伝説の戦い その4
壱覇の父親。宗次郎のいた第八訓練場監督、黒金圓尾。
彼は今、妖となって闘技場に戻り、八咫烏の部隊を相手に戦闘を繰り広げている。
その事実に、宗次郎も、燈も、玄静も息を呑んだ。
なぜ。何があったのか。答えの出ない疑問が浮かんでは消えていく。
「っ!」
妖が八咫烏へ向けて尾からトゲを発射し、宗次郎は波動を活性化させる。
今宗次郎たちがいる場所と射線が一致する。回避はたやすいが、壱覇少年を抱えてとなると━━━。
「氷の波動 弍の剣 氷柱三昧!」
宗次郎が反応するようにも早く燈は即座に抜刀し、波動術を発動。高速で射出されたトゲを全弾撃ち落とした。
「とりあえず退避しよう」
「よし。俺が壱覇を運ぶから、援護頼む」
「わかったわ。お願いね宗次郎」
三人はそろってうなずき、壱覇を抱えた宗次郎を先頭に、玄静と燈で妖に注意を払いつつ待機所を目指す。
━━━軽い。
抱きかかえた九歳の少年の体は羽のようだ。片手でも持ち上げられるくらいに。
その軽さとは対照的に、壱覇の前にある現実は逃げ出したくなるほど重い。なんの因果か、父親の黒金圓尾は天修羅の細胞に取り込まれてしまったのだ。
四人はなんとか妖の攻撃を受けることなく待機処にたどり着いた。
「椎菜に連絡しておくわ。手の空いてる剣闘士がいないか確認する」
「頼む」
端末を取り出す燈に頷きつつ、宗次郎はゆっくりと壱覇を下ろす。
「……お父さんは、殺されちゃうの?」
こちらを見つめる壱覇から顔を逸らしたくなる衝動を、宗次郎はグッと堪える。
妖は全て討伐する。千年前も今も変わらない常識だ。放置すれば周囲の生物を食らい、新たな妖を生み出してしまう。
「━━━っ」
言えなかった。言えるわけがなかった。
壱覇がどれだけ父親を大切に思っているのか。泥団子を投げつけられた宗次郎はわかってしまう。
しかし、言葉にしなくても壱覇には伝わった。
「僕……もう、お父さんには会えないのかな」
壱覇の瞳から大粒の涙が溢れ、宗次郎の手の甲に落ちる。
その瞬間、宗次郎の頭の中で何かが弾けた。
「泣くな」
反射的に宗次郎は壱覇の肩をつかんだ。かすかに震えている。無理もない。自分の父親が罪を犯して捕まっただけでも大きなショックだろうに。怪物になってしまったとあっては絶望という表現すら生温い。
だからこそ、
「俺が、俺たちが君の父さんを助ける」
真っ直ぐに、目を逸らさず、力強い言葉を壱覇に投げかける。
「もう一度お父さんに会わせる。だから泣くな」
「……そんなこと」
「出来る。俺を、俺たちを信じろ」
宗次郎は握りしめた片手を壱覇に突き出す。
「君はお父さんが好きなんだろう? なら、会うときは笑顔で会うんだ」
かつて初代国王とその剣は今生の別れのとき、命に変えても果たす約束を交わし合った。その仕草が現代では儀式として伝わり、大事な約束を交わす際に用いられる。
「約束する。絶対に、君のお父さんを助けてみせる」
「……うん。うん」
壱覇は袖で涙を拭い、拳を宗次郎に突き出す。
「僕も、約束する。絶対泣かないよ。だから━━━お父さんを元に戻して!」
「おう。任せておけ」
宗次郎と壱覇の拳が軽い音を立ててぶつかり合う。大きさは二回りも違えど、秘めたる思いの強さは同じだ。
「燈も構わないか?」
「しょうがないわね。特別にそのわがままを聞いてあげる」
やれやれと首を振りながらも、燈は心配そうに宗次郎の顔を覗き込んだ。
「もちろん、手立てはあるのよね?」
「ああ。問題はじかンぐえ!」
「宗次郎、ちょっとこい」
宗次郎は締め殺される雄鶏のような鳴き声を上げ、玄静に襟首を掴まれて引きずられる。
廊下の角を曲がって壱覇と燈が見えなくなったところで、ガンと音を立てる勢いで宗次郎は壁に叩きつけられた。
「痛ってぇよ」
「てめぇ、なに勝手な約束をしてやがる」
玄静の怒りは宗次郎の文句を意に介さないほど強いものだった。
