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「……あれ?」


「…………」


 私が戻ってくると、獣は素知らぬ顔をする。

 ついさっき足元に置いたはずの木の実が一つ残らずなくなっていた。残っているのはあまり美味しくない野草だけ。

 うちにきたときのペロは警戒して二日もごはんを食べなかったけど。


「あなた、本当に野生?」


「…………」


 私の言葉にふてぶてしい態度でふいっと顔を背ける。

 さっきまで牙をむいて私を威嚇していたことなど忘れてしまったのか、鼻先をくいくいと上げて、「おいもう終わりか、もっとよこせ、ほらとってこい」とでも言うように、私を森へ促す。


「ふっ……」


 なんて、可愛いんだろう。


「ちょっと待ってて」


 私は、獣のお望み通り、森の中へ入った。

 そして、さっきよりも多くの木の実をとって獣の前に置くも、大きな舌でぺろりとたいらげてしまった。獣はさっきよりもリラックスした体勢で、図々しくも三度目のおかわりを私に要求してきた。



 五度目のおかわりをあげたところで、私は水場に向かった。

 両手に水を汲んで持ってくると、獣はものすごい勢いで水を取り込んだ。

 まだ飲み足りなかったようで、その後も三回水を汲んできた。

 懐くというよりは、私のことなど取るに足らない存在だと認識したようで、獣は威嚇することも唸ることもしなくなった。


 どれくらいそうしていたのか、出発したときは空が明るくなっていたのに、今はもう日が沈みそうになっていた。


「ゲプッ……」


 げっぷしてるし。

 私は獣がリラックスしている間に、自分が着ていたパーカーとTシャツを脱いだ。

 Tシャツを半分に引き裂いて、布を二枚作る。そしてその布をさらに二枚に破いて、四枚の布を作った。

 着ていたパーカーのチャックを首元まで完全に閉めてから、さっき一緒に摘んできたヨモギを揉んで汁を出し、二枚の布の真ん中に染み込ませた。


「脚、触ってもいい?」


「……」


 私の言葉に唸りはしないものの、返事もしない。


「脚、触るよ?」


 ゆっくりと手を脚に近づける。


「……」


 抵抗はしない。

 威嚇もしてこない。


「少し痛いと思うけど我慢してね。傷口見るだけだから」


 脚の傷口にそっと触れると、ぴくっと体が大きく揺れた。

 顔を見ると、少し強張っているように見えたけど、私の行動を許可してくれるようだった。


「ありがとう」


 私は獣の背を優しく撫でた。

 ペロと違って毛はがさがさで硬かった。でも、温かい。生き物の体温を感じた。


 私は池に戻って靴を脱ぎ、脱いだ靴に水を入れて戻ってきた。

 前脚と後ろ脚に水をゆっくりかけて、血を洗う。皮膚を清潔に保つためだ。

 水が傷に染みるのか、獣は顔をしかめていたけど、抵抗することなく私のやることを受け入れてくれた。


 傷口を洗った後、ヨモギの汁を染み込ませた布を少しきつめに巻いた。

 そして、その上から残りの布を前脚、後ろ足に巻き付けた。

 ヨモギは止血、止痛、殺菌の効果があり、古くから医療用の血止薬として利用されてきた薬草だ。

 気休め程度にしかならないかもしれないけど、そのまま放置しておくよりは治りは早いはず。


「歩けるようになるまで休んでて」


「……」


「私が見てるから、大丈夫」


「……」


 言葉はわからないはずなのに、私の言いたいことが伝わったのか、それとも自分の意思なのか、獣はさっきよりも体を丸めてゆっくりと目を閉じた。

 私は獣から目が届く範囲で小枝と枯れ葉を集めて焚火の準備をした。

 水場が近いせいか昨日よりも火が付くまでに時間がかかったけど、火はついた。

 火の傍にある木の枝に靴を干す。

 私はここにきて何かしら干してばかりいる。


「あったかい」


 Tシャツをあげてしまったから、パーカーの下はブラジャーだけ。

 さすがに肌寒かったみたいで、焚火の前に座ると冷えた上半身がじんわり温まっていく。

 私は獣があました木の実をゆっくり食べ始めた。


「……おいしい」


