憧れと現実 その4
修練場をあとにした宗次郎は共用の水飲み場にやってきた。
大地と初めて出会った川から引いてあるらしく、水質は微妙だが体を洗うにはちょうどいい温度になっている。
「はぁっ、きっつい…」
頭からバシャバシャと頭から水を浴び、フルフルと首を振った。
奴隷をやめて一週間。休むことなく毎日のように鍛錬の日々。その意味では師匠と過ごした日々に似ているが、その内容は全くの別物だ。
師匠の修業は、宗次郎の剣術と波動を鍛えるためのものだった。実戦訓練もあるにはあったが、それは修行の成果を確認するためのものだ。自分の成長は実感できたが、師匠の無茶ぶりや傍若無人ぶりにはひたすら振り回され、そういう意味では大変だった。
対して、ここで行われている訓練は技術を上げるものはごく少ない。大半は先ほどのような、いかに敵を効率よく殺し、また殺されないように立ち回るかが重要になる訓練ばかり。文字通り命がけなのだ。
━━━マジで殺す気だったからな……。
しかも相手は自分より腕の立つ波動師。宗次郎が全力以上で戦わなければならない相手だ。おかげで訓練後は身体がボロボロになるが、まだましなほうだった。
━━━普通に腕なくしている人とかいたからな。
訓練でなくしたんだ、と全く気にしていない様子で同僚に語り掛けている波動師を見てドン引きしたことを思い出す。ほかにも右目がつぶれたものもいた。
━━━ま、それだけ戦いが激しいってことなんだろうけど。
初めて妖と対峙したとき、宗次郎は恐怖で動けなくなった。死ぬかもしれないという圧倒的な恐怖。実際、鶴城に助けがなければ死んでいただろう。
圧倒的な死の恐怖に対抗するには、慣れるしかないのだろう。そのための訓練だと思えば、納得はできる。
「はぁ」
宗次郎は疲労から溜息をこぼす。
訓練がきついのもあるが、それ以上に疲れる原因があった
━━━俺、いつになったら帰れるんだろう。
家に、ではない。元の時代に、である。
この時代に来てから毎日が目まぐるしいためつい忘れてしまうが、こうして一人の時間になるとつい意識する。
自分は、本当に一人きりなのだと。
━━━帰りたい。
現代に戻って、三塔学院に通いたい。家族に会いたい。
このままではいけないと何度も思ったけれど、その手段は見つからないまま。
ただ時だけが過ぎていく。日々のやることに忙殺されていく日々だった。
「っ……」
宗次郎は頭を振って、弱気な自分を振り払う。
━━━俺は、この時代の人間じゃないんだ。
思い出すのは、師匠との会話。内容は宗次郎の波動。時間と空間を操る、まさに神の如き力についてだった。
時間を飛び越える訓練をしたい。
宗次郎は師匠にそう言ったことがあった。
知らない人間からすれば荒唐無稽な話に聞こえるかもしれないが、宗次郎には実績があった。かつておやつで出されたどら焼きが気に入らなかったために一時間前の過去に行って羊羹に変えたことがあったのだ。
結果、おやつを変えたいというただのわがままで能力を発動した代償は大きく、三日三晩寝込むハメになったが。
では、その能力をうまく使いこなせるようになったらどうなるだろう。起きた事態を変えられるということは、なんだって
できる。
そんな気がしていたのだ。
だが、
「やめておけ」
師匠にしては珍しく優しい口調でそう告げた。
「いいか、宗次郎。おの世で起きることには全て意味がある。いいことも、悪いことも。全てにだ。それも大きな意味がな。お前の一存で勝手に変えていい代物ではない」
「えー、でも悪いことが起きたら、変えたいって思うよ」
おやつを変えるのは流石にもうしないけど、と宗次郎がぶつくさ言っていると、
「いいか。時間は過去、現在、未来に流れている。お前の力はその流れを強引に捻じ曲げる。いつか取り返しのつかない事態を起こすぞ」
「……じゃあ、どうすればいいのさ」
「出来事を変えようとするんじゃなく、今をもっと良くしようとするんだ。常に、意識を今に向けるんだ。いずれ過去になる今をよくしようとすれば、未来は自ずと良くなる」
そう言って、師匠は酒を取り出した。
「あ、また酒買ったな!」
「あったりまだ。お前みたいなクソガキの相手をしているんだ。飲まずにやっていられるか」
「ふざけんないつも二日酔いになるくせに! しかも世話してるの俺じゃんか!」
「あーうるさいうるさい。今をよくすると教えたばかりだろう。これが私なりの良いなんだ。邪魔するんじゃない」
「説得力皆無なんですけど!?」
……。
昔のことを思い出した宗次郎は頭を抱えたくなる。
━━━いつか取り返しのつかない事態を起こすぞ、か。
師匠の言う通り、実際に起きてしまった以上、何も言えない。
事の深刻さを宗次郎は重々理解している。
宗次郎は千年先の未来から来た未来人だ。よってこれからの展開は大体知っている。
否、果たして本当にそうだろうか。
宗次郎がこの時代に来たせいで、何かが変わっているかもしれないのだ。
もちろん変わっていない可能性もある。現に、宗次郎はこの時代に来てからこれと言って何もしていない。奴隷として大地と出会い、働いて、今は剣士として訓練を受けているだけだ。
けどこれから先はわからない。だから、早く現代に戻る必要があるのだ。
「ふぅ」
身体を拭いてある程度さっぱりできた。宗次郎は水場を離れようとした。
すると、
「おーい、少年!」
茶色の羽織をまとった波動師が宗次郎を呼び止めた。
この時代に来てから、穂積宗次郎という名前で呼ばれたことは一度もない。出会い頭に奴隷として扱われたせいで、ずっと番号で呼ばれていた。この時代の奴隷は名前がなく、番号で呼ばれているからだ。
結果、奴隷ではなくなっても名前はないままで、少年とばれている。
名前で呼ばれないというのは冷静に考えればかなりの異常事態だが、宗次郎自身はあまり気にしていなかった。というのも、他の波動師たちは思いのほか好意的だったからだ。
てっきり仲間をやられた恨みを晴らされるものと思っていたが、子供であるせいか周りの波動師たちは優しく接してくれる。むしろ子供でありながら赤羽織のしごきに耐えている宗次郎に一目置いているきらいすらあった。
「なんです?」
「尋ね人だ。テント沿いにいるから行ってやれ」
「? ありがとうございます!」
宗次郎は返事をしてその場を離れる。
━━━誰だ?
心当たりは全くない宗次郎はとりあえず言われたとおりに足を進める。
「?」
人々が暮らすテントが立ち並ぶあたりまで来たが、誰もいない。
宗次郎が顔に疑問符を浮かべる。ちかくにいる人も不思議そうな顔をしている。
すると、
「あ、あの」
「あ」
木陰から蚊の鳴くようなか細い声とともに、宗次郎が助けた奴隷の少女が現れた。




