ブス
食事中は話したくないのか、食堂にいる間シオンは当たり障りのない会話を吹っ掛けてきた。食堂のメニューが充実していない、つまらない授業と面白い授業の差がひどい。あの先生がイケメンだった、などなど。
やがて食堂を出た舞友とシオンは建物内をぶらぶらと歩いた。
「お、ここ空いてんじゃーん」
空き教室を見つけたシオンが扉を開け、舞友を手招きした。
よほど他人に聞かせたくない話らしいが、兄の話となると引き下がれない。舞友は招かれるまま空き教室に入った。
少人数用の小さな教室だ。舞友は冷房をつけ、空いている椅子に座る。
「んじゃ、舞友っち忙しそうだから手早くいくね」
そう言ってシオンはカバンを机の上に置くと、やおらに服を脱ぎ始めた。
「え、ちょっと!」
シオンは上半身だけ下着姿になった。白と黒のレースが特徴的なブラが形の良い胸を包んでいる。
「ちょっと、胸ばっかり見ないでよ舞友っちー。うらやましい気持ちはわかるけどさー」
「死にたいの?」
殺意をむき出しにする。自分の胸が控えめであるという自覚はあるが、突きつけられると本当にイラっと来る。
━━━べ、べつに胸の大きさなんて関係ないし。
肩凝るだけだし、と自分に言い聞かせる。
「えーっと、どっちだっけ……」
シオンは右肩と左肩をさすり、えいっと右肩から何かをはがした。
「っ……」
シオンの右肩にある刻印に息をのむ。波動封印のための刻印。実際には痛くないのだろうが、傷のような痛々しさがある。
ここにきて、舞友はシオンがなぜ三塔学院に入学したのかがわかった。
三塔学院はその性質上、中途で入学する生徒はごくわずかしかいない。その内訳は波動の才能開花が通常より遅かったものがほとんどだ。
そしてごくまれに、年少の犯罪者が更正のために入学することがあるらしい。もちろん過去の犯罪歴を隠し、なおかつ波動をある程度封じるなどの措置が取られたうえで。
つまり、シオンは━━━
「お察しの通りよ。私、元は犯罪者なの」
食堂で言われても困るでしょ、といって制服を着なおすシオン。
舞友は頭を振って頭を正常に戻す。
シオンが入学してきたのは四月中旬。逮捕されたのはそれ以前ということになる。近々の事件を思い出し、兄と顔見知りであると考慮すると、
「もしかして、天斬剣献上の儀が中止になったのは……」
「さすが、頭がいいわね。世間じゃ宗次郎が天斬剣に選ばれたことが原因になっているけど、私のせいでもあるの」
あきれたように小さくため息をついてから、シオンは最後のボタンを留めた。
「私、天主極楽教の一員だったの。天斬剣献上の儀を利用して燈を殺すつもりだったのよ」
衝撃のカミングアウトをして、シオンは事の顛末を語り出した。
天斬剣を祀っていた刀預神社に住んでいたこと。貴族とのいさかいで母が心を病み、神社に火を放って一家が離散したこと。天主極楽教に拾われ、戦闘員として育ったこと。なんとかすると約束したのに何もしなかった国王とその家族を恨んだこと。
そして、天斬剣献上の儀を護衛する燈を狙って強襲したところ、宗次郎を巻き込んでしまったこと。
「いやー、まさか邪魔されるとは思わなかったわよ」
思い出しながら苦笑され、舞友もどうしていいのかわからず唇を噛む。
「宗次郎と知り合った理由はそんなところね」
「……」
なぜシオンが宗次郎を知っているのか。シオンと燈がバスの中で仲良さげに話していた理由はわかった。
わからないのは、
「どうして、そんな話を私に?」
「んー……舞友っちがほっとけないからかな。つーか宗次郎との関係性なんてどーでもいいのよ。本題はこっからだから」
本題? と首を傾げるとシオンは話し始める。
「私は失敗したからここにいる。でもね、罪も罰も後悔してない。燈を殺そうとしたことや天主極楽教の一員だったこと、王族を恨んだことも」
「どうして?」
「兄さんに会えたから」
シオンは真顔で即答した。
「え、家族は全員死んだんじゃ……」
「ね。だから余計にビビったわ。しかも、燈のお目付役になって、私たちと敵対していたんだもん。ほら、燈が十二神将に抜擢された理由は知ってるでしょ? 天主極楽教に壊滅的な打撃を与えた作戦。あそこで再会したの」
舞友は空いた口が塞がらなかった。
兄との再会する。そう聞いたときは複雑な気持ちだった。会いたいようで会いたくない。そんな悩みに悶々としていた。自惚でもなんでもなく、自分以上に面倒な再開をする人間は居ないと思っていた。
居た。
自分より複雑で込み入った事情の兄妹は目の前にいた。
再会はそれこそ何年も時が経ってからだろう。事情からして互いが互いを死んだものと思っていたはずだ。それが、まさか戦場で、敵として再会するなんて。
ドラマチックにも程がある。
「兄さんもちょーびっくりしてたわ。気が動転するっつーの? 傷ついた私を匿ったの。捕獲対象なのにねー」
「それで……どうなったの?」
「フツーに喧嘩した。兄さんは私にテロリストなんてやめるように言ってきてさー。そんなことをしても何も変わらない、戦わないでくれって。兄さんは貴族に拾われていたから、正論を言われたわ」
ほんの数ヶ月前の出来事を思い出しているシオンの物憂げな表情に舞友は唾を飲む。
「私も言い返した。どうして燈と一緒にいるのかって。私たち家族は国王のせいでメチャクチャになったようなものなのに、体制側にいるなんて」
長いため息をついて、シオンは天井を見上げた。
