三塔学院 その4
学園生活。宗次郎の人生にとって最も縁遠い時間だ。なにせ本来学園に通うべき時間は全て妖との戦闘に使っていた。
同世代の人間と同じ教室で授業を受け、勉強し、部活に励み、寮で暮らす。
周りの波動師たちが当たり前のように過ごしていた時間を、宗次郎はこれから過ごすことになるのだ。
━━━楽しみだなぁ。
純粋にワクワクしていると宗次郎は自覚した。
もちろん不安はある。二十一歳という年齢。他の生徒とは隔絶した波動の腕前。
しかも先程の生徒の様子を見る限り、名前は完全に知れ渡っていると見ていいだろう。
━━━ま、なんとかなんだろ。
隣に燈もいるし、と宗次郎は無言のまま自嘲気味に笑う。
なんだかんだ言いつつも、不安より楽しみの方が大きかった。
「はい。はい。わかりました」
ちょうどいいタイミングで津田が受話器を離して宗次郎に振り向く。
「宗次郎くん、もう少し時間あるかしら。あなたの担当となる先生と、在学中に面倒を見てくれる生徒会の方を紹介したいの」
「はい。大丈夫です」
「ありがとう。きっと喜んでいただけると思うわ」
宗次郎の返答に頷いた津田はさらに電話を続ける。
「生徒会ってなんだ?」
「生徒が運営する組織よ」
「ヘぇ〜」
燈がこそっと耳打ちした話によると、この学院ではかなりの権限を持っているらしい。学校行事や部活動はほぼ生徒会が仕切っているのだとか。生徒会メンバーだけが暮らせる寮もあるらしい。右腕に黄色の腕章をつけているのが特徴。
他にも燈は学院についていくつか教えてくれた。
三塔学院は学年ごとに担当の教師が複数名つき、各人が数十人の生徒を担当するのだそうだ。
教師は寮監も兼ねているので、生徒は同じ担当の教師のもとで生活を共にする。
他にも部活の顧問などで教師とは関わるらしい。
肝心の授業については単位制なので自分の将来を考えて、または趣味趣向に合わせて授業を選択する。
対天部に所属するのであれば、犯罪心理学初級や対人格闘術の授業を取るべきだろう。燈からはこう助言された。
そうこうしているうちに津田が電話を終え、院長室の扉がノックされた。
━━━門さんみたいな人だといいなぁ。
記憶喪失だった宗次郎に様々なことを教えてくれた恩師、三上門。彼にはとても感謝している宗次郎は、新たな教師との出会いに心を躍らせる。
もう一人、宗次郎が音を感じている人に、引地鮎という女性がいる。十二神将の第三席を務める女傑であり、宗次郎にとっては波動の師匠に当たる人だ。
ただ、傍若無人な人なので、ここではあまりお目にかかりたくないタイプの人種だった。
「失礼します」
挨拶をして部屋に入ってきた人物に、宗次郎は少しだけ面食らう。
━━━男……いや女性か?
性別を一瞬で判断できないほど、その人物は中性的な顔立ちをしていた。背丈は燈より少し高い。髪は後ろで束ねられているが、癖が強いのかはねっけがすごい。それでいて無造作に見えないのは顔立ちのせいだろうか。
年齢は三十代前半くらいか。目つきはクールな印象。それでいて表情は活気に満ちている。
門と鮎。思い描いていた教師像とはどちらからもかけ離れた人物に、どこか他人を拒絶している“壁”のようなものを感じる宗次郎だった。
「こちらが担当となる正武家尚美先生です」
「よろしく」
「初めまして。穂積宗次郎といいます。お世話になります」
さっと差し出された手を握り返す。
「彼女は元八咫烏、それも波動犯罪捜査部に所属していた経歴の持ち主です。宗次郎くんにとっては良い教育係となるでしょう」
「お気遣い痛み入ります」
「そういうことだ。わからないことがあればなんでも質問してくれ」
にっこりと笑う正武家。
彼女、と津田学院長が紹介したので女性だと分かった。それでいて口調は男らしい。
それはそれとして、
━━━や、やりづらい。
表情が一定なので何を考えているのかまるで読めない。思わず隣にいる燈に助けを求めたくなる衝動に駆られる。
そこに
「失礼します」
こんこんと扉をノックする音がして、廊下から女性の声が響く。
生徒会役員だろう。宗次郎はそう予想した。
「どうぞ」
津田の返事を合図に部屋に入ってきたのは女子生徒だった。
薄茶色の袴と着物に紺色の羽織。三塔学院の制服に、右腕には黄色の腕章をつけている。宗次郎が予想した通り、生徒会の役員の一人だった。
しかし、その人物は全くの予想外だった。
流れ落ちるようなさらさらとした黒髪に、整った眉。俯きがちな顔と閉じた目と合わせて、線の細い体は儚げな印象を受ける。一礼して入室する様は絵になっており、礼儀作法が骨の髄まで身に染みていることが窺えた。
思わず守ってあげたくなるような美少女。そう表現できる生徒だった。
「学院長、遅くなりました」
「そんなことはないわ。よくきてくれたわね」
今までで一番嬉しそうな笑顔を浮かべる津田。その表情は実に無邪気だ。自分が良いことをしたと誇らしくも見えるし、サプライズが成功して喜んでいるようにも見える。
確かに宗次郎は心臓が止まりかねないほど驚いているので目論見は大成功した。
━━━ま、じか。
思わずごくりと唾を飲む宗次郎。
目の前にいる少女を宗次郎はよく知っていた。
「初めまして。皇燈第二王女殿下」
宗次郎に目を合わせることなく、少女は燈を向いて頭を下げる。
「生徒会の書記をつとめております、穂積舞友と申します」
少女が告げた名前に、宗次郎は目の前が真っ暗になったような錯覚を覚える。
「━━━!」
ここで燈の目も宗次郎と同じくらい大きく見開かれるが、すぐに気を取り直していた。
「初めまして。この度はお世話になります」
二人して会釈をしたあと、件の少女はやっと宗次郎を向いた。
一瞬、目が合う。
時間にして一秒にも満たない刹那に、宗次郎の胸中は複雑怪奇な模様を描く。
郷愁があった。歓喜があった。悲哀があった。絶望があった。困惑があった。
「お久しぶりです。九年ぶりですね、兄さん」
それらを一切感じさせない変化のないトーンで、目の前の少女はボソリと言葉を発したのだった。