三人揃って
三塔学院において一番広い教室は近年改築された第二学舎の第二教室である。三百人以上が着席可能なこの教室がつかわれるのは、卒業式や始業式など大きな行事が行われる時だ。
それか、今回のように外部から講師を招いての講演などが行われる。
「━━━以上のように、私たちの仕事は常に危険と隣り合わせです。文字通り命を懸ける必要があります」
壇上の上で燈は学生たちに向かって語り掛ける。
現役の八咫烏として、王族として登壇してほしい。そう学院長の津田にお願いされ、燈は週に一度こうして学生と話す場を設けていた。
一通り話し終えた今は、参加した生徒からの質問に応じていた。今回は『八咫烏になって伸びる人はどんな人か』というものだった。
「だからこそ、私たちは忘れてはならないのです。なんのために戦うのかを。その理由がはっきりしている人が八咫烏となっても成長していると思います」
「ありがとうございました」
質問した生徒が座ると、ちょうどチャイムが鳴った。
「それでは、今日の授業はこれまで。ありがとうございました」
「「「ありがとうございました」」」
登壇している教師のあいさつを皮切りに、教室がワーンとなる。
生徒全員が教室から出ていくのを見送って、燈も立ち上がった。
「殿下、お疲れ様でした」
「お疲れ様でした、三科先生」
今回の公演の司会を務めてくれたのは、燈が学生の頃お世話になった三科光輝先生。メガネをかけていて常に笑顔を浮かべている男性だ。数学を教えている教師だ。
「さすがは殿下ですな。もう登壇に慣れておられる」
「相手が学生だからですよ。真剣に話を聞いてくれるので助かります」
数年前まで話を聴く側だった身としては身が引き締まる思いだった。三塔学院といえど、合わない教師、つまらない授業というものは存在する。生徒たちがスヤァと寝息を立ててしまうような授業を燈も受けた。王女として絶対に寝るなどしなかったが、やはり時間を無駄にしてしまったと損をした気分になる。
自分が登壇した以上は生徒が集中できる環境を作る、と心に決めていたのだ。
その姿勢のおかげか、それとも身分のおかげか。生徒たちは真剣に自分たちの話を聞いてくれていた。
「では、私は次の授業がありますので。また」
「はい。ありがとうございました」
別れを告げて燈も教室を出る。
時間は夕暮れながら夕食には少し時間がある。
━━━会いに行こうかしら。
妹、眞姫のいる佐藤植物研究所まで行って帰ってくる時間くらいはある。夕食後は宗次郎の勉強を見ないといけないので、今日はあまり会えていないのだ。
━━━だいぶシスコンね。私。
自覚してしまったせいか自重気味な笑いが漏れる。
眞姫が課外学習から戻ってきてからというもの、燈は毎日顔を見に行っていた。その溺愛ぶりは凄まじく、宗次郎から
「無理せず生徒会棟を離れていいんじゃないか?」
と呆れ顔で提案されたほどだ。
無論できればそうしたいがそこまでわがままは言えない。移動するのは正直面倒だが、こうして会いに行けるだけでもありがたい話なのだ。
燈は端末で眞姫にこれから会いに行くとメールを打ち、
「あら」
「あ」
校舎の外に出ようと廊下の角を曲がったら舞友と鉢合わせした。
「こんにちは、燈様。授業ですか?」
「そうよ。舞友は生徒会かしら?」
「はい。体育祭の準備もありますし、それに━━━兄さんのことも」
そう言って舞友はため息をついた。
宗次郎の学力は伸びている。そのペースは順調だが、試験に絶対受かるかどうかは賭けだ。家族としては気がかりなのだろう。
それよりも、
「例の件はどうだった?」
燈は小声でそっと耳打ちした。
例の件とは学生が昏睡状態になる事件のことだ。
被害者は合計六人。宗次郎が見つけた被害者の他にもう一人発見されていた。
各事件の共通項としては、被害者が人気のない場所で意識を失った状態で発見されている、波動が著しく減少し意識や記憶の混濁が見られるなどが見受けられる。そして平民出身の学生であること。
逆に言えば、それ以外の共通点は皆無だった。犯行場所も時間も一貫性はない。選択している授業も部活もバラバラだった。
