機嫌の悪い妹
ごくりと唾を飲み込む宗次郎。
戦いを終えて上がったテンションはどこへやら、宗次郎は自分の心が冷めきっていくのを感じた。
「会計?」
「なんでここに」
疑問を口にする鏡と雅俊をまるで意に介さず、舞友は宗次郎を睨みつけたままずんずん歩いてくる。
「兄さん、ここで何をしているんですか?」
眉を寄せ、明らかに機嫌が悪い。
「いや、ちょっと気分転換に戦闘訓練をな」
たじろぎながら答えると、舞友の視線が細くなった。
「それで二時間近く時間を無駄にしたわけですか? 授業の復習は? 渡した宿題は終わったんですか?」
「あー、ええと」
━━━やべ、完全に忘れてた。
宗次郎は舞友から視線を逸らす。これは謝るしかない。
そう思ったところ、傍にいた鏡が一歩前に出た。
「ちょ、ちょっと待ってください」
舞友の鋭い視線に一瞬どもったが、それでもなお鏡は続ける。
「宗次郎さんに戦ってほしいとお願いしたのは僕たちです」
「おい、俺を巻き込むな」
「あなたたちが?」
雅俊にも舞友の視線が向けられてしまった。
「舞友、彼らは俺を気遣ってだな」
「兄さんは黙っていてください」
にべもない。宗次郎は二人を食い殺しかねないほど怒っている舞友のいう通りにした。
「どうして戦ってほしいとお願いしたんですか」
「……授業終わりの彼が、疲れていたように見えたので」
「疲れているのに、戦ってほしいと?」
「この一週間、ずっと勉強漬けだったというので」
ピクリと舞友の表情が動く。
「いいですか、兄さんは見せ物じゃないんです。勝手に巻き込まないでください」
「別に見せ物にするつもりは━━━」
「結果としてそうなっているでしょう」
グラウンドを見渡せば、確かに生徒は多い。むしろどんどん増えている。
「戦いたい気持ちはわかりますが、兄さんには遊んでいる余裕はないんです。余計なことは━━━」
「舞友、いい加減にしろ」
「黙っていてって言いませんでしたか?」
「言われた。が、黙るつもりはない。言い過ぎだ、舞友」
正直な話、機嫌の悪い舞友を相手にしたくはない。それでもこのままにはしておけなかった。
「さっきも言ったが、鏡の誘いに乗ったのは俺だ。彼らに非はない」
「……兄さん」
「勉強はちゃんとやるよ。けど、たまには休憩したっていいだろう」
舞友がくるりと回れ右をして宗次郎に向き直る。その表情は辛そうで、どちらが責められているのか宗次郎は一瞬わからなくなって宗次郎は思わず口をつぐんだ。
━━━何があったってんだ、舞友。
あんなに気弱で、臆病だった妹がなぜこうなってしまったのか。八年も行方をくらませ、再会しても茫然自失だった宗次郎には知るよしもない。
何が彼女をそうさせたのか。
「では、兄さんは八月の卒業試験、合格する自信がおありなんですね」
「そう言うわけじゃ━━━」
「なら!」
睨みつける舞友。その口調は鋭く、苛立ちがもろに出ている。
「穂積家に泥を塗るような真似をしないでください」
「ハァーイ! そこまで!」
ぱんぱんと手のひらを叩く音が訓練場中に響き渡る。
顔を上げれば、舞友の背後から金髪を靡かせた長身の男子生徒が歩いてきた。
「会長!?」
「角掛会長だ!」
「キャー! 会長ー、こっち向いてー!」
「はっはっは、ありがとうみんな!」
颯爽とした登場に訓練場の周囲にいたギャラリーが歓声を上げる。特に女子。ただ男子もそれに苛立つどころか、普通に受け入れている。
学院一の人気者、なんて自己紹介していたが、本物だったようだ。
「会長、なぜここへ?」
「なに、宗次郎が訓練場に向かったと聞いてね。ちょっと様子を見に来たのさ」
苛立つ舞友の発言をそよ風のように受け流し、角掛会長は宗次郎にウインクする。
「そうしたらなんと我が校の生徒会書記が乱入し始めたので、これは俺も出るしかないなーと」
「余計なお世話です、会長」
「それは君も同じだろう、舞友」
会長の言葉に舞友がハッとする。
「宗次郎はもうこの学園の生徒だ。そして、生徒は事前に予約をすれば誰でも訓練場を使える。宗次郎はもちろん、鏡たちの行動にはなんの落ち度もない。違うかい?」
「それは……」
苦い表情で口をつぐむ舞友に、角掛会長は悪さをした子供を諭すような優しい口調で諭した。
「宗次郎を心配する君の気持ちもわかるが、ほどほどにな」
「……はい」
俯いて隠しているが、舞友は明らかに不満そうな顔をしている。これは訓練場にあまり足を運ばない方がいいな、と宗次郎は覚悟した。
「そう言うわけだ。すまないね、宗次郎。彼女に色々と仕事を押し付けた俺の責任でもあるんだ。許してほしい」
「いえ、そんな」
宗次郎は慌てて両手を振る。
謝られたことよりも、あんなに不機嫌だった舞友を一瞬でおとなしくさせたことに驚きを隠せなかった。
「二人も、いいかな」
「もちろんです、会長」
「はい」
鏡と雅俊も元気よく返事をする。
その様子に角掛会長は満足げに頷いた。
「よし! ではお暇しようか。次の授業がそろそろ始まるしね」
角掛会長の言う通り、訓練場の入り口には教師と数人の生徒が待機していた。
「穂積宗次郎だ」
「本物だ」
「角掛会長もいる」
「すげー」
体格からして鏡たちと同年代か年上に見える。ギャラリーと違って落ち着きもあった。
宗次郎たちは角掛会長のあとに続いて訓練場をあとにする。
「あれー、あんた!」
待機していた生徒の中から、一際通る声がした。
━━━え?
宗次郎は驚きのあまり思わず顔をあげた。
聞いたことのある声だった。意外なのは、その声の主がこの学院にいることだった。
「宗次郎、早く」
「え、あ、はい!」
声の主を探そうとするも、会長に急かされて訓練場を後にした。




