初陣 その4
「な、何だ!」
グワァーンという銅鑼の音に宗次郎は飛び起きる。
ぼやけた視界には他の波動師たちが慌てて状態を起こす映像を写している。
「敵襲! 敵襲ー!」
「は!?」
まさに青天の霹靂。
宗次郎にとって悪夢が始まった。
午前十時。
それが妖の到達する予想時刻だった。
予定では七時に起床して接敵場所へ向かうことになっていたのに、宗次郎が起こされたのは午前五時。朝というのはいささか早い時刻だった。
「揃ったな!」
宗次郎たち波動師が砦の前面に隊列を組んで待機しているところに緒方がやってくる。予定よりも二時間早い起床に、あの緒方すら焦っているように感じる。
「妖の動きが想定よりも早い! 接敵時間は一時間後だ! よってこれより接敵地点へ移動し、戦闘準備に入る!」
寝起きの身体と意識を引き締めるような、鋭い声。
そこへ、
「やぁ、おはようございます」
緊張感を台無しにするのんびりした声で、北山がやってきた。
「緒方殿。砦の防衛は頼みましたぞ」
「任された。北山殿も、援護は任せましたぞ」
「無論だ」
余裕の笑みを浮かべる北山に宗次郎は疑心暗鬼を抱く。
━━━こいつ、知ってたんじゃないか。
宗次郎の憶測には根拠がない。到着時間が二時間早まるなんて誤差の範囲である可能性もある。
だがあまりにも余裕そうな北山を見ると、前もって妖が早めに来るであろうことはわかっていたじゃないかと疑ってしまう。その証拠に信斐の波動師はすでに展開準備を終えている。
前衛より後衛のほうが先に準備を終えているというちぐはぐな状態に、宗次郎は眉を顰める。
「進軍、開始!」
緒方の声に合わせて歩を進める。
砦の両脇は崖になっており、進めば進むほど道が狭い構造になっている。緒方の隊が前、宗次郎がいる慶次の隊は後方に位置しながら接敵予定地点へと進む。
道はどんどん狭くなり、四人が並んでギリギリくらいの幅になったところで視界が開けた。
目の前に広がるのはだだっ広い荒野。土はあれ、草が所々に生えているだけ。刀を振るうにも、波動術を使うにも、障害物は何もない状態だ。
「配置につけ!」
波動師たちは先ほどまで通ってきた道をふさぐように、扇形に展開する。
砦の防衛、というより砦に続く道を防衛するための戦いになる。道以外の部分は断崖絶壁のため、あくまで防衛するのは入り口のみを想定している。
妖の攻撃が最も集中するであろう正面には防御に優れた土の波動師を中心につつ、緒方、慶次をはじめとした腕利きの波動師を並べている。
反対に、崖側に近づけば近づくほど波動師のレベルは落ちていて、宗次郎はかなり崖側に近い位置に配置されていた。
━━━やっぱり屈辱だぜ。
自分がまだ歳若く、実戦経験がないので仕方がないのだろうが、やはり悔しいものは悔しい。
宗次郎はまだ日の登っていない大地の上に立ちながら、空を見上げて時間を潰そうとした。
「か、神様……」
「ふーっ、ふーっ」
怯えて神に祈るもの、緊張から肩で呼吸する者。恐怖に対する反応はさまざまだ。
━━━そういえば、妖を二十体倒さなきゃいけないんだっけ。
大地から命令された内容をいまさらながら思い出す。
妖の総数は推定で二百。その十分の一を倒せという。
━━━ま、できなかったらできなかったで。
最優先事項はもちろん、生き残ること。そのうえで敵を数多く倒す。数にこだわって死んだらそれこそ愚の骨頂だ。
「おい、少年」
「は、はい!」
慌てて慶次に話しかけられ、宗次郎は姿勢を正す。
「緊張していないか」
「はい、おかげさまで」
隣で神に祈られたり、震えたりされればいやでも冷静になる。
「ならよかった。初めての実戦だというのに、こんな過酷な戦いで済まんな」
「いえ、慶次さんのせいじゃないですから」
遅かれ早かれ宗次郎は戦う。英雄になりたいとあこがれ、波動師として生きると決めたあの日から覚悟はしていた。
宗次郎の場合、それがほかの人よりちょっと早いというだけのこと。
「来たぞ! 総員戦闘準備!」
「おっと、呼ばれたか。じゃあな、あまり気張るなよ!」
「はい」
慶次を見送りつつ、視線をはるか先へ向ける。
朝焼けが彼方の地平線をオレンジに染め上げる中、一部だけ境界線がぼやけている。
土煙だ。
━━━来たな。
日が昇るにつれ土煙が大きくなり、黒い地平線に白が混じり始める。
白。天修羅の細胞に取り込まれ、妖となってしまった生命の色がどんどん大きくなる。
その様子に、気合を入れていた宗次郎に焦りが生まれ始める。
━━━なんか、数が多くないか!?
