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雲丹亀玄静 その10

 

 ━━━はぁ。


 人生最悪の出来事を思い返してしまい、吐き気をこらえつつ宿舎を目指す玄静。


 学院にて知った話だが、兄が将棋部をやめたのは当時の部長と対立したからだった。実力もあり。雲丹亀家の長男という肩書もあり。それで最年少で部長を目指して努力していた兄は、部員から疎まれていたのだそうだ。


 ━━━くだらない話だよ、ほんと。


 宿舎が立ち並ぶ道路を歩きながら、玄静は内心吐き捨てた。


 夢を叶えるために努力し続ける兄を尊敬していた。雲丹亀家の当主になると思い込んでいた。


 その結果はどうだ。


 兄は学院で孤立した。


 陸震杖が玄静を選んだせいで兄の努力は無駄になった。


 玄静の手加減は兄の心に癒えない傷を負わせた。 


 日々をぼんやり過ごしていただけの自分が、兄から何もかもを奪ってしまったのだ。


 命すらも。


「はぁ」


 自然とため息が漏れ、握りしめていた陸震杖を見つめる。


 今ならなんとなく見当がつく。頭脳も波動も劣っていた自分がなぜ選ばれた玄静が選ばれたのか。


 おそらく、精神性の差だ。


 兄は将棋や戦術に愉しみを覚えていた。だからこそ上達のために努力し、力をつけた。情熱に燃え、生涯をかけてかなえたい夢もあった。


 が、それらは陸震杖にとっては余分なものだったのだ。


 いかなる時でも感情を交えず合理的に状況を見極め、目的を達成するための最善策を瞬時に考えられる冷静さ。その精神性こそ陸震杖の主に求められる才能であり、白義にはなく玄静にはあるものだった。


「……あほくさい」


 今さら理由がわかったところで何になるというのか。自分の冷静さに腹が立つ。


 才能もないのに夢だの目標だのを掲げ、無駄な努力をする奴は嫌いだ。虫唾が走る。


 そんな奴に勝手に期待を押し付け、幻想を抱く奴はもっと嫌いだ。腸が煮えくり返る。


 夢や目標はすなわち結果だ。結果とはあくまで今まで積み重ねたものの帰結、そのときの実力の物差しに他ならない。


 そして実力は、自分のやるべきことを一つ一つこなしていけば自然とついてくる。過大な夢や目標は必要ない。


 そう、最終的に目指す先が山の頂上だとしても、そこにたどり着くには一歩一歩を踏みしめるしかないのだ。


 そんな単純な事実すらも理解できないから、傷つき、もがき苦しむ羽目になる。


「バカばっかりだ」


「誰がだよ」


 独り言を聞かれ、慌てて後ろを振り向く。


 宗次郎だ。額に汗を浮かべ、肩が上下している。


「ったく、勝手にどっか行きやがって。俺は探知は苦手なんだ」


 知るか、と心の中でぼやいて玄静は肩を竦める。


「壱覇は泣き疲れて寝た。とりあえず場長に預けたぞ」


「そう」


「そうって……。あとでちゃんと謝っとけよ」


「は? なんでさ」


 自分が思っていた以上にキレ気味な反応を返す。


「僕は自分の正論を述べたまでさ。君に謝れなんて言われる筋合いはない。あるのは壱覇だけだ」


「……あくまで才能が全てだっていいたいのか」


「当然だ。君だってそうだろう」


 これみよがしに陸震杖を掲げ、宗次郎の腰に帯びている天斬剣に向ける。


「宗次郎は天斬剣の持ち主になるために努力をしたのか? してないだろう」


「……」


「もし天斬剣の持ち主になるために努力していた奴がいたら、君はどうする? 努力すれば夢は叶うとでもほざくのかな?」


「もちろんだ」


「は?」


 隠しきれない怒りが込められる。


「何のために努力するかは本人の自由だろ。圓尾さんのように薬に手を出すならまだしも、前向きに頑張ってる奴を否定したりしない」


「……よくそんな残酷なことが言えるね」


「見解の相違だな。未来なんて誰にもわからないのに、つまらん理屈で相手を叩き潰す方がよほど残酷だ」


 玄静は唇を噛み締めた。


 ━━━つまらない、だと。


 どうしようもない怒気が胸中で渦巻き、台風のように暴れ回る。


 自分がつまらない人間だなんて百も承知だ。生まれてこのかた人生を楽しんだ経験がないのだから。


 将棋も波動術の訓練も勉強も。

 

 何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも何もかも。


 何が楽しいのかすらわからないままただこなすだけの毎日だったのに。


「なら、教えてくれよ」


 マグマのように熱くなる心と裏腹に頭はいつものように冷たいまま。


 そんな自分にイライラしながら玄静は問いかける。


「宗次郎は前に言ったよね。お前は何がしたいんだって。なら教えてくれよ。今のままでも十分強いのに、何のために毎

日頑張ってんのさ」


「……そうだな」


 少しだけ考えて、宗次郎は玄静の目を見て、はっきりと言い放った。


「俺には、叶えたい約束があるんだ」


「約束?」


「そうだ。俺は燈の剣になりたいんだ」


「……」


 剣とは”剣の選定”を指すのだろう。


 王位継承権を持つ王族が、自身の最も信頼する人間に対して送る制度だ。初代国王とその剣に由来し、時に結婚よりも重要視される。


 現状では権力欲に目がくらんだ貴族と何としても王座に就きたい王族同士がするお見合いの意味合いが強い。


 ━━━ああ、なるほど。


 ずっと抱えていた疑問が氷解していく。


皐月杯における宗次郎の戦いぶりや普段の素行から、彼の人となりを探る。それはいい。国宝・天斬剣の持ち主としてふさわしいかどうか確かめたくなる気持ちは理解できる。面倒ではあるが、意義のある仕事だ。 


 では、なぜ自分が皐月杯に出場して宗次郎と戦わなければいけないのか。


 その理由は━━━。


「くく。くくく」


 笑いをこらえきれなくなり、体をくの字に曲げる。


「おい、大丈夫か」


「心配するな。気が変わっただけさ」


 熱くなった腹筋を抑え、玄静は息を整える。


「宗次郎。明日の準決勝、必ず勝て」


「!」


「僕も必ず勝つ。そして━━━」


 玄静の雰囲気が変わったと感じ取ったのだろう。宗次郎の顔つきが戦士のそれになる。


「僕は、君を倒す」


 一陣の風が宗次郎と玄静の間を吹き抜けていく。


 雲一つない夕暮れ時に、暗雲が立ち込めようとしていた。


 


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