「妖になった人間をもとに戻すだと!? できるわけがないだろうが!」
玄静の怒鳴り声に合わせ、宗次郎の顔に唾がかかる。
玄静の言い分も一理ある。天修羅の細胞に取り込まれてしまえば、完全に別の生物に変り果てる。生物である以上死ぬが、死ねば妖として死ぬだけで元に戻りはしない。
普通なら。
「心配するな。可能性はある」
「可能性だと!? そんなもんある訳が━━━」
「ある! ついさっきお前の目の前でやって見せただろう」
玄静は一秒ほど沈黙してからハッとした。
さすがに頭の回転が速い。宗次郎が何をするつもりなのか理解したようだ。
宗次郎は玄静の波動術を解除したのではない。玄静が使用した土に術をかけ、時間を戻したのだ。
時の波動 時戻しは対象の時間を遡り、過去の状態へと戻す波動術。対象を一つしか選べず、大きく複雑に慣ればなるほど波動の消費が大きくなる。
その術式を妖に施せば圓尾の姿に戻せる。
「できるのか?」
「やってみなけりゃわからない。失敗する可能性はある。だから、成功の確率を上げるためにも━━━」
宗次郎は玄静の手を振りほどいて、
「頼む。手を貸してくれ。お前の力が必要なんだ!」
宗次郎は勢い良く頭を下げた。
時間を戻す以上、妖化して時間がたてばたつほど難易度は上がる。加えてあの巨体だ。波動の残量からしてチャンスは一度しかないだろう。
突然の行動に玄静から無言の動揺が伝わり、宗次郎は頭を上げる。
「……僕にどうしろっていうんだ」
「術を発動する間、俺は無防備になる。あの妖の動きを封じてほしい」
「無茶を言うな! 人間を捕らえるのとは訳が違う! 力もスピードも段違いなんだぞ!」
「それでも、それしか方法がないんだ」
「……馬鹿げてる。上手くいっても波動の使いすぎで死ぬかもしれないのに」
玄静は俯いて肩を震わせたかと思うと、宗次郎に詰め寄った。
「黒金圓尾は君にとって赤の他人だ! その息子の壱覇は勝手な理屈で君を目の敵にしていた! 助ける義理はどこにもない! なんだって君はそこまでするんだ! どうしてそんなに頑張れるんだよ!?」
なんのために戦うのか。なぜ壱覇と約束したのか。
それは、
「俺はただ、あの子に笑顔でいてほしいだけだ」
あっさり言い切ったせいか。それとも単純すぎる答えが逆に意外だったのか。玄静はポカンとしている。
「俺のエゴだっていうのはちゃんとわかってる。それでも壱覇からこぼれる涙を止めたいと思った。ただ黙ってみているだけなんてできない。戦う術を持ち、妖化した圓尾を元に戻せる可能性があるのなら、俺は動く」
無邪気な頃に憧れた絵本に出てくる英雄。人々を絶望から救い、悪を討ち果たし、友を守れる強い戦士。
そんなふうになりたいという思いは、今もこの胸にある。
「ふざけるなっ……」
肩を震わせた玄静に胸ぐらを掴まれる
「夢や目標が人のためになると考えているやつらはみんなそうだ! うまくいく予想だけして、周りを勝手に期待させて! 失敗する可能性を考えもしない!」
胸ぐらを掴む玄静の力は言葉と共に益々強くなる。
「俺たちは現実を生きてるんだ! どんなに厳しく、辛くても! あの子にも現実を直視させるべきだ!」
「…………それで、父親を殺すと壱覇に直接言うのか。お前の父親は妖になったから、殺すしかないと。もう二度と会えないと壱覇に伝えるのか? 俺は嫌だ!」
宗次郎も玄静に負けないようと反論する。
「お前はどうしたい?」
「……」
玄静は難しい顔で黙り込んでいる。
迷っているのだろう。妖をもとに戻せるのならそのほうがいいと頭では分かっていても、心がついていかないのだ。
━━━俺もこんな感じだったなぁ。
今の宗次郎ならわかる。記憶と波動をなくして自分自身すら見失っていたあの頃と、玄静はよく似ているのだ。
自分に自信が持てず、なにがしたいのかもわからず、ただ状況に流されるまま生きる。
