何事もなく終わった。以前であれば、ここからは1年生と異なるメニューの練習だったのだが、今日からは一緒のメニューで練習をする。
「水分補給が終わったら自分の面持って横にならって正座してね!」
「わかりました!」
「てかあかりちゃんの水筒おっきいね!」
「はい!沢山飲むので!」
「本当だ大きいですね!」
こんな中身のない会話でも充実感を感じる。部長の合図で黙想を30秒ほど行い、先生及び部員全員に向けて礼をする。その後は木原先生の「ありがたい」お話しを聞き、面つけが始まった。面は速く綺麗につけることが剣道をやっている中では当たり前で誇れることでもある。逆にみんなより遅かったり汚かったりすると恥ずかしい思いをすることになる。私は誇れるほど速くつけるわけではないが遅くはないので目立つことはほとんどないが、目立つ人は目立つので気をつけてほしいと思うばかりだ。
「気をつけ!礼!」
部長の合図で竹刀を抜く。
「構えて!切り返し5セット!」
「はい!」
「始め!」
このルーティンを覚えたのはいつ頃だっただろう。気づいたら勝手に覚えていたかも覚えていない。一心不乱に先輩方の真似をしていたら口が勝手に動くようになってしまったように思う。
ちなみに「切り返し(きりかえし)」というのは剣道においての基本事項を詰め込んだような一連の動作のことで、他のスポーツだと例えることができないような、剣道特有の練習方法である。この動作が綺麗に見えるか見えないかによって大体の技量がわかる。また、人によってどこを意識してこの動作を行うかで多種多様な練習になり得ることも「切り返し」が剣道の基本練習になっている理由なのかもしれない。私は特に、足の使い方を意識して行っている。これは手元の動作に自分の足がついていけていない現状を打開するための措置である。一方で、1年生らの「切り返し」を見てみたが誰も彼もみんな違って面白い。あかりちゃんは声を出すことに力を入れていて、未来ちゃんは早く振ること、御鈴ちゃんは大きく振りかぶることに意識を向けているようだった。
「切り返し」が終わると面打ちや小手打ち、連続技など簡単な練習が続く。これらも終わると「掛かり稽古」が始まる。「掛かり稽古」というのはその名の通り元[掛かってきた人間の技を存分に引き出すように技を受ける人間のこと。元が上手か下手によって打ち込む人間の技の綺麗さが変わってしまうほど重要な役割がある]に立った人間に掛かるように打ち込む稽古法である。基本的には元の開けた打突部位[面・小手・胴・突きのこと]を打って、打ち抜けるか体当たりを行うかは元によって変化する。たった15秒の掛かり稽古なのだがその中で10本以上の技を打ち込むことになる。これが非常にハードであり5セット目にもなると腕が上がらなくなってくる。私達2年生は入部して半年経った頃に元に立たせてもらえるようになったのだが、こちら側も普通にハードだ。先輩方にご迷惑をおかけしないように神経を研ぎ澄ましながら受け切らなければならないからだ。
「構えて!15秒の掛かり稽古5セット!」
「はい!」
「始め!」
1年生達もようやくこのルーティンに慣れてきたようだ。秒数がすぎる毎に荒くなっていく息に目もくれず、縦横無尽に掛かっていった。たった15秒、それが本当に15秒なのかわからなくなるほどに無理矢理にでも体を動かし、終わったと思えば元に立つ。こんなことを5セットも繰り返していれば意識が朦朧としてくるのも無理もないだろう。正直自分のことで精一杯で他の1年生がどんな姿勢で臨んでいるのかなど確認している暇はなかった。
掛かり稽古が終わると一度面を外して水分補給の時間になる。それが終わればいよいよ試合形式の練習が始まる。今日は1年生同士で試合を行うと思われるので私達2年生以上は試合場に立つことは無いのだが。
「初めての面をつけての練習どう?疲れる?」
「はい。もう基本打ちの時点で結構疲れてました。」
「私もあかりちゃんと同じ感じでした。久しぶりに面つけたので。」
「でも楽しかったですよね!やっぱりこういうの、良いですね…!」
御鈴ちゃんはどこか遠くを見てそう言った。稽古が楽しい…か。そう思ったことは正直一度もなかったので反応に困った。
