伝説の戦い その2
熱い日差しが降り注ぐグラウンドに二つの影が交錯する。
それらの動きは対照的だ。一つは黄金の光を発しながら、それこそ光の如き速さで地面を駆けて標的に狙いを定めている宗次郎。活強で脚力を強化し、ときに時間の波動で体内時間を加速させて緩急をつけながら移動している。高速移動によって宗次郎には周囲の全てをスローに捉えている。
観客一人一人の動きが、歓声が、舞い上がる土埃が、倒すべき敵の動きと攻撃が。
「シィっ!」
飛んでくる土の塊を回避し、天斬剣で真っ二つにしながら玄静に接近する。
玄静の波動が支配する領域内に入って━━━十五メートルでフェイントを入れる━━━十メートル、
「むっ!?」
足下の地面が急に凹み、踏ん張りが効かなくなる。
━━━まずい!
ぬかるみに足を取られたら詰む。大勢を崩しながらかろうじて踏ん張りが効く足に力を込めて跳躍する。
「チッ」
宗次郎の跳躍にもう一つの影━━━玄静は小さく舌打ちをする。
玄静は試合開始から一歩も動いていない。半径二十メートルの大地に波動を浸透させ、手足の如く操って迫りくる宗次郎を迎撃している。
「━━━ふぅ」
四十メートルの跳躍を難なくこなし、着地して一息つく。
試合開始から十分が経過してもなお、宗次郎はいまだに玄静を突き崩せないでいた。いかに素早い動きで目まぐるしく跳び回り背後についても、迫り出す大地に行く手を塞がれ、攻撃を去なされる。
「さすがに硬いな」
「……当然でしょ。このくらいで驚いてもらっちゃ困るね」
「そうだったな。陸震杖の持ち主にはお世辞にもならないか」
会話をしながらも宗次郎は玄静とその周辺に意識を配る。
玄静は波動をグラウンドに流し込み、自分のテリトリーを徐々に拡大させている。
「天才、だもんなあ」
「……安い挑発をするじゃないか。宗次郎のくせに」
玄静は陸震杖を宗次郎に突きつけた。
「そろそろ終わりにしよう。汗をかくのも嫌だしね」
「連れないな。このくらいのやりとりなら夕方まで付き合えるぜ」
「絶対にお断りだよ」
玄静の波動が活性化するのに合わせて、宗次郎も波動術を発動させる。
━━━作戦通りではある、が……。
このままでは波動の総量からして宗次郎が先に動けなくなる。夕方まで付き合うつもりは宗次郎にもない。
━━━きついな。
とっておきの隠し球を炸裂させるには玄静をもっと消耗させる必要がある。消耗させるためには、当然宗次郎にも負担
があるわけで……。
━━━なんて、弱音は吐けねぇぜ!
「フッ!」
再び体を加速させて動き回る。
━━━気に入らない展開だね。
試合開始から二十分が経過してもなお、玄静は宗次郎を捕らえきれずにいた。開始直後にあえてなにもしないという戦法で虚をつかれてからずっと宗次郎にペースを握られている。
「くそっ!」
もう何度目か。領域内に入った宗次郎を捕まえられず、離脱させてしまう。
機動力で翻弄されてしまうのは仕方がない。素早い動きは前の試合で見た通り。想定の範囲内だ。
想定の範囲外なのは、高速移動を長時間続けられるスタミナと敏捷性の高さだ。
ただ速いだけなら対処はいくらでも可能だ。雷の波動を使う昼神のように、注意深く観察すればタイミングは掴める。
その点、宗次郎は最高速と低速の使い分けが絶妙に上手い。加えて直線的な動きをせず、フェイントを多用し自由自在に走り回っている。
━━━その神速の動きは何者も捉えられなかった、か。
『王国記』に記された初代王の剣の強さを思い出す。どうせ誇張表現だろ、と嘲っていた過去の自分を呪う。こうして相対すれば、なるほどその通りだと痛感させられる。
かろうじて対処ができているのは、宗次郎が領域に侵入した振動を陸震杖で察知し、今までの試合から動きを先読みできているからに過ぎない。
おかげで自分の領域を広げられず、思うような戦いができない。接近されれば勝ち目のない玄静にとって苦しい展開だ。
━━━せめて波動の属性さえ掴めれば……。
