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「さてと……」


 また一人になってしまったけど、ここからが本当の始まりなのだ。

 寝床はもうどこでもいい。自然豊かなこの場所なら食料もなんとかなることがわかった。

 木も植物も、知らないものもたくさんあるけど、知っているものもたくさんある。

 水場も、ここ以外にもまだまだありそう。

 気力さえあれば、ここで生きていくのは難なくない。


 まず私がやるべきことは、四人の手がかりを探すこと。

 私だけならこの場所から脱出する方法を考えればいい。でも、もしも四人もこの場所にいるのだとしたら、この場所から脱出する方法を考えるのは四人を見つけて、合流してからだ。


「……茉莉花」


 車椅子から降りて泉に入ったから、もしもここに飛ばされてきているのだとしたら茉莉花は歩けない。

 車椅子が通れない場所は兄である朔ちゃんがおんぶしてあげていたけど、もし朔ちゃんと一緒じゃなかったら? 私と同じように一人きりだったら?


 朔ちゃんは常に冷静で頭も良いから心配はしていない。将来は病院の跡継ぎとして医者になる朔ちゃんは私よりもずっと生きるための知識もある。

 大賀は誰よりも体力と精神力がある。空手とボクシングもやっているから、武闘派だし、獣とやりあっても簡単にやられれることはないだろう。

 桜ちゃんは優しい。桜ちゃんの癒しの力はどんな生き物だって手なずけることができる。警戒心の強いリスや野ウサギと友達になれるのだから。文化の違う人間と出会ったとしてもきっと大丈夫。


