人探し、自分探し その8
穂積宗次郎はかつて、時間を操る波動に目覚めた。子供の頃は時間の概念がよくわからなかったが、成長するにつれ、時間の流れを理解し、尊敬できる師匠から波動を習ったおかげでなんとか扱えるようになった。時間を加速、減速させるのはもとより、完全に停止させることだって出来た。
波動術により時を止めると、世界は完全に無音になり、あらゆる物理運動が停止する。その中で宗次郎は一人だけ自由に動くことができた。二秒も止められなかったし、一度止めれば多くの波動を消費してしまうため乱発はできなかったとしても、あの感覚を味わえるのは自分だけなのだ。
そのはずなのだが。
どうやら、時間を止めるのに波動なんて必要ないらしい。あまりに予想外な自体を目の当たりにすると、人間の体内時間は完全に停止するのだと宗次郎は初めて理解した。
「あ……な……」
無意識のうちに震える手でシオンを指差す。思考は完全に停止し、目の前の現実を拒否していた。
シオンもかなり動揺しているように見えた。大きく見開かれた眼のせいで、森山から渡された写真と同一人物とは思えない。
腰を抜かしそうな二人。先に動いたのはシオンだった。荷物が落ちた音を聞いて意識を覚醒させ、宗次郎の腕をむんずと掴んで歩き出したのだ。
「ちょっ」
恐ろしい力で掴まれている。振りほどこうとしたが無駄だった。
シオンは通行人を蹴散らすように歩き、燈が入っていった小道よりさらに奥の小道へと宗次郎を連れて行った。
「おい」
「黙れ。喋ったら殺す」
少しだけ振り向いたシオンは殺気を漲らせ、完全に宗次郎を黙らせる。
━━━俺、間が悪いにもほどがないか?
燈から、シオンがこの市にいると聞いてはいた。聞いてはいたが、こんな風に鉢合わせをするなんて誰が予想できるというのか。
シオンと宗次郎は住宅街に入った。午後を過ぎたあたりの時間帯では人通りはほとんどない。閑散としている風景に二人の足音が規則的に響く。
突然、シオンは立ち止まって振り返った。宗次郎の後ろを見ている。何かあったのかと宗次郎も振り返ると、扉が開く音がして勢いよく家の中へ放り込まれた。
「うわ!」
宗次郎は玄関を飛び越え、靴を履いたまま廊下を転がる。三回転したところでようやく止まった。
「ほっんと最悪」
綺麗な顔を不機嫌に歪ませながら、シオンが玄関を上がる。傘立てを漁って長い何かを取り出した。
波動刀だ。
鞘から刃が引き抜かれる。その刃紋は構えた波動師の美しさと相まって、一つの芸術品のようだった。
向けられるのが自分でなければ、美しさにため息を漏らしていただろう。
宗次郎は無意識のうちに唾を飲み込む。額から汗が流れる。
たとえ天斬剣の情報を聞き出しても、ここから無事に出られなければお話にならないのだ。
迫り来るシオンに距離を取ろうとしたら壁にぶつかった。これ以上離れられない。
━━━いや、これは好機と考えよう。
間が悪いと言えばそれまでだ。探し求めていた相手が見つかったと考えれば気が楽になる。しかもこの出会いは相手にとっても想定外だ。
もしかしたら天斬剣のありかを聞き出せるかもしれない。宗次郎は弱気になった自分に喝を入れた。
燈との会話で、宗次郎は自分の夢を明確に意識する事ができた。
化け物を簡単にやっつけられるように強く、いかなる時も主に忠誠を尽くす英雄になりたい。
今の宗次郎には強さがない。ならばせめて、自分の夢を意識させてくれた燈に恥じないような行動をしたい。
「縄よ」
「う、わ」
シオンは空いた手で近くの扉を開け、波動を載せた言霊を発する。部屋から自動で縄が飛び出し、宗次郎の体にまとわりついた。
手と足が縛られ身動きが取れなくなると、シオンに再び担ぎ上げられ、部屋の中に放り投げられた。
「痛!」
今度は顔をぶつけてしまう。恨みがましく身をよじると。シオンが部屋に入って扉を閉めた。
「はあ」
シオンは片手で目を覆いながらため息をつくと、ブツブツと何かをつぶやいている。作戦に支障はない、と小さい声だけがかろうじて聞き取れた。少し時間を置くと、シオンは話し始めた。
「あんたさあ、屋敷にいるんじゃなかったの。あんなところで何してたのよ」
「あー、ええと」
自暴自棄になって屋敷を飛び出し、土手で自分語りをしたりした。
などといってもシオンには関係のない話だ。
相手は刀を持っている。それも十二神将の燈に匹敵する波動師だ。対して宗次郎は丸腰。機嫌を損ねれば命を取ら
れかねない。
「ふん。どうせ私を探してたんでしょ。一般人に手伝わせるなんて、なりふり構わない女ねー。あの第二王女様は」