伝説の英雄・初代国王の剣が持つ波動の属性は現在も不明だ。よって、宗次郎の波動の属性もわからない。
これまでも宗次郎は属性が見透かされるような動きをしていなかった。
相手の情報をかき集め、動きのパターンや癖を読み解いて戦ってきた玄静とは致命的に相性が悪い。
━━━とはいえ、だ。
悪い条件ばかりではない。汗だくになっている宗次郎を視界の端で捉えて玄静は内心ほくそ笑む。
属性はわからなくても総量なら把握できる。宗次郎の波動総量は玄静の半分程度。加えて走り回っているため消費量は宗次郎の方が大きい。このままでは先に自滅するのは宗次郎だ。
━━━ま、このままってことは流石にないだろうけど。
宗次郎なら必ず逆転の一手を打ってくるはずだ。
注意すべきは長射程の攻撃。伝説に謳われる『何物をも両断した』斬撃を領域の外から放たれることだ。
こちらがいくら防御を固めてもそれを貫通してくる攻撃があるとすれば厄介極まりない。
もしくは今まで以上の超加速でこちらに接近してくるか。
どちらにせよ気の抜けない展開はまだ続きそうだ。
━━━ああ、くそ。
またもや宗次郎を取り逃す。
━━━なんでこんなに必死になっているんだ、僕は。
疲労のせいか。雑念が頭を過ぎる。
その一瞬の隙を突いて、宗次郎が再び領域内へと入り込む。
「くっ!」
宗次郎本体を止められないと判断し、土をドーム状に変化させる。咄嗟の判断が功を奏したものの、攻撃を完全に防げず、左腕に浅い一撃をもらってしまった。
「集中力が足りないぜ」
「この……!」
捨て台詞を吐いて宗次郎は再び玄静の領域から離れる。
「ああーっと雲丹亀選手、一太刀もらってしまった! やはり穂積選手をとらえるのは難しいのか!?」
今まで聞こえなかった実況が鮮明に聞こえる。それだけ集中力が落ちているのだ。
「驚いた。お前、まだやる気があるなんてな」
「当然」
━━━冷静になれ。
傷の浅さを確認して問題ないと判断。再び宗次郎を警戒する。
なぜこうまでして戦うのか。答えなんて分かりきっている。
「僕はただ、やるべきことをやっているだけさ」
自分の意思を言葉にして、玄静は波動を活性化させる。
「……!」
疲労から生じた迷いが吹っ切れたおかげか。領域内に入った宗次郎の動きが前よりもはっきり見える。
「そこだ! 土の波動 参の術:土縄鉄鎖!」
「グッ!」
ついに。
縄状に変化した土が領域内に入った宗次郎を捕らえる。
「やああぁっと、君を捕まえることができたよ。宗次郎」
「く、こんなもの」
「無駄だよ。君を覆ってる土は文字通り鉄並みに硬くさせてある。いくら活強を使っても解けるもんか」
土に身体を覆われ、芋虫のようになった宗次郎。
勝ちを確信し、玄静はグラウンドに浸透させていた波動を戻して宗次郎を見下ろす。
「詰み、だね」
「……ああ。間違いないな」
圧倒的不利な状況でヘラヘラ笑っている宗次郎に玄静はイラつく。
「余裕だね。負ければ燈の剣になれないのに、なんで笑ってられるのさ」
「剣になれない?」
「そうだよ。そのために僕はこの大会に、君との戦いに臨んだのだから」
宗次郎の顔から笑みが消え、代わりに疑問符が浮かんでいる。
「なんで、そんな」
「はは。君、燈の剣になりたいんなら政治も学んどいた方がいいよ」
玄静は宗次郎の目の前にどかっと腰を下ろし、あぐらを描く。
「燈はただの第二王女じゃない。母の死を乗り越えて成長し、テロ組織である天主極楽教の教主を捕らえ、最年少で十二神将に選ばれた逸材。名声も高く、その美貌も相まって国民の中には彼女こそ次の王だと思う者もいる。けど━━━」
玄静は覗き込むように宗次郎に顔を近づける。
「欲深い貴族が求めるのは強い王なんかじゃなく、自分の言いなりになる脆弱な王だ」
今がそうであるようにね、と玄静はぼやく。
「もし君の夢が叶えば、燈のもとに剣として天斬剣の使い手が、婚約者として陸震杖の使い手が揃ってしまう。貴族たちが散々笑い物にしてきた、初代国王を超える王になる燈の夢がいよいよ現実に近づく。そうなったら困る連中もいるのさ。馬鹿馬鹿しいとは思うけどね」
