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その場はシーンと静まり返っていて、焚き火のパチパチという燃える音だけがやけに響いていた。
ウォルフ族の人たちの反応が怖くて、ファリドさんの顔を見上げると、大丈夫だよと私を安心させるように笑顔で頷いてくれた。
「つまり、今日は真白をウォルフ族に迎える記念すべき日だ。いいかお前ら、始めるぞ――宴を」
「「「「「「うおおおおおお!!」」」」」」
ファリドさんの合図を待っていたかのように、一斉にウォルフ族の雄たけびが上がった。
男の人も、女の人も、子どもも、ウォルフも、満面の笑みで飛び跳ねる。
さっきまでの美しい整列はどこへやら、どこもかしこもお祭り騒ぎ。
「……っ」
彼らの迫力に圧倒されて、言葉を失っている私のもとに、おかっぱ頭の女の子が走ってきた。
「族長っ、もう真白と話していいんでしょ?」
一二、三歳だろうか。
利発そうなその子はファリドさんに詰め寄る。
「ああ、もちろん。ただわかっているとは思うが、真白が嫌がることをするのはだめぞ」というファリドさんの返事を最後まで聞かずに、彼女は私の左腕を小さな両手でガシッとしっかり掴んだ。
「私タマラよ! 私たち、真白に聞きたいこといっぱいあるの。聞いてもいい?」
「えっと、うん。もちろん」
ためらいながらも私が頷くと、タマラは「やったー!」とぴょんぴょん飛び跳ねて喜んでくれた。
どんなことを聞かれるのかドキドキしたけど、純粋な視線を向けられるのがくすぐったくて、同時に嬉しかった。
タマラに連れられて大きな石囲炉から少し離れた場所に着くと、タマラと同世代くらいの子たちがすでに集まっていた。
どうやら、私とタマラが来るのを待ってくれていたようで、
「みんなー、真白連れてきたわよー!」
「「「「「わぁーー!!」」」」
タマラに連れられた私がやってくると、ざっと一〇人くらいの女の子と男の子が私を囲んだ。
そして、いつの間に用意していたのか、子どもたちは人が座れるくらいにカットされた切り株のイスに私を座らせて、自分たちも床に座った。
そして、一人一人立ち上がって自己紹介をしてくれた。
幸いなことに、似たような植物を見分ける遊びを幼少期から親とやっていた私は、人の名前を覚えることが得意だった。
多分、一〇人全員の名前と顔を覚えることができたと思う。
溢れんばかりの好奇心に満ちた真っ直ぐな眼差しにできるだけ応えられるように、私も地べたに座る子どもたち一人一人を真っ直ぐ見つめた。
最初に口を開いたのは私の目の前に座っているタマラだった。
「真白は、こことは違う世界から来たって聞いたわ。それは本当なのよね」
決して疑っているわけではなく、私の口からちゃんと聞きたい。そうであることを確認したい。タマラの表情はそんなふうに物語っていた。
「……私も、本当のところはどっちなのかわからないの。こうやって、みんなと言葉も通じるし、私が見て知っているものもこの場所にはたくさんある。でも、住んでいる家も、食べているものも、着ているものも、町も、生活も、空気も、人も、ちょっとずつこことは違う。今の段階では、ここと似ている別の世界という表現が一番正しいと思う」
私の返答にタマラの瞳に輝きが増していく。
まるで、私が別の世界からきたという答えを望んでいたかのようだ。
「教えてっ! 真白が住んでいた世界のこと、もっと知りたい」
「私もー!」
「俺も、知りたい!」
タマラの言葉に続くように、他の子たちも私が暮らす現代のことを知りたがった。
私はどこから話せばいいのかかわからなくて、頭を抱えた。たった今、似ているところもたくさんあるとは言ったけど、いざ違いをあげてみると何もかもが違う。
まずは、みんなが身近に感じることができるような暮らしから話始めることにした。
口頭で伝えるだけじゃわかりにくいと思って、地面に小枝で絵を描きながら説明することにした。
最初は、家の違い。二階建て、三階建ての家があること。
家の中にはたくさんの部屋があって、お風呂、トイレ、寝室などがすべて別れていること。
水は蛇口をひねるだけで出てきたり、電気やガスというエネルギーによってお風呂のお湯を沸かしたり、ごはんを作ったりしていること。
