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ブルーアワーの君  作者: 凪司工房
3/4

3.繰り返すブルーアワー


 もう何日分の三月十三日を過ごしただろうか。それは雪がガードレールの上にうっすら残っていた朝のある日だ。タツヤは遂に意を決してブルーアワーの君に話しかけてみようと思い、丘の上の交差点へとやってきた。

 物音を立てないように注意深く自転車のスタンドを立ててガードレール脇に停めると、視線をそっと交差点の向こう側へと向ける。そこにはニット帽とピンクの耳当てをした、レモンイエローのコートを着た女性が震える手で何度もコンパクトサイズのデジカメで交差点を撮影していた。けれど彼女はタツヤの姿には気づかない。見えていないのか、それとも視界に入っていても気にするような存在ではないと思われているのかは分からないが、ともかく気軽に話しかけて良さそうな雰囲気は感じられない。それでもタツヤは小さく息を吸い込み、交差点を渡っていく。彼女のカメラは終始タツヤのことを(とら)えているようにしか思えなかったが彼女は一言も発することなく一枚撮影してはそれを確認し、首を傾げたり溜息を落としたりしている。

 それはタツヤが手を伸ばせば触れられる距離まで迫っても変わらず、流石にどうしたものかと思案したが、ここまで来て声を掛けないのも余計に妙だろうと思い直してタツヤは小さく息を吸い込むと「あの」と切り出した。

 けれど彼女のカメラのシャッター音だけが響く。


「あの、すみません」


 挨拶のときのような大きな声でそう言うと、彼女は驚いたような表情で「どうして」と口を動かした。


「その、いきなり声を掛けて本当にすみません。ただ、いつも気になって見ていたもので。どうして交差点ばかりを撮影されているんです、か」


 彼女の目はこちらを見ていない。ずっとデジタルカメラの確認用小型モニタへと向けられ、何度も口が「どうして」を形作る。しかし声は一切聞こえてこない。それにタツヤの問いかけにも応じず、そうかと思えば何かを探すように慌てて周辺を見回し、呼びかけるように大きく口を動かす。


「どうされたんですか?」


 何度も自分が撮影した画像を見ては息を荒くして大きな口を開ける彼女に呼びかけてみるものの、一向にタツヤの存在に気づく様子はなく、そのうちに彼女は大きく肩を落として目元を(おお)うと、カメラを抱きかかえるようにして背を向け、そのまま歩き去ってしまった。



    ◆



 それから何回か交差点の女性に声を掛けてみたが直接の反応は一度として得られなかった。返答をしないというよりは、こちらの存在が分かっていない、そもそも見えていないとしか考えられなかった。店に戻り、アカネや店長に幽霊が出るとかそういった類の噂があるか尋ねてみたけれど、交差点を渡ってしばらく行った先に神社があるから、昔から奇妙な噂の一つや二つはあったんじゃないかと言われてしまった。

 新聞配達を終えて部屋に戻ってくると、しばらく敷いたままの布団に寝転がって天井を見上げる。大学は寮生活だと聞いている。既に手続きは済んでいて、三月三十日から入居予定になっていたけれど、まだ荷物はまとめていない。パッキング用のダンボールが畳まれた状態で部屋の隅に積み上がっている。

 そのすぐ手前には柱のように重なった新聞の束がある。その全てが全く同じ三月十三日のものばかりだ。同じ三月十三日を繰り返しているだけならこんな風に同じ新聞が貯まったりはしないだろう。こんな不可思議な現象は誰に説明したところで理解してもらえない。それどころか病院にでも連れて行かれるのがオチだ。

 窓の外は雪がちらついている。ブルーアワーの君は現実の人間なのかそれとも幽霊のようなものなのか分からないが、彼女の中では確実に季節が過ぎ去っていた。最近は帽子から出た髪の毛にも白いものが混ざり、最初に気づいた時よりも何歳か老けているのではないかと思うようになった。

 タツヤの意識を除けば、この積み上がった同じ日付の新聞と、毎日変化していくブルーアワーの君だけが昨日とは違う三月十三日が訪れているのだと教えてくれている。

 どうしてこんなことになってしまったのだろう。最初はアカネと約束したブルーアワーのベストショットを撮るチャンスを何度も与えてくれているのだろうと好意的に解釈していたのだが、カメラは一度としてその光景を切り取ってくれず、目覚めればいつも三月十三日と知って落胆する日々を送るうちに自分には写真の才能などなく、アカネに告白することもできず、ただ愚直に新聞配達をすることしか能がないという現実を痛いほど知っただけになってしまっている。

 ブルーアワーの君はどうなのだろう。タツヤとは別の世界を、ちゃんと時間経過のある世界を生きているように思えるが、その表情には一度として喜びを見かけたことはない。いつもどこか悲しげで、それは都会で事務職をしていたアカネがこの街に戻ってきた頃に見せていたものによく似ていた。