犯行目的もわからず、捜査に当たっている風紀委員も生徒会も手詰まりの状態だった。
被害者の症状は波動の減少とそれに伴う意識障害。故に風紀委員は波動が狙いではないかと仮定して捜査をしているようだが、燈はそうは思わなかった。何かが引っかかったのだ。
もし波動が狙いならやり方が迂遠すぎる。事件の頻度はおよそ二週間に一回、減少量も障害が出るほどとはいえ学院内で買える波動石と同程度の量だ。つまり、波動が欲しいだけなら学生を、それも平民出身のを襲う必要はないのだ。
では無差別に人を襲う快楽犯罪の類かと言われるとそれも違う気がした。被害が少なすぎるのだ。人気のない場所に被害者を連れ込んで波動を抜くことに楽しみを覚えるとは思えない。
つまり、無差別ではなく何らかの意図があって被害者を選別している。必ず何か基準があるはずだ。
ではどうやって基準を探すか。被害者本人の情報を精査しても何も出なかった。
そこで燈は被害者本人ではなく、被害者の周囲の人物に探りを入れるよう舞友に依頼した。
果たして、その成果はいかに。
「はい、燈さまの予想通りでした」
耳打ちされた舞友が笑顔で応じる。
「被害者と仲が良かった人に話を聞くと、事件の前と後では印象が違って見えるそうです。それも、良いように」
「良いように?」
「はい。リラックスしている、イライラしなくなった、落ち込む頻度が減った、などなど。表現に差異はありますが、事件直後の方が好意的な印象を持たれているようです。それも、全員が」
「ふぅん」
燈は歩きながら腕を組む。
被害者は全員意識を失って数日後には退院している。記憶の方は一部欠落したままだが、混濁した意識ははっきりしている。
とはいえ、よくなっているとは予想外の結果だ。それも全員となると、共通点はそこかもしれない。
「何か悩みを抱えていた、もしくは問題を抱えていた生徒、ということかしら」
「その線が濃厚かと。詳しくはこれから調べてみます。ただ━━━被害者本人が記憶を失っているので、難航しそうです」
また舞友の表情が暗くなり、燈はつい立ち止まった。
舞友の疲れ切った表情を改めて見つめ直す。心なしか、学院に来た時より肌の荒れや目のくまが目立つ気がする。
「……舞友。少し私に付き合わない? 妹とお茶する予定なの、あなたも一緒にどうかしら?」
「え?」
燈は周囲に人がいないことを確認して呼び捨てにすると、舞友が不思議そうな顔をしていた。
「あなた、ここ最近休んでいないでしょう。働きっぱなしは毒よ。今日、この後の予定は?」
「……兄さんの勉強を見て、自分も勉強します」
「なら時間があるわよね。気分転換をしましょう。もう眞姫とは会っているんでしょう?」
眞姫と舞友は初対面ではない。眞姫は天斬剣献上の儀が中止になり、姉の燈が宗次郎と一緒にいると知ってから舞友に声をかけたそうだ。それから二回ほど一緒に植物園でお茶をしたらしい。
舞友さんはとても良い方です。眞姫がそう言うのなら、連れて行っても問題はないだろう。
「わかりました。最近眞姫殿下とも顔を合わせていませんでしたね」
「なら決まりね」
燈と舞友はバス停へと向かい、バスに乗り込んだ。
宗次郎のこと。事件のこと。抱えている問題を一時でも忘れてくれたらと、燈は最近学食に追加されたデザートや普段着る服の話題を振る。
研究区画に向かうにつれ乗降者する生徒の数が減っていき、静かになる。すると、
「アハハ! じゃあ、また明日ねー!」
あるバス停でひときわ大きな声が響いて、燈はハッと顔を上げる。
大声に驚いたのではない。その声に聞き覚えがあった。
やがて一人の女子生徒が乗り込んでくる。王国人には珍しい金色の髪はサイドアップテールにされている。着崩された制服とカバンはだらしなく下がっている。
間違いない。シオンだ。
「あ」
シオンが燈に気づいてハッとする。かく言う燈も似たようなものだ。
「えっと。もしかして、お知合いですか?」
目をぱちくりさせている舞友の発言がどこか遠くから聞こえた。