「そんな連中の言いなりでいいのかよ、お前は」
「いいよ別に」
あっさりと言い返して玄静の口からケラケラと乾いた笑いが漏れる。
「僕はね、君と違って夢とか目標とか必要ない人種なんだ」
今までの人生と同じ。やるべきと与えられた課題をこなしているに過ぎない。
「楽しみや達成感がなくても、意味や意義があるのならやる。それが僕、雲丹亀玄静の生き方だ」
そうだ。誰にも自分の生き方を否定させない。
兄の夢を壊してしまった自分が、夢を持った人間に負けるわけにはいかない。
「楽しみや達成感がなくても、か。そりゃ嘘だろ」
「は?」
「玄静、お前気付いてないかもしれないが━━━」
宗次郎は真顔のまま、玄静をじっと見つめる。
「試合中からずっと、今も楽しそうにしてるぜ?」
宗次郎の一言で玄静の精神に一瞬の空白が生まれる。
「挑発はまじで下手くそだね宗次郎。いい加減やめた方が━━━」
「試合はこのまま終わりを迎えてしまうのでしょうか!?」
「ちょっともったいないですね。あんなに楽しそうにしていた雲丹亀選手を見るのは新鮮だったので」
実況と解説の声が玄静の耳に届き、つい自分の口もをと手で触る。
━━━う、そだ。
口角が上がっている。自分は今、笑っている?
「ああ、それとな。勝ちを確信してペラペラ喋るのはやめたほうがいいな」
「!?」
「はぁっ!」
宗次郎の体から黄金色の波動が放出され、玄静は立ち上がって距離を取る。
「ぐ……」
「時の波動 陸の剣:時戻し」
宗次郎の体をがんじがらめにしていた土が、黄金の波動に押しのけられるようにみるみる剥がれていく。
━━━術の解除? いや、違う。これは……。
ただ術を解除されただけなら、土の中に玄静の波動が残っているはずだ。
なのに宗次郎の術を食らって剥がれていく土には玄静の波動がない。文字通りただの土くれになってしまった。
「さぁて」
自由になった宗次郎が天斬剣を玄静に向ける。
まずい。グラウンドの支配していた波動は体内に戻してしまった。何より間合いは数メートルしかない。
「そろそろ終わりに━━━!」
踏み込んでこられたら確実に負ける。そう覚悟した玄静をに対して、宗次郎は明後日の方向を向いている。
━━━このタイミングで何かの罠、か?
ありえない。一瞬で片がつくこの状況でそれはない。
玄静は目の前の宗次郎に意識を集中しつつ、ゆっくりと宗次郎が見ている方向を向く。
何もない。何もない、のに。
「なんで、この気配は━━━」
「おい、宗次郎」
「ヴォおおおおおおおお!」
大音量の咆哮が辺り一面に響き渡り、闘技場を揺らす。
「キャアアアアアアア!」
「何、なんだよ!?」
「地震!?」
「ちげーよ! 雲丹亀選手は何もしてないだろ!」
怯える観客たちを知ってかしらずか、次は爆発音が響き渡る。
「お客様! 早くこちらから逃げてください!
「誘導に従って避難をお願いします!」
「急いで!」
数十人の職員や剣闘士たちが慌てた様子で観客席に現れるも、定期的に響き渡る破壊音と爆発音に全員が動けなくなる。
近づいてくる。何かが来る。危険なものだと頭でわかっているのに体が、意識が、音の発生源に注目してしまう。
ついにそれがやってきた。
八メートルほどの体長にマルタのように太い四本の足がある獣だ。体は純白を思わせる白色で、所々に黒い斑点が浮かんでいる。尾は体長よりも長く、先端が丸く膨らんでいていくつもの棘が生えている。
恐怖を掻き立てるのは、人間とはかけ離れた体躯の上についている人間の顔だ。口元にはびっしりと生えた牙を覗き、禿げかけた頭や虚な目つきは人間のそれだ。
「ガゥあぁあああああ!」
叫びと共に牙に付着していた血飛沫が舞う。よく見れば手足の爪にも血がこびりついている。
「あ、あ」
恐怖で動けなくなる。玄静にとって生まれて初めての経験だった。




