何を、どうすれば その4
身体は鉛のように重い。心は空模様よりどんよりとしている。
それでも宗次郎は風よりも早く走った。走るしかなかった。後ろで聞こえる戦闘音を無視し、ただ真っ直ぐに、一本の矢となって走った。
やがて視界にテントの群れが見えてきて、宗次郎はさらに加速した。
「っ」
ギリギリのところで急ブレーキをかける。
「ど、どうしました?」
「波動師様?」
慌てて奴隷たちがやってくるが、そんなことはお構い無しに宗次郎は叫ぶ。
「みんな、今すぐ逃げてくれ!」
ポカンとする奴隷たちに向かって宗次郎はなおも叫ぶ。
「角根砦が突破された! もうすぐ妖の軍団がこっちにくる! 今すぐ逃げるんだ!」
それでも、奴隷たちは困惑したように顔を見合わせるばかり。
━━━どうすればっ。
必死に叫んでも通じない。その事実に心が折れかけたとき、
「何事だ!」
怒鳴り声をあげて波動師がやってきた。
「大変なんだ! 角根砦が突破された!」
「は?」
しかし、波動師までもが宗次郎の話に首を傾けていた。
「そんな馬鹿な話があるものか。冗談も休み休み言え」
「本当だ! 早くしないと━━━」
「少年!」
三木谷が慌てた様子でやってくる。
「こっちへこい!」
「はい!」
慌てている三木谷。それだけで事情が伝わっていると宗次郎はわかった。早歩き、と言うよりもはや走りながら宗次郎は口を開く。
「三木谷さん、角根砦が━━━」
「静かにしろ!」
いきなり口を塞がれた。
「わからないか。ここでその事実が知れ渡れば大混乱になる。落ち着いて、順序立てて行動しないと死者が出るぞ」
血走った目に宗次郎が黙って頷くと、ようやく口を解放された。
「いいから走れ。剣城殿が状況をまとめている」
二人して走り、あっという間に波動師たちが暮らすテントにたどり着く。
「急げ! もう時間がないぞ!」
「各隊の配置! 地形! 頭に叩き込め!」
「医療部隊、班を組み直す! 全員整列!」
宗次郎にとっては意外な光景だった。全ての波動師が戦闘と避難の準備を進めている。宗次郎が角根砦の陥落を知ってからまだそれほど時間は経っていないのに。
「なんで……」
「角根砦に斥候を放っていたんだ。そいつが最初に教えてくれたのさ」
ニヤリと笑う三木谷に宗次郎は安堵した。
やがて大地がいるテントを二人で潜る。
「剣城さん!」
「三木谷に、少年か」
テントの中にいたのは剣城と爺の二人だった。机の上で地図を広げている。
「では手はず通りに」
「……わかった」
爺は神妙な面持ちで部屋を出て行った。どこへ行くのかと視線を走らせると、
「剣城さん、少年が戻ってきました」
「そうか。慶次はどうした?」
「……妖を食い止めています」
宗次郎が俯いて答える。場の沈黙が一気にのしかかってきた。
「……そうか」
剣城は短くそういうと、宗次郎の前に立った。
「何があったか、報告しろ」
「……見回り中、角根砦から上がる煙を確認しました。それから砦から逃げる信斐の波動師と接触。伍浄砦を封鎖すると言っていたのですが、我々は止められませんでした」
「やっぱり信斐は俺たちを見捨てるのかー」
やれやれと肩をすくめる三木谷に宗次郎ははっと顔を上げた。
「え?」
「何驚いた顔してんだよ。裏切られるなんてよくあることだ」
「ああ、それが戦国だからな」
剣城もあっさりと言ってのけた。
「言うまでもないが、わざわざやられるつもりもない。妖を排除しつつ、首都を迂回する形で南下する」
「……慶次さんの救出は?」
「あきらめろ。お前のなすべきことをなせ」
剣城の発言は冷たかった。けれど冷たさの中にあるものを宗次郎は感じられた。
だからこそ何も言わず、黙って目元を拭った。
「部隊の編成は済んでいる。三木谷は俺と迎撃」
「了解」
「少年は━━━」
「ならん!」
宗次郎が何か言う前に大地が部屋に入ってきた。その後ろから眉間に皺を寄せた爺もくる。
「ならん! 剣城は俺の護衛だ!」
「しかし」
「しかしではない! 角根砦が突破されたのなら、敵はもうすぐそこまできている! 俺の護衛に一番強い波動師が来ないでどうするのだ!」
大きな隈、痩せた頬、上下する肩。大地はひどく消耗しているくせに、理論立てて話している。
対して剣城はゆっくりと大地に近づき、
「失礼」
と言って大地の方に手を置いた。
「陛下、お伝えしなければならないことがあります」
「なんだ! こんな時に!」
「亡き父から預かっている言葉です」
大地が急に静かになった。
当事者でない宗次郎もなぜか緊張してきて、唾をごくりと飲み込む。
「いつ、いかなるときも」
剣城はゆっくりと口を開いた。
「民を思い、民を導く存在であれ。たとえ敵国の民であれ、自国の民と同様の愛を注ぐように。最後に……陛下の笑顔は人に安らぎを与えるもの。どうかいつまでも笑っていてほしい、と」
「……な」
大地の両目から涙がこぼれ落ちた。
「陛下。口惜しいでしょうが、ここはお逃げください。身の安全は他の波動師がお守りします」
「だめだ……よせ、剣城」
「私がいなくても大丈夫です。立派な王になると渡して信じております。陛下」
大地の両肩から手を離すと、剣城は爺に目配せした。
その一言に大地は目を見開いた。
が。
宗次郎も大地に負けず劣らず驚いていた。
思い出していた。かつて母から言われたことを。
『王国記』を読んでもらった、自分の夢を決して笑わなかった優しい母が掛けてくれた、大切な言葉を。
「陛下。こちらに」
「だめだっ……行くな。剣城っ」
必死に手を伸ばすも、あえなく爺に運ばれていく大地。その姿からどうしようもなく目を逸らせなかった。
テントの向こうに大地が消え、静寂が訪れる。
「話が逸れたな。少年、お前は王の護衛だ」
「いえ、俺も! 俺も戦わせてください!」
「何?」
「俺が妖と戦います! 最後は━━━剣城さんが陛下を守ってください!」
「ならん。お前は王を守れ」
「いやです! 俺は━━━ぐっ」
一瞬。
宗次郎の腹に剣城の拳がめり込んだ。
「お前が死ぬ必要はない。行け」
その言葉を最後に、宗次郎の意識は失った。




