第一話 且元が命をかけて仕事をする理由
「助作(片桐且元)あたりと同列に扱われるなど、迷惑至極」
賤ヶ岳七本鑓としての手柄話をせがまれると、加藤清正はそう言ってあからさまに顔を顰めたという。己が武勇を恃むところ大であるのと同時に、且元をこき下ろすの評でもあった。
意地の悪い者があって、あろうことか且元本人にそのことを告げた。他人の口を経由して清正に面罵されたに等しい且元であったが、激昂するどころか却って沈思し、しばししてから
「確かにそのとおりだ」
と独りごちた。
且元に清正の言葉を伝えた者は、鑓働きではなく算盤勘定で出世した且元を挑発して、怒らせてやろうという目論見が外れ、拍子抜けしたようその前を立ち去ったという。
清正がこき下ろしたように、生と死が濃密に交錯する戦場特有の緊張感から、且元は離れて久しい。
昨日は何気ない言葉を交わした者が今日は物言わぬ屍に身をやつし、或いは流れ飛んできた矢弾に貫かれて何の必然性もなく命を落とす朋輩。
生前どれだけ武勇を誇った者であっても、一筋の鑓に刺し貫かれたり、ちっぽけな鉛弾に撃ち抜かれただけで、生命とはいとも容易く失われてしまうものであり、しかも一度失ってしまえば泣こうが喚こうが帰ってくることがないのが、生命というものであった。
清正はそんな戦場をこれまで幾多も駆け巡り、そして次に出陣を命じられれば、清正はいままでもそうであったように、きっと死を厭わず命懸けで戦場を駆け巡るのであろう。
同じように出陣を命じられても、近年は輜重や補給ばかりを命じられ、鑓働きとは無縁の存在となっていた且元と同列扱いされることに清正が不満を抱くのは、且元にも理解できる話であった。
ただ、戦場で命の駆け引きをしないということと、自分が職務に命をかけていないということとは同じではない、とも思う且元である。
主君秀吉が且元に与えた任務は、戦時であれば輜重や補給の任、平時であれば検地奉行などの事務仕事であった。
侍として生まれた身なればこそ鑓働きで名を挙げ、やがて一国一城の主にも取り立てられんと望んだことはあっても、死ぬのが怖いから裏方の仕事をさせてくれなどと秀吉に頼んだことは、且元は一度としてなかった。
自分自身にその意志がなかったにもかかわらず、どういったわけか秀吉は且元に奉行としての才覚を見出し、その方面で取り立てたのである。且元にとって秀吉から与えられる仕事は、自分が真にやりたい仕事などでは断じてなかった。
大坂城の蔵米を数えているとき、或いは新たに蔵入地として編入した地に赴いて検地に当たっているとき、且元はふと思うことがある。
もしいま、自分が急な病に倒れて死んでしまったら、と。
戦場で人の命がいとも容易く失われるのと同様に、平時でもそれは簡単に失われる代物であった。熱で寝込んだかと思えばたった一晩で死んでしまう者、突然倒れて人事不省に陥り、目を覚まさぬまま死んでしまう者を実際に見たり聞いたりしたことがある且元である。この時代、突然の死は珍しいことではなかった。
不条理な運命に支配されているという意味では、平時も戦時もさほど違いがあるわけではない。語弊を恐れずに言えば、戦時と平時の違いというものは、不条理な死の絶対数が違うだけの話に過ぎなかった。戦時であればその数は増えるし、平時では少ないというだけの話であった。人間の頭上には、常に不条理な運命がのしかかっているのである。
清正あたりは且元をこき下ろしたが、こき下ろされた挙げ句、望まぬ仕事をしている最中に命を落としたとしても、きっと誰も自分を顕彰してくれるということはないのであろう。
戦死者には名誉が与えられた。それだけではなく、戦死者の働きいかんでは、後継者に戦死者と同程度かそれ以上の知行が与えられるのが慣例であった。
名誉の戦死を遂げた者と、床の上で死んだ者との扱いには歴然とした差があるといわざるを得ず、そのことを考えたとき、且元は
「清正のように鑓働きの機会を与えられている者は、よほど幸運の者だ」
というやっかみを禁じ得ない。その意味から、底意は違っても
「同列に扱われるなど迷惑至極」
という清正の言葉は、まさにそのとおりだと且元は妙に納得したものであった。
こうやって算盤勘定にかまけている間にも、時は時々刻々と過ぎていくものであった。それと同時に、且元の生命に残された時間も、目には見えないが着実に目減りしていっているのである。
若かったときには有り余る時間にモノをいわせて考えもしなかったこのような想念が、四十を過ぎたあたりから脳裡にこびりついて離れることがない。時によってその思いに強弱があるだけの話だ。
いつしか且元は思うようになっていた。
仕事に命をかけているという意味では、自分は戦地に赴く武勇の者とさほどの違いがあるわけではないと。望まぬ仕事の果てに突如寿命が尽きてしまう運命は、常に且元自身の身辺につきまとっているのであり、自分は好むと好まざるとに関わらず、秀吉から与えられた仕事を命がけでしなければならない立場にあるのだと思うようになっていた。