報告にあった妖の数は二百。かなりの数だが、現在地平を覆っているのはそれ以上の数に見える。
━━━あと一キロ、か。
波動の加護により時間と距離を正確に測ることができる宗次郎は、敵集団との距離を測る。
だが数までは計測できない。宗次郎の錯覚か、それとも本当に数が多いのか判別がつかないのだ。
「あれ、絶対に二百以上いるだろ」
隣の波動師がポツリと呟く。
やはり、と宗次郎が唇を噛むと崖の上から閃光が走った。
それは、
━━━信斐の波動術か!
作戦にあった、波動術による援護。砦に配備された術士が放つ援護射撃。
赤、黄、青、緑の閃光が白の集団めがけて着弾し、爆風が宗次郎のいるところまで噴き上がる。
━━━流石の威力だな……。
口に入った砂と一緒に唾を吐きながら、宗次郎は目元を拭う。
おそらく数人の波動師が連携して術を出している。出なければあそこまでの威力は出せない。
━━━これは、何とかなるんじゃねぇか?
妖の総勢が二百より多くても、
「聞け! 我らが尾州の軍勢たちよ!」
爆発がひと段落し、緒方が抜刀と共に声高らかに叫ぶ。
「目の前にいる敵は、我らが領土を踏み躙り、人民を抹殺せんとする獣どもだ! 一切の容赦なく、叩き潰せぇ!」
おおおおおおおおおお! と。
鬨の声を上げる尾州の波動師たち。もちろん宗次郎も負けじと声を張り上げる。
心拍数の上昇に合わせて体温が上がる。寝起きの身体に火が入り、徐々に熱を帯びる。
行ける。
宗次郎が核心した瞬間だった。
「突撃ぃ!」
緒方が波動刀を抜いて走り出す。
━━━ハァ!? 防衛線じゃねぇのかよ!?
軍の総司令が侵すとは思えない信じがたい暴挙に宗次郎は眼を見開く。
だが周囲は何の反応も示さない。それが当然であるかのようだ。
理由はすぐに分かった。
「我こそは尾州軍第一軍団団長、緒方六郎である! いざ尋常に勝負!」
そう叫んで突っ込んだ緒方の波動刀が赤く光り、灼熱の炎がほとばしる。
「炎刀の奥儀! 朱雀!」
炎刀の奥儀、朱雀。
剣技としては実に単純、渾身の力を込めた上段からの振り下ろし。単純であるがゆえに、圧倒的な闘気をもってすれば躱すのは至難。
さらに、その神髄は波動刀から放出する炎にある。
温度は優に数千を超え、直撃すれば骨すら残さず消滅させる。さらに波動の量によっては熱波が広範囲に及ぶため、消費される波動の量によって全波動術中最強の攻撃力を持つとされている。
それが、十二神将に匹敵する緒方の一撃ともなればなおさらだ。
「ギィアアアアア!」
「俺に続け!」
顔を覆った宗次郎の耳に、炎と爆風に包まれた妖の悲鳴と緒方の鼓舞が飛び込んでくる。
━━━すげぇ。
口元が思わずゆがむ。
戦いたい。
砦を守るとか、妖を二〇体倒すとか、死ぬかもしれないとか。そういった余計な考えはすべて脳から消えた。
自分の全力を出し、目の前の敵を叩き潰す!
