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それぞれの戦い その2

 宗次郎はまず揺れに気づいた。


 一定の間隔で訪れる縦揺れだ。揺れ自体は小さく酔うほどでもないが、硬い床に寝かされているせいで衝撃が地味に痛い。


 この感覚には覚えがあった。そう、これは━━━馬車の揺れだ。


「うっ!」


 勢いよく身体を起こすと腹部に痛みが走った。が、うめいている場合じゃない。


 宗次郎は立ち上がって辺りを見回した。


 白い布に覆われた中にいる。予想通り馬車の中のようだ。


「起きたか」


 車輪の音でかき消されてしまいそうな小さな声が耳に飛び込んできた。


 声のした方を振り向けば、大地が体育座りをして座っていた。明らかに覇気がない。存在感がない。声をかけてくれなければうっかり蹴ってしまっただろう。


「っ」


 唐突に、今まで何があったかが脳裏に蘇ってきた。


 角根砦の陥落。妖の進撃。そして、剣城と三木谷との別れ。


 いてもたってもいられず馬車の後部へ向かい、布を開く。


「なっ」


 その先に広がる光景に宗次郎は絶句した。


 人が。


 たくさんの人が馬車を取り囲むように、同じ方向へ歩いている。皆一様に顔を下げているので表情は見えないが、明らかに雰囲気は重く、暗かった。


「起きたのか」


 馬車の前方から爺の声がし、宗次郎は布を閉めて振り返る。


「休んでいろ。お前はここで待機だ」


「でもっ」


「ならん!」


 予想以上に大きな声が帰ってきて宗次郎は押し黙る。


「頼む。お前に死なれるわけにはいかないのだ。わかってくれ」


 宗次郎は面食らった。


 初めての経験だった。大の大人にここまで必死にお願いされ、頭を下げられた。


 爺や剣城の気持ちはわかる。宗次郎はまだ十代前半。いくら戦国時代とはいえ、死ぬには早い。死んでほしくないと思われるのも理解できる。いくら宗次郎に死ぬ気がなくても戦場で死ぬかもしれない。


 だが。


 それを言うなら、宗次郎だって剣城たちには死んでほしくない。大地にとっても尾州にとっても必要な存在のはずだ。


「……お前はそれでいいのかよ」


 なおもうずくまる大地に声をかけるが、返事はない。


「わかった。なら俺は勝手に動く」


「だめだと言ったはずだ!」


「けど、剣城さんが死んだらそれこそどん詰まりです!」


 宗次郎の反論に今度は爺が言葉に詰まった。


「妖を倒し切れても、波動師が全滅したら後が無い! 国民と王だけ生き残っても、それ保護してくれる国はどこにもないだろ! 同盟国ですらぞんざいな扱いを受けているのに!」