私の話の一つ一つに、始めこそ「えー!!」や、「うそだー!」といった驚きの声を上げていたけど、途中からは全員が真剣な眼差しで私の話を黙って聞いていた。
あまり面白い話じゃなかったかなと不安に思ったけど、どうやらそうではなくて、子どもたちは私の話に夢中で聞き入ってくれていたのだとみんなの目を見て気づいた。
私は、その後も話を続けた。
現代にはお金というものが存在しており、食料、水、電気、家、服、身の回りのものはすべてお金と交換して手に入れなければいけないこと。
生きていくためにはお金が必要で、大人はお金を稼ぐためにその人の能力に適した仕事をしていること。
子どもは学校という場所に通って、生きていくために困らないための知識や教養を学ぶこと。
「真白もその学校に通っていたのね」
「うん。そうだよ。私は今一五歳だから、高校という学校に通っていたの」
私はタマラの問いに頷いた。
「……学校にはいつまで行くの?」
タマラの隣に座る男の子。名前は確かヤン。子どもたちの中で一番身長が高い子だ。
ヤンの質問に私は答える。
「学校はね、年齢や学ぶ内容によって種類があるの。基本的にみんなが通うのが、一二歳まで通う小学校、一五歳まで通う中学校。ここまでは義務教育といって、親は子どもに教育を受けさせなければならないっていう国の義務なの」
「学ぶことが義務……」
強い衝撃を受けたように、ヤンの目が大きく見開かれる。
違いはあれど、他の子たちも私の言葉に驚いているようだった。
「そう。私の国では、子どもの仕事は学ぶこと。自分が生きるため、みんなと一緒に生きていくため、お世話になった人や大切な人に恩返しをするため、自分の夢をかなえるめに、たくさんの知識を身につけることに時間を使うの。私が通っている高校では、小学校、中学校で学んだことをさらに詳しく学ぶ。そして、自分の好きなことや得意なことをより深く学ぶために、大学や大学院という場所に通う人もいる。短い人で約一〇年、長い人では二〇年以上も学ぶために時間を使うの」
「そんなに? 真白の世界には、そんなに学ぶことがあるの?」
タマラは大きな目をさらに大きく見開いて私に尋ねる。
この世界だって学ぶことはたくさんあるよ。国や場所なんて関係ない。学びたいと思うことがあれば、いつでもどこでも学ぶことはできる。
そう言おうとして、やめた。
確かに学びたいという気持ちさえあればどこでも学ぶことはできる。だけど、学びを深めるには、疑問と答え合わせを繰り返す必要がある。
この世界には学校も、教科書も、本も、インターネットもない。どんなに学びたい気持ちが強くても、ここには答え合わせをする手段がない。
この世界の中で疑問を抱き、この世界の中で答え合わせをするしかない。
この世界で生きていく限り、一生。
この子たちにとっては、それが当たり前なんだと気づいたとき、私は、これ以上自分の話をしていいのかわからなくなった。
もしかしたら私は、子どもたちにとても残酷なことを教えてしまっているんじゃないかと思ったから。
「真白? どうしたの?」
黙り込む私に、タマラが心配そうに声をかけてくる。
この子たちの中に、学ぶ喜びに目覚めてしまった子がいて。そして、この場所では限界があることを知ってしまったら……。
これは話す必要がないと思って、あえて伝えなかったことを、私は子どもたちに話すことにした。
「私の世界では子どもたちは学校に行って学ぶことが仕事だって言ったけど、中にはそれができない子どももいる」
「……どういうこと?」
「その子が住んでいる環境や、家庭の事情、捻出できるお金。この世界にはない格差によって、学校に行きたくてもいけない子。学びたい気持ちはあっても学ぶことを諦めざるを得ない子もいる。それは、私の国だけじゃなくて、他の国でも当たり前のように起きていること」
「どうするの? どうすればいいの?」
「私の国にはそういう子に手を差し伸べてくれる人や組織があるけど……」
だけど、そういう公的なものを使えるのは本当にたゆまぬ努力をしている子や秀でた才能のある子だけ。
全員がそうなれたら、格差なんて生まれない。
みんなが同じような能力、同じような気持ちを持っていなくて当たり前なのだから。
努力をしなかった、才能がなかったからというだけで、切り捨てられてしまうような世界で生きるには、生きるには……。
お父さんとお母さんだったら、なんて言うかな?
