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家が立ち並ぶところから少し離れたところにあったファリドさんの家。
族長仕様なのか、他の人の家よりも立派だった。
戸のない入口には小さなはしごがかけており、はしごを降りてお邪魔した家の中は外より六〇㎝ほどの深さにある半地下だった。
広さはだいたい畳一五畳ほどはあるだろうか。
複数の柱を建てた骨組みはむき出しで、屋根には葦や土などを敷いたシンプルな構造だけど、基本は現代の家と同じと思う。
床板などは当然なく、土をならして平らに固めただけ。床の上には、獣の毛皮や、藁や竹などの植物を編んでつくったであろう敷物がいくつか敷いてあった。
家の中央には、中程度の石で囲まれた石囲炉があり、日が昇っている今の時間でも小さく燃え続けている。
壁には弓や槍のようなもの掛けられている。あれで狩りをしているのだろう。
過去に使っていたものではなく、今もなお使われ続けている竪穴式住居にお邪魔させてもらえるなんて、きっと二度とない経験だ。
失礼にならない程度に、私は家の隅々までしっかりと目に焼きつけた。
そして、ファリドさんに出してもらった敷き物の上に座って、私はさっきイーシャに説明したときよりも詳しく、自分のこと、そして今に至るいきさつを全て話した。
私が暮らしていた島、家族。そして本土、私たちの国のこと。
言霊の泉にしたお願いごと、一緒に飛ばされたかもしれない四人のこと。
ファリドさんは、イーシャと同じように最後まで私の話を聞いてくれた。
この森で生活している彼らにとっては、到底信じることができないであろう話を、一つ一つに頷きながら、真剣に聞いてくれた。
「私も自分の身に起きたことが信じられません。夢でも見ているんじゃないかと思ったときもありました」
「うむ。そうだろうなぁ……」
ファリドさんは子どもをあやすように、私の背中をトントンッと小さくたたいてくれた。
私を労わる気持ちが伝わってきて、小さな子どものように感情が溢れてしまいそうだった。
イーシャに会う今日まで、夜がくるたびに、もしかしたら明日目を覚ましたときには現代で、島の自分の家の、部屋のベッドの上にいるんじゃないか。そう期待して、朝を迎えて失望する。そんな夜と朝を繰り返した。
「でも、これは現実で……私は……帰りたいんです。みんなに会いたい。お父さんとお母さん、ペロ、茉莉花、朔ちゃん、大賀、桜ちゃん……大切な人がいる自分の島に、帰りたいだけなんです」
「……うむ。それは、当然のことだ」
「ウォルフ族のみなさんを傷つけたりしません。そんなこと、絶対にしません」
「そんなことはわかっておる。私はあやつらと違ってはじめから疑ったりしてないぞ」
「えっと……それは、どうしてですか?」
「はっはっは。私ぐらいになると、相手の目を見ればわかるんだ」
「目、ですか」
「そうだ。真白の目は、控えめだが真っ直ぐだ」
「……」
「自分とは違う種にも慈愛を向けられる人間は、心根から優しい子しかおらん」
「……」
「大切な友人が見つかるまで、自分の居場所に戻れるまででもいい。ここで暮らしなさい」
「っ!」
「その間、真白が持っている優しさと知恵をウォルフ族の子らにも分けてほしい」
ファリドさんの気持ちは本当に嬉しかった。
人間がいる生活圏で暮らすことができたら、命を落とす確率もぐっと下がるし、四人を探すことに集中できる。
この世界に連れて来られた私にとって、願ってもない言葉だった。
だけど、ルカ―を助けただけで、正確には助けてもいないのにここまでしてもらうのは、あまりにも厚かましい気がする。
得体の知れない私をこの村に置くのは、リスクでしかないはずだから。
「……私、みなさんにご迷惑かけると思います。きっと、かけてしまいます」
暮らしも、文化も違う私は、きっと足手まといにしかないだろう。
私が知っている知識を与えたとしても、この世界でそれを生かせるのかもわからない。
無駄に混乱だけを招くことになってしまったら、それこそ私を生かしてくれたルカーとイーシャに顔向けできない。
色んなことを考えると、ファリドさんの好意を素直に受け入れることはできなかった。
「よいじゃないか」
「……えっ」
