「ノー!」と言う勇気
「──それはもちろん、異世界転生でございます!」
ルピナは高らかに宣言した。
「いせかいてんせい……ああ、異世界転生か……」
「はい、ご存じですか?」
「……あー、俺はあんまり詳しくないけど、アニメなんかで流行ってるやつだろ。……いやまさか今の状況が『それ』だって言いたいのか?」
「お話が早くて助かります。まあぶっちゃけますと、あれらのフィクション作品は、ちょうど『こうなったとき』にお話をスムーズに理解していただくための、一種のコマーシャルとして流布させているものなのですが」
「えっ、そうなのか……」
「ええ、みなさま驚かれるのですが、それが事実なのです。……で、ですね! あなた様のように聡明で清く正しいお心をお持ちの英雄的な人材だからこそご紹介できる、すばらしい転生先がこちらにございます」
闇の中に、ほのかに青い光が灯った。よくみるとそれは精巧につくられた地球儀、いや、違和感に目を凝らすと、それぞれの大陸の形があきらかに異なっている。
つまりこれが異世界の地球、あるいはまったく別の名前の惑星だろうか。
「あなたさまがこちらの世界に転生された暁には、まず定番のレアスキル、いわゆるチート能力を通常ならひとつだけお付けさせていただくのですが、今ならなんともうひとつお好きなものをお付けします! これによって、戦闘能力によるストレートな無双だけでなく、そのご聡明さを活かした内政無双や、昨今はやりのハズレスキルにカモフラージュした遠回りな無双も並行して可能になります!」
「……は……はあ」
「そしてハーレム展開につきましてももちろん、完!備! 聖女、魔女、獣人、妖精、サキュバスとよりどりみどり……さらに今ならななななんと! 難易度の高いプリンセスや天使、通常は対象に設定されない、普通さが逆にそそる素朴な町娘の三種からお好きなヒロインをオプションで追加可能になっております!」
「……なんか、そういうのどこからか怒られないのか……」
「また、ここだけのお話ですが、この町娘については、あなた様がご存知の女性に瓜二つになるよう運命を調整させていただいております」
「俺の知り合い?」
「はい。祥子さまです」
「……なんだ、それ……」
「さあいかがでしょうか! ぜひこちらの世界を救って、富と名声、酒も女も思うがままの大英雄に──」
「うーん、悪い。正直、いろいろ気が進まないんだが、断ったらどうなるんだ?」
「あー、さようですか。たいへん申し上げにくいことですが、その場合はおそらく、ふつうにお亡くなりになるだけかと思われます」
「……だよな」
予想通りの答えにすこし心が揺らいだ、その時だった。ルピナとは異なる声が、背後から囁くように聞こえてきた。
『どうかお気を付けください。昨今、異世界転生を謳った詐欺が横行しております』
それは静かに落ち着いた、やや硬質な男声だった。
「え?」
「はい、万に一つの奇蹟でも起きない限りは、そこであなたさまの人生は終幕とあいなることでしょう。それよりも、異世界で薔薇色の英雄生活を送られてみませんか」
「あ、きみに言ったわけじゃなくて。いま、他の人の声が聞こえなかった?」
「……いいえ、まったく。そもそもこの空間、わたくしの許可なき者が介入することは不可能ですから」
「そうなのか」
『チートで無双、ハーレムで酒池肉林などと甘い言葉で誘惑し、実際は過酷な世界でこき使われ、魔王を倒せなければ奴隷のような扱いを受ける、といった被害が多発しているのです』
だが、声は再び聞こえた。
「どういたします?お時間はもう少しございます、よくお考えください」
『どうか甘言に流されず惑わされず、ご自身の信念で、よくお考えください』
「……いや、大丈夫。もう決めたよ」
「悪いが、俺は異世界転生とやらをする気はない。自分の生きた世界で、自分の運命を受け入れる」
「そうですか、とても残念ですが、ご本人の決意が固いのであればわたくしが強制することはできません……」
「で、どうすればいいんだ?」
「大丈夫、たったいまなされた宣言で異世界へのパスは切断されました。すぐにこの狭間から、もとの世界へと引き戻されることでしょう」
「そうか。世話になった、ありがとう。期待に答えられず申し訳ない」
「いいえいいえ、とんでもございません。あなた様は、じつに、わたくしどもの期待通りのお方でした……」
ルピナの声がだんだんと遠ざかっていく。決断に後悔はなかったが、その声の心地よさには、もうすこしだけ触れていたい気がしていた。
……果たして彼の選択は、正しかったのか……?