 そういえばちゃんとした食事をするのはこれが初めてだ。

 木の実ってこんなに美味しいんだ。

 島にもたくさんの木の実があって小さい頃はよく食べたりしていたけど、ここの木の実の方がおいしい。

 自然が豊かだから、久しぶりの食事だから。それとも、自分以外の誰かが傍にいるから。

 一口、また一口、噛みしめるようにゆっくり食事をとった。

 そして今度は自分のたに池の水を両手で汲んで、飲んだ。

 水もおいしい。喉をすっと通っていく。両手ですくった水を二杯飲んで、獣のもとに戻った。


「……寝てる?」


「…………グゥ」


 浅い眠りを繰り返す犬が完全に寝落ちすることは少ない。野生に生きている犬ならなおさら。

 寝息をたてるほど深い眠りに入ってしまっているの? にわかには信じられないけど。

 とにかく、獣が安心して眠れるように、私は獣のそばから離れなかった。

 背中、頭、頬を、ペロにしてきたように、そっと撫でた。

 夜が明けるまで、ずっとそうしていた。



 夜が明けるまで、獣が目を開けることはなかった。

 警戒して、虚勢を張ってはいたけど、やっぱり体はこたえていたのかもしれない。

 傷口からして何か鋭いもので傷つけられたような痕だった。

 生き物同士が争うときにあんな場所をピンポイントで攻撃するとは思えないけど……。

 まさか、人間?

 現代でも犬食文化(けんしょくぶんか)が残る国がまだあるから、この場所がそうでないとは言い切れない。

 少なくとも私が住む国に犬食文化はない。私たちにとって犬はペットや仲間として愛しむ存在だから。


「……どうしよう」


 もしここに住む人間が私とはまったく違う文化を持つ人だったら。助けてもらうどころか、対立しかねない。

 嫌な想像を始めると、事態をどんどん最悪な方へと考えてしまう。

 人間ではない違う動物にやられてついた傷でありますように。そう願わずにはいられなかった。


「……!」


「あ、起きたの」


 私が嫌な想像を膨らませていると、獣が目を覚ました。

 右、左と頭を動かして記憶を辿っているようだった。

 目の前にいた私と視線が合うと、目を丸くした。


「なに?」


「……」


 お前、ずっとそこにいたのか。とでも言いたげな顔だ。

 この獣は表情が豊かすぎる。

 感情を偽ることができる人間よりもずっと正直で素直だ。

 獣は脚をかばいながらもゆっくりと体を起こした。


「うん。大丈夫そうだね」


 野生の生き物はこれくらいの怪我なんてことないのかもしれない。

 余計なことをしてしまったかな。

 獣は何か言いたそうな顔で私の顔をじっと見つめてその場から動かない。


「行っていいよ」


「……」


「仲間がいるんだよね」


「……」


 獣がどうかはわからないけど、犬の場合は群れで生活する動物だ。

 獲物を捕まえたり、敵から身を守ったりするときも常に仲間と一緒。

 獣にもこの森に仲間がいるのだろう。

 私にも仲間がいる。茉莉花、朔ちゃん、大賀、桜ちゃん。

 私と同じように、四人も言霊の泉からここに飛ばされてきた可能性がある。

 私も仲間を探さなきゃいけない。


「ありがとう」


 ペロのことを思い出して、また頑張ろうって思えた。

 あのふわふわの毛をまた撫でたい。一緒の布団でお昼寝したい。もう一度、この手で抱きしめたい。

 そのためにも、絶対に島に帰りたい。帰ると強く思うことができた。


「……」


「……わっ」


 ゆったりとした足取りで私の目の前まで近づくと、獣が私の口元をぺろりと舐めた。

 ありがとな。とでも言うように。

 犬が顔や口を舐めてくるのは〈愛情表現〉や〈信頼感〉を示す。

 ざらつく舌が肌に触れる感覚が懐かしい。

 ペロよりもずっと大きいのに、ペロと同じ。


 私が笑うと獣は照れたような顔をふいっと背ける。

 そして私に背を向けて、森の中へ駆けて行った。

 私は獣の大きく揺れるしっぽが見えなくなるまで、見送った。


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