正部家とは
薄暗い室内には誰もいない。足で踏んだガラスの音だけが鳴る。
━━━気配は……なしか。
何事もなければ無人だと勘違いしてしまいそうな雰囲気に、宗次郎は天斬剣を握りなおす。
正武家がどこに隠れているのか見当もつかない。閉められた扉の向こうで息を潜め、こちらの様子をうかがっているのか。
いつ襲われてもいいように、宗次郎はすり足で移動する。
だが、
━━━しまった。逃げられる可能性を考えてなかった!
正体を知られた正武家がわざわざ正面切って戦いを挑むとは思えない。まして先ほどの戦闘で単純な実力では宗次郎が圧倒していて、正武家は足にダメージを負っていない。
「フゥー」
パンクしそうになる頭と心を落ち着かせるために深呼吸をする。
逃げた可能性は高いが、闇討ちしてくる可能性も捨てきれない。
なら、
━━━探せ。
呼吸を整え、視野を広くし、目の前にある現実をすべて受け入れる。
正武家はここを通った。それは間違いない。
ならば必ずある。人がいた痕跡が━━━
「あった!」
廊下にかすかに残る模様。正部家が踏んだ土が作り出したものが、月明りを受けてわずかに浮かび上がる。
━━━二階か!
足跡は階段へと続いている。宗次郎は三段飛ばしで駆け上がる。
足跡は二階の階段を登り切ったあたりで途切れている。三階に上がった様子はない。
二階は階段を上がればすぐ左右の廊下に分かれる構造になっている。部屋は左右合わせて六つ。
この部屋のどこかに正武家がいる。
そう頭で考えた直後、宗次郎は咄嗟に天斬剣を振った。
理屈はなかった。どちらかと言うと本能に基づいた、無意識の攻撃。
それは正武家が自らの身を隠していた結界を容易に切り裂いた。
「っ……」
「終わりです。先生」
息を呑む正武家に宗次郎は天斬剣の鋒を向ける。
「やれやれ、凄まじい嗅覚だな。ここまで追い詰められるとは」
「……なぜですか」
未だ余裕の笑みを見せる正武家に宗次郎は問いかける。
「ふん。いいだろう。三ヶ月、君の面倒を見てきたよしみだ。教えてやろう」
正武家はニヤリと笑う。
「最初からだ」
「は?」
「私は生まれた時から、天主極楽教の一員だ」
「なっ」
目を見張る宗次郎。
「つまり正武家と言う家自体が、天主極楽教の一員だったと言うことだ」
「そんな、こと」
「あり得ないと思うか? 王国を脅かすテロ組織に家族ぐるみで手を貸すなんて、あり得るはずがない、か?」
考えを完全に読まれ、宗次郎はごくりと喉を鳴らす。
「やれやれ。実力はあっても頭の回転は鈍いままか」
正武家はため息をついて、真剣な眼差しで宗次郎を見つめる。
「悪いことは言わない。君は対天部には向かないからやめておけ」
「な、何を」
「覚悟が足りない。皇王国唯一にして最大の学術機関にテロリストのシンパが紛れ込んでいる。明らかな異常事態でありながら、その真意を見極められない時点でな」
息を呑む宗次郎。
真意とは何か。確かに気になるが今考えることじゃない。
「それでも、ここであなたを見逃す理由にはならない!」
「あくまで私しか見ていない、か。だからお前はダメなんだ」
側から見ればどちらが追い詰められているのかまったくわからない状況の中、正武家は腰に手を当てた。
「この学院で知識を学んでも、それを活かしきれていない。歴史が好きなんだろう? 対天部に配属希望なのだろう? なら、敵である天主極楽にも歴史があるとなぜ考えないんだ」
「っ」
「そして」
正武家が一歩、前に出る。
「体育祭で私に負けておきながら、こうして目の前で動揺している」
宗次郎の体がピクリと震えてから動かなくなった。
波動の源は精神。故に相手の精神に働きかける精神感応は実力がかけ離れている相手にはもちろん、実力が同程度であっても警戒されてはまず通用しない。
また精神感応は家柄や才能によるところが大きく、技術としても体系化されていない。扱いづらいのだ。王国最強と謳われる歴代十二神将においても、精神感応が優れた者は圧倒的に少ないのもそれが理由だ。仮に精神感応の才能があったとしても、それをあえて鍛えない者もいる。
だが逆説的に、精神感応をかけられた際に解除する技術もまた体系化されていない。
決めるまでの道のりは長く険しいが、決まれば強力な技。
まして肉体的に疲労し、精神が動揺している相手など絶好のカモだ。
「ッ!」
正武家は波動刀を振り上げる。
体育祭の時は波動を少量に抑え、宗次郎へ徐々に送り込んだ。
だが今回なそんな面倒をする必要はない。
精神の動揺させる言葉に自身の波動を乗せれば、気づかれることはない。
勝った。
そう確信した正武家。
「な、に━━━!?」
だが。
波動刀を振り上げたまま。
正武家の体が硬直した。




