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 眠っていたのか、意識を失っていたのか、どちらなのかわからない。

 目を開いたときに瞼は重くなかったからそこまで長い時間瞼を閉じていたわけではなさそうだ。

 ゆっくり体を起こすと、


「寒い……」


 次には体が震えるほどの寒さを感じた。

 こんな夜の森で、髪の毛も着ている服も靴もびしょ濡れのままでいるのは冗談じゃなく自殺行為だ。

 震える体を抱きしめながら、そこでようやく自分がみんなと泉の中に飛び込んだことを思い出した。


「茉莉花?」


 突然水面に光が現れて、私はみんなと泉に飛び込んだんだ。

 でも、辺りを見渡しても、茉莉花、朔ちゃん、大賀、桜ちゃん。誰一人いない。

 それどころか、言霊の泉もないし、神殿もない。あるのは、好き勝手に伸びている木々と植物だけ。

 明かりは空に浮かぶ月のみ。

 田舎育ちだから夜目はきくほうだと思うけど、それでもこんなに暗い森の中にいたことはない。


「茉莉花……朔ちゃん、大賀、桜ちゃん」


 神殿へ行く道中は確かに森の中ではあるけど、ここはどこか違う。

 島の森はこんなにも人の保護を受けていないような、自由に自然なままに、木々は、植物はあった?


 ポーポー。

 バサバサッ。

 ウォーッ。


「……」


 こんな、まるでジャングルのように、あちらこちらから生き物の鳴き声は聞こえていた?

 なにより違うのは。


「スゥー」


 私は確かめるように、肺いっぱいに大きく息を吸い込んだ。

 そして、ゆっくりと吐き出す。


「はぁー……」


 物理的な確証は何もなかったけど、私の体が教えてくれている。

 これは島の空気じゃない。

 一五年、私が生まれてからずっと吸い続けてきた空気じゃない。


「ここ、島じゃない」


 自然豊かなところは同じかもしれないけど、島とは違う別の場所だ。

 じゃあここは一体どこ? 誰が、どうして私をここに。他の四人はどこへ行ったの?

 島から本土まではフェリーで四時間はかかる。起きたときの感覚からは、四時間以上意識を失っていたとは思えなかった。

 茉莉花の後を追って、水面に飛び込んで、光に包まれた後、そこから今に至る理由が考えてもわからない。


「……寒い」


 何もせずこのままここにいたら私は間違いなく死ぬだろう。

 今私はどうすればいいのか、わからなくて行動に出れないわけじゃない。

 島育ちで、植物学者の父と遺伝学者の母を持つ私には、その方法が嫌というほどわかっていた。

 ただ、ここがどこで誰がいるかもわからないから。そんな場所で思いきって行動できるほど、羞恥心は捨てきれなかった。

 しかし、どうやらそんなこともいってられなくなったのは自分自身が一番よくわかっていた。


「ふうっ」


 意を決して、まずは靴と靴下から脱いだ。

 足の感覚はほとんどなくなりつつある。

 水を含んだ靴下を両手でぎゅっと絞って、できるだけ水分を落とした。

 着ていたパーカー、Tシャツ、下着も脱いだ。


「寒いっ」


 半裸の恥ずかしさなどもはやどうでもいい。

 来ていた服すべての水気を手早く絞って、再び服を着た。

 そして、首に下げていたネックレスを手に取る。


「……お父さん」


 私が下げていたネックレスは、ダイヤもなければ真珠もない。

 これは、燃料を必要とせず、どんな環境でも火を起こすこができるファイヤースターがついたネックレス。

 まさか本当にこんなものが役立つ日が来るなんて、プレゼントしてくれた本人だって思っていなかったと思う。

 こんなもの必要ないと思いつつも、山や森に入るときは必ずつけていくようにというお父さんの言いつけを守り続けていたことが幸いした。


 私は低体温症になる前に、急いで焚火の準備を始めた。

 木の皮、細かい枝、枯れた植物、松ぼっくり。これらがあると、各段に火がつきやすくなる。

 でも、辺りは真っ暗でほとんど何も見えない。


 今必要以上に身動きをとるのは危険すぎる。

 体力を温存するためにも、近くの小枝を拾う程度が精一杯だった。

 これじゃあすぐに火はつかない。小枝よりももっと細かいものじゃないと……。


「……いや」


 ふと、私の視線に映ったのは、すぐ傍にある木の上に作られた小さな鳥の巣だった。

 この程度の木なら簡単に登れる。問題はそこじゃない。

 鳥の巣には、卵、もしくは鳥のヒナが住んでいるかもしれない。もちろん、空の巣かもしれない。

 試したことはないけど、親鳥が自分のくちばしで集めてきた葉、小枝、枯れ植物などでできた巣は間違いなく小枝よりはよく燃えるだろう。


「……」


 だけど、もしも空じゃなかったら? 卵が、ヒナがいたら?