「わかった。逃げたかったら逃げていい」
「っ!」
宗次郎はあえて挑発するように背を向けた。
妖との戦いにおいて、今の玄静は致命的だ。
命を懸ける戦いにおいては、どんなに強力な能力を持っていようと、覚悟がなければあっさり死ぬ。
「玄静、お前は面倒くさがりでひねくれていて無責任で。おまけに努力とか才能とか、考え方もまるで違うからな。本当に嫌な奴だと思っていたよ」
「おい」
「でも、俺はお前と戦えて楽しかった。心の底からな」
「……」
「手伝わない代わりに、壱覇を遠くに逃がしてくれ。俺はもう行く」
黙る玄静を置き去りに、宗次郎は廊下を歩く。角を曲がって燈と壱覇に合流する。
「遅かったじゃない。玄静は?」
「さぁ。来ないかも知れん」
この平和な時代、妖を直接目にする機会は滅多にない。初戦で、それもあんな大型の妖と戦うのは怖いだろう。
戦い慣れている宗次郎に、玄静を臆病者と罵る資格はない。まして玄静が戦いに参加するかどうかは玄静自身が決めることだ。
「戦況は?」
「……よくないわ。徐々に押され始めているの」
入り口から身を乗り出して状況を確認する。戦い始めた部隊のうち、数名の八咫烏が負傷して手当てを受けている。新たに一部隊が増援に来たようだが、妖の再生能力を前に苦戦を強いられているようだ。
「報告によると、彼が妖になったのは午後一時二十分前後。留置所で妖になってから、すぐ闘技場の方に来たみたいね」
「……そうか」
現在の時刻は午後一時三十分。つまり、確実に十分以上は時間を巻き戻す必要があるということだ。
「何か作戦はある?」
「妖を元に戻す間、俺は完全に無防備になる。燈には術師と連携して妖の動きを封じてほしい」
玄静への頼みと同じ内容を告げると、燈は顔をしかめた。
「あら、再生に時間がかかるほどのダメージではダメなの?」
「うん。俺の波動術が癒してしまう」
時戻しは対象の時間を巻き戻す。受けた傷まで元に戻せるので治療に使える便利な術も、今回はその特性が裏目に出てしまう。
本当なら、なるべく傷つけないでほしいと頼みたいくらいだ。傷をつけ、妖が再生した分だけ時を戻す際に負担になる。
「どのくらい封じておければいいのかしら」
「術の発動が完了するまでだな。どのくらいかかるかは見当もつかない」
「……そう。悔しいけど、玄静が手伝ってくれればって思ってしまうわね」
「ああ」
燈の波動は強力だ。全てを凍てつかせる氷の波動は敵の殲滅に向いており、特に広範囲に攻撃できる反面、制御が難しい。味方も凍らせてしまう危険があるからだ。
他方、玄静の波動は攻撃力が低い分、防御や妨害の面で優れる。戦場となるグランドも土があるから戦いやすいだろう。
「泣き言を言うのはやめよう。俺たちだけでもなんとかする」
チラリと廊下の奥に視線をやるも、人影はない。
宗次郎はすでに半分近く波動を消費している。妖の戦闘力を奪った上で、尚且つ元に戻さなければならない。
波動術は得てして効果が絶大なほど消費する波動は大きくなる。先ほどの消費量からして、巨体を誇る妖に術をかけるには万全の宗次郎ですら危ういかもしれない。
十分以上の時戻し自体が初めての経験。それも相手は中型のトラック並みの大きさのある生き物だ。
━━━俺は地獄を見るな。
だが、持たせて見せる。ここで死ぬ気はない。
必ず壱覇の父親を元に戻して、生き残る。燈の剣になり、かつての友と交わした約束を果たすためにも。
「行こう」
「ええ」
天斬剣を抜刀し、グラウンドに出る。
「殿下!」
「お待たせ。私たちも手伝うわ」
「感謝いたします!」
燈の登場により術師たちの声に張りが出て、表情に生気が満ちる。
命を張っているのは自分だけではない。そう思わせてくれるだけで普段以上の力が出せると言うものだ。
「さぁ、いくわよ!」
「御意!」
巨大な妖を前に、鴉たちは団結して襲いかかる。
本格的な戦いの舞台が幕を開けた。