#2 騎士ふたたび
あれから5日たった。
もう会うこともない、と思っていた黒髪の青年は、あの日のように目の前に座っている。
以前の彼と違うのが、顔をあげてしっかりとエルザと向かい合っている、という点だ。
俯いて、眉をよせ、辛そうな顔をしていた彼が、表情も穏やかで、口の端に笑みすら浮かべている。
―――瞳なんて星がキラキラして眩しすぎ。間違いなく美しさに磨きがかかっているわ…
エルザは着席してしばらく、こっそりとアルの観察を続けていた。
今日なら、悩みについて話してくれるだろうか?
「ええと…、アルさん、……今日はどうされました?」
意を決して声をかけた。
アルは恥ずかしそうに、少しだけ眼を伏せた。
「あの、先日は大変失礼をしてしまったので、そのお詫びと…後は、お礼も言いたくて…」
「では、お悩みが解決したのですね?それは良かったです」
アルの役に立てたのがわかり、エルザの表情がパァッと明るい笑顔になる。
お守りを渡したのが迷惑だったかも、と考えていたので、嬉しさも一入だ。
そんなに喜ぶとは、アルはそんなエルザの様子に面食らう。
「解決、というか、貴女のおかげでいい方向に向かってるんだけど…。…あの…先日の話を、今聞いてもらえないかな?」
「もちろん、よければ聞かせて下さい」
エルザはシャンと姿勢を正し、聞く体制をとる。
アルはもじもじと話しづらそうにしていたが、前回のような追い詰められた様子ではなかった。
「まず、この間は本当にありがとう」
「えぇ!?」
アルは両手を膝に置き、深く頭を下げた。
思いがけない改まった態度に、エルザはあたふたと取り乱す。
彼の身なりや仕草から、おそらく地位の高い人なのだろうと想像できる。そんな人物に頭を下げさせたなんてことになれば、心臓に悪い。
「や、やめて、やめてください!こんな……」
「嬉しかったんだ」
アルは言葉を遮り、エルザの顔を見上げた。
バチッと目が合うと、エルザは急にはずかしくなり目線を外す。
こんないい顔の男性にジッとみつめられる事など、これまでにあったかどうか。先ほどとは違う意味で心臓に悪い。
「貴女は、あんなに失礼な態度の…お詫びも感謝も、挨拶すらなかった俺を、理由も聞かずに助けてくれた。」
言い訳にしかならないけど、とアルは続ける。
グッと、拳を握ってテーブルの上に置く。
「実は、恥ずかしいんだけど…俺、女性が苦手なんだ」
いろいろな悩みごとを見てきたつもりだったが、女性が苦手、というのはなかったなぁ、とこれまでを思いかえす。
―――あれ?これ大丈夫?
エルザは至極まっとうな疑問をアルにぶつけてみる。
「あの、一般的に、魔女の店には女性がいると思うのですが…」
「うん。魔女殿って老…あ、いや!えっと…イメージが!もっと年配の、女性、だと思ってて……」
「なるほど、おばあさんなら大丈夫、ということなんですね!」
「……うん」
魔女のイメージが白髪の老婆、という人はたくさんいるし、別に気にしていない。
エルザに気を使い、取り繕おうとするアルのあわてっぷりが面白くて、自然と口元に笑みが浮かぶ。
アルは小さな咳払いで気持ちを切り替えて、話を再開させる。
「若い女性といると動悸、息切れ、言い寄られるとわかりやすく症状がでる」
「症状」
「吐き気とか胃の痛みとかね。騎士をやってるから、夜会の警護や令嬢の護衛に駆り出されるんだけど、そういう時は結構辛くて。」
「それはお困りですね…。でも、あの、私も一応、若い女性なんですが…」
先程と同じような、ごもっともな疑問その2をぶつけられたアルは、今度はしっかりと落ち着いて返す。
「不思議だけど、魔女殿は平気だったんだ。すごく緊張したけど、苦しいとか痛みは出なかった。俺のことをお客さんとしてみてるからなのかと…」
「なるほど……」
アルに対して魅力を感じて、積極的にグイグイアピールしてくるような女性だとダメらしい。
苦笑いのアルは、いただきます、とマギーが用意してくれた紅茶で口を潤す。
この間のお茶は味わう事ができなかったので、せっかく淹れてくれた彼にも悪いことをしたと思いながら。
「…学生のころに、女の子同士のいざこざがあって……俺が原因で」
「……あぁ~」
エルザはなんとなく察してしまう。
恋に狂った女性が、その感情を抑えられなくなってしまうのを、何度も見てきたからだ。
「罵り合いから始まって、持ち物を隠したり壊したり、嘘の証言で相手を陥れようとしたり………。
だんだんエスカレートして、相手を傷つけるようなことまでしでかすようになって…。
あげく最後は取っ組みあいの、ひどいケンカだった」
「う…」
想像以上のヘビーさに絶句してしまった。
麗しいお嬢さん達が取っ組みあい……それをこの人は最前列の特等席で見てきたわけだ。
エルザは思わず身震いする。
「それから、体調に変化が出るようになった。
他の魔女がいないかと聞いたのも、普段から若い女性を避けてて…それであんな風に言ったんだ。
貴女が頼りないとか、そういうことじゃなかったんだけど、……嫌な気持ちにさせて、本当に申し訳なかった。」
「本当に気にしてませんので…」
思い返すと、事情があると考えず、いつもの事だという思い込みで感情的になっていた。
表に出てしまっていただろうかと、エルザはかえって申し訳ない気持ちになる。
アルはシャツの胸ポケットから、大事そうに“開運”のお守りを取り出した。
「2日前に夜会の警護があったんだけど、症状が全くでなかったんだ。こんなこと初めてで、これのおかげだと思ってる」
ただ、女性を避けてしまうのがどうしてもやめられないのだという。
諸々に煩わされることなく、平穏に過ごしたいのだというアルの願いは、ほんの小さなものだった。
「もうあと一押しで克服出来るような気がして……それで、力をお借りしたいんだ」
アルは身を乗り出して懇願する。
強くまっすぐな紫の視線には、変わりたい、という強い意思が込められていた。
「もちろん!お受けします!」
「…ありがとう!」
アルの体の力がフッと緩み、破顔した。
喜びに溢れた、ピカピカ輝くような満面の笑みに、エルザは引き込まれそうになる。
そのあどけなさは、理知的で落ち着いた印象だった彼の、意外な一面だった。
その輝きを正面から浴びたエルザは心臓をキュッと掴まれるようで、ちょっと苦しくなる。
眩しい笑顔って本当にあるんだわ、と、一人実感していた。
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