12.私が巫女?本当にそう思ってますか?
忍、明治豪傑の中で、頑張っちゃいます。
12.私が巫女?本当にそう思ってますか?
1874年8月31日12時00分、皇居連翠。私南田忍は昨年消失した西ノ丸御殿を明治宮殿として建設中の一角にいる。
着物がきつい。紅一点である。席には、帝ほか明治10傑の大半、西郷さんもいる。こちらは、私の他、着物を着た人、他常陸のトップだ。
「本日は、200年後のお味をお楽しみいただきながら、常陸の方々と腹を開いた祭りごとのお話をいたしまする。わーきんぐらんちという嗜好でござりまする。よろしくお願いいたしまする。」
三条三条実美輔相太政大臣が開会の宣言をする。この人引退したはずだけど、なんか元気になってるし。
「くれーんというものは、大層なからくりで便利なものですな。上皇殿。この連翠も見事な建物じゃ。こちらにもぜひ欲しいものじゃ。」
帝がお話になられる。
「微力ながら。お役に立てて、光栄に存じます。材料さえ整えて頂ければ、何台でもご用意できます。このお食事のように。食事は一品ずつ8品出て参ります。これはスープというもので、カボチャと牛乳からできております。全て食していただなくとも構いません。後のものほど美味でございますから。そうですよね。三条三条実美輔相太政大臣。」
着物を着た人が答える。なんか、近藤先生に声が似て。。。ェエ!なんで!
「美食の世界を知り、極上の風呂を知り、端と元気になりましてござりまする。美食は英気を養いまするな。オロシアや朝鮮にも自慢できると思いまする。のう、鬼塚総理大臣殿。」
「ありがとうございます。明治と常陸が力をあわせれば、どんな敵も、敵ではありません。ハハハ。そうであろう、岩倉具視太政大臣補佐殿。」
なんか、順番に話している。自己紹介なのか名を呼びあいながら、しりとりみたいに。末席に来たぞ。まずは差しさわりのない話題になりますように。
・・・・中略・・・・
「ほほほ。征韓論ではもめましたが、常陸の方々も加わったので、西郷殿のお話を今一度考え直しておるのですよ。いかがですかな、西郷隆盛どの。」
木戸孝允参与が西郷さんに振った。次が私だ。
「私は、誠意を持って、相対すことを、大事と考えているに過ぎもはん。誠意があれば、必ず前進できるとの信念でございもす。江戸の無血開城しかり、やむを得ぬときに大権を振るえばよか。であるかな、お嬢さん。」
なんで!気生臭いわだいがここで!はぁ。
「南田忍でございます。若くして女がてらに常陸の軍を將いております。同じ、同じ將として人望のある西郷殿をご尊敬申し上げています。よろしくお願いします。話し合いは大切であることは間違いありません。若娘である私がお話しするのは憚られますが、今後200年の歴史が話すものと思っていただければと思います。話し合いでは相手を思い通りにしようとすることはできません。相手は環境によって自ら変えさせるです。我々は環境を作らねばなりません。
「武力でなく、環境とは。環境とはどのようなものなのじゃ。」
帝が割って入ってきた。
「所詮、国交のやりかたも、人付き合いと変わらりません。大嘘つき、太鼓持ち、無礼者、欲張り者、暴力殺人者、これら基本的価値を共有しない者は、力で屈してもなかなか改心してくれるとは思わぬことです。そうせざるを得ないように、生きていくためにはそうせざるをえないように、周りを作り変えることが環境を作るということです。」
「基本的価値の共有とは何でありもんそ。」
「例えば、明治政府と常陸は、天皇を崇める思想を共有し、同じ民族で共に発展していこうという基本が一致しています。西洋列強から日本と朝鮮で共に頑張ろうといっても、中国の子分の弱者風情が指図するでない。我々は清が第一子分。って考えているのは、基本的価値を共有しているとはいいません。」
「いかに環境を整えて、基本的価値を共有するのじゃ?」
「200年の歴史から見える最善手は、いじめっ子にやらせるだけやらせ、親分の権威を凋落せしめ、半島を逆に食わせることでしょう。まずは、オロシアの目を樺太から朝鮮に向かわせなくてはなりません。アムール川沿いに逆侵攻して、長く伸び切った首を途中から切るのが最善かと。英雄伝説の創造です。」
「・・・・」
「・・・・」
やば、過激なことを言ってしまった。
「巫女殿。いきなりオロシアとことを構え、朝鮮はそのうちにということであるか。われらにその力があるのか。」
帝が問う。巫女?!って誰が。
「朝鮮半島、死活論は間違いでないでしょう。だけど、オロシアは陸軍大国なのです。対馬海峡より間宮海峡が渡りやすいのです。第一優先は間宮、常盤の総意でございます。西郷殿がいらっしゃれば力は十分。」
上皇の近藤先生が答えた。
なんとの展開が多くてすみません。次回は樺太の画面に切り替わります。