他人を見下す傲慢さを全開にし、ヘラヘラと笑うシオン。宗次郎は写真を見て思い描いた想像と大分違う印象を受けた。
「ふふっ。私もだけど、あんたも相当ついてないわね。今は別荘をあの女に乗っ取られてるんでしょう? マジウケルわー」
邪悪な笑みを浮かべながらシオンは倒れ伏している宗次郎を覗き込んだ。これだけ近くに来るのは、刀など装備しなくても簡単に対処できると踏んだのだろう。
舐められている。
「なんで俺の別荘にいるって知ってるんだ」
「そりゃあいつらが極秘裏に行動するよう仕向けたのはあたしだもの。ずーっと前から準備してたんだから」
シオンはドサッと音を立てて宗次郎の前にあぐらをかいた。短い丈のせいで見えてはいけない部分が見えそうになり、宗次郎は顔を赤くして目をそらす。
その様子を満足げに見つめながら、シオンは買ってきた清涼飲料水を口に含んだ。
「ま、あんたたちの登場は予定外だったけどね。おかげで燈を始末しそびれちゃったじゃない。何しにきたのよ」
「……別に。たいした用事じゃない」
「そうよねー。なんでもいいわよねー。事故って行方不明になった挙句、記憶と波動を失って腑抜けになったお坊ちゃんのすることなんてわっかんないわ」
縄を解こうとあがきながら宗次郎は思わず顔を上げる。
「調べたのか」
「調べるまでもないわよ。あんた有名だもの。呪われた子、だっけ?」
シオンはその笑みをより残虐にしながら宗次郎を見下ろしていた。
それからしばらく会話が途切れた。宗次郎は縄を解こうとあがき続け、その様子を楽しげにシオンは見つめ、食事をしていた。
やがて宗次郎は疲れ果て、シオンの首に何かぶら下がっているのに気がついた。
「ん?」
勾玉だ。宗次郎を放り投げた際に胸元から飛び出してしまったらしい。暗がりの中でも光輝いていて、目を奪われた。
「何よ。欲しいの?」
「いや、すごい綺麗だなって」
「ふ、ふーん」
勾玉を胸元に隠しながら、シオンはその顔を柔らかくした。
「いい目してるじゃん。これ、私の家宝なの」
まさか家宝を褒められて喜んでいるのか。いや、油断は禁物だ。
息を整えながら、宗次郎は昨日の会議を思い出す。
「天斬剣はどこにある」
「あんた自分の立場わかってんの? 言うわけないでしょ」
鼻で笑いながらシオンはゴミ箱に袋を放り込んだ。
「ま、でもいっか。どうせ合図があるまで暇だし。あんたはこっから出られないし」
いいのかよ、と心の中で突っ込んだが口にはしない。あえてやぶ蛇は踏まない。
宗次郎はふと部屋を見渡した。生活感がまるでない。暮らしている別荘も広いのに自分と森山、門の三人で暮らしているから何処と無く人気のなさを感じることはあったが、この家はそれ以上だ。
━━━ひょっとしてこの子、さみしがり屋なのだろうか。
宗次郎は楽しそうに話すシオンを見ながらふと甘い考えに至った。
「天斬剣はね。ここにあるの」
シオンはベッドの下を指差した。よく見ると長くて大きな箱が横たわっている。
言い知れぬ威圧感を箱から感じて、宗次郎はゴクリと唾を飲み込んだ。
「気になるでしょ? 見てみたい?」
「……いや、いい」
「なーんだ。あんなもの別にどうだっていいから、見せてあげてもいいのに」
「いいのかよ。あ」
つい口に出してしまった。シオンの目が細くなり、空気が冷たくなる。
宗次郎は死を覚悟した。
「いいのよ。盗んだのはおまけだしねー」
「儀式をめちゃくちゃにするのが狙いじゃないのか?」
「組織の方針としてはそうよ。一応、天主極楽教の戦闘員だかんね、あたし」
ベッドに座りながらシオンは得意げだ。一方宗次郎は顔に疑問符を浮かべる。
そういえば、昨日の会議で天斬剣や儀式について教えてもらったが、反抗勢力については何も知らされていないし、調べる気もなかった。
「うそ。あんた、もしかして知らないの」
「まあ、王国最大の反抗勢力であるとしか」
「引くわー」
呆れと哀れみの混じった形相は、何度味わっても慣れない。宗次郎は悔しさで歯噛みした。
「興味ある?」
「……」
吸い込まれるような赤い相貌の前に、宗次郎は素直に答えそうになる。
雑貨店で物色しながら抱いた疑問。目の前にいる少女がなぜ反抗勢力に加担したのか。自分より少し年下の、おそらく妹と同じくらいの年齢の女の子がなぜ、と思ってしまった。
「別に。反抗勢力なんて呼ばれているんだ。国家転覆とか企んでるんだろ」
「それはもちろん。この腐った国は叩き潰すわ。でもね、それだけじゃないの」
得意げに笑いながら、シオンはこう告げた。
「天修羅の復活。これが天主極楽教の悲願なの」
「は?」
訳がわからないという宗次郎の顔を見て、シオンはニヤッと笑った。