「それは……」


「相手は角根砦を陥落させる戦力を持っている! なら、ここは全力で敵を叩くべきだ! 生き残って、生き抜くために!」


 宗次郎に難しいことは一切わからない。


 負けたから、逃げたから捨て駒のように扱われた。なら勝って、実力を証明して、認めてもらう以外にない。


 そのためには、絶対に戦力が必要だ。剣城以外のメンバーも多く生き残る必要がある。


「お前もいい加減立てよ!」


「触るな!」


 宗次郎は大地の胸ぐらを掴んで立ち上がらせると、強引に押し戻された。顔は明らかに怒っているのに、無力感が漂っている。


「お前はこれでいいのかよ」


「……いいわけないだろう! けど……どうしたらいいんだ!」


 大地の腕が宗次郎の肩を突き飛ばす。


「俺だって死にたくない! 国民が死ぬところを見たくない! けど……もう……」


 どうしようもない。


 その言葉は大地の口からは出てこなかった。


「なら諦めるのかよ」


「!」


「どうせ妖には勝てないから、このままみんな死ぬってのかよ。冗談じゃねぇぞ」


「伝令! 伝令!」


 取っ組み合いの喧嘩になりかけたその時、勢いよく馬車の後部が開いた。


「何事だ!」




「あ、妖です! 妖の一軍が迫っています!」




 その一言に場が凍りつく。


「まさか、もう来たのか!?」


「いえ、剣城殿がいる方向とは違います! おそらく別働隊かと!」


「っ!」


 宗次郎は後部から顔を出す。


 進行方向から見て右側。角根砦の方角の向こう、舞っている砂塵が見える。


 確実に味方、信斐の波動師ではないだろう。まだ小さいので周囲の難民は気づいていないが、それも時間の問題だ。


「敵の数は?」


「感知部隊によれば、十体前後。ですが……」


 別働隊、と言うよりは群れからはぐれた一段だろう。本来なら無視してもいいくらいの小規模戦力だ。


 しかし、今はほとんどの戦力を剣城に預けている。この場にいる難民を護衛する戦力は残っていない。


 襲われれば、確実に全滅する。


「どうしますか?」


 伝令役の言葉に誰もが言葉を失った。


 爺も唾を飲み込み、大地に至ってはその場にへたり込んでしまう。


 無理もなかった。


「本当に、諦めるのか」


 しかし、宗次郎だけは冷静に周囲を見ていた。


「俺たちしかこの状況を回避できないんだぞ。それなのに、何もせず諦めて、みんな死ぬのか」


「……それ以外に何があるんだ」


 ポツリと呟く大地に宗次郎は外を指差した。


「左手に森が見える。そこに逃げ込む。妖は人間より巨体だ。森の中なら器用には動けないはずだ。そこで時間を稼ぐ」


「しかし、稼ぐだけでは……」


「わかってる。だから、援軍を呼ぶ」


「援軍?」


「剣城さんたちだ。剣城さんが今戦っている妖を倒し、そのまま返す刀でここに戻る。これが一番生き残る確率が高い。どうする?」


 宗次郎は他でもない、大地に声をかけた。


「どうする? 決めるのはお前だ。やるのかどうかはな」


「ほ、ほんとうに良いのですか? こんな少年の言うことを━━━」


「待て」


 伝令役の口を爺が制する。


 少しの間だけ沈黙してから、大地は顔を上げた。


「なんでだ? なんでお前はそこまでする。まだこの国に来て日が浅いのに。異国の人間なのに。なんでそこまでするんだ?」


 以前のようにスパイかと疑っての問いかけではない。純粋な、心の底からの疑問だった。


「簡単さ。俺だって死にたくねぇし、みんなには死んでほしくない。あと━━━」


 宗次郎は立ち上がって、大地に背を向けた。


「俺も信じてみたいんだ」


「何?」


「俺はまだお前を信じられない。お前の言う通り、まだあったばかりだしな」


 宗次郎は大地を物語の中でしか知らない。生きている現実の大地を知らない。


 そのギャップにうんざりしたし、正直今も何もできない大地にイラついている部分はある。本当に皇王国を建国するの

かも疑わしいくらいだ。


「それでも、剣城さんはお前を信じると言った」


「!?」


 大地の目が少しだけ見開く。


 別れ際に言われた言葉を思い出しているのだろうか


「だから俺も信じてみたくなった。それだけだ」


 正直なところ、信じるとはどういうことかよくわかっていない。


 でも、宗次郎が憧れた英雄は目の前にいる少年を信じると言った。


 その見よう見まね、猿真似の域を出ない行為だ。


 宗次郎はそっぽを向く。


「だからお前は俺を信じなくていい。どこからきたかもわからないやつを信じろなんて言わねぇよ」


「陛下」


 ここで爺が口を開いた。


「私も同じです。私も陛下を信じています。だからこそ、我々は皆、命をかけて陛下を守るのです」


「……」


「陛下ぁ!」


 外から叫び声が上がり、宗次郎は顔を上げる。


 気づけば外がどよめいている。一人や二人ではない、大勢の人間が騒いでいる。


 ━━━まさかっ。


 宗次郎は勢いよく布を開ける。


「陛下!」


「陛下はそちらにおられるのか?」


「陛下! 出てきてください!」


「陛下、妖がきます!」


 すでに馬車は大勢の難民に囲まれていた。その表情はどれも焦りと怯えをたたえている。


 ━━━くそっ。


 妖が攻めてくる。その事実がすでに伝播していた。


 暴動が起きるのではないか。宗次郎は直感的にそう考えた。


 進行方向にはいないためかろうじて前に進めてはいるが、もし動きを止められたら本当に逃げ場はなくなる。


 ━━━こうなったら、大地だけでも担いで俺一人で……。


 逃げるか。そう判断した宗次郎に、難民の声が届く。



「我々が時間を稼ぎます! その隙に陛下は逃げてください!」



 衝撃だった。


 ともすれば、大地と出会ったときよりも衝撃を受けた。


 宗次郎はハッとする。確かに難民は怯えている。現に何人かの難民は我先にと逃げ出していた。だがそれ以上に、馬

車を囲んでいるメンツにははっきりとした決意がある。


 男だけじゃない。女性もいる。


「お、お前たち。何を━━━」


「早く逃げてください! 我々が食い止めます!」


「バカを言うな! たった数体とはいえ、相手は妖だ! 死ぬぞ!」


「わかっています! だから、俺たちが盾になります!」


 大地が息を呑んだ。


 全員、本気だ。


「な、なんで……」 


 大地の目から大粒の涙がこぼれる。


「俺は……何もしていないんだぞ。無能な王だ。戦うこともできず、お前たちを守れない。なのに……」


「それでも」


 難民の男が一人、前に出る。


「俺たちのために頑張ってくれたの、知ってますから」


「そんなっ」


「陛下がいなきゃ、俺たちは途中で死んでましたわ」


「信斐のために頭下げてくれたんですよね」


「陛下だけに辛い思いをさせるわけにはいきませんぜ!」


 宗次郎の胸に、言葉にできない熱い何かが込み上げてくる。


 彼らは全員死ぬ気だ。


 だが、死なせない。


「おい」


「わかっている!」


 大地は勢いよく立ち上がった。


「お前たち、俺の盾になって死ぬことは許さん! もう一度言う! こんなところで犬死は許さん! 全員で一刻も早く逃げるぞ!」


「はっ!」


「おい!」


「わかってる。行ってくるぜ」


「……頼む」


 小さい声だった。馬車の車輪と雑踏にかき消されてしまいそうなほどに。


 けれど、宗次郎の耳にははっきりと届いた。


「まかせろ」


 もう宗次郎に迷いはなかった。


 言葉を発するとほぼ同時、宗次郎は馬車から飛び出した。目指す先はわかっている。


 殴られた腹の痛みはとうに消え、ただ残ったのは崇高な使命感のみだった。




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