#9 令嬢と騎士
アルが店のドアを開けると、カウンターにいた女性が振り向いた。
ややしばらく無言で見つめられたと思ったら、ツカツカと勢いよく近づいて来た。
「…あら…あら?」
「………いらっしゃいませ…?」
女性は、顔を覗き込むようにぐいぐいとアルに迫っている。仰け反ってそれをかわすが、女性は更に身を寄せてくる。
服装はとても豪奢で、見事な銀髪を華やかに編み込んでまとめている。
大きくパッチリとした薄桃色の瞳には、こちらへの興味がうかがえる。
その熱っぽい眼差しに見覚えがあり、アルは自分の事を知っている人物なのかもしれない、と感じる。
これはダメなやつかも―――体が硬直する。
「あなた、お店の方?どこかでお会いしたかしら?とてもキレイなお顔をなさっているのね…。お名前は何とおっしゃるの?」
やはりアルの顔に覚えがあるのか、記憶を辿っているようだが答えは出ない。
その間も視線を外さずにいるので、アルがとまどっていた。
「…思い出せないわ…。どなただったかしら…?」
「…う……」
アルがご令嬢の勢いに辟易していると、奥の部屋からエルザが慌てた様子で出てきた。
「お嬢様!あの、その方もお客様で…。おそれながら、…ご配慮下さいませんか?」
エルザの言葉で、自分が不躾だと気付いたのか、ご令嬢の勢いが薄れ、申し訳なさそうにうなだれた。
「ごめんなさい…お会いした事がある気がしてつい…。」
アルから距離をとって、軽く会釈をする。
その隙に『失礼します』と足早にカウンターに向かったアルを見ていたご令嬢が、何かに気付いたような小さい声をあげた。
「…………私、セレナと申します。近いうちにまた参ります」
セレナと名乗るご令嬢は素早くお辞儀をして、いそいそと店を出ていった。
声を掛けるのが躊躇われるほど焦った様子で、2人ともただ呆然とその様子を見ているしかなかった。
◇
「…アルさん……大丈夫?」
「うん……体調は大丈夫…ちょっと座っていい?」
奥の部屋に入った2人は一息つく。
気付けのつもりだろうか、マギーがブランデーを勧めてくれた。
アルはグラスに口をつけ、テーブルに突っ伏した。
「……あー、ごめん…なんかガックリきちゃって」
苦手克服の訓練は順調だ。
今だって胃痛や吐き気もない、体調も悪くない。
しかしアルは、自身が何もできなかったという事に囚われ、嫌になるほど落胆していた。
エルザもご令嬢――セレナの勢いに圧倒されて、出ていったものの声をかけただけで終わってしまった。
帰り際の彼女の様子は気になったが、まずはアルの体調だ。
励ますつもりで、努めて明るい声を出した。
「突然だったし、私もビックリしちゃった。…素直に聞いてもらえてよかった」
エルザの言葉に、アルはハッと眼を瞠る。
エルザはセレナの行動を諫めるよう『お願い』をしたのだ。
貴族の中には、平民であるエルザからの進言に、怒りだす者も存在する。セレナはそういった人物ではなかったが、自分のために貴族にたてつかせた、エルザを危険にさらした事に変わりない。
また、エルザに助けてもらった。
守られてばかりで何が騎士だ、と自身に悪態をつく。
「……情けない…」
アルが険しい顔でボソボソ愚痴り始めた。
いつもは爽やかな好青年なのに、目がどんよりと据わっている。
エルザはさっきまでほぼ満ちていたはずのアルのグラスが、空になっていることに気づく。
『はや!』
叫びそうになるのをおさえ、エルザは話を聞くことにした。
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