人探し、自分探し その2
宗次郎は重い扉を開け、別荘に付随する剣道場に入った。明かりをつけると、鍛錬のために余分を一切排除した空間が浮かび上がる。木材から放たれる独特の香りが鼻を通り抜け、自然と気が引き締まる。己を鍛え上げるための場として正しい振る舞いをせよと、空間の全てが語りかけるようだ。
「ふうん、本格的じゃない」
あとから入ってきた燈が道場を見渡した。
「普段から使ってるわね」
「門さんが子供に剣術を教えてるんだ」
へえそう、と返事をして燈は歩き回る。
屋敷にある剣道場は週三日で解放され、一五歳までの少年たちが門から剣術を教わる場となっている。稽古が終わる夕方に子供を迎えにきた主婦が集まる光景は、気づけば別荘の風物詩になっていた。
「じゃあ、始めましょう」
燈は立てかけられた木刀を宗次郎に放り投げ、自分の分を手に取ると道場の中央へと向かう。
「剣術を学んだ経験はあるわよね」
「少しだけ……ってちょっと待った」
「何よ」
「なんで俺たち戦うんだ。ていうか、俺はともかく、君はシオンを探しに行かないのか」
燈の提案で道場まで足を運んだものの、よくよく考えれば戦う理由はどこにもない。一刻も早く天斬剣を見つけなければいけないのに、こんな遊びに時間を費やす暇はないはずだった。
「馬鹿ね。私が出歩いたら目立つじゃない」
「あ」
宗次郎は思わず間抜けな声を上げてしまった。
━━━そうだった。今回の件は決して大ごとにせず、密かに処理しなければいけないんだ。
昨日の夜、あれだけ念を押された重要事項を綺麗さっぱり忘れてしまっていた。
「私の仕事は全体の指揮よ。天斬剣が戻ってきたあと、儀式が上手く進むよう手配する必要があるの」
「でも、もし戻ってこなかったら?」
どうしても拭いきれない不安を宗次郎は口にする。
戻ってくると断言できる自信がどこからくるのかさっぱり理解できなかった。
「もしシオンが遭橋市を出てたらどうするんだ」
「大丈夫。昨夜、関所にいる八咫烏に連絡して、天斬剣が持ち出されていない確認はできたから」
遭橋市に限らず、王国にある都市には波動師が結界を張っている。結界に触れれば探知できる仕組みになっているので、天斬剣がこの市を出ればすぐに居場所が特定されてしまう。
仮になんらかの偽装を施したとしても、検問で捕まる。この市を出て行く可能性は低い。
「あなたは天斬剣を気にする必要はないわ。それより私には、あなたを見極める義務があるの。この剣でね」
燈は木刀をくるくる回しながら、いたずらっぽい笑みを浮かべている。電話で指示を出していたときよりよほど楽しそうに見えた。
「見極める?」
「前にも言ったでしょう。あなたには国家反逆罪の容疑があるって」
「いや。あれは」
「言い訳は結構。あなたのせいでシオンを逃したのは事実。そうでしょう?」
グウの音も出ない。確かに神社での戦いで、宗次郎が不用意に飛び出したため燈は波動術を発動できなかった。足を引っ張ってしまった宗次郎に責任がある。
「最初はシオンの仲間で、天主極楽教の一員かと思ったもの。練馬があなたたちの身元を調べるまでずっと疑っていたのよ」
「身元がわかったなら別にいいじゃないか」
「ダメよ。あなた自身については、私がこの手で確かめる」
燈は目つきを鋭くし、片手で木刀を掲げる。向けられた鋒と視線は針のように鋭く、宗次郎はすでに刺し傷を負った気分だ。
「剣を交えれば相手を判断できるわ。性格、趣向、考え方。全てが現れるの。だから全力でかかってきなさい」
「無茶言うなよ。だいたい、勝てるわけがない」
みっともない発言だが、実際その通りだ。燈は王族で、十二神将に選ばれるほど波動、剣術共に優れた戦士なのだ。門から少し手ほどきを受けた程度の宗次郎が敵う相手ではない。全力を出そうが出すまいが一方的な試合になるのは明らかだった。
「なら、こういうのはどうかしら。剣術の勝負だから私は波動を使わない。一回でも私に木刀を当てられたら勝ちにしてあげる」
「……それなら、まあ」
━━━勝機はある、のだろうか。
いずれにせよ断る権利は宗次郎にはないのだ。腹をくくるしかない。
「それにね、もし勝ったらその首輪を外してあげてもいいわよ」
「あ!」
宗次郎は思わず首を触る。硬い皮の感触が指から伝わった。
━━━なんてことだ。
昨日の夜からずっと付けっ放しだ。指摘されるまで気づかないほど、たった一晩で馴染んでしまったのだ。首輪をつけられているという事実に。
「もしかしてお気に召したのかしら。ずっとつけていてもいいのよ」
「いや、絶対に外してもらう」
「そう。似合うのに」
俄然やる気になった宗次郎に対して、燈は少し残念そうだ。演技なのか本気なのかわからないのがちょっと怖い。
「では、いざ尋常に」
「勝負!」
審判のいないので、互いに声を出して剣を振るう。
宗次郎の名誉がかかった試合が始まった。
時間が経つにつれ、宗次郎と燈の試合は静かなものになっていった。