舞友はこの喧嘩の顛末が読めた。
時系列から考えてシオンたち兄妹が再会したのは天斬剣強奪より前の出来事だ。だとしたら━━━
「毎日のように喧嘩して、意見をぶつけ合って。ずっと平行線だったある日、燈が天斬剣献上の儀の護衛をするってニュースを見ちゃったの」
それはほんの偶然だった。燈が十二神将になりたての王族で美女という属性と、数年に一度行われる第儀式という話題性がミックスされた案件をメディアがこぞって報道した。
「ざけんなっつの。今更、こんなときだけ手を出すなんて。文字通り大切なものを土足で踏み躙られた気分だった。街ごと消してでも燈を殺してやるって言ったら、兄さんが折れたの。せめて燈だけを標的にするのなら、協力してもいいって」
シオンの兄も思うところがあったのか、それともシオンの熱意に折れたのか。本人がいない以上憶測しかできない。
シオンたちの兄妹喧嘩はこうして終わりを告げたのだ。
「こうしてあたしは最強のカードを手に入れた。殺す相手のお目付役だかんねー。天斬剣を盗み出して、燈を殺す寸前までは行けたし。あーあ、宗次郎さえいなきゃ成功してたのになー」
手足をぶらぶらさせ、不敬極まりない、反省を微塵もしていませんという態度をとるシオン。その声は内容に反して軽やかだ。
「お兄さんは、どうなったの?」
「今は牢屋の中。月一で面会してるの。刑期は判決次第ね」
「……」
「どう、羨ましい?」
「……別に」
挑発してくるシオンから目を背ける。
正直。
よくない、とわかっていても。
舞友は羨ましいと感じてしまっていた。
喧嘩して、分かり合う。言葉にすれば簡単だが実情はそう簡単ではない。
シオンの兄は燈のお目付役だった。皇王国第二王女のお目付役なんてなろうと思っても慣れるものじゃない。かなりの努力をしたはずだ。いくら妹のためとはいえ、その築き上げた地位を捨てるなんて。
シオンと兄の行為は紛れもない犯罪だ。罰せられるべき悪徳だ。それだけに、兄妹の絆の深さが浮き彫りになる気がした。
「……舞友っちってばほんと分かりやすい。マジでないわ。ガッカリにも程があるっての。励ましてあげよーかと思ったけどやーめた。話になんない」
「何を」
ついムッとする舞友。
シオンは深くため息をついてやれやれと首を振った。
「好きなだけ羨ましがれば? どーせあんたじゃ私たちみたいに仲良く出来なんだしさ」
「言いたい放題言ってくれるわね━━━」
「だって、あんた喧嘩すらしてないじゃん」
「っ……」
息を呑む。
シオンの指摘はまさに神の鉄槌のごとく、舞友の心にガツンと響く。
「聞いたわよ。宗次郎が来てからずっと不機嫌そうにしてたんだってね。馬鹿みたい。何よ、今更やってきた兄によくわかんないけどイライラするから八つ当たりしたの? ださいにも程があるっつーの」
机から降りたシオンが近づいてくる。端正な顔がすぐ近くに、薄緑色の瞳をまっすぐ向けられる。
「あんたがしてんのは喧嘩じゃない。ただの逃げよ、ブス」
「!!」
血液が瞬間的に沸騰する。
勢いのまま平手打ちしようとするも、出た手はシオンにあっさり止められた。そのまま腕を捻りあげられて、舞友は苦悶の表情になる。
「遅いし直線的。もー、その勢いをそのまま宗次郎にぶつけちゃえばいいのに」
「っ、離して!」
「ほいっと」
あっさりと腕を離される。痛む肘関節をさすりながら、舞友はシオンを睨みつけた。
「喧嘩しても仲良くできて羨ましい? それって妹が眞姫みたいだったらなーとかほざいた宗次郎と同レベルじゃん」
「っ……」
「逃げてばっかりいちゃ宗次郎を理解することは不可能よ。あいつ、なかなかの人生を送ってるんだから」
その一言に舞友の怒りが掻き消える。
「何を……」
「私はあんたより宗次郎について詳しいって言ってるの。逃げてばっかりの誰かさんとは違うのよ」
何せキスした間柄だし? とニヤケ顔でされた挑発に舞友はまた血が上りかけるも、今度は務めて冷静であろうとする。
目の前にいるシオンは宗次郎について知っている。
対して舞友は……ほとんど知らない。あるのは子供の頃の思い出と、記憶を失い廃人となった兄だけ。
舞友はシオンと宗次郎が知り合ったいきさつを聞いただけだ。天斬剣をめぐるどんな戦いがあったのか知らないのだ。
「……」
だが、それをシオンから聞くことはできない。
逃げるな。
そう言われた以上、舞友はもう、宗次郎から逃げるわけにはいかない。
キーンコーンカーンコーンとチャイムが鳴った。
「生徒会副会長、穂積舞友さん。生徒会室へお越しください。角掛会長がお待ちです」
「ありゃ、ここまでか」
シオンは放送を聞いてやれやれと肩をすくめ、教室を出ようとした。もう話は終わったと言わんばかりに音を立てて歩き出してから、
「あ、そうだ」
と、思い出したように立ち止まる。
「食堂であの女が何を言おうとしてたのか知らないけど」
背中を向けたまま、シオンは告げた。
「兄妹はね、仲がいいに越したことはないわよ。絶対に」
そう言い残して、シオンは教室の戸を閉めた。
あとに残ったのは静寂なのに、耳に痛いくらい響いてくる。その理由がわかっているからこそ、舞友は一番の深呼吸をした。
「……はぁ」
あれだけ驚いたり怒ったりした割には疲れていない。むしろ食堂にいた時より体が軽くなった気がした。
「よし」
授業はもうない。舞友はカバンを取って生徒会棟へ急いだ。