どんな答えを出すか、考えた。
でも、考えても、考えても正解がわからない。
正解なんて、そもそもないのかもしれない。
だから私は、この世界に連れてこられたときに自分が出した答えを、みんなに教えることに決めた。
「……自分で、見つけるしかないんだと思う」
「自分で?」
タマラが首を傾げる。
私はタマラに向けて深く頷く。
「今いる環境が自分の願っていたものじゃなかったとしても、誰かのせいにして恨んだり、悔やんだりし続けても、前には進めないから。今自分が置かれた環境で、どう自分らしく生きていくかを考える。自分だけの楽しみや喜びを探して、精一杯生きていく。誰のものでもない自分の時間を、後悔しないように今日も生きる、かな。私は」
まさに、今の自分がそうだから。
現代で暮らしていた時は恵まれた環境で、自分の望む進路を選択することができていたから、こんなことを考えることはなかった。考えもしなかった。
でも、いざ知らない世界に飛ばされて、自分の望まない世界で生きるという選択肢しかない状況になって、今後の身の振り方を否応なしに考えなければいけなくなった。
本当なら恨みごとの一つも言いたい。胸の中で膨らむ憤りをぶつけたい。
でも、恨んでも、悔やんでも、嘆いても。状況が良くなることはなかった。
それどころか、心の中が暗い気持ちに支配されて、どんどん自分が嫌な人間になっていくのがわかった。自分のことが嫌いになっていった。
このままじゃ、お父さんとお母さんが愛してくれた、茉莉花や朔ちゃん、大賀、桜ちゃんが好きだと言ってくれた自分じゃなくなる。
そんなのは絶対に嫌だ。
だから、自分を見失わないように、生活の中で小さな楽しみや喜びを見つけて、精一杯生きていくことにした。誰かのせいにしないために、後悔しないように今日も生きることを選んだ。
それが、私の出した答え。
偉そうに語っておいて、急に恥ずかしくなってしまった。
タマラも、ヤンも、ほかのみんなも黙ってしまったから、どうしていいかわからないでいると、
「真白の話、もっと聞きたい。聞かせてっ」
一番後ろに座っていた女の子。赤毛にそばかすの、名前は確かスサンナ。
なぜか目に涙を浮かべて、私に必死に訴えかける。
スサンナだけじゃなく、他の子たちもスサンナと同じ気持ちだと言うように大きく頷く。
もしかしたら、この子たちは。
「……」
私と出会うずっと前から、自分たちの住む世界がとても狭いことも、その狭い世界では自分の願う未来が叶わないことも、全部、気づいているのかもしれない。
全員じゃなくても、自分の運命を理解している子は少なからずいるんじゃないかと感じた。
子どもたちだけじゃない。大人の中にも、そんな気持ちを抱いていた人がいたかもしれない。
みんなその葛藤を乗り越えて、大人になっているのだとしたら、私の話はその妨げになるんじゃないか。葛藤を、より強くしてまうんじゃないか、迷った。
『真白が持っている優しさと知恵をウォルフ族の子らにも分けてほしい』
ファリドさんに言われた言葉が頭をよぎる。
ファリドさんがどういうつもりでそう言ってくれたのかは、わからない。
わからないけど、
「私の話で良ければ。私の知ってること、経験したことで良ければ」
真っ直ぐな感情を、拒否することなんかできなかった。
私だってまだ一五年しか生きていない。
島育ちだから本土のことは詳しくない。きっと、知識にも偏りがある。
高校一年生になったばかりの私が、子どもたちに自信を持って教えられることには限界があるだろう。
だけど、せめて私がこの世界にいる間は、この子たちが望む限り、私が一五年で培ってきたものを伝えたい。
それがウォルフ族のためになると判断したファリドさんを、信じる。
私を温かく迎え入れてくれたウォルフ族の未来が、これからもずっと明るくあり続けられるように、私にしかできない形で恩返しをしていこうと決めた。