開始直後こそ宗次郎は怒涛の攻撃を繰り出した。門から習った剣術の基礎を思い出しながら全力で木刀を振り回す。体格差もあって純粋な力は宗次郎の方が優っている。刃がついていないとはいえ、骨を砕きかねない凶器が空を切った。
だが、いかに強力な攻撃も当たらなければ無意味。燈は流水のように滑らかな剣さばきで一撃をいなし、体重をかけて重心を崩しにかかる。
圧倒的な技術の差を見せつけられ、宗次郎は体勢を立て直すより先に攻撃を受けた。
「ぎゃあ!」
激痛に耐えきれず悲鳴をあげる。向こう脛に木刀が叩き込まれ、文字通りひっくり返った。
「いっつ…」
当たった箇所を無意識にさすりまくる。
攻撃を仕掛けるものの、燈はそれを簡単にあしらって攻撃しかえし、結果宗次郎が地面に転がる。試合が始まって実に30分近くこのやり取りが続いている。左脇腹、左肩、右上腕、右大腿部、そして右の向こう脛が餌食となっていた。
「〜〜〜〜〜!」
身体中が痛くてたまらない。声にならない叫びをあげて、どうにか立ち上がる。
「どうする? まだやる?」
「ああ……やる」
燈は自分の様子を楽しげに見つめ、微笑んでいた。
━━━完全に遊ばれてるな、ちくしょう。
手を抜かれていてこの有様だ。やはり簡単に勝てる相手ではない。
宗次郎は改めて剣を構え頭を回転させる。このまま続けても返り討ちにあうだけだ。
「フゥー」
呼吸を整え、集中する。
攻めなければ勝利はない。ひとまず隙を窺うように、剣を構えたまま燈にジリジリと近く。
「へえ」
宗次郎の変化を感じ取ったのか、燈も再び剣を構える。その顔からは笑みと侮りが消え、真剣さが宿った。
剣を構え間合いを図る二人。先ほどまでとは異なる、高度なやりとりが道場を包んだ。
━━━あれしかない。
足りない頭を使い続け、宗次郎は一つの到達点を見出す。
取り戻した記憶と、この一年間学んだこと。それに加えて、自分が生まれた時から備わっている能力を使って、燈に勝つ!
「ッ!」
距離がある程度詰まったところで、宗次郎は構えていた剣を右へ傾ける。左足を軸に踏み込み、右斬りあげを繰り出す。これまでのものと異なる、勝利のイメージを元に組み上げられた行動は淀みなく、素早いものとなった。
「ふふ」
燈は余裕で対応してくる。彼女にとっては多少早くなった程度でしかない。より素早い逆袈裟を放ち、迎え撃てばいいだけなのだから。
「!」
燈の息を飲む声が聞こえたのと同時に、宗次郎は左斬りあげをすると見せかけ、燈の一撃を避けて見せた。
その回避は、燈の攻撃を完璧に見切らなければなし得ない芸当だった。刀の速度、角度、一撃を出す頃合い、踏み込みと間合いを計算に入れ、なおかつそれに合わせて寸毫の狂いもなく身を躱す。
「シッ」
姿勢を崩すことなく宗次郎は軸にした左足に体重を乗せ、回転。左切り上げを放とうとする。一時的に背中を見せてしまう形になるが、間合いが近すぎる。燈には斬撃を繰り出せない。
━━━この勝負取った!
「甘い!」
「わッ」
勝利を確信した瞬間、背中に衝撃を感じる。燈が体当たりをかましてきたのだ。
剣を構えてよろけてしまう宗次郎。燈とは必然的に間合いが開いてしまう。慌てて立ち上がり剣を構えるも、
「そこまでよ」
燈が目の前にいた。首筋に強い首輪の感触がある。木刀で押さえつけられているのだ。
これが真剣勝負なら宗次郎は首を斬られて終わりである。
「はあ」
力が抜け、宗次郎は床の上に転がる。
文句のつけようがない敗北だった。
「もうやらないの?」
「ああ。奥の手が失敗した以上、もう何も残っていないからな」
背中から伝わる冷たさを感じながら、宗次郎は両手を挙げた。
「はあ」
「そうしょげないの」
座った宗次郎の頭に手が置かれる。燈のものだ。
「最後の回避はなかなかのものだったわ。あんな紙一重で避けるなんですごいじゃない」
頭を撫でられている。その事実を理解して、顔から火が出そうなほど真っ赤になる。恥ずかしさが痛みを凌駕し、宗次郎は飛び起きた。
「そ、それで。どうだったんだよ」
「?」
不思議そうな顔をする燈に宗次郎は詰め寄る。
「だから、この戦いを通して俺を見極めるんだろう。どうだった」
「ああ」
燈は納得し、正座した足を宗次郎に向ける。
空のように青い、吸い込まれそうな瞳と視線が交錯する。宗次郎は無意識のうちに
喉を鳴らした。
「まっすぐで、素直な剣だったわ。後ろめたいことがあればああはならないわね」
どうやら、宗次郎が天主極楽教の一員でシオンの仲間であることの疑いは晴れたらしい。燈の満足そうな笑顔がそう物語っていた。
ただ、宗次郎にとってはそれだけでは足りないのだ。
「他は?」
「他?」
「他の印象について聞かせてほしい」
宗次郎では自分でもどうかと思うほど必死な顔をして燈に詰め寄った。
「うーん、印象ね」
燈は腕を組み、しばらく考え込んだ。
そして、こう答えた。
「空っぽ、かしら」
その言葉を聞いた瞬間、宗次郎の目の前は真っ暗になった。