「そ、そう?そう思ってくれてよかった!水分補給しっかりしてね!あ、あと、この後試合形式の練習あると思うんだけどそんなガチガチにならないでね!」
「はい!ちなみに試合って先輩方とですか?」
「いや、1年生同士だと思う!といってもあくまで練習だし大丈夫!」
「試合…ですか…。」
「どしたの御鈴ちゃん。もしかして試合した事ないとか?」
「……いいえ大丈夫です!」
「あれ?でも私達3人だよね?もしかして1人は男子とってこと!?」
「もしそうだとしたらちょっとやだかも」
「うーん確かに…まぁあとで先生から指示があると思うから。」
「梶本!」
「はい!」
木原先生の声には敏感になりすぎて反射的に反応するようになってしまっていた。急いで木原先生の方へ走った。
「今日お前も出ろ。麻倉の相手してやれ。」
「はい!」
まさか自分が出ることになるとは思っていなかった。もしこれで御鈴ちゃんが辞めることになったらどうしよう。私の責任になってしまう。そう考えると急に緊張してきた。
「うちと御鈴ちゃん試合することになった!よろしくね!」
「……了解です!」
「えー!先輩と直接対決かー!頑張ってね御鈴ちゃん!」
「が、がんばれー。てことは私と未来が試合か。なんだろうめっちゃ緊張するね。」
「お手柔らかに!」
未来ちゃんとあかりちゃんはなんだかんだ言って、笑っていて楽しそうだ。一方の御鈴ちゃんは、一度笑顔を見せたきり何か考え事をしているかのような、そんな感じだった。正直私も無理やり笑顔を作って話していたのは事実だし、きっと御鈴ちゃんもそんな感じなのだと思う。
剣道の試合は1対1の個人戦と5対5の団体戦とでルールが異なっている。基本的には4分間3本勝負で4分以内に先に2回の攻撃を成功させれば勝ちだ。また、試合時間の4分が終わった時点で1回でも攻撃を成功させていてかつ相手から攻撃を受けていなければその人の勝ちになる。もしそれでも決着がつかない場合は決着がつくまで延長戦を行う。団体戦の場合は延長戦が無いため引き分けというものが存在している。今日は個人戦ではあるのだが団体戦ルールで試合を行うそうだ。未来ちゃんとあかりちゃんの試合が最初でその後が私達の試合だ。
「始め!」
審判の合図で両者共々気合いを入れる。気合いと言っても人によって表し方は様々だ。基本的には大きな声を出して相手を威嚇する。他にも目つきや姿勢、動きなど方法は様々だ。あかりちゃんと未来ちゃんはどっちも声を出して気を入れるタイプだった。かくいう私もそのタイプなのだが…一応これが最も一般的なのでそうなることは大方予想通りだ。未来ちゃんは普段の声とは打って変わって、甲高い声を上げて先手を打った。一方のあかりちゃんは低めの声で上から見据えるように構えており、相手の攻撃を誘うような剣道だった。未来ちゃんが思い切って面を打ちにいったが、あかりちゃんの竹刀に防がれてしまった。そこから反撃に出るかと思われたあかりちゃんだったが特にそう言うこともなく防戦一方のまま試合時間が過ぎていった。3分くらい経った頃にあかりちゃんがやっと攻撃に転じた。急に攻撃が飛んできたことに加えて、ずっと打ちっぱなしで体力を消費していた未来ちゃんは防御できずに面を打たれてしまった。攻撃成功、あかりちゃんの一本だ。その後はもうあかりちゃんのペースになり、2本目が始まってすぐに再び面を打たれてしまった。それでも2本目に打たれた面に関しては相面[お互いにほぼ同時に面を打つこと]だったので健闘した方だと思う。未来ちゃんも多少は悔しそうにしていたが後味は悪くなさそうだった。
それが終わるといよいよ私達の試合だ。あまり前半にやり過ぎてすぐに勝負が終わってしまったら嫌に思われてしまうかもしれない…いや、逆に本気じゃなかったことに怒って辞めてしまったりしたら…。結局答えは出せず試合場に立った。一礼して剣を抜く。
「始め!」
いつも通りだったのはここまでだった。目の前に起こっていることがあまりにも非現実的すぎて声も出せずに固まってしまった。そこで私は自分があまりにも傲慢だったことを痛感する事になる。
麻倉御鈴という女の子は普通じゃなかった。