「うおおおおおおおおおおおおおお!」
緒方の雄姿に魅せられた波動師が吠え声をあげ、走り出す。
宗次郎も波動刀を抜刀し、地面を蹴る。
「我こそは田中角兵衛なり!」
「我こそは━━━」
次々と名乗りを上げる波動師と妖。互いの距離が詰まる。
「風刀の壱 疾風刃!」
「雷刀の壱 飛雷針!」
「土刀の壱 土岩城壁!」
各々の属性に合わせた波動術を繰り出す。先制攻撃と防御を兼ねた攻撃に、さすがの妖も足を止める。
━━━今だ!
宗次郎は活強で脚力をさらに強化し、一気に距離を詰める。
「少年! 出過ぎだ!」
叱責が背後から飛ぶが、そんなことは気にしない。
━━━あいつだ!
宗次郎は土の波動によって足止めされた妖の一体に狙いを定める。
「はああああ!」
馬型の妖の首めがけて波動刀を振り下ろす。
肉と骨を切る感触が両手から伝わる。飛び散る血液が顔まで届き、断末魔が耳にこびりつく。
「っ!」
それらを知覚するより先に、宗次郎は上体をそらす。
先ほどまで頭があった場所を、巨大なかぎ爪が通過した。
━━━蟹か!
人間を丸呑みにできそうな巨大なカニが爪を振り上げて襲ってきた。土の波動により悪くなった足場を八本の足で自在に動き回っている。
「シィっ!」
とはいえ動きは早くない。宗次郎は距離をとって、波動刀をたたきつける。
「!」
かぎ爪ごと真っ二つにする勢いで振り下ろしたが、金属音とともにはじかれた。
━━━固い!
攻撃をかわしつつ、宗次郎は再び距離をとる。
外観からして、爪だけでなく胴体の甲羅も相当に分厚い。活強だけでは倒せない。
━━━使うか?
宗次郎が持つ空間の波動を使えば、化け蟹を斬り割くなど容易い。
だができない。宗次郎の波動術は燃費が悪い。確実に長期戦が見込まれるのなら、乱発は厳禁だ。
なら━━━
「はぁっ!」
横薙ぎにされたかぎ爪をかわし、懐に飛び込む。そのままの勢いで宗次郎は身体をひねり、かぎ爪を支える節に斬りこんだ。
━━━よし!
波動刀は面白いくらい簡単にに節を切断。宗次郎はもう片方の同じ要領で斬り落とす。
そのまま腹部を蹴り上げ、転がった蟹に波動刀を突きさす。
「ギェ」
ジタバタさせていた足が動かなくなり、蟹は息絶えた。
「よし、次━━━!」
波動刀を引き抜いた宗次郎の視界に、にょろりと動く何かが写る。
「ぐぼぁ!」
ほっとしたのもつかの間。宗次郎の頭上から断末魔が響く。
「っ━━━」
蛇だ。
鎌首をもたげた巨大な蛇と目が合う。その白い体躯はある種の神々しさをたたえているが、口元の牙には貫かれた波動師が見るも無残な姿をさらしていた。。
「っ!」
やられる。飛び掛かってきた蛇に宗次郎は空間の波動を発動しようとする。
「オラァ!」
黄金の光が宗次郎を包むより先に、目の前を青白い閃光が走る。
「ぼさっとするな! くるぞ!」
「はい!」
慶次の叱責に怒鳴り返すように答え、宗次郎は蟹から降りる。
命を助けられた礼を言うのはまだ早い。目の前にはまだまだ白い波がうごめいている。
「?」
戦闘中、一瞬たりとて気を抜けない状況で、宗次郎は僅かな違和感に気を取られる。
波動師たちの指揮は高く、その勢いはちょっとやそっとでは消えない。現に妖と互角以上に戦えている。それも一対一で。現代の八咫烏ですら複数での戦闘が基本なのに。
━━━いや、今はそれどころじゃない。
宗次郎は余計な思考を頭から追いやり、目の前の敵に集中する。
「うおおおお!」
戦いはまだ始まったばかりだった。