 三人のことも気がかりだけど、やっぱり茉莉花のことが一番心配だ。

 車椅子になっても決して気後れすることなく活発なところは頼もしくもある。だけど、自己主張がはっきりしすぎていて、人と衝突することも少なくない。

 茉莉花に関しては、体よりもそっちの方が心配かもしれない。

 どうか、みんなが無事でいますように。全員の安全を、心の中で強く願った。



 やっぱり人間を探すには、人間に会うしかない。

 人間以外の生き物と出会っても話すことはできない。そこから手がかりを掴むのは容易じゃない。


 私はこれ以上移動するのを止めて、しばらくここで生活を続けることにした。

 生き物にはエサに含まれる水分から水を摂れば水を飲まなくても平気なものもいる。でも人間はそうじゃない。人間は水を飲まないといずれ死ぬ。

 この森に人間がいるとしたら、必ず水場にやってくる。

 これだけ広い森なら他にも水場はあるはずだから、必ずしもこの池にくるとは言い切れない。効率は悪いかもしれない。

 幸いにも、私には時間がいくらでもあった。


 この日から、私は池の近くで生活を始めることにした――



 現代では、原生林などの自然豊かな場所にある植物や動物は、特別な許可がない限り触ったり持ち帰ったりしてはいけない。

 だからこんなことをするのは多分、というか絶対にだめだ。

 父と母に知られたらなんて怒られるかわからない。


「……九日目」


 罪悪感を覚えつつ、私は木に一の字を刻んだ。

 木表面を覆うざらざらの樹皮を剥がするとつるつるの形成層が現れる。この形成層を処理したものがホームセンターなどで見る木材だ。

 その面に、私は記録を残すことにした。

 今日が何日で何時なのかはわからない。ただ、あの日目が覚めてから夜が明けて日が昇ったのを見たのは今日で九回目。

 木を故意に傷つけるのはしのびなかったけど、紙もペンも携帯電話もないこの場所で、消えない記録をつけるにはこれしかなかった。


 九日間この場所でわかったことがいくつかある。

 まず、食料が豊富だということ。食べられる木の実、野草はもちろん、動物の気配をいたるところで感じる。

 狩りをするための道具さえあれば、動物の肉を食べることも可能だろう。

 そして、気候。昼間は温暖で湿度も高くもなければ低くもない。風もほとんどない。全身濡れた服を着ていない限り、夜は凍えるほどの寒さにならない。

 現代の季節でいえば、春と夏の間くらいの気候だと感じた。

 もちろん、この場所にも四季があればこれから気候は変化するだろうけど、今のところ寒くて震えることも暑くてうだることもない。


 現代は五月だったけど、ここは今何月なのだろう。

 推理しても答えを知ることはできないのに考えることが止められない。

 時間をもてあましているせいで考えることくらいしか楽しみがなくなっているのだ。


 池の水で顔を洗いながら思考を巡らせていると、池の反対側から「がさっ」と、何かが動く音がした。


「……」


 どうせ人間じゃない。うさぎかきつねか、はたまた違う生き物か。

 九日も森にいれば多少のことじゃ動じなくなってしまった。むしろ次はなんだろうとわくわくすらしている。

 私はゆっくり腰を下ろして、次の動きをその場でじっと待った。


 がさっ、がさっ。


 すると、ゆっくり辺りを警戒しながら、大きな鹿と小さな鹿が池の前に姿を現した。

 角がないからおそらく雌鹿だ。

 この子たちは親子なんだ。

 島でも鹿は見たことがあるし、なんなら鹿肉も食べたことがあるけど、こんなに至近距離で見たのは初めて。

 茶色毛に白い斑点模様がある。鹿の子(かのこ)模様とも呼ばれる模様は夏毛にしか現れない。

 つまり、この場所も夏と同じ季節、もしくは同じ気候であることが今証明された。


「……」


 かわいらしい。

 まだ小さな小鹿は、雌鹿の半分ほどの大きさしかない。

 そんなほっこりとした気持ちはすぐに消えた。

 今の私は無意識のうちに武器になるようなものを探していた。

 この九日間、木の実と野草しか食べていないのだ。必要最低限の栄養はそれでとれているし、飢え死にすることはない。

 でも、食べられるものなら良質なタンパク質と脂質を食べたい。

 ここに来る前の私と今の私とでは思考が変わってしまった。鹿を見ても、かわいいと愛でる気持ちより食べたいと思う気持ちの方が勝っている。

 目の前にある豊かなエネルギー源を見ていることしかできないことが悔しくて仕方ない。


 だけど、普段は大人しい雌鹿だけど、子育て期になると攻撃的になっているから下手に近づくとこちらの命が危ない。

 池の反対側にいるとはいえ、万が一襲われでもしたら、最高速度六〇キロを超える鹿から逃げきることなどできない。

 情けないけど、今私ができることは鹿の親子が去るのをじっとこらえて待つだけ。


 親子鹿が頭を下げて水を飲んでいるときだった、


 ヒュッ。


 風を切る音が上空から聞こえて、反射的にばっと空を見上げた。


「ヒィ――ンッ!」


 それは私の視線が追いつく前に、母鹿の背に「グサッ」と鈍い音を立てて突き刺さった。

 同時に、母鹿の悲鳴が森に響き渡る。

 小鹿は動揺しているけど、母鹿を置いて逃げる様子はない。

 母鹿は森の中に逃げようと体をひねるも、二メートルはありそうな槍のようなものが背に刺さって身動きがとれないようだ。


 ドクドクドクドクッ――心臓が早鐘のように打ち始める。

 この森であんな武器を作れるのは、


「……っ」


 人間しかいない。

 この森に人間がいる。私以外の人間が、やっぱりいたんだ。

 そして、もうすぐ私は遭遇しようとしている。自分以外の人間に。


 ずっと待っていたはずなのに、この場所の手がかりを、四人の行方を知るために、そのために水場を張っていたはずなのに。

 今は同じ人間と会うのが怖い。違う生き物よりも、人間が、一番怖いと思うなんて。


 このままゆっくり下がって、森の中に隠れてしまいたい。

 いや、だめだ。それじゃあここで何日も張っていた意味がない。

 生きて帰れるもかわからない状況で弱気になっている時間はもったいないだけだ。

 人間の気配と足音がすぐ傍まで近づいてきたところで、私も勢いよく体を起こした。


「オレグ、やった……」


「……」


 その人が森から姿を現したのと、私が地面から立ち上がったのはほぼ同時だったと思う。

 だからこそ、真っ直ぐすぎるほど真っ直ぐに視線が合ったのだろう。


 男の人だった。それも、とても大きな。とても綺麗な。


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