 生き物を殺すことは絶対にしてはいけない。そんなこと、許されない。

 だけど、さっきから頭がぼーっとしてきて、明らかに思考力の低下を感じる。

 体の震えも止まらなくなってきているから、もしかしたら体温が三五℃台に下がっているのかもしれない。

 人間は三四℃まで体温が下がると震えすらしなくなり、自力で回復することができなくなる。さらに下がると意識が朦朧として、あとは死へのカウントダウン。


 これは無駄な殺生ではない。絶対に違う。

 そう何度も言い聞かせて、私は木に登り始めた――




 パチパチと音を立てて、小枝が燃えていく。

 せっかくついた火が途切れないように、そばにあった枝、まつぼっくりも添える。

 僅かに残っていた羞恥心は完全に消えて、着ていた服を脱いでは次々と木の枝にかけていった。

 最後のデニムも脱いで、パンツをはいただけの姿になった。

 パンツを脱がないのは恥ずかしいからじゃない。感染症対策とパンツの薄い布なら体温で乾くからという理由だ。

 必要ならば、もう脱げるだろう。


「……」


 案の定、鳥の巣はよく燃えた。

 この巣がなければ、火がつくまでにもっと時間がかかっていたと思う。


「……良かった」


 鳥の巣は、空だった。

 卵もヒナもいなかった。

 でも、もしもあのとき卵があったら? ヒナがいたら?

 私はいつまでも決断できなくて、自分の命を危険にさらしていたに違いない。


 焚火から少し距離を空けて体育座りをした。

 体が冷えたときは、急激に温めようとせずに、ゆっくりと温めないといけない。

 低体温症になりそうなほど芯から冷えている体を急に温めると、心臓へ血液の流入が急速に起こってしまい心室細動のリスクが上がる。

 その結果、心停止に至ることもある〈復温ショック〉の危険性が高まる。

 すべて、小さい頃からお父さんとお母さんに教えてもらったこと。

 山、森、川。自然の中で安全に楽しく遊ぶ方を数えきれないほど教えてもらったことが、今私を生かす術になっているなんて、複雑な気持ちだった。


 冷えきっていた体が少しずつ熱を取り戻していくように、私の思考もどんどん冴えていく。

 今はまだ暗くて、体力も完全に回復していない。行動するのは体力が回復して日が昇ってから。

 それまでに、私がやるべきことをシンプルにまとめることにした。

 

 まずここがどこなのかを知ること。

 確証はないけど、ここは私が暮らしていた島じゃない。

 本土なのか、それとも外国なのか。はたまた、あの光に包まれたことで現代ではない違う世界に飛ばされてしまったのか。

 

 生き物、植物、空、視界に映るすべてのものを確認して、人を探す。

 なぜどうやってここに運ばれたのかは考えても今は仕方のないことだから今は考えないでおこう。

 それまでに、食料、寝床も確保しないといけない。

 あとは、他の四人を探さなきゃいけない。

 私だけがこの場所に連れてこられているならそれでいい。そうであってほしい。でも、もしも私以外の四人もこの場所にいるのだとしたら、必ず見つける。

 そして、自分の島に帰る。


 お父さんとお母さん、ペロ。みんながいる島に帰る。帰りたい。

 大切な人の顔を一人一人思い浮かべると、生きる気力が湧いてくる。

 家に帰るまで、自分が生きるためにこの場所の生き物の命を奪うときがくるかもしれない。


 次はもう、迷わない。自分が生きるための選択をする。

 私は生きたいから。会いたいから。




 どれくらい時間が経ったのかはわからない。

 二時間以上経った気もするし、四時間以上経っていると言われても信じられる。

 空が少しずつ明るくなってきたことで、遠くの先まで景色が見えるようにはなった。

 どこかに民家があるのではと期待していたけど、辺りをぐるっと一周してみても、家らしき建物も人影も見えない。

 空、木、植物。私の目に映るのは自然だけ。

 状況が大きく好転することはなさそうだけど、悪くなることもなさそうだからよしとしよう。


 枝に干していた服に触るとデニムとスニーカー以外は完全に乾いていた。

 私は真っ先にブラジャーを付けて、Tシャツ、パーカーを羽織って靴下もはいた。

 デニムとスニーカーは半乾きだったけど、下半身だけ無防備なのもおかしいから、ところどころ冷たいデニムとスニーカーもはいた。


「……よし」


 小さくなっていた火を完全に消して、私は森の中を歩き出した。


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