それぞれの戦い その1
角根砦の陥落から二十分と少し。尾州の人員は既に撤退を始めていた。
とはいえ、それは順序通りとはいかなかった。
宗次郎が角根砦の陥落を伝えたせいで、宗次郎を知っている奴隷がまず我先にと逃げ出した。それに合わせるように奴隷がどんどん動き始め、その空気は一般市民にも伝播していた。
避難誘導にあたる波動師が逃げる方向性だけを指示しさえすれば、全員が避難してくれた。しかしそれは統率のない逃走。何人かその場で倒れ、逃げる人々に踏み潰されていた。
結果として、尾州軍全波動師の三分の二が殿を勤めることになった。
戦場は平野。故に作戦もクソもなかった。波動師と妖、どちらかの実力が上かどうかが問われる戦争だ。
相手は角根砦を陥落させるほどの戦力を有している。そんな相手との真っ向勝負。尾州の波動師たちの雰囲気は暗く━━━なっていなかった。
「そーいえば、久しぶりっすね。剣城さんとこうして肩を並べるの」
「ふっ、そうだな」
そう、尾州にはまだ三木谷と、剣城がいた。
三木谷は黄色の羽織を身につけ、直刀を腰に刺していた。頭に巻いた鉢金には尾州の国旗が描かれている。
この鉢金は緒方も慶次もつけていた。尾州の波動師のうち、将軍の地位にいるものだけが身につけることを許されている。
剣城はあの緒方の師であり、先代国王の右腕として様々な戦場で武功を挙げていた。
まさしく尾州が誇る最強の波動師なのだ。
「剣城殿、御武運を」
「共に戦えること、光栄に思います」
「あぁ、この戦い、勝つぞ」
共に戦うのは長く戦ってきた波動師たち。生きるか死ぬかの瀬戸際に立っていたとしても浮き足立つようなことはな
い。
「お、見えてきましたね」
やがて地平線の向こうに土煙と白い影が映し出された。
「思ったよりも時間かかってますね」
「あぁ。慶次が頑張ってくれたのだろう」
「……そうっすね」
三木谷と慶次は同年代である。小さい頃から一緒に稽古をし、共に軍に入った。真面目な慶次と軽くおちゃらけた三木谷は互いに相容れないと思いつつ、どこか憎めない。それどころか共に戦えば抜群のコンビネーションを発揮した。
こうして二人揃って将軍に上り詰めた。当時は腐れ縁だなと二人して笑っていたが……。
「……」
妖の一段を見つめる三木谷の目がいつもと違うことに、剣城は気づいたが何も言わなかった。
「はぁ」
そんな三木谷はため息を一つついて、
「それより、よかったんですか? あの少年をぶん殴って」
「ああでもしなければ言うことを聞かんだろう、あいつは」
「まぁ、確かに」
子供のいない身としては苦笑いを浮かべるしかない。
「ふぅ」
「どうしました?」
「いや、自分に息子がいたらこんな気持ちなのかと思ってな」
「……そっすか。ん?」
ついに妖が目前五〇〇メートルの距離までやってきた。
この時点で妖の総勢が把握できるほどだった。地平線の向こうには妖の姿は見えない。
それはすなわち、妖の数は宗次郎たちが角根砦で戦った数と同程度ということを意味する。
「なんか、数少なくないですか?」
「そうだな」
「角根砦の攻略で、数を減らしたとか?」
「だとすればありがたいが」
いずれにせよ、気を引き締めねばならない。ここで妖を食い止めなければ文字通り尾州は滅びる。尾州の波動師がごくりと唾を飲み込んだときだった。
妖が進軍を停止した。
「なっ」
それは異様な光景だった。
本能のままに動いている生き物が唐突にその動きを止めた。これから妖と戦う尾州の波動師が皆驚愕する。歴戦の戦士である剣城すら若干目を見開いた。
「罠、か?」
『いいや、それは違う』
ポツリとこぼした三木谷の言葉に反応する声があった。
その声は波動師全員に聞こえた。大きかったわけではない。妖の進軍が停止し静寂であったためであり、さらにいえばその声はよく通る声だったのだ。
『いや違わないか? 結果として、なんだか罠のようになってしまった』
はっはっは、と朗らかに笑う声はまるで春のそよ風のように。
困惑する波動師が辺りを見渡す中、剣城だけが、
「上か」
と呟く。
その答え合わせのように、白い羽がヒラヒラと天から舞い落ちる。
『御明察だ。さすがは尾州軍最強の波動師、と言ったところかな』
陽の光を煌めかせて、翼をはためかせて天から舞い降りる妖。
尾州の波動師全員の視線を集めても微動だにしないその妖の特徴を、三木谷が言い当てた。
「人の言葉を……話せるのか」
妖は生き物が天修羅の細胞に取り込まれることで生まれる。生き物である以上、動物から人間まであらゆる動植物を含む。
三木谷も剣城も妖と幾度となく戦ってきた。
だが。そんな二人をして。
人語を話せる妖は初めて見るものだった。
他の妖と同じく真っ白な身体。広げられた翼は片方だけで四メートルはある。頭は鳥のそれだが、胴体は完全に人間のそれだった。
剣城は冷静に目の前の相手を観察する。
人の言葉を話す。すなわち、人並みの知能があると考えていいだろう。知能のない他の妖を指揮していると想定して間違いはない。
身に宿している波動もかなりの量だ。道理で妖の総数が少ないのに角根砦が陥落したわけである。
『意外かな?』
鳥の顔で微笑む妖に対して、剣城が一歩前に出る。
