運命の日 その5
実験で波動が暴走し、時空の渦に巻き込まれた宗次郎。なんとか謎の時空間から脱出できたものの、元の実験室へと帰ることは叶わなかった。
背中の痛みなどどこかへ吹っ飛んだ宗次郎は辺りを見渡す。
周囲は全て木と植物しかない。風がこの葉を揺らす音がざわめきとなっている。人の声はもちろん、動物の声も聞こえない。
「とりあえず、森から出るか」
立ち上がって服についた埃を払いつつ、方針を固める。
ここがどこであれ、まずはこの森を抜け、人に会う必要がある。
現在地が全くわかっていないため、宗次郎はとりあえず歩けそうなところを進んだ。
「……マジでどこなんだここは」
宗次郎は三年間、師匠と一緒に大陸各地を巡って修行を積んだ。流石に全土とはいかないが、さまざまな場所に足を運んでいる。そんな宗次郎をしてこの森は来たことがない場所だった。
「いや」
宗次郎は頭を振った。
ともかくも、あの真っ黒な空間からは出られたのだ。今はそれを喜ぼう。
「ま、一、二時間も歩けばすぐだろ」
自分に言い聞かせるように宗次郎はつぶやく。
ただ一つわかることといえば、この森は人の手入れが全くされていないということだ。
足場は人に踏まれた形跡がないのでゴツゴツして歩きづらい。何より、
「邪魔だ」
伸びてきた枝を退けるのが面倒この上ない。
いっそ波動刀で斬り払おうかとも考えたが、つまらないことに刀を使いたくないというプライドが宗次郎にはあった。
━━━いっそ大声でも出してみるか?
歩き出して十分が経った頃、変わり映えしない景色にそろそろ嫌気が差してきた宗次郎。
「うおっ」
突風が吹き、宗次郎は思わず顔を覆う。
木々のざわめきがひときわ大きくなり、やがておさまった。
「ふぅ」
顔を上げると木の葉がひらひらと舞っていた。
「綺麗だなー」
舞う葉を一つ手にとる。
歩くのが面倒になってきた宗次郎にとっては唯一の慰みである、赤く輝くモミジの葉。
「━━━あ」
宗次郎の呼吸が止まりかける。
赤いモミジの葉。すなわち紅葉が起きているのだ。
少し前の記憶がフラッシュバックする。
宗次郎は三年ぶりに実家に戻ってきた。
寒空の下、震えながら帰ってきた。
冬の、十二月の終わりに。
「っ……」
持っていた葉が落ちると同時に、宗次郎は膝をつく。
そう、冬だ。宗次郎が実験に協力したのは冬だった。
だが今目の前に広がる光景はどうだ。
真っ赤は葉がこれでもかと舞っている。風は程よい暖かさを運んできてくれる。
秋だ。
間違いなく、今の季節は秋だ。
「マジかよ……」
ここがどこか、とばかり考えていた宗次郎は頭を抱える。
時間と空間を操るのなら、場所だけでなく時間だって変わっている可能性がある。
と、理屈は頭でわかっていても、体に力が入らない。
━━━これからどうすればいいんだ。
帰ってこれたと思ったのは幻想。今どこでいつなのか、まるで手がかりがない。
戻れないかもしれないという絶望をひしひしと感じ始めたところ、
「━━━アアアア!」
遠くから聞こえた獣の吠え声に宗次郎は顔を上げる。
━━━今度はなんだよ。
森の中なのだから猛獣がいても不思議はないが、もし襲われたら対処しなければ。
腰の波動刀に手をかけつつもよろよろと立ち上がり、耳の神経に波動を集中させようとして、
「グゥアアアアアアアアア!」
「ぬんっ!」
先程のよりも近くでより大きく吠え声が聞こえ、さらに人の声がした。
かと思いきや、
ドン! という音がして。
宗次郎の目の前が消し飛んだ。
「━━━へ」
宗次郎はその場にへたり込む。
比喩表現ではない。生い茂った木々が、朱く美しい葉が、柔らかそうな大地が。真っ白な光が宗次郎の目の前を横切った途端、全てが焼け焦げ真っ黒になった。
━━━何だ。何が起こったんだ。
突然の出来事に頭も身体も追いつかない。
そこへ、
「ガウッ!」
宗次郎の目の前に一匹の獣が降り立った。
それは黒焦げになった大地とついをなすような純白の毛並みをした、一匹の狼だった。大きさは普通の狼の2倍程度。一噛みで人を殺せろうな獣。
━━━妖、だ。
宗次郎の頭が冷静に目の前の生物に結論を出す。
妖。
かつて大陸を襲った魔神、天修羅がその細胞と取り込ませることで生み出した怪物。人を殺す災厄の獣たち。全てが純白で美しいというその特徴を、目の前の狼は備えていた。
「あ」
純白のオオカミと目があった宗次郎はアホみたいな声を出す。
呼吸を荒くし、舌を出し、獲物をとらえようとする野生の目。
来る。そう直感したのと同時にオオカミが走り出した。
純白の塊が恐ろしい勢いで近づいてくる。
対処しなければ。迎え撃たなければ。
「ぐああ!」
飛び掛かられた寸前、鋭い牙が見えたところで宗次郎は波動刀を抜刀。なんとか牙と爪を防ぐも、衝撃を受け止めきれずに吹っ飛ばされる。
「っ、はぁ、はぁ」
荒くなる呼吸を整えられない。
さっきまで自由に動いていた身体はちっとも動こうとしない。
━━━嘘だろ。
その理由の正体に心当たりはあった。が、信じたくはなかった。
━━━俺、怯えているのか?
荒い呼吸も、震える足も。
怖いものに相対したときに出る症状だと宗次郎には思い当たった。
目の前の妖は下級だ。通常の狼の倍はあるとはいえ、宗次郎が波動刀を振るえば真っ二つにできる。
が、
「グルルルル」
あの牙でかまれたら、あの爪で引き裂かれたら。
死ぬ。
そんな単純な現実に、宗次郎は生まれて初めて遭遇していた。
「グアッ」
「っ!」
またしても迫り来る妖。宗次郎は恐怖のあまり目をつむる。
そこへ、
「ふん!」
「グギャ!」
一際野太い声がしたかと思えば、何かが潰れるような音がした。
恐る恐る目を開けると。
虚な目をして口から血を流すオオカミの首。断たれた首から噴水のように血を噴き出す動体。
そして、大太刀を構えた身長二メートル近い巨漢が立っていた。
「……」
巨漢の男がこちらに近づいてくる。何も言わず、血がべっとりついた大太刀を構えて。
宗次郎はごくりと唾を飲み込んだ。
「立てるか?」
存外優しい声がして、宗次郎の気が抜ける。
「あ、ありがとうございまヴッ!」
立ち上がって礼を言った瞬間、柄頭で鳩尾を殴られた。
━━━な、んで。
全く理由がわからないまま、宗次郎の意識は闇に沈んだ。