彼女のする剣道は私達のものとは全く違う。何が違うかと言ったら竹刀を振る事以外の全てが違う。目の前にいる対戦相手は試合が始まったと思えば身体を横に捻り、自分の剣を後ろに回したのだ。この構えは知っている。知っているが知らないという方が正しいか。この構えは脇構えと呼ばれているものだ。この構えは日本剣道形という昔からある剣道の形を体現した、演舞のようなものがあり、その中で出てくる構えだ。言うなれば空想上には存在するが現実的ではない構え方なのである。というのも、この構えは相手から見ると自分の剣が自分の体と重なり見えなくなるため、どこから攻撃がとんでくるかわからないメリットを持つかわりに、自分の前方に剣が無いため咄嗟の防御はできず、更には剣が後方にあるため攻撃時の動作が通常の構えよりも圧倒的に遅れるデメリットがある。ここまで聞けばわかると思うがメリットに対するデメリットがあまりにも大きすぎるのだ。無論、この構えを現実で使用する人間などいるはずもない。…唯1人を除いて。
とりあえず目の前に起こっている事に目を瞑り、少し遅れて声を出し気合いを入れる。こう、対峙してみると本当に御鈴ちゃんの竹刀が見えない。私の全てを見ているかのようでどこを見ているのかわからない彼女の視線と、いつもあるはずの相手の竹刀が目の前にいない事による強烈な不快感に襲われた。彼女のどこの部位もガラ空きのはずなのに、打って良いのか悪いのかわからない違和感があるせいで攻撃ができない。それでも爆発寸前の心臓を抑え込みなんとか面を打つに至った。
しかし私の振った竹刀は空を切った。いつもと違う違和感はこれだった。剣道には自分が技を使ったときにそれが攻撃として当たる適正距離というものが存在する。剣道の場合はお互いに竹刀を構えた時にお互いの竹刀のどこが触れるか、それを随時把握し何となくここら辺だというところに達した時、攻撃を繰り出す。ここら辺だという場所、それがその人間の適正距離。だが、御鈴ちゃんの前にはそれを計るものが無い。そのため、いつも通りに打ったと思った技は、自分の適正距離から打った技では断じて無かったという訳だ。その刹那、目の前から御鈴ちゃんが消えた。その瞬間、物凄い轟音が自分の耳から体全体に響き流れ、竹刀ではない何かにぶん殴られたかのような痛みを頭の上から体全体に轟いた。
「面ありだよ。」
「…面あり!」
木原先生にそう指摘され、やっと御鈴ちゃんの面打ちが決まった事になった。いや、ここにいる誰もが言われる前からわかっていた。ただ、私は2年生で御鈴ちゃんは入部したての1年生だ。それ故、審判としては1本にするかに迷いがあったのだろう。
私は正直言って何が起こったのか理解できなかった。理解できているのは私の技が空を切ったところまでだ。
「2本目!」
絶望からの再スタート。私はどうすることもできない。その時の私には面を打っても当たるイメージが湧かなくなってしまっていた。それと、彼女の構えはどこの部位もガラ空きだと思っていたがそんな事もないこともわかった。
胴と小手というのは相手の技やスキに対して打ち込む相手依存の攻撃部位であって通常時に打てるような部位では無かったのだ。本来は、打つか打たれるかの駆け引きを構えを通じて行い、駆け引きに勝った時に初めて「技」として成立するものなのである。それが御鈴ちゃんの場合は、駆け引きを放棄しているため実質的に打てる部位は面と突きのみだった。後者は通常の人間と対峙した時でも打つことがなく、満足できる程練習もしていないため選択肢にはない。つまり、私ができることはもう、何もない。ジリジリと恐怖心と戦いながら前に、前に攻めた。無防備に攻めてしまった私に喝を入れるかのように再びあの痛みが私を襲った。本当に何が起こっているのかわからない。気づいた時にはあの痛みに襲われている。結局私は空を切ったあの面打ち以外、一切竹刀を振るうこともなく、入部したばかりの1年生に敗北を期した。なにが辞めちゃったらどうしよう。だろうか。そう思っていいのは私じゃない。御鈴ちゃんだったのだ。
試合が終わり、面を外して初めて、自分が泣いている事に気がついた。それから後の試合の内容については何も覚えていない。覚えているのは御鈴ちゃんが私の方を見て悲しそうにしている姿があった事だけだ。
ー梶本美柑
次回 戦慄走る