「迷惑、かけて結構」
そんな私に、ファリドさんは変わらず笑みを浮かべる。
「ウォルフ族は一八で成人を迎えるんだ。だから、うちの子らはすぐに手がかからなくなる」
ファリドさんは誇らしくも、寂しそうだった。
「一人くらい手がかかる子が増えたって変わらん。むしろ、楽しい。そう思わんか?」
私は、大きな勘違いをしていたことに気づいた。
ファリドさんがウォルフ族の長だと納得できた理由は、彼が鍛え抜かれた肉体と、研ぎ澄まされた精神を持つ、仙人のような人だと思ったから。
でも、そうじゃない。それだけで、森の王者であるウォルフ三〇頭と、年齢も性別も違う百人近い人間を統べることはできない。
ファリドさんがウォルフ族の長なのは、それは――ファリドさんが誰よりも、深い愛情を持っているから。
「こんな状況で、周りのことばかり考えるのは止めなさい」
「……っ」
親が子どもに向けるような愛情。
お父さんとお母さんが私に注ぎ続けてくれていたものと同じ。それを、違う世界の得体の知れない私にも、惜しみなく与えてくれる。
せっかくここまで抑えつけていた思いが、我慢していた気持ちが溢れでてしまいそうで、私はすぐにうつむいた。
そして奥歯を噛みしめて、ぎゅっと口を結ぶ。
そんな私に、もう一度ファリドさんの手の熱が背中越しに伝わる。
「健気な子は、しんどいな」
私を慈しむその一言をきっかけに、何日も何日も押し殺していた思いが、とうとうあふれ出てしまった。
「……っ……っ……」
ポタッ、ポタッ。
と、土床に小さな染みがいくつも生まれる。
寂しい。会いたい。帰りたい。もう、疲れた。もう、こんな世界嫌だ。
お父さん、お母さん、ペロ、茉莉花、朔ちゃん、大賀、桜ちゃん――みんなに会いたい。会いたいよ。
吐き出したかった気持ちの数だけ染みが増えていく。
こんなに止まらないものかと可笑しくなるくらい、床の染みは広がっていった。
弱音を吐いても帰れるわけじゃない。現実が良い方向に変わるわけじゃない。だから、その日が来るまで我慢しよう、強くいようと思っていたのに。もしかしたら、私は自分が思うよりずっと限界だったのかもしれない。
一人で生きるのは、慣れてしまえば大変じゃなかった。
お父さんとお母さんが私に生きる知恵を授けてくれていたから。
でも、一人で生きるのは、虚しい。虚しかったんだってことを、人の温かさに触れて気づいた。
どんなに孤独でも、死にたいななんて思うことはなかった。
だけど、一人きりの時間がどんどん長くなると、生きたいと強く思えなくなっていた。
イーシャ、ルカ―、そしてファリドさんの優しさに触れて、消えかかっていた生への執着心を取り戻せた気がした。
日が沈む頃――
私の気持ちが落ち着いたのを見計らって、ファリドさんは集落の中央に私を連れた。
集落の中央にはファリドさんの家で見たものよりもずっと大きな石囲炉があり、そこで肉や魚を焼いていた。傍には木の実なども置いてある。
ウォルフ族式のバーベキューといったところだろうか。
ファリドさんが声をかけると、石囲炉を囲むようにウォルフ族の人たちが集まってくる。
そして、ばらばらだった人たちは誰に言われるでもなくきれいな列をつくり、一斉におしゃべりを止めた。
「もうみんな知ってるとは思うが、今一度紹介する。真白だ」
私は深いお辞儀をした。
「真白は、わけあってこことは違う世界から来た。いや、連れてこられたと言った方が正しいか」
ウォルフ族の人たちに大きなどよめきが走った。
私自身も、まさかファリドさんが本当のことを真正直に言うとは思わなかったから、一気に不安が襲った。
「もしかしたら大切な仲間も一緒に来てしまっている可能性もあるそうだ。それを、信じる信じないは、もはやどうでもよいこと。真白はシナ―によって怪我を負わされたルカ―を助け、命を繋いでくれた。ルカ―の恩人だ」
ちょっと、いやだいぶ誇張が入っているけどいいのかな。
全員を納得させるにはウォルフ族にとって家族であるルカ―を出すのが一番良いのはわかるけど、ファリドさんの大げさな言葉に黙って聞いているのもはばかられる。
「仲間を見つけて、元の世界に戻れる日まで、真白はウォルフ族で預かることにする」
ファリドさんは、ひときわ大きな声でそう宣言した。