尾州の波動師に広がる動揺を打ち消すように。
「そうでもないさ。それで? 降伏するなら受け入れる用意があるぞ」
『ぶふっ、すごいな。強がりもそこまでくると滑稽だ』
本気で吹き出している鳥人型の妖は腹をくの字に曲げていた。
『心配しなくていい。ちゃんと戦うさ。けれど、ただ力で押しつぶすのは芸がないだろう?』
「妖の分際で芸を語るのか」
『語るさ。僕は人に近いからね』
ああ、けれど。と妖は続けた。
『降伏は聞かない。君たちには全員滅んでもらう。君たちが守ろうとしている人間も含めてね』
物騒な発言をしているのに、妖は涼やかな笑みを浮かべたまま。
場の空気が一気に重くなる。それを振り払うように三木谷も一歩前に出た。
「そんな簡単にやられる俺たちじゃねぇぞ」
『そうかい? その割には━━━』
妖は振り返って背中から何かを取り出そうとした。
「っ━━━!」
武器か。相関がて慌てて抜刀する三木谷。身震いするような静寂が支配する戦場に清澄な音が響く。同時に幾人かの波動師が抜刀した。
完全な戦闘態勢。にもかかわらず、妖は涼しい顔のこちらを向いて、右手を掲げた。
「なっ」
結論から言うと。
妖が取り出したそれは武器ではなかった。
だが、尾州の波動師にとっては悪夢でしかなかった。
『こいつはあっさりとやられてしまったぞ?』
妖が右手でノールのように弄ぶそれは。
慶次の生首だった。
「貴様ァ!」
三木谷の咆哮が響く。怒りと共に雷が迸った。
「よせ三木谷!」
「あああああああああっ!」
剣城の静止も効かず、雷を纏って単騎突撃する三木谷。
雷刀の参 紫電突。
雷を纏っての突き。全波動術の中でも最速、最短の技だ。三木谷ほどの実力があれば、目の前数メートルにいる妖など一瞬で串刺しにできる。
はずだった。
『それ』
妖は三木谷の一撃を躱さず、さりとて防ぐこともなかった。
持っていた慶次の首を放ったのだ。
「!」
咄嗟の行動だった。三木谷は鋒をずらした。
それが命取りだった。
「がはっ!」
攻防は一瞬で決着がついた。
三木谷は自分の腹を見下ろした。
腹から伸びる一本の棒。その先は妖の手に握られていた。
妖は慶次の首を放った手とは反対の手から槍を出現させ、三木谷を串刺しにしたのだ。
いかに攻撃力があっても相手に届かなければ意味がない。最速の攻撃でも友人を盾にされれば速度は鈍る。
何より、亡骸となった友の顔に視線が集中してしまったのが運の尽き。
「ち、ちくしょ……」
『ふん。まぁこんなものか』
あっさりと三木谷から槍を引き抜いた妖はつまらなさそうに鼻を鳴らした。
どさりと膝から崩れ落ちる三木谷は動かなくなってしまった。
対照的に、尾州の波動師には凄まじい動揺が走った。将軍になるほどの実力を持つ三木谷が一瞬で倒されたのだ。無理もなかった。
『はぁ。つまらんな。では━━━』
滅ぼせ。右手を上げて進軍の合図をしようとする。
それだけで尾州は滅ぶ。そう判断した妖の目の前に、予想外の光景が広がる。
『っ!』
波動が。
圧倒的な波動が目の前に展開されていた。立ち上るオーラは湯気のように揺らめいている。およそ千人の波動師が波動を練り上げているのなら納得のいく量。その中心部にいるのはたった一人の人間だった。
それだけでも信じがたい光景であるのに、もう一つ、注視すべき点がある。
色だ。
波動はその属性により異なる色をしている。基本五大属性にそれぞれ対応する色があり、波動師が身にまとう羽織はその色に対応している。
妖はその知識を思い返し、改めて目の前を凝視する。
展開する波動の色は、赤と緑。波動の中心にいる波動師━━━剣城の羽織と同じ色だった。
「……」
無言のまま、剣城が腰に刺した二本の波動刀━━━脇差と打刀を抜き、構える。
『くっ!』
身の危険を察してすぐに翼をはためかせた妖。
だが、それこそが剣城の狙いだった。
「ぬん!」
剣城が両手に握る波動刀を振りぬく。
爆発的に広がる炎が波となって妖に襲い掛かる。追撃として放たれた風は炎の勢いをさらに強くし。灼熱地獄を作り出す。
「臆するな!」
声高らかに叫んで剣城が波動刀を構える。
「敵は我々より強大だ! ならば引くのか? 否! 断じて否である!」
燃え上がる炎よりも熱い剣城の言葉が、波動師の体を熱くさせる。
「我々の後ろには、何に変えても守るべき民がいる! 王がいる! 命を燃やすときはいまだ! 戦え!!
おおおおおおお、と鬨の声が上がる。
炎により視界が遮られているため、妖の撃破数は不明だが、大幅に数を減らしただろう。
勝てる。波動師にも希望乃光が見えてきた。
『はっはは、さすがだな!』
「!」
鳥人型の妖が笑う。
空中にいたとはいえ鳥人型の妖も炎に吞まれていた。が、翼を丸めて防いだのだろう。翼の外側が黒く焦げているだけで、中身には何の損傷もない。
『すばらしい! やはり戦いはこうでなくては! さあ、存分に殺しあおう!』
妖の口から笛のような音が鳴る。炎の中から生き残った妖が地鳴りとともに進軍する。
『殺せ! 殺し尽くせ!』
「戦え! 一体でも多くの妖を倒せ!」
怒号が飛ぶ。攻撃が飛ぶ。
そして、命が消し飛ぶ。
全く相容れない種族の戦いはこうして幕を開けた。