    ◆



 その日は雨上がりでアスファルトの窪みに小さな水たまりが見られたが、空気はよく澄んで清々しい気分になる朝だった。いつも通りに新聞配達を終えて交差点への坂を登ってくると、自転車を降りる前にブルーアワーの君の姿を見つけた。彼女もいつもと同じくカメラを交差点に向け、シャッターを切っている。ただこの日はその彼女を見るもう一つの視線に気づいた。

 男だ。上下の黒いスーツに黒い革手袋をして、がっちりとした顔つきで(あご)(ひげ)を生やしている。髪はきっちりまとめて後ろで小さく括ってあり、とても普通の会社員ではない風貌をしていた。その彼は何も言わず、カメラの撮影を続ける彼女を交差点の東側から眺めている。

 その眼光の鋭さに思わずタツヤは自転車のハンドルを握る手を緩めてしまい、ガツ、とガードレールに車体をぶつけてしまった。

 男の目はタツヤを捉えるとおもむろに頭をこちらに向け、値踏みするようにじっと見据える。

 初めて目にする男だ。顔も全然知らないし、今までの人生で関わり合いになったことがない類の人種だと直感できた。

 男は小さく口元を動かすと、彼女ではなくタツヤの方へと足を向け、一歩二歩と近づいてくる。

 逃げるべきだと本能は告げていたけれど、自転車のペダルに上手く足がかからず、そうこうしているうちにも男は一メートル先までやってきて「おい」とドスの利いた声を投げてきた。


「何でしょうか」

「彼女にはもう近づくな。早くここから去れ」


 それだけ言うと男はまた小さく口を動かし、右手に握っていた白い粉をタツヤの足元へと投げつけた。

 何するんですか、と声を出そうとしたが、その途端に世界は明るくなり、男の姿も、彼女の姿も、目の前からすうっと空気に薄まるようにして消えてしまった。



    ◆



 また五分遅く目覚めるのだろうな、という思いで目を開くと、そこは丘の上の交差点だった。自転車はスタンドを立てずにガードレールへとボディを預け、握り慣れたライトブルーの一眼レフを手に、立っていた。

 空は濃い青で塗られ、東の山の稜線が僅かに明るくなっている。ブルーアワーだ。タツヤは反射的にカメラを構えたが、ふと思い、交差点の方を振り返った。

 そこに立っていたのは彼女ではなく、あのいかつい黒スーツの男だった。じっとこちらを睨みつけ、その手には黒い鎖を束ねたようなものを握り、口元を細かく動かしている。何を言っているのか分からなかったが、それでもタツヤに対して何の敵意もないとは考えられない。

 そのまま自転車に乗ってこの場から逃げ出してしまおうかとも思ったが、それでもカメラをポーチへと仕舞うと小さく息を吸い込み、男の方に向かう。


「あんた、彼女に何かしたのか?」


 男は低い声で地響きのような祝詞を唱えていたが、それを中断すると即座に首を横にし、こう言葉を返した。


「オオトリアカネを覚えているか?」

「よく知ってるよ。僕が勤めている新聞屋の一人娘だ。彼女がどうかしたのか?」


 突然どうしてアカネの名を出してきたのか分からないが、見た目に加えて更にタツヤの警戒心は高まる。


「今は結婚しニキアカネと名乗っているが、その彼女が、彼女だよ。いつもこの交差点の写真を撮りに来ている女性だ」


 ブルーアワーの君がアカネだと言われても、頭の中ではすぐに合致しなかった。


「馬鹿にしているんですか?」


 彼女が既に結婚していて苗字まで変わり、毎日この交差点に来てよく分からない写真を撮影していたなんて。それにどう見ても年齢が違っていた。

 心の声はそう言っていたけれど、目の前の男はタツヤに言い返すことすら許さない睨みを利かせた。


「お前は、今自分がどういう状態にいるのか、一度として疑問に思ったことはないのか? 何故三月十三日のままなのか。何故いつもブルーアワーなのか。何故彼女にお前の姿が見えなかったのか。何故、お前の体に血が滲んでいるのか」


 血、という言葉に慌てて自分の胸元を見ると、そこが何かで濡れていた。紺色のジャージが更に濃い色に変わり、手で触れるとどうやらべっとりとした液体のようだ。その掌を街灯の方へと向ける。タツヤの手は一瞬で真っ赤に染まった。


「な、何なんだよ、これは」

「三月十三日。あの日に何があったのか、お前はまだよく理解していない」


 男はそう言うと胸元から手帳を取り出し、そこに挟まれていた新聞記事の切り抜きを一枚手にして差し出した。


「これは?」


 三月十四日の新聞の、地方版だった。十三日の未明にひき逃げがあり犯人は逃亡中と書かれている。その被害者の名はタツヤだった。


「あの日のことを、思い出すがいい」


 低い声でそう言うと男は腕に金属製の数珠を巻いて、何やら祝詞を唱え始めた。

 その刹那、タツヤの目の前に光が広がった。


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